私のパワフルな友人がプロデュースを手伝っている学会があります。今週の金曜日・土曜日に開催されますので、ちょっとご案内をさせてください。
「日本産業精神保健学会」。 企業のメンタルヘルスに関する研究などをしている学会のようですが、今まではどちらかというと医師の目線での学会だったのに、今年は企業の目線を強烈に加えています。関係者が広く、今、本当に何が起こっているのかを知ることは大切なことです。そんな思いがプログラムからひしひしと伝わってきます。 第18回日本産業精神保健学会 メインテーマ:「健康生成のできる社会を夢見て ~未成熟社会における成長支援の方法~」 2日目のビジネスDAYでは、玄田先生や高橋俊介先生も登壇されます。詳しくは2日目のプログラムを。 そして2日目の最後には「特別市民講座」が予定されています。CDCを一緒にやっている山田さんもパネリストとして登場します。この部分は無料とのことですので、是非、お勧めです。 東日本大震災復興支援シンポジウム 7月2日(土)16:30-18:30 A会場 『東日本大震災の傷跡からの学び~私たちが生きる、活かされる~』 パネリスト 中川 崇(特定非営利活動法人ジャパンハート 医師) 谷山 禎彦(東北大学医学部5年生) 山田 学(㈱日本能率協会マネジメントセンター JMAMビジネスカレッジ) コーディネーター 笹原 信一朗(筑波大学 小野寺記念明日佳長寿医学寄付講座 講師) 【内容】 本年3月11日に発生した東日本大震災では、被災された方々をはじめ、多くの日本国民に大きな傷跡を残した。そのような中で、被災地の心の支援をどのように行っていくかが今後の重要な問題である。しかしながら、被災地では徐々にではあるが復興の息吹が芽生えはじめている。それを支援するためには、PTSDやうつ病を予防するという精神医学的視点からだけではなく、この傷跡をどのように人々の人格的成長につなげていくかという視点が重要である。そこで、この度の市民公開講座では、今回の震災において実際に被災地でいち早く支援活動をはじめたジャパンハートの中川 崇 氏、被災地でボランティア活動に携わった谷山 禎彦氏、様々な企業において人の成長支援を指導する山田 学 氏の3氏をお招きし、今回の震災をどのような形で活かすことが可能なのかについて、前向きな議論を深めたいと考えている。 《2011年6月29日》 母の誕生日。先日なくなった父とは同じ年で同じ6月生まれ。初めて1人で年をとりました。でも、母は2人で年をとっているときっと思っています。素敵なことだと思います。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
冷静に考えると今年は2011年です。もちろん冷静に考えなくても同じです。
ジョージ・オーウェルの「1984年」に時計が追いついた年は大学生でした。ゼミの春合宿の課題図書の1つにこの本は選ばれていました。
アーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」に時計が追いついた年、はじめて正式な組織管理者になりました。持ち株会社内に新設した人事のシェアード・サービス組織の責任者でした。
私は幼い頃からSF小説が好きです。最近は読書量がめっきり減っていますが、若い頃はものすごい多読でした。当時読み漁っていた、1950年代から1960年代のアメリカSFが描いた未来は、とおの昔に過去になりました。でも、幸いなことに、核戦争は起こっていませんし、宇宙人も攻撃してきてはいません。その代わりに、タイムマシンも発明されていませんし、不老不死の薬もまだありませんし、恒星間旅行も実現されていませんし、街中をエアカーが走る姿も見られません。 私たちが今、歩んでいる「未来」は、昔のSF作家がイメージしたものよりも、もっと「ベタ」なもののように感じられます。そんな「未来」を私たちは、毎日必死に、そしてひたむきに生きています。 「キャリア」ってそういうものなのかなっ、て思いました。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
入社3年目の頃でしょうか。
