あまりに早いですが、5月も今日で終わりです。毎回、半月に1度やっている何をここに書いたかの振り返りメモです。最後の3日間はHRカンファレンスのパネルディスカッションで取り上げた話の再整理をしましたが、それ以外では慶應義塾大学キャリアリソースラボラトリーの今年度初回のスーパービジョンの整理も数日ありました。この半月はいろいろと詰まっていましたが、個人的には停滞の時期です。何とか打開しなければいけません。
5月16日 てっぱん“お好み焼き”プロジェクト 5月17日 書籍紹介 「岡本太郎の言葉」 5月18日 モラルダウンなのか、就職活動における学生の適応行為なのか 5月19日 他社の人事担当者と取り組む戦略立案 5月20日 成長する企業のみが雇用を生む 5月21日 標準キャリアコンサルタントの能力体系の見直し 5月22日 企業が大きくなるということ 5月23日 感覚の前提が違う、それが世代差 5月24日 貯蓄と投資 5月25日 新卒採用に関するメモ 5月26日 好み焼きに関する壁 5月27日 Works Symposium 2011 5月28日 内定者教育について①~内定時代の2面性 5月29日 内定者教育について②~社会に出て最初にぶつかる3つの壁 5月30日 内定者教育について③~社会に出るにあたって必要な最低限のパスポート 《2011年5月31日》 ちょっと仕事が面白い方向に向いた日。もちろん、仕事量は増えるけど。やっぱり、いろいろともぐらせておくにこしたことはない。やるべきことをやっただけでは、面白いことは起きない。ブランド・ハブン・スタンスに共通するところ。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を スポンサーサイト
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一昨日・昨日の続きで、HRカンファレンスでの「内定者教育」についてのお話です。細かく振り返りませんので、詳しくは一昨日・昨日のブログを読まれてから、ご覧いただけると良いかと思います。書き出すとなんでこうも長くなるのでしょうか。
昨日は、「社会に出て最初にぶつかる3つの壁」の説明に終始しました。 「社会に出て最初にぶつかる3つの壁」 ①リアリティ・ショックの壁 ②曖昧な基準の壁 ③多様な価値観の壁 これらは入社初期までに何とか乗り越えさせてあげなければならず、ある意味、ここを乗り越えるまでは新入社員教育をつかさどる人事の責任だと思っています。ただ、最近では「社会に出て最初にぶつかる3つの壁」以前につまずく内定者・新入社員が少なくありません。 学生の子供化という側面からいえることもあるでしょうし、社会の即戦力化欲求の強化の側面からいえることもあるでしょう。ただし、そこをとやかく分析する気はありません。この2年間、採用・入社教育の現場にいて「社会に出て最初にぶつかる3つの壁」以前につまずく要素を「社会に出るにあたって必要な最低限のパスポート」としてまとめてみました。 「社会に出るにあたって必要な最低限のパスポート」 ①笑顔と元気な挨拶 ②ビジネスマナー ③最低限のPCスキル 残念ながらといっていいのか、これらが今の「内定者教育」のメインになります。「壁」に比較すると、スキル的であり、表面的な話ばかりです。しかし、これがクリアできていないと社会を構成する9割以上の組織では通用しないのが現実です。 「①笑顔と元気な挨拶」については、世の中がますます「新入社員とは元気なものだ」というステレオタイプを強化しているので、新入社員側としては防衛上対処が必要になっています。また、新入社員を守り育てる人事担当者としても、ここの部分を担保しておいてあげないと配属先に快く受け入れられません。でも、確かに大切ですし、新たな組織に入ったのであれば、意識してほしいことではあります。そう素直に考えればいいことです。 「②ビジネスマナー」は以前であれば入社してからでもよかったのでしょうが、ニーズが明らかに早期化しています。学生気分の抜けない新入社員というのは、昭和の頃であれば許容されたレベルであっても、今はなぜかなかなか許容されません。この部分については世の中の価値基準が少し変わってしまったように思います。ですから、入社式よりも前に仕込んでおく必要が出てきました。ただし、内定時期にただビジネスマナーの講義・実習をやっても絶対に浸みこみませんから、先輩営業との同行体験と組み合わせて実施するのがお薦めです。