情報強者は、情報弱者の気持ちがわからない
情報伝達って難しいですね。
よく、「伝えた」と「伝わった」は違うという話をしますね。
相手に伝わってはじめて伝えたことになるのに、
通り一遍で「伝えた」つもりになってしまうことを戒める言葉です。

もう1つ、難しいことがあります。
情報強者は情報弱者の気持ちがわからないということ。

メンバーのとき、上司がちゃんと情報をおろしてくれないと
いつも不満をいっていた人がいるとします。私もそうでした。

でも、この人が課長になったとき、
その課のメンバーに適切にメンバーが求める情報伝達ができるかというと、
必ずしもそうはならないケースがあります。

実は、いったん情報を得られるのが当たり前の立場になると、
情報を得られていない人の気持ちがわからなくなってしまうのです。
何の情報が必要なのか、情報が得られないとどんなことが困るのか、
そういったことが実感できなくなってしまい、
結果、気づかないうちに情報をメンバーにおろすことを
おろそかにしてしまう、そんなことです。

なので、メンバーとしては上司が情報をおろさないのは別に意図的なのではなく、
おろす力を持っていないのだというくらい割り切って考える必要があります。
そして、自分から情報を取りに行く必要があります。
情報は黙っていてもらえるものだという幻想は捨て、
下からとりに行く、奪いにいく、これができると情報はうまくまわります。

とはいえ、そんな行動ができる人ばかりではないので、
やはり、上司はできる限り情報伝達の目配りをしなければいけません。
ただ、組織に1人でも情報を取りに来るタイプの人がいてくれると、楽ですね。​

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※晩夏の思ひ出
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【2017/09/04 22:10】 | コミュニケーション | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
コミュニケーション能力の低下ではなく、コミュニケーションに対する意欲の低下
若者のコミュニケーション能力の低下を嘆く声をよく聞きます。
明らかに二極化的に感じるようなこともあります。

でも、これに対して、低下しているのは、コミュニケーション能力ではなく、コミュニケーションに対する意欲だという話を聞きました。典型的なのが「一人っ子で、両親の寵愛を一身に集め、セキュリティの厳しいマンションで育った中高一貫男子進学校の"恵まれない子供たち"」だといいます。

競争社会に生きていないとコミュニケーションに対する必要性は低下し、ひいては欲求が低下するというのです。例えば、「単語でしゃべる子供たち」。単語でしか喋らない小学生、中学生が増えているといいます。単語でしか喋れないのではなく、喋らないのです。もともと、赤ちゃんは単語でしか喋りません。でも、成長するにつれて、他者と出会うことにより、単語だけでは通じないという経験を繰り返し、文を手に入れるのだといいます。この言語習得のプロセスが弱体化しているわけです。兄弟がいれば「ケーキ!」と叫んだだけでは望みはかないませんが、一人っ子で優しいお母さんという組み合わせがあると「ケーキ!」というだけで、ケーキが出てきてしまいます。もっと優しいお母さんだと、いう前に察してケーキを出してしまうかもしれません。言語は「言わなくてもすむものは、言わないように変化していく」という特徴を持つそうです。ケーキをどうしたいのかを聞かずにケーキを出すような行為が、単語でしか喋らない子供をつくるわけです。

これは家庭だけでなく、学校も含めた社会全体が、衝突を回避して気の合った小さな集団だけでしか喋らないですむような流れが強まり、わかりあう、察しあう、温室のようなコミュニケーションに慣れてしまっては、コミュニケーションの意欲が低下するのは無理もないでしょう。表現をするには、他者が必要なのですが、他者との接点がなければ、表現のスキルも磨かれませんし、表現への意欲も沸き立ちません。

このような世界で生きてきて社会に出で、企業に入るとどうなるでしょうか。「どうしてみんな僕のことをわかってくれないの」と真剣に思うでしょう。大かれ少なかれ、この傾向はないとはいえません。ちゃんと説明しなきゃわかってもらえるわけないじゃんという当たり前のことをちゃんと学習してこれてきていないわけです。

………「わかりあえないことから~コミュニケーション能力とは何か」(平田オリザ著)より

酒場探訪シリーズ039 ロックフィッシュ 
※酒場探訪シリーズ038 ロックフィッシュ@銀座 ~いわずと知れた世界一のハイボールの店。いい空間なんです。
【2016/12/27 22:41】 | コミュニケーション | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
相手の目をみて話すことができないんです
「相手の目をみて話すことができないんです」
     ↓
「無理に目をみなくてもいい。鼻の上くらいをみるといいよ。
 相手は、目をみているみたいに感じてくれるよ」

「いつも表情が硬いんです」
     ↓
「身振り手振りをすると、表情が硬いのをカバーできるよ。それは意識してできるよね」


できないものを精神論的にやらせることが不適切な人について、
こういう実用的な方法を教えてあげるのって、結構、素敵ですよね。
こういった解決法もあるわけです。とても勉強になりますね。

酒場探訪シリーズ041 鳥樹 
※酒場探訪シリーズ038 鳥樹@旗の台 ~カウンターの目の前で魚をさばくのは普通ですが、ここの店は丸鶏をさばきます。凄い! そしてマスタのインバウンド客への対応が凄い。コミュニケーションに流ちょうな語学力は不要ということを学ばせてくれます。



【2016/12/26 22:20】 | コミュニケーション | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
思考停止を招くカタカナ言葉
耳障りのよいカタカナ言葉、外来語は疑った方がよいことが少なくありません。
私はかねてから、職場の3大思考停止ワード(もしくは、HR界の3大思考停止ワード)というものを主張していますが、それは「マネジメント」「リーダーシップ」「モチベーション」の3つです。これらは頻繁に用いられます。例えば、「それはマネジメントの問題だね」「この組織にはリーダーシップが足りない」「そもそもモチベーションに問題があるね」などといって放置!というのがよく見られます。これらの耳障りのよい言葉を使うと、もうそれ以上掘り下げなくてもなんとなく許されるような雰囲気があります。でも、何一つ、解決には近づいていないんですよね。

そして、もう1つ怪しい言葉があります。「コミュニケーション」です。
これも頻繁に職場で使われますね。

「コミュニケーション」の語源をご存知でしょうか。
「コミュニケーション」の語源は、ラテン語の「コムニカチオ」だといいます。元の意味は「分かち合うこと、共有すること」なのだそうです。ですので、良いコミュニケーションとは、「円滑な分ち合い」なのです。しかし、一部の人は一方通行の「伝達すること」がコミュニケーションだととらえていたりします。これは大きなすれ違いです。カタカナ言葉の怖いところの1つは、個々人によって厳密な定義が違うままで会話されているところです。「コミュニケーションの悪い職場」という一言でも、上司と部下はまったく異なる問題意識を抱えているかもしれません。

小倉広さんの「アドラーに学ぶ職場コミュニケーションの心理学」を読んで、思い出したお話です。

酒場探訪シリーズ033 山ちゃん 
※酒場探訪シリーズ033 「山ちゃん」@蘇我。どこの駅にも素敵なコの字カウンター酒場ってあるんだと感動した乗換駅の蘇我。写真のメニューは東部の酒場では見かけるメニューの「重ネ」ですが、ここの「重ネ」はなかなかすごいです。




【2016/11/27 23:55】 | コミュニケーション | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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