もの凄く仕事に追い立てられている感じがして苦しんでいました。事実追い立てられていました。業務用の小麦粉の営業をしていたのですが、営業という仕事には終わりはありません。もちろん今月の目標数値はありますが、仮にそれをクリアしても確実にすぐに間違いなく翌月がやってきます。終わらないのです。それ以前にメーカーの営業というのは、他社を駆逐してシェアが100%になるまでは少なくとも続きます。 入社して毎年、自分の目線は上がっていきますから、年を追うことにやらなければならないと感じる仕事は増えてきます。また、入社して毎年、お客様や社内からの期待感も上がっていきますから、年をおうごとに求められる仕事も増えてきます。 そんな時期が私にとっての3年目でした。 何とか打開しなければならない、仕事のやり方に工夫をしなければならない、そんな焦燥感に駆られている時に出会ったのが「タイム・システム」です。出会いの瞬間は明確には覚えていないのですが、しばらく購入するかどうか悩んだ末に、とある日の営業からの帰途、日本橋の丸善にてフルキットを購入した記憶があります。数万円の投資でした。購入した日に先輩と後輩と飲みに行ったのをよく覚えています。 「タイムシステム」とはデンマーク生まれのいわゆるシステム手帳です。様々なリフィルが提供されるのですが、単なる手帳ということではなく、生産性向上ツールとして魅力的でした。私が感じる最大の特徴の1つは他のシステム手帳とは異なりA5版であること。良くも悪くも大きいのです。ただ、A5版というのはA4版の資料を縮小コピーしてとんどんファイルして持ち歩けるのでこれは非常に便利です。そして何といっても「タイムシステム」は格好いいのです。周りの人が持っているものと一味違うのです。これはツールとしてとても大切なことです。 いずれにしても、この手帳を手にして、3年目の私は業務効率化と仕事のやり方の改善に取り組みました。 細かいことははぶきますが、仕事のすべてをこの手帳に集約しました。落としたら大変です。いわゆるTO-DOリストの考え方も初めてここで知りました。 仕事に追い立てられる感を感じる時は、おうおうにしていつも仕事のことを考えてしまいがちです。私は24時間仕事のことを考えることには賛成ですが、そこでいう「考える」というのは、創造的に考えることであり、追い立てられて考えることではありません。24時間、追い立てられると人は、病気になりかねません。 システム手帳にすべてを押し込めることによって、この追い立てられ感をなくそうとしました。つまり、ある時間に仕事をやめて、タイムシステムをパチンと(音をたてることがとても大切です)閉めると、次に開けるまでは仕事は封殺されます。こうやって、果てしなく追いかけてくる仕事をタイムシステムの中に封じ込めました。封じ込めることに成功すれば、あとはこちらの自由です。休日に仕事を考えるにしても自分が考えたいことだけを考えることができます。 日曜日の夜にタイムシステムをまた開きます。これは月曜日の朝では絶対に駄目です。日曜日の夜にスケジュールをチェックして、TO-DOリストをメンテナンスします。タイムシステムこそ使用しなくなりましたが、今でもこの習慣は続いています(今はエクセルを用いた極めてシンプルな手法でやっています)。 その数年後、全社的な知的生産性向上プロジェクトの事務局となり、DIPSを推進することになりました。日本LCAが提供していたDIPSは一世を風靡しましたが、今でも多くのエッセンスは錆ついてはいません。私の仕事の中にも着実にいくつかは生きています。このDIPS手帳もA5版のシステム手帳でした。シャープのザウルスはあったものの、電子ツールがこれほどまでに便利になる前の時代のお話です。 ツールから入いってはいますが、入社3年目で自分なりの仕事のやり方はかなり確立されたと思っています。それだけこの頃は大切なのです。 《2011年6月26日》 朝から自宅で封入作業。ちょっと飽きたので合間にブログを書きました。ついつい思いをはせたのは効率性について。明らかに封入作業というのは習熟曲線がありますが、疲労曲線も出てきました。肉体的疲労というよりも精神的疲労ですが。午後は、来月の納骨を前に墓石選定、子供と電気屋、郵便局で料金別納で発送、もう一人の子供が香港から帰るので成田、どう家庭内で分担するかです。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
先週の土曜日の「PARTYstream for Japan」すごかったみたいです。
いけなくて残念でしたが、あとから文字で1人で味わいました。文字だけから入ってくるイメージもまた斬新です。文字だけでもものすごいパワーを感じますから、現地の熱気はすごかったのではないかと思います。 気になる方はまとめサイトをまずはご確認ください。 文字から感じたパワーについてだけでも、何日かにわたって書けちゃうかなと思いますが、まずは何といっても、中原先生の「Learning Barは死んだ」というお言葉について、ちょっと勝手な話を書こうかと思います。既に日曜日の深夜、FBにコメントしちゃいましたけど。 「知がめぐり、人がつながる場のデザイン」のインタビューをされたときから、もうLearning Barは開かれない可能性が高いなぁと感じていましたが、たぶんそれは現実になるのかもしれません(10年後にリバイバルでやるなんてのもいいですね)。 私は比較的早いうちからのLearning Barのリピーターですが、初めていった時、その次にいった時などは、本当に純粋に面白くてたまりませんでした。そして、毎回毎回新しい人と出会い、その流れで飲みに行く。次に前回一緒だった人の知人も一緒になったり、Learning Barの日を離れても会うようになったり、また講師陣との垣根も低く一緒に繰り出したり…、そんなのが楽しくてしかたがありませんでした(もちろんコンテンツ自体もですけど)。 飲食を提供するという手法も、周りの人とダイアローグする仕掛けも、まだけしてメジャーではなかった中原先生も、一味違う講師陣も、みんな素敵に怪しく、ちょっとアングラっぽい魅力もありました。それを東京大学の教室でやっているというズレ加減がまた素敵でした。 そしてLearning Barは成長を続けます。まさに時代が求めていたのだと思います。今やLearning Barもどき(ほめ言葉です)のワークショップが乱立しています。普通のセミナーでも、周囲の人と名刺交換してくださ~い、なんていうLearning Bar的な仕掛けを臆面もなく最初に取り込んでいます(これもほめ言葉です)。いまや純粋導管教育的セミナーは天然記念物的存在になりつつあります。 Learning Barに行けば、Learning Barを求めている人が集ってくるようになりました。いつの間にか知っている人も一杯になりました。皆、Learning Barの趣旨を理解して、それを楽しみに来ているので、斜に構えてかかったり、つっかかってきたりする参加者はいません。ひいきのミュージシャンのコンサートに来ているような乗りです。ここではどう行動するのがいいのか、皆がわきまえています。Learning Barでは、企業・学校等のいくつかのセグメントに分けて参加者抽選をしているといいます。これはいうまでもなく多様性を担保するためです。多様性に満ちて、ちょっとした違和感を感じて帰る(それを外で語る)、それがLearning Barの醍醐味でした。 そんな中、特に学生の皆さんのもの凄い努力により、Learning Barはまだまだ成長していきます。でも、綿密に練れば練るほど、どうしても予定調和的な感覚がリピーターには残ります。企画としてどんどん洗練され、素晴らしくなっていきます。来た人のすべてが楽しめる本当に素敵な企画になっていきます。 たぶん、中原先生もそんな成長したLearning Barにわくわくしなくなってきたのでしょう。リピーターとしても同じでした。中原先生は常に新しいことを、1つ先の次を求めている方だと思います。その意味ではLearning Barはよくあれだけ続いたと思います。 中原先生はLearning Barは死んだといいますが、Learning Barは完成されてしまったということなのだと思います。完成されたもというのは、現状維持的な感覚で接すれば、まったりと気持ちのいいものですが、心からのワクワク感を与えてくれません。そして、311以降の世界で、多くの善意の人は現状維持的な思想から何とか抜け出したいと思いつつ、それとは逆行しかねない日本の実情に哀しい思いをしています。でも、本当に善意の人は自分達のできるところで、何とか何かをしようとしています。そして、PARTYstream for Japanというすごいイベントも生まれました。Learning Barはあまりに完成されてしまったため、構造として内包していた「多様性の高い場」「違和感のある場」という要素が、Learning Barを楽しみに集った人たちという「同質性」に覆い包まれてしまってきたのかなと思っています。 中原先生が慶應義塾大学丸の内シティキャンパスで担当されている「ラーニングイノベーション論」。同じことを続けるのが好きでなく、超多忙になってしまった先生を考えると、第3期はないなと思っていましたが、それを裏切って第3期の真っ只中です。 たぶん第3期が生まれたのは、事務局のホーヤさんの力ももちろんですが、第2期の皆さんの活動が中原先生に何かの期待感を呼び起こしたんだと思います。いまや学びは双方向性であるのは当たり前になっています。第2期生をみていると、さらにはあちこちに発信源があり、その発信源が同心円状に学びが拡大して、隣の同心円と錯綜して…といった図式が思い浮かびます。 ただその反面、こういった流れの延長上で学びが自己目的化しかねないことも危惧しています。私たちは、学ぶために生きているのではなく、生きていくために学ぶのです。中原先生のラップアップの力は神の域に達してると最近思いますが、おそらくPARTYstream for Japanでもその力を惜しみなく発揮されたのかと思います。単に学びの場を提供するのではなく、学びの文脈を整理して、何か参加者が変化を得るための一助をできることが、ラーニング・イノベーターの必須条件のように感じています。 背景がわからない方には大変、理解しにくい中味になったかもしれませんが、お許しください。 Learning Barと中原先生に改めて御礼を申し上げたいと思います(あと、勝手なことを書いてすみません)。 私たちもさらに次に進む努力をしたいと思います。 《2011年6月21日》 今朝、大阪駅構内を8時前にふらふらしていたら、作家:山下太郎氏にばったりと会いました。こりゃ確率論的にはなかなか凄い偶然です。山下太郎さんとは来月、京都でご一緒させていただく予定です。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
ほんとだと15日あたりにやるのですが、ちょっと遅れました。
短くも長い半月だったかな、という感じです。 5月下旬に集中的にあった人事関連のイベントの整理が終わりきりませんでしたが、とにかく書くネタには困らない半月でした。単にリフレクションであれば、簡潔に書けるのですが、このブログにはアーカイブ的な価値をも自分としては求めているので、結構ノートに近い内容になってしまう日も多いです。読む人目線でなくて申し訳ありません。 2011年6月1日 内定者教育について④~社会に出てぶつかる次の3つの壁 2011年6月2日 有事のリーダーシップ、トップにしかできないこと 2011年6月3日 ぬるくてかったるいこと~人を育てるということ 2011年6月4日 震災から立ち上がる日本~リーダーシップについて考える 2011年6月5日 海外駐在はやはり人を育てる~AAA3.0から 2011年6月6日 職場変化仮説と失敗不許容仮説~職場でなぜ人が育たないか 2011年6月7日 経験軸とピープル軸 ~部下成長の2つのドライバ 2011年6月8日 個人の成長を引き出すためには何をすればいいのか:プチヒント 2011年6月9日 どっちつかず ~「希望学」から 2011年6月10日 「てっぱん“お好み焼き”プロジェクト」第2弾 2011年6月11日 「希望とはまだない存在である」 「頑張れ」「大丈夫」 2011年6月12日 絶望の反対はユーモア 2011年6月13日 フィードバックの真髄~SV養成講座から 2011年6月14日 中途採用者の職場学習について 2011年6月15日 40分間のセッションから感じたこと 2011年6月16日 意味のある無駄のすすめ 2011年6月17日 お仕事が増えます 《2011年6月18日》 PartyStreamを諦めて、家でデータの整理。ツイッターでちょっと後追いしましたが、すごい会になったみたいですね。風船を観て体感したかったです。でも、文字だけで追うのも結構いいものです。逆に想像というか、妄想というかが湧きあがり、帰って自分の思考は刺激されるようにも思います。それにしても、中原先生のお家芸みたいな展開ですね。データチェックは終わらないのですが、今晩も週末恒例のラーメン屋+イクスピアリ・レイトショーへこれから出かけます。本日は「○心厨房」(東陽町)+「X-MEN ファースト・ジェネレーション」。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |
「てっぱん“お好み焼き”プロジェクト」の第2弾が決まりました。
第1弾では、5月17日(火)にJR渡波駅前広場にてお好み焼き400食を提供、翌5月18日(水)には陸上自衛隊 船岡駐屯地(宮城県)第3師団400名にお好み焼きで慰問と、手さぐりで自分たちに何ができるかと考えつつ、お好み焼きを焼き続けました。 そして第2弾ですが、ありがたいことにお声がかかり、6月14日(火)に楽天イーグルスの本拠地でもあるクリネックススタジアム宮城で開催される「GTF食の集いin仙台(炊き出し)」の中で1000枚のお好み焼きを焼く予定です。当日は日本赤十字社の主催する「LOVE in Action プロジェクト」の一環で日本武道館で開催されるイベントを、日本武道館と日本製紙クリネックススタジアム宮城をライブ中継で結ぶライブビューイングが実施されます。 詳しい内容は、コチラまで。 今回も佐竹佐知子会長率いる関西チームが中心にお好み焼きを焼き続けますが、なんと特別ゲストとして「てっぱん」に出演した「駅伝くん」も駆けつけてくれることが決まりました。 今回も私は仕事でいけないのですが、第3弾、第4弾も当然続けます。 《2011年6月10日》 今日は3つの用事が重なり困った困った状態だったのですが、なんと結果はどれにも行くことができませんでした。 ![]() ![]() ![]() ↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を |