実際に先輩と一緒に客先に出るという目標があれば、実習への取り組み具合もおのずと変わってきます。 「③最低限のPCスキル」は今や切実です。この点においては極端な大学格差が生じています。大学の授業・ゼミで当たり前のようにパワーポイント、エクセルを使っていた新入社員と、まったくPCと縁がなかった新入社員では、スタートラインが違ってしまいます。新入社員は覚えることが山ほどあります。同期生が商品知識を習得しているときに、エクセルの初期関数を必死で紐解いているようでは本当に可哀そうです。入社までにせめて標準的なレベルで、マイクロソフト・オフィス程度は使えるようにしておいてあげる必要があります。PCはもはや文房具です。PCが使えないというのは、昭和の時代にノートの開き方や、消しゴムの使い方を知らずに入社してくるようなものです。 これもただ「やれ」といったり、ただ通信教育をあっせんしたりしてもその気になりにくいですから、入社直後にオデッセイ・コミュニケーションズ社のMOS検定を受けることを義務つけています。何にしても、実践の場と目標があった方が気持ちが向きます。そしてちょっとした競争意識の醸成です。 で、内定時期にはせめてこれらの「最低限のパスポート」を持つための支援を会社は提供してもいいのではないかと思います。もちろん会社が提供する以前から既に持っている内定者も大勢います。そして、昨日の「社会に出て最初にぶつかる3つの壁」(特にリアリティショックの壁)を低くするメニューを折り込みます。これはやはり仕事の現場をみせるのが一番です。可能であれば社内でのアルバイトの斡旋くらいまでやっていいと思います。 繰り返しになりますが、「社会に出るにあたって必要な最低限のパスポート」はいずれにしても本質的なものではありません。本質的な部分は「社会に出て最初にぶつかる3つの壁」を低くするための支援にほかならないのですが、本質まで至らずに苦闘するのは絶対に避けさせてあげなければなりません。 あまりにだらだらと毎日書いていますが、まだもう少し終わりません。明日は5月の晦日ですので振り返りをしますから、明後日にもう少し続きを書きます。 《2011年5月30日》 お好み焼き協会、来月の炊き出しは、趣向を変えて6月14日に仙台Kスタ前のイベントに協賛…となるようです。真のナポリピッツァ協会の年次総会は6月20日に広島のピッツァ・リーバです。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
昨日の続きで、HRカンファレンスでの「内定者教育」についてのお話です。細かくは振り返りませんので、詳しくは昨日のブログを読まれてから、ご覧いただけると良いかと思います。
「内定時期」には2面性がある。 ①16年間にわたる学生時代の最後の半年間 ②これから何年も続く社会人になる直前の半年間 という定義のもとで思考を始めているのですが、私が初めて新卒採用・内定者教育・新入社員研修をやっていた時期では「①16年間にわたる学生時代の最後の半年間」を重視して、内定者教育は最低限にして、大学生活という理想的なモラトリアム時期(あえて使用していますが、モラトリアムという表現は誤解を受けるかもしれません。震災後に卒業式を失った高校3年生へ送った立教新座高校の渡辺校長のメッセージがまさに私のいう理想的なモラトリアムをいっています)を最も有意義に過ごしてもらうことを意識していました。 ですが、今はこの方法をとることは、ほとんどの場合に対して正しいとはいえません。 学生から社会人になるというのは、人生における最大の不連続的断層だといえます。そして、多くの学生・新入社員が様々な壁にぶつかります。 最大公約数的に「社会に出て最初に出会う壁」について、以前から私は以下のような整理をしています。 「社会に出て最初にぶつかる3つの壁」 ①リアリティ・ショックの壁 ②曖昧な基準の壁 ③多様な価値観の壁 これらの壁には、程度の大小はともかく全員がぶつかります。以前にこのブログでも書きましたが、簡単に3つを説明してみましょう。 「①リアリティ・ショックの壁」とは、「こんなはずじゃなかった」という奴です。いつの時代も新入社員の早期退職理由の第1位は「こんなはずじゃなかった」です。これを回避するには、主に2つの方法があります。 1つはいわゆる「RJP(リアリスティック・ジョブ・プレビュー)」のように可能な限り、リアルな現実を就職活動時期、内定時期に伝えることです。