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何が起こるかわからないということ
今日の茂木健一郎さんの連続ツイートは「何がおこるかわからないからこそ、希望をもって明日にのぞむ」がテーマでした。

これは確かにそのとおりだなとは思うのですが、なかなか難しいことです。まずは連続ツイート内容を引用します。

(1)あなたの脳は健康な状態にあるかどうか。一つの質問で、その様子がわかる。「あなたの人生に、いろいろ不確実なことがあると思いますが、これから何が起きるか、それが楽しみですか? それとも不安ですか?」この質問に、「楽しみ」と答えられる人は脳が健康である。

(2)人生には、不確実性が原理的に避けられない。どんなに賢くて、どんなに綿密に計画を立てても、必ず予想もできないことが起こる。だから、不確実性をいかに抱きしめるかということが、脳にとっての一番の課題になる。それを希望をもってすることが、人生のイロハのイだ。

(3)ある企業で講演した時、「あなたは不確実性が楽しみですか、それとも不安ですか?」と聞いたとき、ほとんどの人が「不安」だと答えて、私の方が不安になった。日本人は全体的に不確実性を忌避しようとしている。そのことによって、ネットとグローバル化の新文明に不適応になっている。

(4)グーグルやフェイスブックが10年後どうなっているか、予想が付かない。だからこそ、両社で働いている人々は希望を持ち、明日を楽しみにがんばっている。成長と、不確実性に希望を持つことは同じである。その感情が日本から失われたからこそ、日本の成長も止まってしまった。

(5)子どもの頃から塾通いをして、「確実に」有名大学に入れるようにする。三年の10月から新卒一括採用の就職活動をして、「食いっぱぐれのない」大企業に入ろうとする。このような振る舞いが「賢い」とされる社会では、不確実性にこそ希望を抱く、成長のエンジンは失われる。

(6)最初の質問に戻って、「何が起こるかわからない不確実な状況」が「楽しみ」であるよりはむしろ「不安」であるというのが日本人の今の姿だとすれば、日本人の脳は、平均的に言って、大変不健康であると 断ぜざるを得ない。現状がそうだとして、どうすればいいか?

(7)生まれ落ちた子どもにとって、世界は不確実なことばかりであるが、その時に助けになるのが「安全基地」である。保護者が「確実性」という「安全基地」を提供してくれるから、子どもは安心して不確実な世界を探検できる。未来に希望を持つために必要なのは、「安全基地」だ。

(8)大人にとっての安全基地とは何か。自分の脳の中に蓄積された知識であり、経験であり、技術であろう。ところが、日本の場合、それが「組織」とか「肩書き」とかいった、実質を伴わない外形的なものであるために、「挑戦のための安全基地」とはならず「自己保身の盾」になっている。

(9)自分の脳を診断してみよう。果たして、明日何が起こるかわからないという不確実性を、楽しみと感じているか。安全基地を点検しよう。組織や肩書きじゃなくて、むしろそれを失って放り出された時にそれでも生きのびる知識や技量があるか。包装紙をひっぺがせ。「真水」を増やせ。

人生に不確実性は避けられないということに反論を唱える人はいないでしょう。そして、それを「楽しみ」と思うか「不安」と感じるかは人によって違うでしょうが、あらゆる人に「楽しみ」と「不安」の双方が存在していることと思います。それは比率というか重みの問題なのかもしれません。そして、「不安」ばかりで前に踏み出せない人の「不安」を低減させる手伝いをすることは、キャリアカウンセラーの仕事のひとつでしょう。ただ、「楽しみ」を増すところまで持っていくのはなかなか難しそうに感じます。

昨日書いたキャリアデザイン学会の川喜多先生の「キャリアデザインとは想定外のことを少しずつ想定内にたぐりよせる行為でもある」という考え方は、「不安」を少しずつ減らす行為だともいえます。人生における不確実性を少しだけ確実なものに感じることにより、「不安」は減っていきます。ただ「想定外のことを少しずつ想定内にたぐりよせる行為」だけでは、「不安」を「楽しみ」に転換することはできないように感じます。茂木先生のいう「安全基地」とは、昨日書いた川喜多先生のいう「安定しない社会におけるキャリアで大切なものは、改めてベーシックな力ではないか」というものにも近いように感じます。茂木先生は「自分の脳の中に蓄積された知識であり、経験であり、技術であろう」といい、川喜多先生は「職種横断的、企業横断的、地域横断的な基本的な力。明るさ、積極性、元気、論理性、感応できる力、ヒューマンリレーションズの力……」と語られました。いずれにしても「組織や肩書きじゃなくて、むしろそれを失って放り出された時にそれでも生きのびる知識や技量があるか」という観点については、一致しているようです。

「不安」をなくすることが、「楽しみ」の域に達することに直接的につながるのか、これはやっぱり難しいところです。ただ、「不安」をなくすることによって少し開き直りやすくなるということはあるでしょう。そして、その先には「楽しみ」もあるのかもしれないと思います。

「不安」をなくす仕組みを作ることが、ある意味ではこれからの国家の最大の仕事になるのでしょう。「不安」をなくす仕組みこそが大切なインフラになるのでしょう。ただし、ぶら下がり派のモラルハザードをもたらさないようなかたちでこれを実現させることが大切です。

ひるがえって企業内で考えても、「不安」をなくすことは人事機能の大きな任務になります。ただ、これは寄らば大樹を意味しません。ここのはき違えをする社員には厳しく対峙する必要もあります。

言葉を丁寧に使っていくことが、ますます求められます。

《2011年10月4日》 喉が痛くなると、1日1缶浅田飴を舐めてしまいます。もちろんパッションです。それだけだといいのですが、2日で1本くらいのどぬーるスプレーも使ってしまいます。これは結果的に飲んでいるわけです。うーん。







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【2011/10/04 22:56】 | キャリア~全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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