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プロトコルの欠如はなぜ組織に不安を生じさせるのか
昨日は「Works」誌97号の特集「コミュニケーション不全 解消のシナリオ」から、ジェイフール野田社長の「プロトコル」に関するお話を書きましたが、その続きです。

はたして「プロトコルの欠如」はなぜ組織に不安を生じさせるのでしょうか、という話から再開します。

野田社長の例えは、「怒ってもなぐらない」。

こんな社会的な「プロトコル」があるので人は素直に自分の考えを相手にぶつけることができます。これがなければ怖くて意見などいえません。すなわち、「プロトコル」がなければ、そこに「不安」が生じ、コミュニケーション不全につながるというのです。

ミドル層と若手がお互いにどこまで踏み込んで話していいのかわからないという話がありますが、これも根っこは同じです。

かつての日本は、儒教精神という「プロトコル」が支配していました。今でも韓国は儒教精神の「プロトコル」が支配する国です。目上の人を敬うという気持ちですね。

これに対してアメリカは、自由と実力主義という「プロトコル」が支配する国です。人と人は基本的に対等である、しかし実力のある人に対しては自然と敬う、ということです。

日本は戦後の発展の中で、アメリカ型「プロトコル」のうち「自由」の「プロトコル」だけがよく理解されずに取り入れられ、儒教の「プロトコル」を駆逐し、いつしか自由は「ルールがない」と履き違えて勘違いされ、ある意味ではコミュニケーションの無法地帯化の歴史をたどってきたとも言えます。

「プロトコル」は「窮屈」ではあるものの「安心」を醸成するものです。

「プロトコル」を最低限守っていればお互いに傷つけあうことも、仲間外れにあうこともない。最低限のペースがわかります。そして、このペースを前提に個人個人が「じゃあこのくらいまでなら主張しても大丈夫かな」とコミュニケーションの枠を拡大する目安が作れます。「プロトコル」という土台の上に、安心して言葉に感情を乗せることができるようになります。感情が乗せることができれば、いつしか感情は人に伝染して「共感」を呼びます。その「共感」により深い信頼関係が生まれ、さらに本音で語り合う土壌ができます。信頼感が醸成された組織では、コミュニケーションのコストは飛躍的に下がります

こんな好循環を生むためにも、組織の「プロトコル」の再構築が必要であり、そのためにはまずは形から入る行動変革が大切になる、ということですね。

《2010年1月13日》いろいろな仕事がありますが、何事も勉強と経験です。そう思えるのも、不惑を遠く過ぎたからでしょうか。

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【2010/01/13 23:19】 | コミュニケーション | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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