採用活動では以下に現実をみせるかに腐心する必要があります。綺麗なところだけみせるのは、双方にとって哀しい結果を招きます。私は新卒採用担当者に対して、全員が「当社に対する志望度が高まった」とアンケートに書いてくるようなセミナーは絶対にやるなといっています。どんな素晴らしい会社でもリアルな実態を伝えると、すべての人にとって良い会社ではないはずです。人によって向き、不向きがあるはずです。ですから、なるべき向かない人が志望度を下げられるような説明を会社説明会ではしなければなりません。もちろん向く人には志望度が高まるような説明があってこそのことです。ですから、ほとんどの学生の志望度が高まるセミナーは、極論すれば失敗したセミナーなのです。 「こんなはずじゃなかった」を回避するもう1つの方法は、世の中が「こんなはずじゃない」という当たり前のことを認識させることです。採用プロセスで出会ったわずかに20~30名の人をみて、素敵な先輩ばかりいる会社と思い込んで入った会社であっても、最初の配属先の隣の席で絶対に好きになれないタイプの先輩がいるかもしれません。1000名の会社に入る場合、入社前に1000名全員とは会うことはできません。たまたま会った先輩は素敵だったけど、気の合わないタイプの人が山ほどいる可能性もあるのです。就職活動で知ることができるのは、その会社のほんの1%程度でしょう。わずかにそれだけの材料で大きな決断をしなければならないのが就職活動なのです。ですから、すべてが「こんなはず」になるわけがなく、ほどよくやってくる「こんなはずじゃなかった」と戦い抜くだけのしっかりとした「決断」をして飛び込まなければならないわけです。「こんなはずじゃなかった」を楽しめるくらいの気概があれば、もう怖いものはありません。このことを早期から繰り返し、繰り返し伝える必要があります。 「②曖昧な基準の壁」は、たぶん社会と学生の最大の違いだと思います。特にここ最近、大学以前の世界ではどんどん曖昧さが失われています。授業が時間割りとおりに進むのは当然のこと、仔細に渡るシラバスが配布されますし、試験範囲は明示されますし、何点以上とれば単位取得かも明示されたりします。当たり前ですが単位をいくつ取れれば卒業できるかも明示されています。大学受験にしても、偏差値でおおよその合格水準が想定できます。何かにつけてクリアで明確なのが大学までの世界です。 これに対して、社会は「曖昧さ」に満ち溢れています。入社当時の研修時期は別として、仕事に時間割りなどありません。シラバスだってありません。マニュアルだって(たいていは)いい加減です。労働関連諸法規完全準拠で動いている職場もないでしょう。商談にいってもこの社長は何をすれば商品を買ってくれるのか基準など明示されません。それどころか、誰が購買の決定権をもっているのかもわかりません。昼休み時間以外はいつトイレにいけばいいのかわかりません。先輩によっていうことはころころ変わります。上司がよいといっても、その上の上司は駄目だといったりします。上司は仕事の期限も品質も明示しません。何にしても基準は明示されず、また日々それは移ろっていきます。この感覚にどうついて行けるか、これがこの「壁」です。 少し余談になりますが、就職活動というのも学生からみるとかなり「曖昧」なものです。どんなエントリーシートを書けば通るのか基準は明示されません。面接で聞かれることの範囲も提示されません。本当に何人に内定を出すつもりなのかもわかりませんし、企業の採用活動スケジュールの詳細自体も明示されません。ものすごく曖昧な世界です。 以前には私はこれってちょっとアンフェアだよな、企業も基準を明示するべきだよなと思っていた時期もありました。しかし、曖昧な社会に入ってくる入口である就職活動が、社会の基準で行われるのはおかしいことではないでしょう。つまり、曖昧な就職活動というのは、社会に出るための就職活動にはふさわしいのかもしれないと最近は感じています。就職活動で曖昧さに正面から普通に立ち向かえるか、明確さを求めて就職活動テクニックに走ってしまうか、これは大きな分かれ道かもしれません。 なお、最近では「曖昧さ」に「理不尽さ」を付け加えることもあります。これは慶應義塾大学の花田先生のフレーズですが、かなり強烈な概念ですので、相手によってそのまでいうかいわないかは使い分けています。 「③多様な価値観の壁」については説明の必要がないでしょう。比較的同質的な仲間との生活が多かったであろう大学生活までと社会との明確な違いですね。 さて、「社会に出て最初にぶつかる3つの壁」の説明で膨大な文字数を費やしました。 この「社会に出て最初にぶつかる3つの壁」というのは、かなり普遍的な気がしています。程度の大小は別にして昭和の世界でも似たようなことはあったように思います。そして、これが非常に大切なことなのですが、これらの壁は、学生生活をきちんと送ることによってかなり低くすることができます。大学生活における初期キャリア教育では、これらの壁を理解させ、壁を低くするための活動を促進させるべきだと思います。それこそが生きるためのキャリア教育です。また、良い就職活動も実はこれらの「壁」を低くします。さらにいえば、「壁」を低くできそうな人は、企業が欲しがる人材でもあります。 それでも「壁」は立ちはだかります。そこで新入社員研修の出番です。新入社員研修では、これらの壁を低くするために様々な工夫を凝らします。もちろん、ある部分については採用活動、内定者教育の中でも強く意識をする必要があります。特に「①リアリティ・ショックの壁」については、繰り返しになりますが採用活動、内定者教育の役割が大切です。内定者教育では、営業同行や社内でのアルバイト経験の斡旋などが有効に感じます。 ただし、最近では「社会に出て最初にぶつかる3つの壁」以前につまずく内定者・新入社員が少なくないことをここ数年は痛感しています。これについては、あまりに長くなったので明日にします。 《2011年5月29日》 1980年制作の映画「有意水準はゼロじゃない」を観ました。映画の舞台は2008年、もう3年前なのですね。映画のクオリティの高さには驚かされます。あの時代にここまでのものを創っていたとは。ただし、興味をもってTSUTAYAに走ってもありませんよ。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
ブログのプロフィール写真も、ツイッターやフェイスブックのアイコンも、未だに「太陽の塔」です。これについては長くは語りませんが、「太陽の塔」といえば、いうまでもなく、岡本太郎の作品ですね。
で、連休には生誕100年を迎えた岡本太郎展に行ってきました。竹橋の近代美術館です。 岡本太郎作品は実は身近でも見られます。実家近くの浦安運動公園には贅沢にも2作品がありますし、会社の近くの数寄屋橋交差点近くにもあります。パブリックアートです。「太陽の塔」だって、どでかいパブリックアートです。そうそう「太陽の塔」にはダークサイドの顔があるんですよ。 帰りにミュージアムショップで山ほど買い物をしてしまったのですが、そんな中で購入したものの一つが「岡本太郎の言葉」全3巻。「強く生きる言葉」「愛する言葉」「壁を破る言葉」の3冊が特製BOXに入りながらも、3冊買うのと同じ価格というお得品です(この段階で金銭感覚はなくなっているのですが)。 多くの絵画やオブジェと同様に言葉は、私たちのイマジネーションに刺激します。1つのオブジェが見る人によって異なる感覚と気づきを与えるのと同じように、1つの言葉は読む人、聞く人によって異なる感覚と気づきを与えます。 私は言葉が好きです。大好きです。
《2011年5月17日》 会社横断的な採用戦略会議。個人的には日本企業の人事部はすべて一緒になって1つでいいんじゃないかという強引な持論を持っていますので、こういう企画に賛同いただける見生、には最大の感謝をしております。ほんとにありがとうございました。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
毎度のことですが、このブログでは半月に1回、書いたタイトルの振り返りをしています。なんせ何を書いたのかすぐに忘れてしまい、同じ話を何度も書いてしまう可能性があるからです。ただ、振り返ることにより、多少のリフレクションにはなりますし、何といってもここ半月、自分が何をやっていたのか、どんなことを考えていたのかがよくわかります。
今回は5月2日が新入社員研修の最終日だったこともあり、最初は新入社員研修の話、それから先月末に行った「U理論」研修の前に実施したFACET5の振り返りとついでにMBTIも。トヨタ式生産方式について4日も語ったり、キャリアデザイン学会の大打ち上げ、あとは結構新卒採用への疑義もあり、それから緩めのネットワークの紹介なども続きました。 ちょっと揺らいでいた半年間です。このあとも揺らぎは大事にしながらも、自分の立ち位置を再認識させていきたいと思っています。当面、忙しい日が続きます。ていうか、社会に出てから忙しくなかった時期って、ないなぁというのが正直なところですが。 5月1日 自分の配属が一番の配属だ!! 5月2日 新入社員研修の打ち上げです 5月3日 FACET5~備忘録 5月4日 MBTI~備忘録 5月5日 「ジャスト・イン・タイム」と「自働化」~トヨタ生産方式① 5月6日 「3年でアメリカに追いつけ」~トヨタ生産方式② 5月7日 「リレーのバトンタッチゾーンのようにある幅を持たせて仕事のやりとりをする」~トヨタ生産方式③ 5月8日 キャリアデザイン学会・研究会、というよりもその後の打ち上 5月9日 生産性向上ではなく徹底したムダの排除~トヨタ生産方式④ 5月10日 前年比較がない戦略立案の楽しさ 5月11日 ミレニアム会 5月12日 コミュニケーション能力重視の不思議 5月13日 今年は葉山が復活するかも… 5月14日 「半ドン」 《2011年5月15日》 イネマイクスピアリ。日曜日のレイトショーは3Dでなければ1000円均一とお得です。家に戻ると、しっかりと時計の針は翌日に。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
続きです。中1日で4日目でしょうか。最終回にしますね。
「ジャスト・イン・タイム」の思想が生産現場に浸透し、「かんばん」の使い方のルールが徹底されることにより、トヨタの生産現場に「自律神経」が備わってきたといえます。そして、それが「反射神経」に育ちます。小さな計画の変更については、いちいち脳にまでいかずに反射神経で折り返して瞬時に対応することが可能になるわけです。熱いものをさわるとやけどをしないように手を引っ込める、あのイメージです。企業が大きくなれぱなるほど反射神経の必要性は増します。ちょっとした計画の変更も大脳からの指令がなければできないのでは、企業は火傷や大けがを免れることはできませんし、大きなチャンスを逃すこともあるでしょう。「理念」「ビジョン」「バリュー」等の整備・徹底に取り組む企業も多いですが、これもある意味では反射神経の育成です。生産現場で反射神経を張り巡らせることに成功したのが、トヨタ生産方式だともいえます。 トヨタ生産方式は、徹底した「ムダ排除の方式」です。ムダを排除することによって生産性を高めるのです。製造現場における「ムダ」とは、原価のみを高める生産のすべての要素を指します。多すぎる人、過剰な在庫、過剰な設備、いずれも「ムダ」です。 さらに注意が必要なのは、「ムダの二次災害」です。人が多すぎるために何か仕事をでっちあげて、これによって新たな動力や用度品の費用を発生されることは、典型的な二次的に発生する「ムダ」です。その最たるものは過剰在庫です。在庫が工場に入りきらなくなった場合、倉庫が必要なり、倉庫に運ぶ運搬要員が必要になり、そのためにフォークリフトが必要になり、倉庫内でも管理要員が必要になり、在庫品の品質管理が必要になり、在庫管理が必要になり……、果たしがありません。 「離れ小島をつくるな」という言葉も、トヨタ生産方式では使われます。単独の業務でも1人でポツンとやるのではなく、1人だけの仕事を5つ集めてチームをつくるのです。そして、5人のチームで仕事をするのです。チーム・ワークの生まれる環境をつくって初めて、少人化も本物になるわけです。 「ムダ排除」からではなく「能率向上」から入ると大きな落とし穴があります。必要数が変わらなかったり減産が必要な時期に、1人あたりの生産量を増やして能率を上げてもこれは単に計算上の能率アップであり、なんら経営に寄与しません。つくれば売れる時代には、その悩みはありませんでした。「必要数」を意識せずに効率を図っても全体効率は上がっていたのです。しかし「必要数」は市場が決めるわけであり、作れば売れた時代はもう戻ってはきません。計算上の効率アップを図るのではなく、「現状の能力=仕事+ムダ」の公式を思い出して少人化が必要になります。 トヨタ生産方式を短絡的にみて、人減らしの思想だという人が出かねないのは、こういったところに着目してのことでしょう。ただ、トヨタ生産方式は部分部分をバクッて成功するものではありません。単に「ジャスト・イン・タイム」を仕入れ企業に求めるのは、下請けいじめに過ぎませんし、長く続くものではないでしょう。 私たちは他社事例に学び、自社の改革に活かそうとします。これは大切な手法です。しかし、他社事例に学ぶ場合も単に書籍からだけではなく、ツテを辿ってリアルな声を聞く必要があります。単にツールとして学ぶのではなく、思想の部分から学ばないと自社に活用するには無理があります。ソフトバンクや楽天がやっていることをそのままやっても、孫さんや三木谷さんがいないところでは、活きるものも活きないというのは当然のことです。
《2011年5月9日》 本日、ナポリピッツァとお好み焼きの掛け持ちの日でした。面白いものです。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
続きです。
トヨタにおける「なぜ」を5回繰り返すという奴は、非常に有名になりました。「なぜ」で5回掘り下げることにより、表面的な課題ではなく、ものごとの因果関係をとらえて本質的な問題にいきつくことができるという考え方です。原因の突き止め方が不十分ですと、当然ですが対策もピントはずれのものに陥ります。事実を重視する科学的なものの考え方が、「なぜ」を5回繰り返すベースにあります。 ムダを徹底的に排除することと、能率を向上させることはイコールではありません。他企業が能率の向上に血眼になっている中で、能率の向上ではなくムダの徹底的な解除に主眼を置いたのがトヨタの優れたところだといえます。 ムダを徹底的に排除するために、下記の2つの基本的な考え方が提示されています。 「能率の向上は、原価低減に結びついてはじめて意味がある。そのためには、必要なものだけをいかに少ない人間でつくり出すか、という方向に進まなければならない」。 「能率を1人1人の作業者、そしてそれが集まったライン、さらにはラインを中心とする工場全体という目でみると、それぞれの段階で能率向上がなされ、その上に全体としても成果があがるような見方、考え方で能率アップが進められなければならない」。 この観点から、以下の単純かつ冷酷な公式が導き出されます。 現状の能力 = 仕事 + ムダ ( 作業 = 働き + ムダ ) つまり、ムダを0にして仕事の割合を可能な限り100に近づけていくのが、真の能率向上だと考えるわけです。その結果、人を減らして、多すぎる能力を必要数に見合ったものにしていくのです。けして、今の人達が最大限に能力アップすればいいわけではありません。 例えば、トヨタの現場的では以下のようなムダが抽出されます。 作り過ぎのムダ、手持ちのムダ、運搬のムダ、加工そのもののムダ、在庫のムダ、動作のムダ、不良をつくるムダ ホワイトカラーの職場ですと、このムダがなかなか目に見えないところが難しいところです。ただし、それに甘えずにいかに「見える化」をすることが大切かを徹底追及するしかありません。そのペースとなるものは例えば「標準作業表」でしょう。何が標準かを定義しないところで、何がムダかを議論することは簡単ではありません。 作業が遅いということのほとんどは、実は動作・作業が何か間違っていることによって生じているといわれます。これをもって「時間は動作の影」と称されます。熟練度の低い新入り作業者に対しては、3日で一人前にさせることが監督者には求められています。手順や急所、コツというものをきちんと教えられるようになっていなければこれは成り立ちません。また、表示等も明確にわかりやすくしておく必要があります。もちろん監督者は真剣に手とり足とり教え込むことになり、これが監督者に対する新人の信頼感にも結び付きます。 でも、人がやる作業ですが、個人差、体調などにより、どうしても作業時間のばらつきがでます。これをギリギリと緻密に管理して標準化させようとしていないのがまた凄いところです。この程度のばらつきについては、その工程に早く来た人がやってあげることで吸収していきます。つまり、作業者と作業者の間のつなぎ工程に「助け合い」の仕組みを入れて、リレーのバトンタッチゾーンのようにある幅を持たせて仕事のやりとりをするので。これよって、ライン全体として標準作業を進められるような「人間の和」をビルトインしているのです。標準化を進めることによって、けして縦割り作業に陥らず、バトンタッチゾーンでは前工程・後工程のできる方がやることにより、ライン全体で標準作業から逸脱しないチームワークが生まれるわけです。
《2011年5月7日》 キャリアデザイン学会第3回研究会、終了です。そして、その後の赤坂大宴会も。いろいろなグループから人事関係の人にお集まりいただきましたが、10年以上ぶりに合う知り合いがいたりと、改めてこの世界の狭さが楽しめました。リアル版フェイスブックのようでした。本来しっかりとリフレクションするべきですが、昨日からの続きの内容があることと、何を書けばいいのか整理するパワーがないことから、後日にします。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
続きです。
戦後まもなく、国産自動車の生みの親ともいえる豊田喜一郎氏は「3年でアメリカに追いつけ」と社員を叱咤激励したとのことです。当時、日本とアメリカの生産性の差は「9倍」あるといわれていたということですから、これは大変な目標です。そして、大変ではありますが、明確な目標です。高度経済成長期までの日本は「追いつけ」が国家的な目標でもあり、それがゆえにストレッチはしているものの「明確な」目標があったのだといえます。何でもそうですが、目標が明確であればあるほど、人は心に火をつけやすいものです。これが今の時代の難しいところです。 アメリカの場合、職能別労働組合の仕組みが定着していたこともあるかもしれませんが、工員はすべてが単能工でした。旋盤を担当する工員は旋盤しかせず、溶接をやる工員は溶接しかやりません。ですから、工場レイアウトなども旋盤が50台も100台もまとまって配置されているなどというのが普通だったそうです。 これに対して、トヨタでは既に昭和22年の時点で、1人の工員に多数かつ多工程の機械を担当してもらうことに取り組み始めました。これを「工場に流れをつくる」と称しています。 当時のアメリカ方式では、工場内の機械の数も多いですし、人間の数も多くなります。そんな中でコストダウンを図るとすれば、選択しうる唯一の方法は「量産によるコストダウン」になります。量を多く作ることにより、自動車1台あたりの人件費を安くする、償却負担を軽くするということになります。そして、そのために高性能・高速度の機械を導入する必要が出てきます。 そして、多くの日本企業がこのアメリカ式大量生産方式を夢の方式と錯覚して取り入れます。この方式は、高度経済成長期には日本においても機能しました。マスの誘導による少品種大量生産が前提にあったからです。前年比数10%という驚異的な経済成長率が前提にあったからです。そして、このアメリカ式の量産システムこそが日本の風土にも合うシステムだとの錯覚する起こしました。 それに気づかされたのが昭和48年秋のオイル・ショックです。 前年比数%、もしくは横ばい、下手をするとマイナス成長ということが現実的になり、市場ニーズも分散して行く中で、求められるのは少品種大量生産ではなく、多品種少量生産になります。また、ダイナミックな計画に基づく生産ではなく、こまめな見直しに基づく生産です。戦後まもなくから取り組んできたトヨタ生産システムが脚光を浴びるには、このような環境変化がありました。しかし、大切なところはオイルショックによる環境変化によりトヨタがこの方法に取り組んだのではなく、「日本に自動車産業を興す」というその時から、当時は一世を風靡していたアメリカ型のコピーではない姿を明確に描いてきたことです。 トヨタは生産の平準化を目指しましたが、これを常識をひっくり返ることによって実現させました。効率化、コストダウンを果たすためには、できる限りロットはまとめて大きくし、同じ作業を続け、段取り替え作業(ロットとロットの切り替え作業)を少なくするのが常識でした。これは確かにそうです。しかし、あえてトヨタは、「ロットは小さく」「段取り替え作業をすみやかに」することによりこれを実現させたのです。例えば、カリーナのコロナ(本書で例示に出ていますが、いずれも懐かしい名前です)を作る場合、午前中はカリーナ、午後はコロナと作るのではなく、カリーナとコロナを1台交代で作るといったことを志します。クレージーな発想ともいえますが、これによって段取り替えをいかに素早くやるかというニーズが発生し、その解決のためにさまざまな知恵が投入されます。昭和20年代には2~3時間を要していたプレスの段取り替えは、40年代半ば過ぎには3分にまで短縮されたとのことです。これは画期的な機械ができたのではなく、1つ1つの小さな努力の集積の結果なのです。 これらのイノベーションの前提には「3年でアメリカに追いつけ」という明確かつチャレンジングな目標を提示した経営側と、そのためにはアメリカの真似だけでは難しいのではないか、どうせやるならばもっと良いやり方があるはずとの思いをもった現場側のハーモニーがあったからこそではないかと、強く感じさせられます。
《2011年5月6日》 連休の中日。こういう日に仕事をするのが何となく好きです。特例子会社に久々に朝一番からいったら、全員がそろって出社していました。やっぱりここには労働の原点があります。まだ、有給休暇がないという理由もありますが、働くことが目的になっているのは素敵なことです。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
大震災によりサプライチェーンが途切れて、日本の(というか世界の)自動車業界は大変なことになっていますが、その根本であるトヨタ生産方式に対しては、特に大きな批判の声であるとか、見直しの声が聞こえてくるわけでもないように感じられます。そんな中で、トヨタ生産方式の生みの親ともいえる大野耐一副社長が昭和53年に書きあげた著書「トヨタ生産方式~脱規模の経営をめざして」を読んでみました。実に30年以上前のビジネス書、ということになります。ここ最近のビジネス書が下手をすると半年もすると陳腐化しがちなのに比較して、さまざまな学びがあります。ということで、学べたエッセンスについて数日に分けて整理しておきたいと思います。
トヨタ生産方式が着目され始めたのは、おそらくオイルショック以降なのではないかと思いますが、実はこの思想の源はは戦後間もなくからトヨタ内で育まれてきたものです。 トヨタ生産方式の基本思想は、徹底した「ムダの排除」であり、それによる「原価の低減」です。この前提には、当初から原価積み上げ方式での単価設定ではなく、価値と価格は市場が決めるものという思想があったわけですから、これはもの凄いことです。 トヨタ生産方式を貫く2つの柱は、「ジャスト・イン・タイム」と「自働化」です。 「ジャスト・イン・タイム」は、1台の自動車を流れ作業で作り上げていく工程で、組み立てに必要な部品が、必要なときにその都度、必要なだけ、生産ラインの脇に到着するということで、これによって物理的にも財務的にも経営を圧迫する「在庫」を限りなくゼロに近づけることができます。 これの実現のために、生産の流れに逆転の発想を取り入れます。それ以前は「前工程が後工程に必要なものを供給する」という当たり前の発想だったものを、「後工程が前工程に、必要なものを、必要なとき、必要なだけ引き取りに行く」、そして「前工程は引き取られた分だけ作ればよい」とひっくりかえすわけです。そして、各工程をつなぐツールとして「かんばん」を用意して、何をどれだけ欲しいのかを明示し、生産量、必要量をコントロールするわけです。「かんばん方式」といわれますが「かんばん」はあくまでもツールとして登場するのです。 もう1つの柱である「自働化」は、にんべんのついた「自働化」とも語られていますが、「自動停止装置付の機械」を意味するとのことです。これは、いまやあらゆる産業界で導入されていますが、トヨタ式以前では新鋭機械の導入により生産能力としては高性能化、高速化しながらも、何かの異常があっても機械は止まらずに不良品の山を築くのが当たり前だったようです。 ただし、自動機ににんべんをつけるということは、単に不良品削減だけが成果にとどまりません。人は機械が正常に動いている時には必要がなく、異常が発生して機械がストップしたときに初めてそこにいけばいいわけです。これは多くの工場で今日、見られる光景です。ですから、人は1つ機械に張り付く必要はなくなり、1人で何台もの機械が受け持てるようになり、工数低減が進み、生産効率が飛躍的に向上するベースができます。 また、違う観点からみてみると、異常が発生して人が張り付くようなことが頻発するライン、機械にはそもそもの問題が何かあるということになります。異常があれば機械を止めるということは、問題の所在を明らかにするということです。問題があっても担当者の範疇で管理監督者に知られることなく繕ってしまっては、問題の本質的な解決にはなりません。問題がはっきりすれば、改善も必ずできるわけです。究極の「見える化」です。 トヨタの凄いところは、この思想を発展させて、人手作業によるラインであっても異常があれば作業者自身がストップボタンを押してラインを止めるというところまで徹底したところです。正常・異常の別が常に明確になり、きちんと再発防止の手が打たれることを仕組化したわけです。 この思想は管理間接部門にも適用することができます。「見える化」には極めて単純かつ有効な手法だといえます。
《2011年5月5日》 子供の日。岡本太郎展に行きました。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |