8月も終りです。江戸川区でも夏休みは短縮になっており、8月31日が夏休みの最終日ではなくなってしまっているんですね。何となく感覚が狂います。
昨日の選挙はすさまじかったですね。でも、出口調査ほどは激しい結果にはなっていません。民主でみれば、TBS:324議席、フジテレビ:321議席、テレビ朝日:315議席、テレビ東京:326議席が、結果は08議席。日本テレビはイモリが走ってました。自民党は、TBS:96議席、フジテレビ:97議席、テレビ朝日:106議席、テレビ東京:98議席が、結果は119議席。主に中四国で誤算があったように見受けられますが、自民なんかは結構大きな誤差ですね。 さて、8月後半の振り返りです。最近、いろいろなところに出没しているので書くことにはこと欠きません。もう少しちゃんと整理して書いておかないと、備忘録ブログとしては機能が損なわれる恐れがあります。 8月16日 GCDFクライアント役 8月17日 GCDFヘルピング~ヘルピング備忘録③ 8月18日 「熟達化」としての学習 8月19日 「学習棄却」としての学習 8月20日 そしてアンラーニング 8月21日 「戎」 8月22日 パラダイム・シフトとオフィス・レイアウト 8月23日 「文脈の多様性」が競争力を創る 8月24日 日本的なEAPを目指して 8月25日 防衛機制 8月26日 優秀なリーダー・先輩が陥る罠 8月27日 快適職場のソフト面への適用 8月28日 「鳥藤」 8月29日 シェアード・サービスというビジネスモデルの終焉の始まり? 8月30日 お好み焼きと人材育成 《2009年8月31日》 台風は去りましたが、去らないものもいろいろとあります。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を スポンサーサイト
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木曜日の晩ににっぽんお好み焼き協会の佐竹会長を囲んだお好み焼きパーティがありました。
大阪は南方の店焼きのお店でしたが、やはりここは無理をいって佐竹会長に実演をお願いしてしまいます。本当に上手に焼いていただいたお好み焼きは美味しい。ポイントは10カ条を見ていただくとして、とにかくタッチ数が少ないんです。焼きあがるまで、コテでお好み焼きをさわるのは、ほんの数えるほど。手数の少なさに感動です。でも、簡単ではないんです。よ~く、そして暖かく、お好み焼きを見ているのです。佐竹会長曰く、「手はかけないけれども、目はかける」というわけです。 これと同じ話をどこかで聞いたと思ったのですが、このブログでも以前に紹介した永田農法です。 2008年2月27日のブログの再録です。〓〓〓〓 比較的有名な話のようですが「永田農法」という方法で栽培されたトマトは、香りがよく肉質が締まっており、甘くて美味しいそうです。この栽培方法は「スパルタ農法」などともいいますが、最小限の水と肥料しか与えないのが特徴です。この農法について創始者の永田照喜治氏は以下のように話されています。 『私の農法が「スパルタ農法」「断食農法」と呼ばれるのは食物を甘やかさないからです。人間でもそうですが、満腹だとなまけものになります。植物もたっぷりの水と肥料を与えられて育つと、まず根っこが十分に働かなくなります…。私の農法のものは白くてふわふわの細かい根っこが地上の近くにびっしりできます…。これが美味しさの秘密なのです。ぎりぎりの生育環境で養分や水分を十分に吸収するために、植物が持つ本来の生命力を取り戻したのです』。 小樽商科大学の松尾睦先生が、この「永田農法」を人材育成に当てはめて紹介しています。 ○肥料や水を与えすぎると、見栄えがよいが栄養価が低く味の悪いトマトしかできない。組織においても、効率を重視してメンバーに情報や知識を与えすぎると、外見は立派だが中味のない人間ばかりが育ってしまう危険性がある。 ○永田氏のいう「根っこ」は、植物が土から養分を吸い上げる力であり、人間でいえば様々な経験から知識やスキルを獲得する能力に相当する。 ○植物本来の成長能力を引き出すような環境を作るのが「永田農法」の基本的な考え方だが、企業においても社員が持っている潜在能力を引き出すような環境を作り出し、自ら学ぶ力を引き出すことが大事である。 ○ただし、「放任」や「しごき」が人を育てるのではない。「永田農法」は水や肥料こそ最低量に押さえるが、野菜をほったらかしにしているのではなく、「手はかけなくとも、目は細かくかける」ことを重視している。つまり、野菜がどのように成長するのかをよく理解した上で、きめ細かい管理をしている。企業の人材育成においても、人が成長するプロセスを良く理解した上で、個人が持つ潜在能力を引き出す環境を提供することが大切になる。 最後の部分につきますね。人材育成も「手はかけなくとも、目は細かくかける」が最大のキーポイントです。 ここまで。〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 実はお好み焼きを食べた翌日の金曜日の夜に、産能大の長岡先生が主宰される「イブニング・ダイアログ」で今は神戸大学に移られた松尾先生にお会いしました。なんか不思議なめぐり合わせです。 お好み焼き=永田農法=人材育成、この3者の根底に流れるものは、実はとても共通しているのです。 【過去の関連ブログ】 06月19日 お好み焼き憲章10カ条 《2009年8月30日》 選挙でした。朝早めに行きましたが、また出口調査には声をかけてもらえませんでした。共同通信の気の弱そうな調査員がいたのですが、誰にも声をかけれていないんじゃないだろうかと心配になります。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
土曜日にGCDFのヘルピングの授業でクラス・クライアント役をやった際に、クラスで出ていた話を備忘録として残しておきます。もっとちゃんとメモとればよかった。
《「知る」と「わかる」の大きな違い》 「知る」はある意味では、支配しようとする行為。知ったことによって何かをしようということが前提にある。だから「知りたがり屋」は一般的に警戒される。 これに対してGCDFは「わかる」ことを大事にする。「わかる」というのは「変わる」こと。GCDFはクライアントが言ったことに対して、わかったことを伝える。既にこの時点でGCDFは変化している。 「質問」という行為は「知ろう」とするための行為に他ならない。それでも、あなたはGCDFとして質問を続けるだろうか。 大事な人には、あなたは自分のことを「知って欲しい」と思うだろうか。それとも「わかって欲しい」と思うだろうか。 《間違ってしまった場合は》 例えば、契約社員というべきところを派遣社員といってしまった。気づいたら、まずきちんと詫びて訂正する、それでいい。誰でも間違うことはある。最もいけないのはそれをしらばっくれて進めること。間違ったことを素直に謝って訂正するという行為は、GCDFへの信頼感をどちらかというと高める。しらばくれるような人には、普通、誰も相談などしたくはないもの。 《キャリアカウンセラーの××です、と名乗るのは…》 ヘルピングの冒頭、当然まずはカウンセラーから名乗る。「キャリアカウンセラーの××です」「GCDFの××です」、実はこういった肩書きをつける名乗り方はNG。クライアントはキャリアカウンセラーのもとに相談をしにきているのだから、相手がキャリアカウンセラーだということは知っている。なのになぜ名乗ろうとするのか。 「キャリアカウンセラーの××です」と名乗ること自体に「上から目線」を感じるクライアントもいる。どこかでGCDFが優位に立とうと無意識に思っているのかもしれない。またその理由は、自信がないため「キャリアカウンセラー」と名乗って、立場を強化しようという無意識の心理が働いている、なんてことかもしれない。 「キャリアカウンセラー」と名乗らないことによる明確なプラスはあまりないかもしれないが、名乗らないことによるマイナスは何もない。言わないことによって、いろいろなことを阻害する可能性は摘める。であれば、名乗らない方が得策だ、ということになる。 《質問をするということ》 例えば街中で「道を尋ねる」質問は誰しもしたことがあるし。受けたこともあるだろう。相手が教えてくれたらどうするか。人として当然のことだが御礼の気持ちを伝えるはずだ。GCDFが質問をしたとする。あなたはきちんと御礼の気持ちを伝えているだろうか。御礼の気持ちを伝えもせずに、さらに次の質問をしたりするのは最悪。 それでは、どのように御礼の気持ちを伝えるのがよいのか。もちろん「ありがとうございました」もありだろうが、クライアントが何についてどうだといったのか、GCDFがわかったことを伝えてくれることがクライアントにとっては一番だ。質問に対して一生懸命クライアントは答える。それをどうわかったのかを伝えるのは質問者としての最低の礼儀だともいえる。 《全体を見据えて進めようとはしない》 関係構築のフェーズでは、間違っても全体像を見据えてセッションを進めようなんてことは考えないことだ。クライアントが今いったことについて、「何について」(対象)「どうだ」(感情)といったとGCDFは理解したのか、それをきちんと返す。常に目の前にいる相談にきたクライアントを忘れずに、その時その時のクライアントのいったことに着目する。どう全体を構成して進めようなんてまだ考えない。きちんと「何についてどうだ」についてわかったことを返していると、クライアントが自然にセッションは進めてくれる。とにかく「どうわかったか」を戻すことに集中する。つまり、クライアントをわかろうとすることに自らを集中する。質問なんかしている余裕はないはずだ。 《堂々巡りになるのは》 ヘルピングの関係構築の段階から、堂々巡りに話がなって進まずに苦しむGCDFも多い。そんなことに陥るのは、GCDFがクライアントがいっていることを鸚鵡返しのように、クライアントの言葉をそのまま使って返すことをただ続けている場合に多い。 GCDFはクライアントよりもほんの少しだけ前に進もうとする感覚が大切。クライアントが何かいう(ある方向に一歩踏み出す)。それに対してGCDFがクライアントの言葉をそのまま使って戻した場合、GCDFはクライアントの真横にぺったりと寄りつく感じになる。クライアントはまた次に進む方向を考えて自分の力で踏み出さなければならなくなる。これはクライアントにもかなり体力を求める話だ。そうではなく、GCDFはクライアントに寄り添いながらもほんの数センチでいいので前に踏み出すような戻しをする。クライアントが「何についてどうだ」といっているのかGCDFがわかったことを戻すということをきちんとやればこれはできる。そうするとクライアントはその流れの中でストレスなく話を続けることができる。そんな流れができれば、堂々巡りに陥ることはない。 GCDFが苦し紛れに質問をするのは、こんな堂々巡りに耐えられなくなった時であることも多い。 《クライアントのいったことを切り刻むな》 まだ慣れないGCDFはクライアントがいったことを分解して理解しようとする傾向がある。日常のビジネスでは分解思考はもちろん大切だ。ヘルピングでも有効に使える可能性はあるが、それは問題解決のフェーズの話であり、関係構築のフェーズでの話ではけしてない。なのに関係構築フェーズから、それも下手をすると最初の1フレーズ目から、クライアントのいったことを分解して切り刻んでしまう。これではなかなかクライアントは深く話してみようという気持ちに入れない。 クライアントにとっては、GCDFがわかってくれたことが大切なわけではない。まずは、わかろうとしてくれていると感じられるかが大切なのだ。そう感じたら、クライアントは話を続けることができる。クライアントは敏感だ。このGCDFが自分のいったことを切り刻もうとしているのか、カウンセラーが聞きたいことを質問しようとしているのか、それともクライアントのことをわかろうとしているのか。クライアントには伝わるものである。 《ロールプレイング振り返りシート》 ロープレが終わったら、振り返りシートを記入する。協会のシートは設問A「ロールプレイングの中で、クライアントは話たいことを話せていたでしょうか?」から始まる。シートに記入した結果を、GCDF⇒オブザーバー⇒クライアントの順に発表してすり合わせをする。ここでGCDF役が意識すべきこと。シートの記入結果が良いことが大事ではない、クライアントとGCDFの記入結果が一致することが大事だ。つまり、GCDFがクライアントの変化をしっかりと見ることができて、気づくことができているか、ということだ。 【最近の関連ブログです】 6月27日 GCDFヘルピング~不合格時アドバイスシート 6月28日 GCDFヘルピング~ヘルピング備忘録① 6月29日 GCDFヘルピング~ヘルピング備忘録② 7月25日 GCDFヘルピングにおける沈黙のワナ 《2009年8月17日》 今日はわが人事に新人が入社。ありがたいことです。さっそく歓迎会で。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
半月に1回の振り返りです。
日々、無計画に書いているので、何を書いたのか忘れてしまいます。また、このブログに書いたのか、仕事で何かに書いたのか、だんだん渾然としてきます。そんなことを少しでも防ぐために、半月に1回振り返っているという次第です。 今回は特に後半はミャンマー・ブログでした。あえて違った局面から書きましたが、純粋に感動できるところがかなりある本でした。私には7000円の寄付の話が一番ぐっときました。 あとはあまり書けていませんが、慶応MCCの「ラーニングイノベーション論」の第9回が完了し、事実上カリキュラムは終わりました。久しぶりに人事の仕事に復帰して初めての外部講座でしたが、多忙にかまけてちゃんとしたリフレクションができずちょっと受講態度に後悔が残りますが、これからも時間を探して振り返りをしたいいと思います。ちょうど人材育成体系を構築しているときの受講だったのですが、制度構築にはあまり活かせていません。まだまだ走りながら変えていきますが。 8日にはキャリアカウンセラーのGCDF継続勉強会もやりましたが、その内容もまだ報告できていませんね。 8月1日 職場ぐるみ研修 8月2日 図書紹介:『ダイアローグ 対話する組織』中原淳+長岡健著(ダイヤモンド社刊) 8月3日 食品SS連絡会の給与実務担当者研修 8月4日 COMPANYユーザーコミッティ 8月5日 突貫工事のエキスパート 8月6日 満杯の水槽には水は注げない 8月7日 「ほし」 8月8日 図書紹介:『死にゆく子どもを救え』吉岡秀人著(冨山房インターナショナル刊) ① 8月9日 図書紹介:『死にゆく子どもを救え』吉岡秀人著(冨山房インターナショナル刊) ② 8月10日 図書紹介:『死にゆく子どもを救え』吉岡秀人著(冨山房インターナショナル刊) ③ 8月11日 図書紹介:『死にゆく子どもを救え』吉岡秀人著(冨山房インターナショナル刊) ④ 8月12日 図書紹介:『死にゆく子どもを救え』吉岡秀人著(冨山房インターナショナル刊) ⑤ 8月13日 人材育成に関しての新しい常識 8月14日 「亀吉」 《2009年8月15日》 終戦記念日です。日中はキャリアカウンセラーの資格であるGCDFのクラス・クライアント役(明日詳しく書きます、たぶん)、夜は真のナポリピッツァ協会加盟店パルテノペ広尾店で大学のサークルの同期と会食。目茶目茶飲みました。ワイン1人1本はいったかな。帰りはなぜか恵比寿まで歩きました。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
また、続きです。
著者や紹介いただいた友人には申し訳ないですが、やはり私にはちゃんとした書評は書けないようですが、本書にはあれこれと考えが広がる話がたくさんあります。 今日はまず引用からです。 ********************************************* こちらでは相変わらず、忙しい日々が続く。ひげも剃っていない。1日中、外来やら手術やらでいっぱい、いっぱいになる。 きょうは手術が1件中止になった。このチャンスにブログを更新する。 いったい何時までこんなことを続けるのかと、自分でも途方にくれる時がある。年々体力は落ちていく。10年前は20時間は働くことができた。そのとき、まだ私には1日4時間も残っていると豪語できた。 でも、今は無理。そんなことをしたら、その後の何10時間も失うことが分かった。うまく役割委譲していかなくては、とつくづく思う。 人は1人では生きていけない。しかし、1人で生きていくのだ、という気概と勇気は必要だ。だからいつも不遜にも、私は誰もいなくなっても大丈夫だと、皆の前で豪語している。 ********************************************* 吉岡医師の仕事と、私達なんかがやっている仕事との比較はけして適切ではないとは思いますが、この思いについてはまったく同感です。体力の衰えと、それを冷静に受け入れなければならないとの認識についても同感です。時折、体力ほどに気力は衰えていないため、無理をし過ぎて後悔をすることはありますが、「その後の何10時間も失うこと」にもしばしば痛感させられます。でも、たまに繰り返してしまうあたりは私の弱さだと認識しています(そこを本気で強化しなければならないというほど、追い詰められていないのでしょう)。 いずれにしても、この気概、好きです。 それにしても仕事って何でしょうか。 「ワーク・ライフ・バランス」という言葉があります。仮に「ワーク」と「ライフ」を相対する、相反するものだととらえて、その両者のより良きバランスをとるのが「いい生活」だという考え方だととらえると、ここにはかなり寂しいものがあり、違和感があります。仕事は自分の時間の切り売りであり、本質的に退屈で時間消費的なモノだという前提があるのであれば(労働基準法はこの前提に則ってますね)理解できますが、仕事にある使命感を感じていたり、仕事が面白くて仕方がないという人には、あまり理解はできない感覚でしょう。特に人事なんて仕事は、そういった思いをもってやってもらわないと、社員が可哀そうです。 もちろん広い意味での「ライフ」はものすごく大切です。しかし、これは「ワーク」と相対する概念ではなく、もう少し渾然一体となった世界が良いように思います。本書でも日本の医師の働き過ぎについて言及されている部分がありますが、そういった効率性とかけ離れたところにある働き過ぎは是正する必要があるでしょうし、慢性的な長時間労働もよいわけがありません。ただ、そういったものは仕組み(例えば仕事のやり方、意志決定の方法等)の改善からアプローチするものであって、「ワーク・ライフ・バランス」の推進といった理念的なアプローチをするのはどうかと思います。間違った方に日本人が誘導されてしまわないか、ちょっと心配しています。もともと農耕系民族であるだけに、簡単に1億総草食系になりかねません。 まだまだ引用をしたい個所は多数ありますが、本書の紹介はこれでひとまず終わらせることとします。でも、まだまだいろいろと話があるので、いずれ思い出したように書くこともあるかと思います。
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さらに図書紹介の続きです。
吉岡医師の病院は時に戦場のような姿を呈します。 1週間に50~60件という途方もない数の手術を行います。本来は小児外科が専門であるにも関わらず、明らかに他の科に属するような症状にも必要に応じて対処をせざるを得ない場合があります。整備も整っていません。停電や断水も頻繁にあります。手術中に停電になり懐中電灯で手術を続けざるを得ない日もあります。麻酔環境も不十分であり、麻酔が切れる前に手術を終わらせなければならないプレッシャーもあります。 結果、吉岡医師はどんな医師になっていくか。 恵まれた日本の病院(というと失礼なのでしょうか)で医療行為に携わるのに対して、以下のようになります。 いやがおうでも、スピードが早くなる いやがおうでも、守備範囲が広くなる 文中にありますが、吉岡医師は普通の日本人医師の2倍以上の速度で手術ができるそうです。また、吉岡医師の元で働く看護士の皆さんも、日本では行っているアシスタント的(というと失礼なのでしょうか)な仕事の域を超えたリアリティのある医療行為に携わります。 本書で1番感動したというか、印象に残ったのは、こういった仕事のやり方の部分です。 ここまで激しくはないですが、何となく大企業で働く人と、ベンチャー企業で働く人の違いを想起させます。 私の今いる会社はだいぶ大きくなってはしまいましたが、まだまだベンチャー的な良さも問題点も維持しています。以前いた100年を超す伝統のある企業とはいろいろな部分でかなり違います。もちろん、双方の良い点・改善点はあるのですが、こと仕事でいえば、ベンチャー的な企業で鍛えられた方が、 いやがおうでも、スピードが早くなる いやがおうでも、守備範囲が広くなる となるのは間違いありません。吉岡医師が奮闘されているミャンマーとは比較にもなりませんが、環境的・待遇的にも大企業よりも当然に劣ります。でも、本当に真剣に仕事で自分と向き合いたいのであれば、お奨めです。個人的には、大企業で「組織として仕事をするとはどういうことか」を学んでから、ベンチャーに行くのがいいんじゃないかと思っています。また、独立起業する人も含めて、そんなチャレンジをする若者が数多く出てきて、日本でもさらに多くの新興企業が成長できるようになってくれるといいなぁと思っています。 最新の学生に関するデータが出る都度に、学生の安定志向の高まりが取りざたされます。安定志向の中にもハッピーストーリーはもちろんあるのだとは思いますが、そう遠くないうちに、強い安定志向ほどリスキーなものはない時代に知らないうちになっているかもしれません。
《2009年8月11日 》 知らんうちに台風も去り、傘を忘れそうな夜でした(忘れないように最近はどんな雨でも折りたたみ)。夜は神泉にて、グロービスのクリティカルシンキングのクラスのOB会、記念すべきDAY100でした。ちょっと定例のOB会も常連化してきたので、次回は最近来れない方、来てください。幸せ者を冷やかしながら、楽しい夜でした。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
昨日の続きの図書紹介です。昨日もミャンマーの話だけで書籍の内容には入らずに終わってしまいました。今日は少し入ります。
ミャンマーの吉岡医師の病院には、多くの日本人医師・看護士が働いています。吉岡医師を含めてこれらすべてがボランティアであり、無給での貢献です。 ちょっと今年の採用活動の話に飛びます。 今年は久しぶりに新卒採用面接に大量に入りました。基本的に最終面接に横串を刺そうと思い、可能な限り最終面接に入ってみました。面接で出る一般的な話題の1つに「学生時代に力を入れたこと」というのがあります。これに対して、「海外でのボランティア経験」をあげる学生が相当数います。これを深堀りして聞くと、こちらからみると「ボランティア経験」とはとてもいえず、しいていえば「ボランティア体験」といった感じのものがほとんどです。世の中には「ボランティア体験」のパッケージ・ツアーがたくさん生まれており、大学生協でそれらが予約できるような時代になっているそうです。もちろん「体験」は貴重であり、そこから次の何かが生まれる可能性はあります。これらの体験否定するつもりはまったくありませんし、多くのことを得ている学生が多いと思っています。でも、面接の場でそんな「ボランティア体験」を学生時代に1番力を入れたこととして話されると、ちょっと違うんじゃないか、3年間の学生生活のその他の時間については何を考えて何をやっていたのかを本当は聞きたいのだけれども…、と思ってしまいます。中には、就職活動でセールストークをするための「ボランティア体験」という趣もあったりするのかもしれません。そこまでいくと、本末転倒になります。 これに対して、吉岡医師のボランティアに対するスタンスは、明快かつ強烈です。ちょっと長くなりますが、前文から引用をさせてください。 ********************************************* 私の元にボランティアを志し、やってくる若者の多くは「困っている人を助けたい」と言って訪れてきます。 しかし、彼らが言いうことは本心だろうか? と私は思うのです。 彼らは自分が他人を助けられるほどの人間かどうかをまだ、自分では知らないのです。 ここでの活動を通して、やがて彼らはその価値がある人間だと認識しますが、ここに来た時点ではそれがわかっていないのです。 では彼らの本心は何なのか? 私は、彼らの、困っている人たちを助けたいという気持ちを、すべてうそだとは思っていません。一部は本当で一部はうそです。その隠れている本当の心の声を、私が炙り出します。ここでの活動の中で、徐々に彼らはその答えを見つけてゆきます。 朝から夜遅くまで毎日働き続けて、彼らはへとへとになっていき、皆、苦しそうにしています。そのとき私は「こんなに多くの人たちのために働けているのに、どうしてそんなに苦しそうなのですか? あなたの願いが叶っているのになぜ苦しいのですか? 喜んでください」と言います。彼らは何も答えることができません。 ここへ来た目的の人助けを、思う存分、行っているのに、どうしてこんなにつらいのか分からないのです。しかし、やがて彼らは答えを見つけていきます。 「人助けをすることによって、自分自身が価値ある人間、生きている意味のある人間であることを知りたかったからここにきたので。そのために人を助けるという方法を選んだのだ」と。 そして、彼らはおごりを捨て、謙虚になっていきます。助けているのではなく、助けさせてもらっている。自分が存在価値のある人間だと、認識する機会をあたえてもらっている。だから、自分のお金や時間や技術を使うのは当たり前なのだと納得するのです。 ここに至って、彼らは真のボランティアとして生まれ変わります。 ********************************************* 明快で強烈なスタンスは人の心を打ちます。そんな活動の日々を描いた本です。
《2009年8月10日》 本日の夜は以前の職場での歴代発令担当者の会です。発令担当者は、すべての人事業務の要であり、給与はもちろんのこと、採用・退職などの業務設計は発令担当者がしっかりとイニシャティブをもって行うと効率的で効果的になりますが、今の職場ではなかなかこの理念が伝わりません。まぁ人事マスタの概念もなかなかないので無理もないですが。でも、来年の今頃はきっと違っているでしょう。ところで、この会、「ラッキーピエロの会」といいます。日本でマクドナルドが攻めあぐねている街が2つあるのでするが、それは佐世保と函館です。その函館を守っているのが名店「ラッキーピエロ」のチェーンです。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
では、図書紹介、昨日の続きです。というか昨日はスタートラインにまでも立てませんでした。
まずは本書の概要をご紹介したいと思います。 勝手ながら著者の吉岡医師からの案内レターの一部を抜粋する形でご紹介をさせてください。 「……私は1995年よりミャンマーの地で医療活動に関わり始めました。そして、人生を本格的にこの活動にささげようと決意し、2004年より本格的に組織を創りミャンマー中部サガイン管区ワッチェで活動を始めました。そして、2005年より日々の活動の中で感じます事柄を、ブログという形で、その折々に書きとめてきました。この書籍は、そのブログを加筆・編集をしたものです。この書籍の内容は、他人の知識の借用ではなく、私の経験から生まれました考えや思いを様々な言の葉にのせ書き留めております。同世代の方々だけでなく、若い世代の皆様方や、人生の先輩諸氏の皆様にも、得意な私の経験智が、少しでもお役に立てればありがたく存じます。幸いにもブログという世界の中だけで埋もれてゆく運命にあった私の思いや経験が、様々な方々のご協力によって形になりましたこの書籍を、ひとりでも多くの皆様方に、読んでいただければ幸甚です。……」 ミャンマーは私たちの日本にとって、アジアの仲間の国の1つです。軍事政権や、日本人ジャーナリストの死、大水害の際に国際支援を拒絶したことなど、最近はあまりよいイメージが報道されていませんが、私も本書で初めてきちんと認識したのですが、日本人にとっては大変に大きな恩義がある国なのです。 吉岡医師の職場のあるミャンマー中部のサガインは、60年前の第2次世界大戦時に、多くの日本人が住んだ町です。そして、この地でイギリスと戦い多くの日本人が亡くなりました。また、多くの傷ついた日本人たちが、この地のビルマ人に助けられました。この地には実に20万人もの日本人が眠っているそうです。サガインには多くの日本人の手による慰霊碑があるものの、既に訪れる人は減り、碑に刻まれた日本人戦没者の名前も薄れて今や読むことはできません。私たち以下の世代で、この史実を理解している日本人がどれだけいるでしょうか。 第2次世界大戦後には、日本はアジア中の国々から戦後賠償を求められました。このときに助け舟を出してくれたのが、このミャンマー(当時はビルマ)だったそうです。日本には今、このくらいの支払い能力しかない、だからアジアの国々もこれくらいで妥協をしようじゃないか、ビルマはそんな投げかけを他の国にしつつ、一番先に賠償金額の合意をしてくれたそうです。その後、他の国々もビルマの額を基本線にして、次々と金額を決めて戦後賠償の合意が進んだそうです。さらには、戦後焼け野原と化した食糧難の日本に対して、ビルマは大量の米の供給もしてくれたそうです。 こうやって史実を振り返ると、歴史を知らないということは実に恥ずかしいことだと感じさせられます。正しい知識なくしては、正しい感謝は生まれませんから。
《2009年8月9日》 ほぼ終日あれこれとやっていなかったことをやりましたが、まだまだあります。整理したい資料もたくさんあるし、データ入力できていない名刺も400枚くらいたまってしまいました。でも、もうまた月曜日ですね。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
ミャンマーで小児外科医として働く日本人医師、吉岡秀人さんが書かれた本です。7月の最終週の「情熱大陸」にも登場された方ですが、ご覧になった方も多いかと思います。
この本は、キャリア・アドバイザー関連の勉強会で知り合った友人からいただきました。もともと吉岡医師のブログを再構成して出版化したのが本書なのてすが、その方も本書の出版に奔走されたお1人のようです。。それだけ吉岡医師の活動というか生きざまに、心を打つものを感じられたのでしょう。たまたまのタイミングだとは思いますが、この友人はつい最近に長年勤められた会社を退職されました。私もこの1月に同じように長年勤めた会社を退職しましたので、なんとなくそういった行動には感情移入をしてしまうところがあります。 本書は友人からいただいたのですが(ブログでも紹介しなさいといわれ、ようやく約束を果たしました)、本をお送りいただいたときに添えられたレターには「これが私の今の会社での最後の仕事になりました」といった感じの言葉が書かれていました。かなり長期間にわたって勤め、1人ひとりの社員のために心を尽くして働いていた方の言葉なので、重く感じられます。1つの組織に長い期間勤め、1人ひとりの社員に愛着と愛情を感じている、そんな会社を辞めるのは、つらいとか残念だとかという言葉では語れない複雑な「思い」があるかと思います。そこでの「最後の仕事」といわれますと、ついついいろいろと考えてしまいます。 この場合の「仕事」という言葉には、不思議な重みがあります。 「キャリア」という言葉が相対的に軽く感じられるようなリアリティが「仕事」という言葉にはあります。私もこの1月10日に新卒入社以来24年9カ月勤めた会社を辞めましたが、その会社でやりたかった「仕事」がいくつもまだありました。もっともっとしたかった貢献がありました。退職にあたっては1日も年休消化はせずに、年末年始休暇もほとんど仕事をして、できる限り残された時間で最大限の仕事をやろうとしました。「最後の仕事」は完了しませんでしたが、愚直にそれを引き継いで結実させようとしてくれる後輩がいたりするのは、うれしいことです。 ちょっと感傷的になって、話が完全にズレました。図書の紹介をするつもりでした。 このような経緯で読み始めた本だからということではありませんが、本書についてヒューマニズムの観点から語ることはしません。せっかくキャリアアドバイザー仲間が精魂こめて世に出した本ですから、どちらかというとそちら側の観点から読んでみたい、というか感じてみたいと思います。 では、何も紹介をせずに前振りだけでしたが、今日はおしまいです。
《2009年8月8日》 久しぶりにgcdfの自主継続学習会。2003年度東京Aグループ+ゲストで計17名が集まりました。講師をお引き受けいただいた3名のおかげをもって、なかなか中身も濃いものとなりました。秋にはまたやります。もうすぐ2回目の更新ですしね。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
「突貫工事のエキスパート」、先日紹介している「ダイアローグ 対話する組織」にある言葉ですが、言いえて妙です。こういった概念はキーワードができるとしっくりと来ますね。
現場においてある業務に熟達した優秀な人が「陥りがちな罠」です。そう、さばき切れないほどの多くの業務を鮮やかに処理し続ける能力にたけた人です。こういう人は、とても上司からみても重宝ですよね。もちろん本人も充実感を感じて、来るボールを右へ左へ打ち続けます。常にその場では正しい判断をして仕事をさばくのですが、実はその判断からは次第に「長期ビジョン」が抜け落ちます。1つ1つの判断は正しくても、次第に方向性がずれていきます。「ダイアローグ 対話する組織」の中では、ケネディ&ジョンソン政権における優秀なブレーン達がベトナム戦争の泥沼に陥っていったプロセスを例に説明がされていますが、実にビジネス社会でもありがちだと思います。 こういった日々の格闘の中では、自らを客観視することは容易ではありません。ここで有効なのが他者との「対話」です。他者という存在は当然のことですが、自分とは異なった視点を持っていますから、自分がはまっている穴から抜け出すきっかけをくれます、というか自分が穴にはまっていることに気付かせてくれます。これもある意味では「アンラーニング」ですね。私は比較的こうなりやすいタイプの仕事の進め方をしますので、かなり意識しなければなりません。 私が得に効果的だと思うのは同じ業務分野で働いているまったく関係のない他社の人との「対話」です。そんなわけで、毎晩、あちこちと出かけていくわけです。
《2009年8月5日》 お昼から大阪へ。なかなかいい時間を過ごして、終電に飛び乗って帰京。梅田の食堂街に立ち寄っていました。完全制覇したいな、あそこ。往復の新幹線では、休む間なく仕事ができ、社内にいるよりも効率的な生活かもしれません。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
今年の人事界のキーワードの1つとして「対話(ダイアローグ)」があげられてもいいと思いますが、中原先生と長岡先生の共著によるその名も「ダイアローグ 対話する組織」です。
本書ではまずは対話の定義を ①共有可能なゆるやかなテーマのもとで ②聞き手と話し手で担われる ③創造的なコミュニケーション論 とざっくりと置いています。 この前提となるのは、コミュニケーションを単なる「情報伝達としてのコミュニケーション」ではなく、「相互理解としてのコミュニケーション」としてみるとららえ方です。 これだと何となくわかったようなわからないようなといった感じですが、「雑談」や「議論」と比較することによって、「対話」についての理解は深まります。 「対話」=<雰囲気:自由なムード>の中での、<話の中身:真剣な話し合い> 「雑談」=<雰囲気:自由なムード>の中での、<話の中身:たわむれのおしゃべり> 「議論」=<雰囲気:緊迫したムード>の中での、<話の中身:真剣な話し合い> 会議などが典型例ですが、「議論」というのは、効率的な合理形成を求めるところがありますが、「対話」はその部分にとっては緩いのでしょう。その緩さが、ある意味では価値の1つです。また、自由なムードは単に緩さだけではなく、合理的具体的直接的な進行だけではなく、より情緒的、感情的な要素を求めます。「対話」を論ずるときに「物語」がツールとして有効だとされるゆえんでもあります。 「対話」がブームになるということは、「対話」的なものが欠乏していると考える人が多いからに他ならないでしょう。ここには単にコミュニケーション不足というもの以上の何かがあると思います。まじめに何かを考える、まじめに何かに取り組む、ということは絶対に大事なことです。そして、これらに能動的に取り組みつつ、これらをちゃんと楽しむという感覚が大切だと感じています。これは「雑談」でも「議論」でも実現することは難しいでしょう。自分の過去を振り返っても、いい「対話」をしていたなという人たちとは、今でも良い付き合いが続いています。 先日の慶応MCCの「ラーニングイノベーション論」では、この著者お2人のセッションが楽しめました。毎週毎週、本当に贅沢なカリキュラムです。
《2009年8月2日》 なんか半端な天気です。ブックオフに持ち込もうと段ボール2つほど本を出したのですが、雨が降ったので来週回しにしました。こうやって仕事は溜まっていきます。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |