このブログでは、毎月2回、振り返りをしています。
実は何を書いたのか忘れてしまうのです。 毎月15日と末日に振り返りをしているのですが、今月は月中15日にはそんな気分になれずにただ書き続けていました。ということで、1カ月分を振り返っておきます。 3月1日 探しているのは仕事?職?就職先? 3月2日 ワーク・ライフ・ラーニング 3月3日 特例子会社の朝礼から 3月4日 学習とは困難や葛藤を秩序化するプロセスである 3月5日 キャリアゼミ、素敵な来訪 3月6日 「J-center」にリフレクション 3月7日東京と地方の学び 3月8日 合理的選択 3月9日 失敗は予測できる 3月10日 まなざしの再構成 3月11日 恐ろしい地震でした 3月12日 一夜明けて 3月13日 2日が経ちましたが 3月14日 私たちは職場にきました 3月15日 今こそ、フォロワーシップを 3月16日 私たちが経済活動を止めないこと 3月17日 外ランチのすすめ 3月18日 1週間が経ちました 3月19日 「アド街ック天国」と「てっぱん」に、ありがと 3月20日 希望、自粛、就職活動…私たちが身近でできる間接的復興支援 3月21日 入社式、新入社員研修について考える 3月22日 「ひまわり」と「てっぱんダンス」 3月23日 ペッカーさんと出会いました 3月24日 「レジリエンス」~今、もっとも求められる言葉 3月25日 「想定外」と「想定以上」 3月26日 もうすぐ4月1日ですね 3月27日 第83回選抜高校野球選手宣誓 3月28日 立ち止まる自由~立教新座高校渡辺校長メッセージから 3月29日 価値の遠近法~大阪大学鷲田総長祝辞から 3月30日 「愛嬌力」 《2011年3月31日》 今日で今年度も終わり。あれこれ満載の1年でしたが、お疲れさまでした。明日からの1年、意地でもいい年にしなきゃね。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を スポンサーサイト
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3月25日に行われた大阪大学の卒業式での鷲田総長の祝辞について昨日は書こうと思っていたのですが、そこまで至りませんでした。
鷲田総長の祝辞は、この週末にはかなりネットを駆け巡っていたので読まれた方も多いかと思います。震災後、本当に素晴らしいことを発言される方を多くお見受けします。おそらく震災だから素晴らしいことを語られているのではなく、もとより素晴らしい発信をされている方ばかりなのだと思いますが、それがたまたまこの時期だからクローズアップされているということかと思います。 このあとは、入社式、入学式と行事が続きます。 当然ですが、組織トップはそこで祝辞を述べるわけです。逆にいえば今こそ祝辞の内容が注目されている時期もないわけであり、語る方にはちょっとしたプレッシャーもあるかもしれません。感動を呼び起こす祝辞は、いずれも語る人の人間性と人生観に満ち満ちています。原稿を担当スタッフに書かせていてはこの感動は呼び起こせません。入社式を前にした日本中の社長の皆様、そのあたりにぬかりはないでしょうか。今年の挨拶は例年の挨拶とはたぶんちょっと違うのです。 鷲田総長の祝辞では、いくつかのことが書かれています。 1つは「隔たり」について。 「生き残った」と「生き延びた」の感覚的な隔たりを筆頭に、被災地の方々と私たちの「隔たり」、被災地の中同士での「隔たり」…。これらの「隔たり」は埋めようとするよりも、感じた上で自分なりに何をやればいいのかを考えるしかなさそうです。自分ができることを愚直にやることが一番なのでしょうか。 次に「プロフェッショナル」について。そしてそこから「リーダーシップ」について。 ここでのリーダー論は明確です。いくつかを引用します。 「リーダーがいなくていい組織を作れるのが真のリーダーだと言えるかもしれません」 「市民社会、その公共的な生活においては、リーダーは固定していません。市民それぞれが社会のそれぞれの持ち場で全力投球しているのですから、だれもいつもリーダー役を引き受けられるとはかぎりません」 「日々それぞれの持ち場でおのれの務めを果たしながら、公共的な課題が持ち上がれば、だれもがときにリーダーに推され、ときにメンバーの一員、そうワン・オブ・ゼムになって行動する、そういう主役交代のすぐにできる、しなりのある集団です。その意味では、リーダーシップとおなじくらい、優れたフォロワーシップというものが重要になってきます。自分たちが選んだリーダーの指示に従うが、みずからもつねに全体を見やりながら、リーダーが見逃していること、見落としていることがないかというふうにリーダーをケアしつつ付き従ってゆく、そういうフォロワーシップです」 指摘されているのは強いリーダーシップではありません。そして、リーダーシップと同じ、もしくはそれ以上にフォロワーシップの重要性を指摘されています。 さらには、良きフォロワーであるためには、フォロワー自身のまなざしが確かな「価値の遠近法」を備えていなければならないと説きます。 「価値の遠近法」とは、 ①絶対なくしてはならないもの、見失ってはならぬもの ②あってもいいけどなくてもいいもの ③なくてもいいものと、 ④絶対にあってはならないもの この4つを見分けられる眼力のことだといいます。 映画監督の河瀬直美さんの言葉では「忘れていいことと、忘れたらあかんことと、それから忘れなあかんこと」という具合に整理されているそうですが、これをきちんと仕分けることのできる力こそが「教養」だとも言われています。まさにそのとおりだと思います。そのために私たちは学んでいるのです。 そして「真に教養のあるプロになっていただきたい」という願いで挨拶を締めくくられています。 《2011年3月29日》 期末の超繁忙期。4月導入の人事制度からみの運用準備に、4月の大組織改正。震災の影響も濃い中で、あれやこれやと突発も起こる。こういう時こそ、丁寧に丁寧に、仕事をさばきにいかないようにと何度も言い聞かせないと。カズよりそんなに年上なわけではないので。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
震災後、様々な場面で様々な方か、本当に心に浸みいる発言をされています。そんな人たちがいる日本をとても素敵な国だと思います。
大学・高校の卒業式での学長・校長の挨拶でも、そうです。立教新座中学・高等学校の渡辺憲司校長が卒業式を中止にした高校3年生に向けて発信したメッセージは、もうしばらく前にですがネットの世界を駆け巡りました。大学に行くということ、大学生として時間を過ごすということを「海をみる自由」「立ち止まる自由」という表現で語ってくださいました。 今をさかのぼる30年前。大学1年生になった私に確か情報処理の講座の先生だったと思いますが、似たようなお話をしてくださいました。 渡辺校長の言葉では「大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ」となりますが、これは教育者としては勇気のいる発言です。多くの大学生が、今では高校時代同様に時間をしっかりと管理してもらって生活している実態もあります。でも、今でも人生の中で一番、大学時代が「時間を自分が管理できる煌めきの時」であることは間違いありません。だから、大学時代の友人とは一生続くのです。 「時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな」 このメッセージをそれぞれの学生に合わせて語ってあげることから、大学生のキャリア教育を始めてもいいように思います。でも、このメッセージを読んで心が震える大学1年生には実は何の心配もいらないのです。 そうでない人に、その人の心に浸みいるように翻訳して思いを伝えることこそが、大人の仕事です。 今日はまったく違うことを書こうと思っていて、前振りに渡辺先生の話を使ったら、その流れで思いが噴き出してしまいました。こういうこともありますね。 《2011年3月28日》 結構、会社帰りに送別会のグループをみました。花束を抱えた方、エールをやっている団体。送別会のシーズン、そしてもうすぐ4月です。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
NHK朝の連続テレビ小説「てっぱん」。いよいよフィナーレが近づいています。最終収録の日にスタジオにお邪魔させていただいたので、あの日に撮影した画面が放映されるのが楽しみでもあり、また番組自体が終了してしまうのが寂しくもあるという微妙な感覚です。
「てっぱん」の影の主人公はお好み焼きです。尾道焼きと関西焼きの双方が登場していますが、放送を裏で支えてこられたのが、にっぽんお好み焼き協会の佐竹会長です。NGが出るたびに新しいお好み焼きをセットに運ぶ必要があるわけですから、なかなか大変な話です。既に収録はだいぶ以前に終わられていますが、本当にお疲れさまでした。 「てっぱん」の主題歌は葉加瀬太郎の手による「ひまわり」です。 オープニング映像ではこの「ひまわり」に合わせて「てっぱんダンス」が放映されています。この「てっぱんダンス」の振り付けは近藤良平さん率いるコンドルズです。番組が始まってしばらくたってから、視聴者が踊る「てっぱんダンス」のビデオ投稿が募集され、今は毎朝毎朝日本各地から寄せられた映像がオープニングを飾っています。 これが本当に素敵なんです。 「ひまわり」と「てっぱんダンス」、どちらもものすごく暖かくなります。私はこの「ひまわり」を今回の震災に復興ソングとして取り上げてほしいと思うのですが、いかがでしょうか。 まん丸のお好み焼き、てっぱんを囲む仲間、そんなこともすべて含めて、今の日本にとても大切なものを感じさせるように思います。 《2011年3月22日》 「人材教育」4月号、書評書いてます。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
恐ろしい地震でした。
果てるともない揺れ。 被災にあわれた方にはどんなお言葉をかければいいのかわかりません。 私は会社にいました。 1人で外で地震にあっていたらどんなに心細かったかと思います。 それが地下鉄の中だったりしたらどんなに心細かったかと思います。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
「失敗は予測できる」という本を読みました。
結構、話題になった本だと思います。著者の中尾政之氏はエンジニア的な観点から、徹底的に過去の失敗を分析されています。そうすると失敗の要因は見事に類型化されて、世の中にはもはや新しい失敗など起こり得ない、逆にいえば失敗はすべて予測できる……、と断言されていますが、本書を読んでみるとなるほどそのとおりかもしれないと感じてきます。 本書の中で、技術的な要因による失敗に加え、組織的な要因による失敗についても分析がされています。 「組織の失敗シナリオ」としては、以下の5つが抽出されるそうです。 ①コミュニケーション不足 ②安全装置の解除 ③企画変更の不作為 ④倫理問題 ⑤企画不良 「③企画変更の不作為」とは、一度決めた方針があきらかにおかしいと誰もが思い始めてもストップをかけることができずに突っ走ってしまい失敗を拡大することです。「⑤企画不良」は企画自体に問題があるということです。「②安全装置の解除」は安全装置を十分に準備しながらもそれを活用しないケースです。現場の効率重視の姿勢や従業員のモラルダウンがこれを招きます。コンプライアンス指針を守らないというのもこれに入るかもしれません。 それにしても最大の要素はやっぱり「①コミュニケーション不足」でしょう。②~⑤のシナリオもこの①との合併症のケースがかなりあるのではないでしょうか。人が2人以上で仕事をする場合、必ずこの危険性があります。 さらに著者はこのシナリオ「①コミュニケーション不足」にもいくつかの典型的なパターンがあると分析をされています。 ①他人依存・同意体質……誰かがやるだろうは誰もやらないと同じ ②自信過剰・ワンマン……その道のプロである私の判断が正しい、すべてはオレが決める ③情報遅延・誤判断………現状がわからずに遠隔操作していた ④齟齬多発…………………伝えなければならない人が多かった ⑤干渉発生…………………効率的に仕事をしたつもりが干渉していた これらはいずれも少人数のフラットな組織で顔をつけあわせて仕事をしていれば回避できるものでしょう。これが組織の難しいところです。 本書ではこれらのことが豊富な事例とともに紹介されます。事例の多くは、私たちがニュースで聞いた覚えのある事件です。その意味では納得感をもって読み進めることができる良書だといえます。
《2011年3月9日》 今晩は10社近くの人事の仲間とペッカーさんを訪ねました。音楽を人材育成の場として活用できるのではないかとの取り組み。飲みながらお話を聞くと、神戸大学の金井先生なんかともつながられておられます。何にしても一流の人、そして思いの明確にある人からは、様々なことが吸収できます。素晴らしい体験でした。必ず、つなげます。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
なんかものごとがつながるのってとっても好きなので、「J-center」という名前の由来を説明しますね。
これは、①中原研究室の「hakonyan」 ⇒ ②今は慣れたけど最初はなんだこの名前と思った「三日月姫」、がそれぞれ名前の由来を続けて語っておられるので、ついでに続けてみたいと思っただけです。お2人のようなケースとは異なり、とてもビジネスチックなのですが。 私は社会学部出身です。大学時代には胸を張れるような勉強はしてきませんでした。ゼミは政治学でしたが、卒論は「日本SF史」でした。指導教官の加藤哲郎先生からは「読み物として抜群と面白いが、社会性にかける」という微妙な論評をいただきました。そうです、社会学士としての卒論だったことを忘れていました。 で、何も考えずに大学を卒業するとお次は会社というものに入るものだと思い、食品メーカーに入りました。最初の配属は営業でした。素直だった私は仕事にのめり込みました。シェアが100%になるまで仕事は終わらないといって週末も働いていました。今から考えるとシェアが100%になるほどの工場の供給能力はなかったのですが。当時の営業部長の評価は「新規獲得数は抜群に多いが、既存のフォローがずさん」でした。まさにそのとおりです。今でもこの傾向は変わりません。 で、29歳の時に自己申告書というのに希望を書いて人事部に異動しました。採用というのがやりたかったのです。採用チームのスローガンは「採用は愛とマーケティングだ」にしました。スローガンを創るのが好きなのです。人事部では採用と人材育成を担当していました。 で、3年近くたった時、営業に戻る希望を出しました。新卒採用は3年以上やってはいけません。これは今でも持論です。希望に対して当時の課長は怒りました。一言でいうと「採用と教育だけをやって人事にいた何ていう奴を作るわけにはいかない」というのが彼の論拠でした。で、いろいろお話をして生産性本部の経営アカデミーというのに1年間通わせていただけることになりました。そして、担当は人事制度の企画・運用ラインにシフトしました。で、経営アカデミーのコース案内冊子をみるとたくさんの面白そうなのがあります。勝手に「マーケティングコース」に申し込もうとしました。また怒られました。当たり前ですが「人事労務コース」に申し込みをさせられました。 ここからが人生の転機です。 経営アカデミーの人事労務コースで他社の人達の取り組みと思いをきくにつけ、ものすごくこの世界にのめりこみ始めました。もの凄い勢いで本を読み、読んだ本の内容は毎週月曜日にレポートにして人事部員全員に報告していました。単純です。そして、他社の人と夜を徹して飲んだり歌ったりしているにつけ、日本中のすべての企業で同じ「人事」という仕事があることに何かとても心動かされるものがありました。営業でも同じようなことがいえますが、営業よりもなんかとっても人事の仕事が外に開いている仕事のように感じられました。 人事のことを内にこもっている仕事だという人や、人事が外に出るのは珍しいですからねという人や、人事の人の集まりって少ないですよねという人がいますが、私には理解できません。人事の仕事の魅力の20分の1も理解されていないと思います。というか本質を理解されていないと思ってしまいます。 で、気づいたら13年間同じ会社で人事の仕事をやってました。 で、気づいたら話がすっかりと脱線しています。話を戻します。 私の最初に入った会社はメーカーですから、事務系と技術系の人間がいます。研究職の同期と飲んでいたとき、こんな話が出ました。 「技術系の仕事は名前が残る」。例えば新たな技術を開発した場合に特許を申請しますが、これは個人名です。また、技術系の同期は学生時代から関連する学会に参加しており、企業に入っても人によっては頻繁に発表をしています。会社でやった研究内容をベースに発表するにしてもこれも個人名です。それに対して、確かに事務系の仕事には名前は残りません。この大口の顧客は私が獲得したんだということは先方の記憶には残るでしょうが、私がとったお客だという名前はどこにも残りません。私が設計した人事制度にも私の名前は残りません。なんとなくそれがとても悔しく感じられました。 当時、人事情報検索システムのリニューアルが進んでいました。ここで少し遊び心を入れました。システムの名称を「Jシステム」としました。表向きは人事のJだとしていますが、これは私の名前のイニシャルです。自分のイニシャルをシステムの名前に残したわけです。 そして、2001年に人事シェアードサービス組織を立ち上げました。1つの丸ごとの組織を責任もってマネジメントした初めての機会でした。組織名は「人事給与事務センター」。なんか格好悪いですし、地味です。シェアードサービスという概念がまだ浸透していない頃です。こんな名前では地味な事務屋さんが暗く仕事をしているというイメージになりかねません。立ち上げを前に一生懸命にプランディング戦略を考えました。組織のホームページを立ち上げ、ロゴを作り、そして決めた愛称が「J-center」です。徹底的に呼称には愛称を使うことにして、電話も「J-center」で出ることとしました。多くの人(特に社外の人)に自分の名前だろ、といわれましたが、一応は人事のJですということにしました。そうそうホッピービバレッジにお願いして、「J-center」地ビールというのも作り、関係者に配布したこともありましたっけ。 仕事に名前を残す必要はないのかもしれません。名もない1人の企業戦士というのも悪くはないかもしれません。でも、ちょっと感じた悔しさを大事にしたかったんでしょう。 そんな「J-center」という組織は、私の転出後にシェアードサービスセンターの大同団結の中でなくなりました。当時掲げていたシェアードへの思いとは相当に異なる組織に今はなっています。 「J-center」は徹底してネットワーク化で生きる道を志していました。正社員比率は極力さげる、派遣スタッフを上手に活用する、信頼する外部パートナーを作り協働する、これがシェアードサービスセンターの生きる道だと考えていました。社員を減らし固定費を下げ、季節毎に変動する業務ボリウムに応じて、柔軟に外部人材・アライアンス先を活用する、これが究極のシェアードだと思っていました。マネージャーは手配師です。4000名くらいの企業であれば、正社員が3名いれば人事シェアードはできるだろうという手ごたえがありました。そんな折に急に異動になり、また営業に戻ることになったのですが。 自分が初めて任された組織であり、自分のイニシャルをつけた組織であるということから「J-center」という名前には愛着があります。そして何よりもあの頃の自分には負けたくないという思いがあります。また、「J-center」はネットワークの起点になる場所だというイメージもあります。そんなこんなでブログの名前に「J-center」を使い、その後あれこれと匿名ものについてはこの名前を流用させていただいています。 hakonyanのおかげて週末にちょっと長いリフレクションができました。そろそろ病院に行く時間なので、このくらいにしますね。 《2011年3月6日》 久しぶりに休日。お天気なのですが……。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
特例子会社には週に1回、行けるかどうかという感じになってしまっていますが、行くと朝礼があります。そこで、毎回交代で何か「お題」をメンバーが出します。それに対して全員が真剣に考えて何か話します。いろいろな人の持ち味がわかってきて、素敵な企画だと感じています。人数が増えてくると運営が少し難しいかもしれませんが。
先週に行った際のお題ですが、具体的な表現は忘れましたが、私の影響を与えたもの、みたいな話でした。映画とか書籍とか、自分が影響を受けたものについて皆、語りました。 私も語るのですが、これ結構難しいです。私は環境に素直なところがあるので、影響は受けやすい方だと思います。ただ、受けやすいと逆に特に受けたものがわかりにくくなります。とりあえず書籍から選択したのですが、結局は影響を受けたものではなく、くりかえりくりかえり読んでいる本、になりました。 私はあまり繰り返し同じ本を読まない方ですが、その際に紹介した2冊は、オリンピックと同じくらいの周期で再読してます。いずれも、SF小説であり、非常にその筋の人にはポピュラーな作品です。 ①「夏への扉」 ロパート・A・ハインライン 愛と勇気と希望のお話です。SFにおけるセンス・オブ・ワンダー満載のストーリーです。そのまんまですが、愛と勇気と希望をもらえます。いつも夏への扉を探しています。やはり、人生を生き抜くための基本的に必要なことは、いくつになっても愛と勇気と希望であることは間違いありません。
②「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」 フィリップ・K・ディック ディックの作品はどれもそうなのですが、現実を疑うこと、疑問を持つことを改めて意識させられます。本作品における自分は人間ではなくアンドロイドではないのかという疑問は究極的かつせつない疑問ですが、私のように環境に素直な人間としては、この精神を忘れないようにしています。ずいぶん昔ですが、「企業と人材」の書評に書かせていただきました。
2作品とも、このブログでは何回かとりあげています。 ってことはやっぱり好きなんですね。 ※アマゾンで「夏への扉」は昔の表紙絵がありましたが、「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」は昔の表紙絵がありませんでした。なんてセンスのない表紙になってしまったのでしょう。 《2011年3月3日》 昨日は京都、今日は神戸泊。今日は昨日よりもさらに遅く、神戸飲みは断念。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |