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社会に出て経験する第二段階の壁
昨日は【社会に出て経験する第一段階の壁】について改めて整理しました。毎年、新入社員研修で話していることです。で、今度はその壁を少し乗り越えつつあるところでまた出会う【社会に出て経験する第二段階の壁】について整理します。こちらも過去にこのブログでも取り扱ったものです。

【社会に出て経験する第二段階の壁】

① 要領の良さが通用しなくなる
② 自分からの発信ができない
③ PDCAのサイクルがまわせない

第一の壁は、多かれ少なかれ必ず全員が社会に出る際に感じるといっていいでしょうが、第二の壁はそうではありません。早い人は配属してすぐに感じることもありますが、遅い人は30歳になっても感じることがありません。この第二の壁はある意味では「成長プロセス」の一里塚です。ちゃんと真正面から仕事をしていたら、いずれはぶつかるものです。しかし、残念ながらこれらの壁にぶつかるレベルまでもなかなか成長できない人もいるのです。30歳を過ぎてやっと第二の壁にぶつかる人、一生、ぶつからない人、いろいろな人がいます。

①要領の良さが通用しなくなる

立ち上がりの早い新入社員というのはいます。新入社員研修でリーダー的に動ける人もいます。ただ、これらの新入社員の全員が見事に成長するかといえば、そうでもありません。ここで注意したいのが「要領」です。実は新入社員研修や入社初期の頃であれば、多少は「要領」でこなせるところがあります。そして、学生時代にリーダー的に動いていた人には、ある程度の比率で「要領」でこなしてきた人がいます。そんな「要領」のいい人は最初のうちこそ、いい動きができますが、しょせん学生レベルの「要領」です。本格的な仕事になってくるとそんなレベルの「要領」では通じないことを痛感するはずです。新入社員研修も、できる限り「要領」でそつなくこなしていればいいという態度では駄目だということを体感させてあげられるように設計されています。そつない人は、何でも80点レベルをとっていきます。でも必死で100点まで狙おうとはしません。ここの意識変革ができるかできないかが、新入社員研修時の1つのポイントです。

②自分からの発信ができない

素直な新入社員はとても歓迎されます。そして、柔軟に吸収力高く適応していきます。今年の新入社員はいいね、とまわりの良い評判も立ちます。でも、そんな新入社員のうち、しばらくすると自らの発信ができずに苦労し始める人が出てきます。最初は先輩の指示通りに素直に動いていたものの、ある時、先輩はこう聞きます。「で、お前はどう思うの?」。いままで素直に先輩のいうことを聞いて評価されてきた新入社員は押し黙ります。そして、先輩が「よし」といってくれる答えを探そうとします。ビジネスの世界には絶対の答えがないということも認識できずに。
素直に吸収することはとても大切なことです。でも、それだけでは価値をもたらすことはできません。吸収したものをベースに自分が発信しなければいけません。発信する際に、答えを探そうとする態度は発信を鈍らせます。そもそも答えなんかないのです。新入社員研修でも、答えを探そうとする傾向には強いものがあります。ビジネス世界に答えなどないことと、自分の考えを発信するためには常に考えること、常に勉強することが必要であること、などなどは新入社員研修で理解しておいて欲しいことです。

③ PDCAのサイクルがまわせない

あらゆる企業の新入社員研修でPDCAについては学ぶでしょう。でも、新入社員はどれだけ真剣に会得しようとしていることやら。これが何気なく自然に回せるまで身体にしみこませる必要があります。PDCAは仕事を回す基本であるとともに、経験学習理論を引き出すまでもなく、成長のためにも必須のプロセスです。


《2012年4月30日》 黄金週間前半三連休(中日に出社しましたが)も今日まで。明日と明後日は、目茶目茶濃厚な仕事の日がまっています。一週間5日分の仕事を2日でやる週ですから当たり前ですね。


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【2012/04/30 22:32】 | キャリア~学生・就職・採用 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
社会に出て経験する第一段階の壁
昨日に続いて、新入社員配属前のお話に関してです。
いつも、社会にでて感じ壁について繰り返し話しています。昔、このブログにも書きましたが、時期が時期なので改めてまた整理をします。

この壁は2段階でやってきます。

【社会に出て経験する第一段階の壁】

① リアリティ・ショックの「壁」
② 曖昧な基準の「壁」
③ 多様な価値観の「壁」

これらの壁はすべての新入社員が多かれ少なかれ感じるものです。そして既に新入社員研修の折に、それなりには感じているはずです。新入社員研修の役割の1つは、これらの壁の存在を顕在化させて認識させ、少なからずこれらの壁を乗り越えることができたという経験を積ませることです。

『リアリティ・ショックの「壁」』についてはいうまでもないと思いますが、RJP的採用が一般的になってきたとはいえ、まだまだ就職活動中に理解していた自分の会社と、実際に入社してみた自分の会社のギャップは小さくはありません。この差はすべて「リアリティ・ショック」の波として新入社員を襲います。朝起きて満員電車に揺られて会社に毎日行くということがいかに大変なことか、という当たり前のことも改めて身にしみて感じます。1日研修で必死に頭をつかうことが、いかに身体をへとへとにするかということも改めて身にしみます。そんな多くのリアリティ・ショックが襲います。しかし、今感じているものは、まだまだ現場に配属される前の温室の中での話なのです。

『曖昧な基準の「壁」』はじわじわと新入社員を苦しみます。新入社員研修期間中はまだカリキュラムが決まっていますが、グループ討議の進め方などは新入社員側にゆだねられます。明確なシラバスが提示され、具体的な時間割りとおりに授業があり、レポートの提出締切り日が決まっており、試験の出題範囲も明示される、こんなすべてがすっきりさわやかに提示される「学校」という16年間慣れ親しんだ世界から、曖昧と理不尽が闊歩する「社会」という世界に入り込んだ新入社員は、迷い戸惑い、時に文句すらいいたくなるでしょう。上司が何を求めているのか、いったとおりにやったつもりが怒られた、いつまでにどのレベルでやれと詳しく教えてくれない、そんなことは序の口、営業に出向いた先の社長の機嫌が悪くて怒鳴られた、いったい全体誰が決定権を持つキーマンなのやらまったくわからない、何をクリアしたらこの社長は契約書に印を押してくれるんだろう…、すべてが曖昧です。そして、曖昧ということは自分で決めなければならないということです。このことも新入社員研修中にきちんと理解して欲しいことです。

『多様な価値観の「壁」』は新入社員研修で会う「同期」の仲間からすでに始まっています。キャンパスで出会っても絶対に友達にならなかった奴が同期に必ずいます。そんな奴とグループで作業をすることが求められます。深いディスカッションを繰り広げる必然に追いやられます。同じ世代が集まった同期ですらそうなのですから、配属された現場に待つ上司や先輩たちの多様性、そして客先や取引先の魑魅魍魎のごとき多様な登場人物。どうしても同質的な付き合いに終始してきた学生時代との大きな違いです。新入社員研修では、同期という練習台を使って、この壁を実感します。ただ、研修を終えたあとの多様性と比較すれば、雲泥の差なのはいうまでもありません。

採用⇒内定時⇒新入社員研修の各ステージで、この3つの壁を認識し、自分なりに克服する手段を身に付けることをある程度、学び経験している新入社員。早い人は、結構、軽々とこの壁は乗り越えることができます。

でも、そんな新入社員の前には次の壁が立ちはだかるのです。

《2012年4月29日》 三連休の中日、すごい晴天です。でも、朝から休日出勤。さすがに今日出勤している人は少ないです。



【2012/04/29 17:10】 | キャリア~学生・就職・採用 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「何とかなるさの楽観主義」 vs「何とかするさの楽観主義」
新入社員研修の最後、つまり配属通知の直前に何を語ろうか考えています。

いろいろな話がありますが、2つの楽観主義について。誰の話をきいて整理した話なのが、オリジナルは失念していますが、たぶん金井壽宏先生のレジリアンスの話あたりからだったんじゃないかと思います。すみません、不正確で。

ある種の楽観主義は、社会で生きていくためにはとても大切なのだと思います。でも、楽観主義には2つあります。

「何とかなるさの楽観主義」
「何とかするさの楽観主義」

たった一文字違うだけで大きな違いですね。「何とかなるさの楽観主義」は社会では通用しません。それ以前に自分を運とか天とかに任せてしまっており、極めてリスクの高い発想です。楽観というよりも、能天気といえます。本当に運の強い人はこれでもいけるのかもしれません。でも、これで乗り決めている人は、実は「何とかなるさの楽観主義」でやっていると思っているものの「何とかする」行動をとっているのかもしれません。

大事なのは、「何とかするさの楽観主義」。どんな事態に陥っても、たいていのことは「何とかするさ」と思って立ち向かえば「何とかなる」のです。特に新入社員が出会う「大変なこと」なんて、あとから思えばそんなものです。「何とかするさの楽観主義」はとても「しなやかさ」を感じます。しなやかさを兼ね備えれば、人はそうそう簡単にポッキリとは折れません。

「何とかなるさの楽観主義」ではなく、「何とかするさの楽観主義」を貫けるようであれば、安心です。

《2012年4月28日》 季節はずれのお花見。八重桜の木の下で、バーベキューでした。お呼びいただいてありがとうございます。


【2012/04/28 23:57】 | キャリア~学生・就職・採用 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
寡黙な人材開発担当者
月曜日の「人材教育」読者セミナー。第三部は、参加者全員によるワールドカフェです。で、参加者全員……といいながら、あれ、なんか人が少し減ってます。そうです、第二部までいた方のうち、少なからざる方がお帰りになったみたいです。第一部、第二部の内容を踏まえて、みんなでリフレクションする場なのに、帰っちゃうなんてもっていないですね。導管教育がやっぱり落ち着くねぇという人は、やっぱり多いんですね。まあ、私も時にはそう思うこともあるのですが。

第三部でも、各グループの話し合いの内容を発表してねといわれても、シーンとした感じ。私は沈黙に耐えきれずに発言してしまいましたが、あれあれ人材開発担当者、これでいいのかな。

どうも普段付き合っている皆様が「普通じゃない」んだということを改めて感じさせられました。でも、これでは日本はまずいです。ということで、新しい動きがもうすぐ生まれます。



【2012/04/27 23:55】 | HRM全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
座る位置の大切さ
人事でも総務でも経理でも、どこでもいいですが、管理系の部署に所属する社員が、事業部門の現場の社員から相談を受けたとします。

管理系の部署の人間は、当然ですが許認可を判断する必要があります。現場の社員のいうことを聞いて、それはOKかNOかを決めなければなりません。

この日常的にやっていることを同じようにやっても、評判のいい社員と評判の良くない社員が出てきます。これはなぜでしょうか。

最近、私が話しているのは「座る位置」という話です。これは物理的な意味ではなくて、心理的にどこに座って相手と話すかということです。

普通であれば、例えば応接室で話すとすると、向かい合わせの相対の位置に座ります。これだと何となく、対決意識がでかねませんし、お願いする人と許認可する人という感じです。ですから、前例のない企画を持ち込んだ人に対しては、NOといわざるを得ないかもしれません。

で、私が要請しているのは、隣に座ることです。もちろん心理的ですよ。大切なのは、相手が見ているのと同じ方向をみることです。前例はないけれど、これができると、売り上げがこれだけあがる、効率がこれだけ高まるという話を同じ目線で聞きます。そして、それを通すためにどのように規程解釈をするのか、イレギュラー扱いを認めさせるのかというスタンスで一緒に考えるのです。これをやると同士になります。仮に最終的な結果がNGであっても、現場の社員側には納得感が残ります。さらには、こっちの立場で考えもらったということで、私たちの評判もあがります。

是非、「心の中で隣に座る」を実践してみましょう。実は真剣にこれをやると凄いアイデアが生まれることもあるんですよ。

《2012年4月26日》 大阪です。


【2012/04/26 23:57】 | コミュニケーション | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
人材育成部門の2つのミッション
月曜日に開催された『人材教育』誌の読者セミナー。このようなリアルな企画がいろいろと世の中では増えています。今回の企画は、内容的に非常に欲張って凝ったものでした。全体は3部構成になっており、しかも真ん中の第2部は二手に分かれます。都度都度、会場の模様替えがあり、スタッフの皆様は大変だったと思います。単なる導管教育にしないという意気込みがとっても伝わってきました。

第1部は一橋大学の守島先生の「今、人材開発担当者はどうあるべきか」と題するセッションです。2社の人事の方が守島先生の基調講演に続き事例を語り、さらにはパネルディスカッションへと進みます。この第1部だけでもかなり濃密です。

守島先生は、職場での教育と、人材教育担当者が施す(?)必要のある教育というテーマを取り扱います。もともと、特に日本における人材育成に関しては、職場が独自に行う部分がかなり多かったといえます。単に実務上のスキルだけではなく、スキル以外の面でも、職場での経験を通じて人を育ててきた傾向は強くあります。製造現場だけでなく、ホワイトカラーの世界でも普通にOJTという言葉が流通してきました。実は、研究分野としてOJTの分野が独立してあるのは日本だけだそうです。国際比較すると、日本の従業員1人あたりの教育訓練費が欧米諸国に比較してかなり低いのは、OJTが育成機能を担っていたからだといえます。これは明らかに日本企業の強みでした。

ただ、もうしばらく以前から、こういったスタイルでの育成の限界が指摘されています。その大きな理由は、職場における「良質な経験」が不足してきたことに求められます。
その理由として、守島先生は5つほどの項目を整理されていました。

①成果主義による過程・プロセスの軽視、リスク感の変化
②チャレンジ性のある仕事の減少
③人員構成(年齢、雇用形態)の変化による育成コミュニティの減少
④コミュニケーション手段のデジタル化
⑤仕事への忙殺

一番できる人にばかり仕事がまわってくるというのが、どこの会社でもいわれています。できるかもしれない人に仕事をチャレンジさせて育てるというリスクをとることがなくなってきました。その反面、できる人には疲弊しきるまで仕事が回ってきます。これでは「良質な経験」が多くの社員にもたらせられることはありません。かくしてOJTは機能しにくくなっていきます。

ただ、そもそも職場育成の基本的限界というのもあります。
どうしても職場では、現在価値や短期的な未来へ向けての育成を行う傾向があります。職場のみに育成を任せると、長期的な人材育成に取り組む機運は起こりませんし、そのノウハウも職場にはありません。ですから、完全に職場依存型の人材育成は、長期戦略を前提とした人材の供給には適さないわけです。企業の長期的な競争力確保のためには、職場での人材育成にすべてを委ねることはできないのです。

これらの認識を踏まえて、今、人材育成担当者に求められていることは、以下の2つです。

①現場での育成を再構築する
②長期的に必要なコア人材育成のためには戦略的に育成を行う

「現場での育成を再構築」するという仕事は、もはや人材育成というよりは、組織開発の世界です。ですから、人材育成担当者は、いまや組織開発担当者であらねばならないということになります。

この2つのことを人材育成部門のミッションとして再整理すると以下のようになります。

ミッション① 組織開発者としての人材開発者
ミッション② 戦略的人材開発部門…将来の自社にとって重要な戦略的人材をみつけ、企業として育て上げて行く

そして、守島先生は、これをやらないと人材開発という機能はかなり弱体化すると指摘されます。しかも、それは人材育成部門だけのことではなく、人事部門全体として捉えるべき問題だと感じます。

《2012年4月25日》 新入社員の初任給の日です。
【2012/04/25 23:57】 | HRM全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
今日は…
今日は、言葉に表しがたい哀しいことがあり、喪にふしたいと思います。
また、その結果として、大切な人に不義理をせざるを得ないこともありました。
本当に申し訳ないと思います。

そういったことを積み重ねつつ、何とかやるのが生きるということなのかと
改めて思います。
だから、明日も頑張りますし、戦いますし、受け入れます。

【2012/04/25 00:58】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
無難に…を抜けて~gcdfクライアント役で思う
キャリアカウンセラーの資格、gcdfのクラス・クライアント役をやって感じたこと。

面談初期では、関係構築をしながら問題把握を進める必要があります。いかに関係を構築しても、何の問題を掲げたクライアントなのかを認識できなければ、解決に近づくのは難しいものがあります。しかし、問題把握にとどまらずに問題解決を目指すような投げかけ(往々にしてそれは「決めつけ」になります)をしてしまうと、せっかく努力してきた関係構築が大きく後退します。だいたいクラスに行くと、関係構築を壊すのがこわくて引っ込み思案な応答をする方と、関係構築を横に置いてついつい問題に向いてしまう方に分かれがちです。

○ではないけれども、△でヘルピングが続くケースはよくあります。クラスではこれは取りあえず是とされます。クライアントがこのカウンセラーと話を続けてもいいというレベルが△です。これはクライアントを傷つけたり、クライアントに失望を与えたりしなければ、何とか得られるものです。クライアントが話を続けたいと思ってくれる限り、カウンセラーは支援ができます。でも、△が続いていると、カウンセラーの方が逆につらくなっちゃたりするんですよね。カウンセラーがつらくなると、クライアントに集中できなくなります。つらい自分を何とかするために次の応答をどうしようかということを頭に巡らせてしまい、クライアントの言葉、しぐさから発せられるメッセージを見逃してしまいます。

まあ、そういった細かいことはどうでもいいのですが、クラスでの面談の練習について、無難に△の連続でやり過ごそうというスタンスで臨むのはとてももったいないことです。クラスにくるクライアント役はリアルには傷つきません。とりかえしがつかないことになるリスクはありません。気持ちをとにかくクライアントに集中して、今はうまくできなくても、今は恥をかいてもいいので、少し前に出られるようにするのが一番です。

【2012/04/23 23:56】 | キャリア~全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ドラムサークルin「人材教育」
「ビジネスマンはとにかく方法論やHow toものに頼りがち。何でも言葉で理解しようとしがち。しかし、どんなビジネス書、プレゼンテーションも、音楽などノンバーバルな表現手段にはかなわないところがある。言葉だけでは表現できないメッセージを瞬時に相手に伝え、深い理解をもたらすことができる。ドラムサークルはその最たるもの。体験してみれば、言葉を介さなくても実にいろいろなことが”腹落ち”するのがわかるはずです」

JMAMが発行する「人材教育」5月号に「リズムを刻みながら個性と和を体感する」というタイトルでドラムサークルに関する記事が掲載されています。参加者全員が輪(サークル)になり、パーカッション等の打楽器を使って即興のアンサンブルを行うものですが、場所の制約によってはマラカスで代替したりということもあります。インプロという即興劇が人材育成の世界でも脚光を浴びていますが、即興性でいえばドラムサークルも負けません。1人1人の新たな局面が見れたり、自分の微妙な心の動きが手に取れたり、言語のコミュニケーションでは得られない、というか気づかないさまざまなことが自分の中に入ってきます。

昨年に引き続いて、今年も新入社員研修で、ペッカー橋田さんを招いてドラムサークルを今週やります。ペッカーさんは、今年は金井寿宏先生の「人勢塾」にもドラムサークルをひっさげて登場するそうです。コアの人材育成の世界ではない方々がもっともっと人材育成の世界に刺激を入れてくれるような時代になってきました。

《2012年4月22日》 東京ゲートブリッジを走ってきました。羽田が恐ろしく近い場所にあることを知りました。感覚的な距離と実際の距離の差、というものがあることを改めて感じます。これって、人間関係なんかでもありますよね。
【2012/04/22 21:08】 | HRM全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ヘルピングはカウンセリングへ
今日はgcdfのクラス・クライアント役で協会本部の教室に来ています。待ち時間で余裕があるので、えらい早い時間ですが、プログをアップします。現在のスタイルでgcdfのクラス・クライアント役のお手伝いは今日が最後になります。

既に協会HPでも告知されていますが、7月からgcdfのカリキュラムが大幅に変わります。これは昨年の3月29日に厚生労働省が、標準レベルのキャリア・コンサルタントに求められる能力要件を見直す報告書を出したものに対応するものですが、総時間数は130時間から140時間に増えますが、主にホームワークで対応するようで、全12回という回数は変わりません。ただし、各回の内容や順番などはかなり変更されます。

強化されるポイントは、3つです。まず1つはHRM。これは我々からみるととても歓迎です。やっぱりどの分野でキャリアカウンセリングをするにしても、HRMの常識的な理解がない人は問題です。それから2つ目はメンタルヘルス。キャリアカウンセリングがメンタルヘルス早期発見の入り口になるケースは結構あるでしょうし、リファーすべきレベルのクライアントをキャリアカウンセラーが自らの知識のみで扱うのは危険です。3つ目はカウンセリングそのものであり、傾聴中心の関係構築だけでなく、カウンセリングのセッション全体のプロセスを取り扱うようになります。

そして、この機会に「ヘルピング」という表現を「カウンセリング」と変えるそうです。さらには、これはスーパーバイザー養成講座などでは既に変更していましたが、これまでのヘルピングの5ステッププロセスは、カウンセリングの6ステッププロセスに変わります。

ということで、クラスクライアント役の役割も大幅に変わります。それにしても「ヘルピング」という言葉が使われなくなるのは、私たち既存ホルダーからみるとちょっと寂しいですね。

《2012年4月21日》 来週、リーダーシップを題材にととある企業様で講演をさせていただくので、午前中に突貫準備。今夜もじっくりと考えます。アウエーで人に話す準備って、すごく自分の整理になりますね。
【2012/04/21 13:47】 | キャリア~全般 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
リーダーシップ機能発揮に少しでも専念できるように
すべての組織管理者は、マネジメントの役割とリーダーシップの役割を担います。この比率は、おそらく企業によって異なりますし、ポジションによっても異なるはずです。ただ、2つだけいえることは、間違いなくどんなポジションでもこの双方が求められること(どちらが大切ということではないということ)と、リーダーシップが発揮されなければ、新しいこと、改革、世の中を変えることはできないということです。

ここで、人事をはじめとする管理間接部門がこのことにどう対峙するかという話です。私があれやこれやと考えている感じでは、マネジメントはある程度、分担が可能だということです。私たちは、さまざまな法規に囲まれて仕事をしています。でも、現場の組織管理者はそれらにすべて精通することはできませんし、そんなことに時間を使うのは無駄です。ですから、リーガル意識さえあれば、リーガル知識はいりません。でも、リーガル知識がなければ正しいマネジメントはできません。そこで、私たちの出番です。マネジメント的な機能というのは、管理間接部門にセンスさえあれば、かなり管理間接部門が代替できるものがあるわけです。と、私は思います。

それに対して、リーダーシップの機能というのは、現場でのギリギリの取り組みの中で発揮されるものです。ですから、これを管理間接部門が一部代替するということはなかなか難しいことです。

企業の競争力の源泉は、リーダーシップ機能の発揮にあります。

そう考えると、企業の競争力の源泉は、重要な組織管理者が、マネジメントに割く時間を最小限にし(なくしては絶対にいけません)、可能な限りリーダーシップの機能を発揮できるように、管理間接部門がマネジメント機能を代替したり、支援したりすることにあるのかもしれません。ここの管理間接部門の新しい役割が明示されているのではないでしょうか。

今日は、私のいる会社で新任マネージャー研修でした。設立12年目の会社ですが、2年前から新任マネージャー研修というのを創りました。呑む前の最後に、各参加者が「決意表明」を社長の前で行うのですが、そのあとに終講挨拶で、管理間接部門は現場で徹底的に頑張っている組織管理者が徹底的にリーダーシップを発揮していただくために、マネジメントに対する支援を徹底的にやりたいと、こちらも決意前言をしました。で、そんな話を書いてみました。

《2012年4月20日》 トラブル・シューターは人事の仕事。




【2012/04/20 23:58】 | マネジメント・リーダーシップ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
持論化のステップ
社内の新任マネージャー研修、外部でのリーダーシップについての講義と、ちょっとマネジメント・リーダーシップに関するテーマで何かをやる機会が続きます。考えれば考えるほど、このテーマ、多様な切り口があります。

神戸大学の金井壽宏先生は、リーダーシップというものはどのようにして身につくのかという問に対して、4つの話をされています。

①自分がリーダーシップを直接に経験すること

②すごいリーダーだと思える人と一緒に仕事をして、その人の言動を観察すること

③それらの経験と観察からの教訓を言語化し、自分なりの持論を構築すること

④学者の理論やすぐれた実践家の持論は観賞するように読むのではなく、自分の持論を創出し肉付けするために活用すること

②と④はある意味、疑似体験です。①はリアルな体験です。そして③は持論化ですね。そう、経験学習モデルそのものです。松尾睦先生は、具体的な経験⇒内省(リフレクション)⇒持論化(教訓を引き出す)⇒新たな状況に適応させる⇒具体的な経験⇒ というような整理をされていましたが、これはとてもしっくりきます。

でも、どこの世界でも超多忙なリーダーは、経験⇒経験⇒経験⇒経験⇒ という感じで、単に経験ばかりでぐるぐるしているのが実態かもしれません。果てしなき日常の経験の輪廻です。ちょっといいパターンでも、経験⇒内省⇒経験⇒内省⇒ の往復でしょうか。この往復だと、下手すると内省は愚痴に続くだけということになりかねません。

やはり大事なのは、持論化のステップだと改めて思います。これはある意味、自分の軸を作る行為であり、軸のないリーダーというのは、ちょっとありえませんよね。




【2012/04/19 23:57】 | マネジメント・リーダーシップ | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
仕事が嫌い
先日のキャリアデザイン学会 第41回研究会は、著者と語るシリーズ(5)『「働くこと」を企業と大人にたずねたい ―これから社会へ出る人のための仕事の物語』でした 。今日は、当日に参加されていなかった人にはとてもわかりにくいブログになることをまずはお詫びします。私が飲み仲間の二朗さんを連れ出して、【やゑくら】というチームの石飛さんを交えて進行をつとめた企画です。

この半ばあたりのことです。
進行役の石飛さんが「仕事は好きですか」と会場に投げかけたところ、実に7割くらいの人が挙手をされました。まあ、かなり偏ったメンバーだとはいえるものの、これってすさまじい比率だと思います。一方、「仕事はきらい」とする人ももちろんいるわけで、代表選手が高田さん。会社に入ってからこれまで仕事が好きだと思ったことはないと公言されます。そこで、いくばくかの時間を使って、仕事は好きか嫌いか談義などもしましたが、ここだけ切り離して何かやっても面白いことになりそうな感じでした。

で、思ったことが2つ。

仕事が嫌いといい放つ高田さんも、仕事をやっていたおかげて今日もこういうところに来ていると語ったりされるわけ、そう「仕事」とは仕事の中だけで完結しない、というか閉ざされない代物なのです。この部分の面白さを学生に理解して欲しいというのが、今回の私の隠しテーマであり、だからこそ【やゑくら】という枠組みを使って構成を作ったり、馴れ馴れしい友達口調で進行をしたりしたわけです。ただ、これはちょっと伝わらなかったカナ、そもそも学生がとても少なかったですし(学生の集客に失敗したという側面と、社会人がとてもたくさん集まったので予想以上に早めに満員御礼が出たという側面がありますが…)。

それからもう1つは、「仕事が好き」「仕事が嫌い」といっているときの「仕事」という言葉に広がりがあるに違いないということ。同僚や働く仲間をイメージする人、会社の事業をイメージする人、担当している業務をイメージする人、仕事のやり方をイメージする人、なんだかわからないけど漠然と考える人、プライベートではない時間という感覚で捉える人、たぶんバラバラなんです。これが「仕事」の怪しいところです。誰だって、すべての側面から仕事を好きになることはなかなかできないように思います。でも、自分が大切にしたい側面では「好き」とちょっといえるようなのが素敵に感じます。これって、人によってはちょっとしたことで得られる幸せのようにも思います。学生の皆さんがとらえている「仕事」以外の「仕事」がきっとあるはずです。

もう10年くらいになるでしょうか。慶應義塾大学のキャリアリソースラボラトリーの花田光世先生や高橋俊介先生が「ワークライフ・バランス」という言葉に相対して、「ワークライフ・インテグレート」という言葉を使い出したのは。
最近、ようやくこの言葉をときどき一般の新聞・雑誌などでも見かけるようになりました。私自身は、仕事の面白みというか仕事の不思議さというのは、ある種の「広がり」にあると感じます。仕事は仕事の中だけで閉ざされずに、ライフととろけあって存在していく可能性を秘めているものです。
新入社員として、ひたすら目の前の果てしなき現実に真摯に向き合い続けることができれば、きっとある日、ふわっとしたこの「広がり」感を得られるときがたぶん来ます。

あまり整理になりませんでしたが、とりあえず1週間あけないうちにちょっと能天気な軽いリフレクションでした。実はまったく逆に近いスタンスのことも考えたりします。

《2012年4月18日》 大阪半日日帰り出張。内定者10名と休みなく内定面談でした。
【2012/04/18 23:51】 | キャリア~全般 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
史上最強の同期を作る
以前のブログで書きましたが、新入社員研修の開講訓示で「7つの約束」というのを話しました。

新入社員研修は5月2日まで。すでに折り返し地点を過ぎて、まさに胸突き八丁のところに来ています。身体的にも疲れが出る頃です。

7つの約束の最後の1つは、今年も「史上最強の同期を作る」です。

その7.史上最強の同期を作る
今いるメンバー(同期)が、これからも永い間付き合える仲間になって欲しい。それぞれがそれぞれに積極的にアプローチして、史上最強の同期を作って欲しい。友達に、後輩に、誇れる同期であって欲しい。

これが納得のいくレベルでできれば、たぶん他のことはすべてできています。まず「史上最強の同期」とは何か、自分たちなりにこの定義ができるかどうかです。定義なきところに海路は描けません。「史上最強の同期」だといえる状態はどんな状態なのか。

全国の各社で新入社員研修という場で、さまざまな葛藤が続いていることと思います。でも、それも配属後に果てしなく続く葛藤の単なる始まりでしかありません。社会人になったからには、葛藤から目をそむけることはできないので、研修の時期に徹底的に葛藤しておいて欲しいと思います。

《2012年4月17日》 ここ2週間ほどはちょっと無理な予定にしてしまいました。本日は、父の命日。もう1年、まだ1年……。
【2012/04/17 23:36】 | キャリア~学生・就職・採用 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
Q:なかなか意見を言ってもらえないメンバーに対して
Q:自分のチームのメンバーって、なかなか意見を言ってくれないんですよね。意識が低いのか何なのかはよくわからないけど、いらいらします。自分の意見をいおうねっていうと、別に否定はしないんだけど、打ち合わせになるとだんまりしていて、自分とあと数年ばかりが意見をいっている。どうすれば意見をいってもらえるんでしょうか。

A1:それはチームの運営がゆるいですね。きちっと意見を言わなければならないことを理解されて強制しなければだめです。強制させられれば、人は必ず何か意見をいいます。意見を言わないのは、組織の一員としての役割を果たしていないことを明確に理解させる必要があります。それに慣れてくると、いずれ強制されなくても意見をいうようになります。

A2:どんな雰囲気で意見を求めているのでしょうか。人は自分の安全が確認されないと何かに踏み出しにくいものです。意見をいってもいい雰囲気であるか、意見が多少ずれていても自分が傷つかないか、意見が突飛であってもそれを受け入れてもらえそうか、そんな安全の認識がなければ、人は無理をしてまで意見をいおうなんて思わないものです。そんな中で意見をいうことに慣れてくると、普通に意見がいえるようになるものです。

解説:どちらもその通りです。このテーマ、以外の2つのAの真ん中というものが難しいのが悩みどころです。

《2012年4月16日》 につぽんお好み焼き協会の第4回お好み焼き検定は、11月18日実施に決まりました。多くの皆様の受検をお待ちしています。




【2012/04/16 22:44】 | マネジメント・リーダーシップ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
管理間接部門として最低限意識すべきこと
遅くなりましたが、明日・明後日に分けて人事のキックオフです。
課題設定が難しい年になりそうです。価値ある仕事に資源をいかに投入するか、そして自分たちの枠をいかにして拡大していくか、このあたりをさらに真剣に考えなければいけません。

人事の仕事以前に管理間接部門として最低限意識すべきことを4つに整理してみました。

○「自分ごと」として考える強い当事者意識
○現場・社員・経営との濃密なコミュニケーション
○常に準備し、先読みをする姿勢と習慣
○管理間接部門全部署が一体となった取り組み


《2012年4月15日》 あー、やることいっぱいあって、やらなきゃいけないことが一杯残ってしまいました。
【2012/04/15 23:55】 | HRM全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
深夜のラーメン屋における組織社会化
キャリアデザイン学会の研究会、今回は私の企画担当でしたが、いつもと違って非学会員、企業人の方に大勢来ていただくことができたのは収穫ですが、できがどうだったかというのは、自分の基準からみるとあれこれと悩ましいところはあります。

でも、終了後に懇親会をご案内したところ、4割を超える方にご参加いただきました。これはなかなかないことです。ていうか、終了後に懇親会があること自体がないことなのですが。

3時間半ほどの間、懇親会はだらだら続きます。若者の発声で終了して、神楽坂下に出ます。

社会人として当然出てくる声は「小腹がすいたからラーメン食いに行こうぜ」。

天下一品神楽坂店が迎えてくれます。しかも、web店長(http://tokyo-mania.net/)も一緒ですから、断るわけにはいきません。でも、さっき〆の焼きそばやピザを頼んだはずなのに、〆ってどういうこと?

まあ、それでもラーメン食いに行くという話ですから、そんなに長い時間はかかりませんですし。仕方がないといって新人も付き合うでしょう。

でも、社会人というのは意味がわかりません。

7人でラーメン屋に入ってすぐに発声するのは「生を7つ」、そしてしばらく遅れて「餃子2人前」。素直についてきた新人は「ラーメンを食べにきたはずなのに…」ときっと悩むでしょう。さらに、生ビールのお代りや、ウーロンハイや、レモンハイとドリングのおかわりが続き(日本酒が置いてなかったのでまだ良かったかもしれません)、さらにはつまみか足りないと、豚キムチをオーダーします。いったい小腹がすいたためのラーメンはどうなるのか、もうさすがに食えないじゃないかという感じになります。

そんな頃に「やばい終電が近いぜ」と誰かが気づくもので、あわててラーメンのオーダーに入ります。もちろんきっちりと人数分。かくして、2時間近い滞在時間はようやく終わりを迎えるのです。

こんなことになれていくことを組織社会化というようです。

《2012年4月14日》 ということで私は、コッテリ・メンカタでした。100回以上、天下一品にはいっていますが、自分でアッサリを頼むことはどうしてもできません。






【2012/04/14 23:59】 | キャリア~全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
B級グルメとB層グルメ
先週、大阪で新阪急ホテルに宿泊したときの話です。

和田裕美さんが新阪急ホテルでセミナーをやるというポスターがエレベーターに貼ってありました。日付をみると、当社の新入社員研修にお招きしてる日の翌日、なんかご縁を感じました。

翌朝、サービスでいただいたサンケイ新聞。ヤクルトスワローズのファンですが、さすがにサンケイ新聞はそうそう読みません。この、たまたまで読んだ新聞の記事に「B層グルメ」という概念を提示されている方がいました。哲学者の適菜収さんという方が、「賢者に学ぶ」というコラムに書かれたものです。ちょっと引用します。

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先日国内最大規模のグルメサイト「食べログ」で、ランキングの不正操作が明らかになった。複数の業者が特定の飲食店に対し好意的な口コミを投稿して報酬を得ていたのだ。こうした消費者に宣伝と気づかれないような宣伝行為を「ステルスマーケティング」という。

これに対し「消費者の信頼を裏切るあるまじき行為だ」などと批判の声が上がったが、ナイーブにすぎるのではないか。わざわざ業者に依頼しなくても、店の関係者が自作自演でランキングを吊(つ)り上げているケースもある。その結果、地元住民が首を傾(かし)げるような店に、ある日突然行列ができたりする。インターネットの構造上、こうした問題は常に起こりうるはずだ。しかしもっと大きな前提がある。それは、口コミサイトの評価は「料理について細かい論評を述べたい人たち」「携帯電話で料理の写真を撮ることをためらわない人たち」が下した判断にすぎないということだ。

スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセット(1883~1955年)は、大衆を「凡庸であることを自覚しつつ、凡庸たることの権利を主張」し、圧倒的な自信の下、浅薄な価値観を社会に押し付けようとする存在と規定した。彼らは「コストパフォーマンス」といった一面的な基準を振り回し、一流の店を貶(おとし)め、三流の店を持ち上げる。その結果、きちんとプロの仕事をする鮨(すし)屋が低い点数をつけられ、ロクでもない鮨屋(その実態は単なる海鮮居酒屋)が高得点をとるようになってきた。

こうした状況の中、隆盛を極めているのが《B層グルメ》である。《B層》とは、平成17年の郵政選挙の際、内閣府から依頼された広告会社が作った概念で「マスメディアに踊らされやすい知的弱者」を指す。彼らがこよなく愛し、行列をつくる店が《B層グルメ》だ。

いわゆる《B級グルメ》が「安くて旨(うま)いもの」であるのに対し、《B層グルメ》は必ずしも安いわけでも旨いわけでもない。しかし、《B層》は誘蛾灯(ゆうがとう)のように引き寄せられていく。なぜなら《B層グルメ》は、行動心理学から動物学まで最新の知見を駆使し、《B層》の趣味嗜好(しこう)・行動パターンを分析した上でつくられているからだ。店の立地、席の配置、照明の角度がマーケティングにより決定され、さらに「産地直送」「期間限定」「有機栽培」「長期熟成」「秘伝」「匠の技」といった《B層》の琴線に触れるキーワードが組み合わされていく。こうして、日本全国、駅前からデパートのグルメアーケードまで、同じようなチェーン店が立ち並ぶようになってしまった。「豚骨と鶏ガラ、魚介、30種類の野菜を3日間煮込んでスープをつくりました」みたいな闇鍋系ラーメン屋もこれにあたる。鍋に水と材料を入れただけなのに、「これが私の作品です」と一端(いっぱし)の料理人のような顔をしている素人が増えている。

これはグルメだけの話ではない。社会全体にB層的価値観が蔓延(まんえん)し、それを資本が増幅させている。その結果、一流と三流、玄人と素人、あらゆる境界が失われてしまった。こうした社会では素人が暴走する。《B層グルメ》に行列をつくるような人々が「行列ができるタレント弁護士」を政界に送り込んだのもその一例ではないか。(てきなおさむ)

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B層グルメとB級グルメの差は、自分の舌と頭で判断をするかの差なのだと思います。そう考えると、日常に流されながら、B層化している自分もいたるところにあります。自分の中でも徹底してB級を主張できるところと、B層でお茶を濁しているところもあるように感じられます。要は、B層でお茶を濁す分野については、自分は自信がないのです。でも、自分が自信がないとはいいたくないのです。B層化のすべてが悪いとは思いませんが、B層化の中では新しいものは絶対に生まれません。いずれにしても、B層化している自分を気づくことは大切です。

今日のラーメンは本当に美味しかったですか?

《2012年4月13日》 総務の歓迎会。よく飲むメンバーがいるのは本当に嬉しいです。もちろん強制はしませんが、飲んで元気になることってたくさんあるんです。





【2012/04/13 23:32】 | キャリア~全般 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
無駄の意味づけ
なんか会社って無駄が多いよなぁ。
こんなことって自分に役に立つのかなぁ、無駄だよなぁ。
先輩はあんなこというけど、無駄に感じるよなぁ。

新入社員が仕事を始めるときっとこんなつぶやきがあふれるでしょう。

そう、会社は、社会は、無駄に満ちているのです。
すぐに役に立つこと、今の自分に効くこと、そんな役に立つものばかりではありません。
会社で新入社員がやる仕事なんか、ある意味、無駄ばっかりです。

でも、無駄って意外と大事なのです。「無駄の意味づけ」って実に大事なんです。
それに気づかせてくれたのは、3年前に来たインターンシップ生です。
最後の成果発表会の場で、「会社の仕事って無駄がいっぱいあるように感じたけど、1つひとつの無駄にも意味があるんだということに気づいた」といった話をしてくれました。

どうしても今、役に立たないものは無駄といって切り捨てる風潮があるように思います。
現在価値至上主義です。
これは何も若い人ばかりではなく、その上の世代も同じように感じます。
でも「無駄」にたくさんの意味があるのです。
特に若いうちには本当に意味がある「無駄」がたくさんあるんです。

そして、実は「無駄」を意味づけするということは、ものすごく未来志向な考え方なのです。
「無駄の意味づけ」というテーマを今年度は少し追いかけていくことになるかもしれません。

と、ここだけ書いても、ちょっと伝わりませんよね。どうもすみません。
いずれわかりやすく整理してみます。

《2012年4月12日》 久しぶりに参加したCDCのミーティングinJMAM。今期の活動方針を検討しましたが、気づいてみたら呑みに行く時間がなくなってしまっていました。みんな熱心です。

【2012/04/12 23:58】 | キャリア~全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ゆとり教育世代といってはいけない
株式会社イマジナさんのメルマガに、ちょっとインスパイアされて書きます。

「ゆとり教育世代といってはいけない」というタイトルで近年の新入社員について書かれていました。プレジデント誌の調査を引用してのことですが、2011年度の新入社員は「集団生活への取り組み姿勢は積極的」という項目が83.3%と高く、前年度よりもさらに2.7%上昇しているそうです。これを称して「近年の新入社員の特徴は、協調性が際立って高い」。

メルマガ筆者の受けている感覚としても、協調性があり、素直。見た目もきちんと整えており、自分たちがどう見られているかを強く意識している、そして「空気を読む」能力も高い。その反面、周囲に合わせる傾向が強く、主体的にチームを引っ張ろうという意識に欠ける、という感じですね。そして、「型から外れることへの恐怖がある」という回答が60%と、前年度よりも11%さらに高まっているとのことです。「間違えを気にせず、とにかくやってみる」も50%で、前年度より10%ダウンしています。

これらを称して「ゆとり世代」と世の中の皆様には語られているわけですね。

メルマガでは『「これだからゆとり世代は・・・」などという表現は彼らのモチベーションを下げてしま
うので絶対に避けるべき』といっていますが、まずはこれには大賛成。

また、ゆとり世代の特徴にあげられる「空気を読む」能力が高いことは、ビジネス上、極めて大切なことですし、これができない新入社員がたくさん入ってきたら嫌ですよね。とんがった「採用したい人材像」を会社説明会で叫んでいる会社も、実際には素直で協調性のある人を待ち望んでいたりします。

もちろん「主体的にチームを引っ張る」力がないという指摘は確かにそうですが、今までの新入社員が主体的にチームを引っ張っていたかというと、ちょっとそれも微妙なように感じられます。

別に彼らの援護をするのが目的ではないですが、あまりステレオタイプな見方はしないでねということを改めていいたいだけです。

ダイバーシティに取り組む企業が、大勢の新入社員を十把一絡げに「○○世代」と呼んでいること自体が、非常にこっけいであり、不思議な感じがします。

ただ、傾向をキャッチーな言葉で表現し、定義することは、ことの把握を効率化させます。でも、これはどちらかというと企業側の都合。自分たちの効率のために、新入社員にもレッテルを貼られていることを認識されることに意味があるとは思えません。とても、生産者志向の思想でもあります。

このテーマ、書くのは何回目かですが、レッテルを貼らなくすることから、本当の個人をみた人事マネジメントが生まれ、ダイバーシティが根付く土壌が生まれ、1人ひとりにあった育成方針を考える上司が生まれるのではないかと思っています。

【2012/04/11 23:56】 | キャリア~学生・就職・採用 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
レトロでアナログな自分のメディア
東京大学の中原淳先生が「「自分のメディア」を持ち、「自分の場」をもつことの意味」というブログを書いていました。やっぱり中原先生、若いんですね。大学生のときにすでにインターネットが存在し、で、高尾先生らと「オンラインジャーナル」を発信されていたと……。

それにしても、その後の世の中の変遷は凄まじく、誰でもがこんなに平易に自分のメディアを持ち、不特定超多数に向けて発信することができるようになってしまったとは。

で、中原先生のブログを読みつつ、すっごい昔を思い出しました。そう、自分が初めて「自分のメディア」を持った時、といっても恐ろしいほどアナログで、かつ残念ながらクローズドでなお話ですが。

皆さん、ガリ版というのをご存知ですか。正式には謄写版といったかと思います。恐縮ですが、上手に説明できないので、ウィキペディアの説明を引用します。結構、マニアックな説明になっています。

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ロウ紙と呼ばれる特殊な原紙(薄葉紙にパラフィン、樹脂、ワセリン等の混合物を塗り、乾かしたもの)を専用のやすり(鑢盤)の上に載せ、ヘラや先の尖った棒のような形状の鉄を木の軸に固定した器具「鉄筆」を強く押し付けて、絵や文字の形に原紙を傷つけて版を作って行く 。この部分は紙の塗料がヤスリ目の形にけずれ落ちて細かい孔がたくさん開き、「透かし」となる。この作業を「原紙を切る」「ガリを切る」などという。面印刷の部分は写真製版の密度の高い網点のような状態になっている。濃淡を作りたい場合はヤスリの山が荒い網点のような配列になったものを使用し、筆圧を変えるなどして孔の大きさで表現する。間違った場所は修正液という薄いニスのようなものを塗って孔を埋め、レタッチを行なう。

刷りでは、木枠に細かいシルクスクリーンのような網を取付け、その下に製版の終わった原紙を置き、ガラス板の上などでインクを練り伸ばしたローラーを手前から転がしてインクを圧し着けて行くと、「透かし」部分だけインクが通過し、下に置いた用紙に印刷されるしくみである。シルクスクリーンのようにスクリーンに版を接着する必要は無い。インクの粘着力でもたせておく。シルクスクリーンが版を切り取ってしまうのに対して、謄写版は面や線の部分も小さな孔のつながりでできているのでこの方法が可能であるが、原紙が線の部分で破れやすく、切れるとすぐに使えなくなってしまう欠点もある。また孔が小さいのでインクも柔らかめにしないとうまく印刷できず、いつまでも乾かないようなインクも多く使われていた。
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なんかすごい原始的に聞こえますが、プリントごっこが巨大になったような印刷機です。ある意味、版画ですよね。すべて手作業なので何も機械的な要素がないため、意外とかさばりません。あれ、そういうとプリントごっこも知らない?

で、高校一年生の時に名古屋に住む祖母に、ガリ版セット一式をプレゼントしてもらったのです。きっと、ずっと欲しい欲しいっていっていたんでしょうね。自分の部屋にガリ版セットが来た日は嬉しかったですよ。確かB4判までの印刷ができたと思います。当時の日本はB判全盛期でしたね。

ガリガリと鉄筆を使っての執筆活動が始まります。こうやって手に入れた文明の利器によって、メディアも一緒に手にいれることができたのです。まずやったのは、学級情報誌の出版。新聞ではなく週刊誌のテイストでタイトルは「週刊いちびい」、ほんとにきちんと毎週出していました。自宅で印刷してはクラス全員分を学校まで持って行くわけです。まあ、歩いて10分ほどのところに高校はあるのですが。ただ、紙の印刷メディアでしたから、どうしても露出対象は拡大できません。というか、40名分を印刷するのも大作業です。ホチキス止めだけでも大変な労力。不思議な高校生でしたね、今から考えると。マイ謄写版印刷機を持っていた高校生は日本中探してもそんなにいないと思います。

ただ、よくよく考えると、小学校の頃から勝手に壁新聞を創って、教室に貼りだしていました。あの頃、インターネットや、ブログや、ツイッターや、フェイスブックがあったらどうしていたのでしょうか。大学時代に携帯電話とワンボックスカーがあったら楽しかっただろうなぁというのと同じくらい、楽しかったかもしれません。

《2012年4月10日》 なんか年度早々、あれこれ降りかかります。まあ、いいか。
【2012/04/10 23:58】 | キャリア~全般 | トラックバック(1) | コメント(1) | page top↑
石山さんを招いた越境学習の企画があるぞ
東京大学の中原淳先生のブログにて、素敵な企画が告知されています。

ここでも数度にわたってご紹介した石山恒貴さんを招いた『越境学習と新たな「キャリア」』と題した「アカデミック」な企画です。これに「職場学習の探求」で「第11章 職場越境するビジネスパーソンに関する研究~社外の勉強会に参加しているビジネスパーソンはどのような人なのか」を担当された舘野さんが絡みます。定員数が少ないため抽選必須ですが、お早めに。

越境学習は日本を救う、……たぶん。

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ACADEMIC HACK!(アカデミックハック)
プロフェッショナル人材の育成(!?)を考える
越境学習と新たな「キャリア」 - 石山恒貴さんをお招きして
2012年5月22日(火)午後6時 - 午後9時 
東京大学本郷キャンパス・福武ホール・B2 ラーニングスタジオ
==============================​=================

かつて専門人材(プロフェッショナル)は、組織になじまぬものとされてきました。職人のような「彼ら」は、仕事や専門性にコミットしますが、組織には関心がないし、そもそもコミットしないのだと・・・。

しかし、近年の研究によりますと、どうも、こうした過去の常識に変化があらわれているところもあるようです。組織にコミットしつつ、仕事や専門性も大切にする専門人材(組織内専門人材)に注目が集まってきました。

いまや、社会は、ますます高度化・複雑化しています。現代の組織は、専門人材(プロフェッショナル)といかに関係を保つかで、いくつかの分かれ道に立っているような気がします。

先日、このテーマに関して、法政大学で博士号を取得なさった石山恒貴さんをお招きして、下記の日程で、プロフェッショナル人材の育成について考える機会を持ちたいと考えています。

石山さんは、国内大手メーカ、外資系企業で十数年にわたり人事実務にたずさわり、現在は某企業で人事責任者をつとめられる一方で、アカデミックな活動にも従事していらっしゃいます。

なお、この会の名称の「ACADEMIC HACK!(アカデミック・ハック)」は、中原研究室が主催するアカデミックな議論をするイベントです​。内容はアカデミックな内容になると思いますが、参加者全員のダイアログなども含めて、知的興奮のある数時間にさせていただきたいと考えております。

【主催】
 東京大学大学院 学祭情報学府 中原淳研究室
 http://www.nakahara-lab.net/​blog/

【日時】
 2012年5月22日 午後6時 - 午後9時あたり

【場所】
 東京大学本郷キャンパス 福武ホール
 B2 ラーニングスタジオ
 http://​fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/​access/

【内容】
 プロフェッショナル人材の育成(!?)を考える
 越境学習の可能性
  ・研究発表:石山恒貴さん
  ・コメント:舘野泰一さん
  ・謎の越境学習者の方々
  ・問題提起:中原 淳

【参加費】
 参加費2000円(謝金・資料代等に支弁いたします)
 
【募集人員】
 30名

【食事等】
 食事はでませんので、皆様、お持ちよりください。

【申し込み方法】
参加お申し込みは下記の参加条件をご了承いただける方に限り、【5/1まで】受付をいたします。参加希望者が多い場合は、抽選とさせていただきます。5月5日までには参加の可否をご連絡差し上げます。

参加条件
(1)本ワークショップの様子は、予告・許諾なく、写真・ビデオ撮影・ストリーミング配信する可能性があります。写真・動画は、中原淳が関与するWebサイト等の広報手段、講演資料、書籍等に許諾なく用いられる場合があります。マスメディアによる取材に対しても、許諾なく提供することがあります。参加に際しては、上記をご了承いただける方に限ります。

(2)本イベントで万が一剰余金が発生した場合は、繰り越し、中​原淳が企画する、組織人材育成・組織学習に関係するシンポジウム研究会、ワークショップ等の非営利イベント等の準備費用・運営費​用、
に充当します。

参加申し込みWeb画面    http://bit.ly/Hu325f

《2012年4月9日》 入社式、社員表彰式、全社キックオフ、新入社員研修、関西での新卒採用面接といった感じで、あっという間に先週が過ぎたので、今週からが新年度本番という感じです。ただ、先週、あまりに座っている時間が長く、腰痛にさいなまれています。



【2012/04/09 23:22】 | キャリア~全般 | トラックバック(1) | コメント(2) | page top↑
新入生に宛てたメッセージ ~一橋大学山内学長
一橋大学の山内学長の新入生に宛てたメッセージを読みました。

自分が大学にはいったとき、学長がどんなメッセージをくれたかはまったく記憶していません。申し訳ないことに、誰が学長であったかも思い出せません。ただ1つ覚えているのは、情報処理(正式な名前は違うと思うがプログラミングの基礎を学ぶ講座)の講座を教える教授(だったかどうかもよく記憶はないですが)が、最初の週のガイダンスの場で、「大学生活は人生の中で最大のモラトリアムの時期だ。やるべきことを自分で考えて4年間を過ごすことができる。私の講座に毎回出るよりも、もっと今やるべきことを見つけた人は私の講座に出る必要はない。ただし、レポートはきちんと出して単位はとること」的な話をされたことです。たぶんニュアンスは全然違っていたかもしれません。ただ、私の心の中にはそのように刻まれています。で、人からみれば怠惰な大学生活だったかもしれませんが、結果として自分なりには満足できる4年間を過ごしたと思います。それなりに自分の軸というものを作れた4年間だったとも思います。情報処理の授業については、さっそく翌週から出席するのはやめましたが、レポートは出してちゃんと単位はとったはずです。

「皆さんに期待することは、何をするにしても、大学の4年間で、自分の姿勢、スタイルというものをつくりあげていってほしいということです。この4年間は、皆さん自身の人格をつくりあげるうえでもっとも大切な時期です。この時期に、知的な面、肉体的な面、社会関係的な面……など、生きていくうえで必要なスタイルを、意識的につくる努力をしてほしいと思います。世の中の変化は激しく、外界は荒海です。しかし環境が変わっても、自分のスタイルが確立されていれば、恐れることはありません。」

「大学は高校までとは違って、自由に使える時間がたくさんあります。大学生は自由に使える時間が圧倒的に多いのです。もちろん、単位をとるための学習は必要です。それでもまだ十分な時間がありますし、何よりも選択の自由があります。すべてにおいて参加を強制されることはありません。だからこそ自律的に行動する必要があるのです。」

「大学にはさまざまな勉強をする機会がありますし、全国から優れた学生たちが集まっています。こうした仲間たちとともに日々を過ごすことで、刺激を受け、影響を受けることもあるでしょう。こうした環境においても、自分なりの選択を行い、自分のスタイルを意識する4年間にしてください。(略)何をするにしてもただ漫然とするのではなく、自分の行動を意識し、確認する習慣を身につけてください。」

「大学の4年間は瞬く間に過ぎてしまいます。一日一日を大切に過ごして、自分の将来のために、人生の基盤となる独自のスタイルを築きあげてください。」

山内学長のメッセージをよりぬきました。今も昔もこの大学の本質は変わらないなと感じました。それと同時に、咲き誇る大学通りの桜並木がみたくなりました。

日々、採用面接をしている時期なので、ついそちらに思考がつながってしまいますが、こんな大学生活を過ごすことができれば、変な面接対策などをしなくても、自分の言葉で就職面接を受けられるのではないかと改めて感じました。そんなことが広く実現できるようにまだまだ活動を広げたいと思います。


《2012年4月8日》 昨年なくなった親父の一周忌でした。天候にもめぐまれ、多くの親類にも集まっていただき、良い会ができたと思います。当人からそういってもらえるかはわかりませんが…。
【2012/04/08 22:03】 | キャリア~学生・就職・採用 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
脱・ステレオタイプ
「ゆとり世代」という言葉があります。

私はある世代をカテゴライズしてステレオタイプ的な名称を十把一絡的につける風潮が大嫌いです。もはや世代であるとか、日本人であるとか、そういう括りで人を評価することに意味がなくなっています。今の大学生、今年の新卒生でもほんとにトンガっている奴、面白い奴、たくさんいます。1人ひとりの個性は、前の世代よりもよっぽどあります。ステレオタイプにみないで、是非、個々人をみて欲しいと思います。

でも、世の中はこういう見方が好きなんです。また、傾向で把握した方が効率的であるという実務的な側面もあります。
いずれにしても、少なからずこういう見方をする人がいるということは知っておく必要があります。自分たちがそう勝手に定義されているということも知っておく必要があります。そして、そういう人を苦労の末にきちんと見返して欲しいと思います。ろくなものを後の世代に残せていない前の世代の人たちにレッテルを貼られることを悔しく思っていいと思います。もしくは無視しても。ただし、やるからには結果で勝負です。そうしないと、「ほら、やっぱり」という声が聞こえてきます。


《2012年4月7日》 千葉公園にてお花見。結構、空いていてよい感じでした。
【2012/04/07 23:44】 | HRM全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
コマ切れプレゼン ~新卒採用面接に思う
まだ、採用面接をプレゼンだと勘違いしている学生の皆さんが少なからずいます。

アイスプレーキングのために、自己アピールや志望動機を冒頭に聞くというやり方もあるのですが、最近は時間がもったいないのであまりやっていません。その代わりに、あなたがどんな人か何をやっていたのかがわかるように紹介をしてください、といった問を冒頭にすることが多いです。やはり最初はフリーに話してもらった方が緊張が解けますし、この質問は誰でも話せるはずの質問ですし。

でも、この問いに対して、自己アピールや志望動機を話し始める学生がかなりの確率でいます。その回答から、その学生が過ごしてきた全体像がおおよそ把握できて、人となりを想定できるようなしっかりとしたお話をしてくれる人は、少数です。

どうも、相手の質問にきちんと真摯に応えるよりも、相手の質問を自分の用意してきたネタに結び付けて、流暢で感動的なプレゼンをするのがよい面接だと勘違いしている人がまだいるようです。そういう人は、こちらが何を聞いても、嬉々として自分の用意してきたネタに結び付けて語るので、コミュニケーションというよりは、コマ切れプレゼンになってしまいます。

それでは時間がもったいないですし、その人がどんな人だか判断することもできないので、こちらは用意していないであろうということを聞くしかなくなります。でも、そうすると、最初は少ししどろもどろになりながらも、実に味のある良い体験を話してくれる人も結構、います。コマ切れプレゼンを聞いただけでは、怖くて内定が出せなかった人も、しどろもどろの対話の中でいろいろなことをこちらも理解し、良い結論にいたることもあります。

コマ切れプレゼンでも、その内容が良ければ、一次面接はとおります。でも、最終面接は絶対にとおりません。なぜかというと、最終面接は、駄目な人を落とすという視点ではなく、欲しい人を採用するという視点での決断だからです。採用するためには、この人がどんな人なのかをそれなりには理解できた!という確信を持つことが絶対に必要です(現実にはかなり難しいのですが)。プレゼン(整理して用意してきたストーリーのことを指します)をいくら聞いても、これは絶対にできません。ですから、プレゼンをしている時間は非常に双方にとって無駄なのです。限られた時間を通り一遍のシナリオで過ごすと、その人をみる時間が減ってしまいます。結果的にしっかりと見たと感じられない場合、どうしても内定は出せません。プレゼンが長ければ長いほど、結果的には不利になる可能性が高いでしょう。

こんなのが、最終面接官の心理の1つです。

《2011年4月6日》 終電近い新幹線で大阪から帰宅。乗車時間中の9割は熟睡して過ごしました。持参した2冊の本はほとんど手つかず。意外と疲れてるんですねぇ。

【2012/04/06 23:58】 | キャリア~学生・就職・採用 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
挫折経験 ~新卒採用面接に思う
今日は大阪にて終日、新卒の最終面接。気持ちが引き締まります。

今日の面接だけから思うわけではないのですが、新卒採用面接における「???」は採用側もたくさん感じています。そんな環境の中で、私たちも真剣に自社で活躍してくれるであろう人を探し出しています。それが採用活動です。

今回とりあげる「???」は、挫折経験です。
どうも多くの会社の面接官は、挫折経験が大好きなようです。挫折経験があり、それを乗り越えた実績があり、その再現性が期待できれば、企業に入っても頑張ってもらえるという論理の流れはよく理解できます。これはその通りです。でも、就職活動の時期になって、いままで挫折をせずに頑張って成功してきた人より、挫折を繰り返してきた人が、認められやすくなるようなことかあれば、それはちょっとどうなのかなと思います。挫折がなく、成果をあげ、周囲にも感謝されて、ハッピーな人生をあげることができれば、挫折まみれの人生よりも、悪いことは1つもないんじゃないでしょうか。

今や企業の面接の多くは構造化面接的な面接になっています。掘り下げて質問をしていくには、挫折経験はうってつけです。ですから、自称挫折をしている学生は喜々として挫折経験を語りますが、これまで挫折なく過ごしてきた人は逆にかなり控えめになります。ただ、自称挫折には要注意です。挫折経験がないと真摯に悩んでいる人にとっては、とてもとても挫折とは思えないようなレベルのことを挫折経験として元気一杯に語る人もいます。特に同質的な関係での挫折経験、例えばサークル内での事件などは、その同質性がゆえに社会に出ての行動の参考には普通はあまりならないはずです。

でも、面接官には挫折経験ロマンスみたいな馬鹿げた幻想がたぶんあるんですね。

私は学生時代までに挫折経験というのは、ほとんどありませんでした。これは胸をはっていえます。もしかすると、他の人がみると挫折経験と感じるようなイベントはいくつかあったのかもしれません。でも、そんなものを挫折経験と感じないのはとても素敵なことだと思います。逆に喜々として挫折経験を語る方がちょっと違和感を感じます。仮に挫折があっても、簡単に初めてあった他人に対してあれが挫折だなどと語れるものでしょうか。挫折というのは、そんなイージーなものでしょうか。そんな軽いものでしょうか。

大切なのは挫折経験ではなく、金井先生がいうような「一皮むける経験」ではないでしょうか。たくさんの「一皮むける経験」をしたにもかかわらず、それが挫折経験にはいたらなかったのであれば、これは素晴らしいことです。胸をはっていいことです。

日本中の挫折を経験したことのない学生の皆さん。もし、あなたがチャレンジングな人生を送り、1つや2つは「一皮むける経験」をしたような気がすると認識していれば、徹底的に自信をもってください。社会は厳しくつらく、ゆえに愉しい世界です。これからは、たくさんの挫折がまっています。挫折経験のある人が、再現性を発揮してこれからもそれを乗り越えてくれることも期待しますが、挫折経験のない人が始めての挫折経験を徹底的に苦労しながらも、ひょうひょうと乗り越えることもまた期待したいです。

面接官がみるべきは、挫折経験ではなく「経験」そのものです。表面的なストーリーではなく、本質的なストーリーです。

《2012年4月5日》 大阪の「なんでんかんでん」にてお好み焼き。もちろん会長もいました。前事務局は姫路あたりにいたようで、参加できずです。

【2012/04/05 23:55】 | キャリア~学生・就職・採用 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
新入社員研修での7つの約束
今期に入って3日目、昨日の全社キックオフであれこれ話したためか、いろいろな要望がさっそくきてますが、これもすべて期待と受けとめて、メンバーとの連携を図っていきます。

今期3日目ということは、新入社員研修も3日目です。今年も新入社員との間で、1カ月の研修期間中についての7つの約束を交わしましたので、ここに整理しておきます。
いずれも企業人としては死ぬほどベーシックなことです。

その1.約束を守る
社会では約束を守らない人間は信頼をされない。仕事は信頼の上で成り立っている。小さなことでも約束を必ず守る。「次は2時に集合」「明日までに課題を提出」、どれも大切な約束だ。

その2.とにかくメモをとる
とにかく常にメモをとって欲しい(条件反射でメモをとるように体に覚えこませて欲しい)。そして、ときどきメモを読み返し、研修内容を振り返って考えてみて欲しい。振り返ることにより、人は成長する。
※ただし、TPOというのがあるから、世の中は難しい。

その3.元気に挨拶をする
とにかく元気に挨拶をして欲しい。挨拶はマナーの第一歩。マナーは社会人として生きていく上でのパスポート。良い挨拶は、自分も相手も元気にする。そして、愛嬌も大切。愛嬌は新入社員としての最大の武器。

その4.好奇心と発信が大切
様々なことに「好奇心」をもって取り組んで欲しい。受け身、聞き流し、否定的反応ではもったいない。最後には「好奇心」を持てる力のある人が一番成長する。「好奇心」があれば、自然と自分から発信ができるようになる。インプットとアウトプットが一回り大きくなることを人は「成長」という。

その5.必死で本気で取り組む
社会に出て伸びないタイプは、学生時代を要領よく過ごし、社会でもそれで乗り切ろうとする人。社会は要領だけでは通じない世界。研修では失敗を恐れずに、常に80%でなく120%狙いで自分をストレッチさせる。その結果が50%でも何かを勝ち取れれば「勝ち」。それが研修というもの。

その6.自分を理解し、周囲を理解する
社会に出る時には誰しも期待と不安にさいなまれる。そんな自分の声に耳を傾けて、今の自分を理解(セルフアゥエアネス)することも大切。そして、皆さんのことを心配してくれる人のことも大事にして欲しい。

その7.史上最強の同期を作る
今いるメンバー(同期)が、これからも永い間付き合える仲間になって欲しい。それぞれがそれぞれに積極的にアプローチして、史上最強の同期を作って欲しい。友達に、後輩に、誇れる同期であって欲しい。

このあとに、ジョハリの窓の話と、経験学習理論の話をしました。まあ、とりあえずはいい感じの滑り出しですかね。

《2012年4月4日》 明日から無駄に食べるのはやめようと思いました。
【2012/04/04 23:58】 | キャリア~学生・就職・採用 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
現実感のある未来
新卒新入社員研修2日目。今日は予定が狂ってほとんど参加できませんでした。

それにしても、やはり新卒新入社員に会うと、こちらの背筋もしゃんとしますね。がむしゃらに一生懸命に取り組んでくれています。今日の夕方少し話しを聞いてみても、まだまだ課題は多いですが、何とか1カ月で仕上げなければなりません。

彼らは22歳が中心でしょうか。彼らが60歳をむかえるのは2050年です。いろいろな統計が出ていますが、2050年には日本人は9000万人くらいに減って、日本人のうち40%以上が65歳以上の高齢者になる可能性があるようです。

何となく2050年であるとか、日本人がいずれ9000万人を切るとか聞いても、遠い先のように感じてしまいますが、今年の新入社員にとっては「現実感のある未来」なのです。

200年から300年のうちに34mの津波が襲う可能性があるというようなことをメディアがさかんに報道して煽っていますね。でも、超高齢社会は30年もたてば間違いなくやってくるのです。いったいどのような日本になるのでしょうか。

日本中で研修を受けている今年の新卒新入社員には、何があっても頑張れるようになって欲しいですね。そのためには、最初の会社の最初の部署で徹底的に真剣に働くことが一番だと思います。ワーク・ライフ・バランスなんて言葉がなかった時代のように、目の前の仕事にひたすら真剣に取り組み、先輩の言葉に耳を傾け、顧客の思いを心で受け止める、そんな生活の結果、最初の配属が自分を育ててくれたといえるような配属にすることです。

新入社員研修では、そんな気持ちの切り替えをさせてあげて、最初のサバイバルができるだけの武器を授けます。そして、生涯の友となるような同期を創る機会を提供します。
ということで、ではまた明日。

《2011年4月3日》今日は11時間のノングラン会議。千葉方面に行ける電車は壊滅状態でしたが、残業していたら何とかなりました。



【2012/04/03 23:54】 | HRM全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
モチベーション維持・向上の役割が個人に移ることにより…
メンバーのモチベーションは企業の最大の財産だともいえます。ですから、企業はモチベーションをマネジメントしようとします。20世紀の日本企業がとった年功序列賃金も、社宅制度も、家族的な職場風土も、社内預金制度も、究極的にはそれがメンバーのモチベーションを維持・向上するために有効だと認識したからこそ、投資したものだと考えられます。そういう意味では、いにしえの時代には、モチベーションは会社が管理できるものだったと考えられていたのです。

しかし、現在、この関係は完全に壊れています。この崩壊の理由はしばしば成果主義に求められます。それはそれで正しいとは思いますが、もう1つの要因としてライフスタイルの多様化に起因する価値観の多様化があげられると思います。働く旦那+専業主婦+子供2名という標準世帯モデルが壊れたことにより、画一的なモチベーション訴求施策はとれなくなったわけです。

そんな中でも心ある企業や、新しい企業群は別の形でメンバーのモチベーションを維持・向上しようと努力してきました。ただ、誰しもが企業がモチベーションの丸が抱えをすることなんかできないということには気づいてきました。

つまり、モチベーションを維持・向上させる機能の主体が、企業から、従業員個人、私たち自分たち自身に移ったのです。

これはここ数十年間に人事の世界で起こった最大の変化かもしれません。

これに適応できない人も多数生まれました。自分の心の居場所を失い、そしてメンタルの体調を崩していってしまう人の増加もこの文脈からも語れるでしょう。

個人でモチベーションをマネジメントする場合、その対象は会社だけではなくなります。会社での生活で十分なモチベーションを得られないのであれば、他の部分で得る必要があるわけです。極端なワーク・ライフ・バランス論や、個人主義の台頭もこの文脈で語れるように思います。

新たな形のハードワーカーも多く生まれています。しかし、企業はそれらの人に十分なモチベーションを既に与えられません。といいますか、それらの人は企業が与えるモチベーションだけではとても満足できません。そして、外にも出ます。ワーク・ライフ・インテグレーションという概念や、越境学習という行為も、この文脈で語ってみることができそうです。キャリアというものがこれだけ関心を浴びているのも同様かもしれません。

人はなぜ「越境学習」をするのかということをぼんやり考えていたら、こんな話を思いつきました。「越境学習」に自らのモチベーションの維持・向上を求めている人は少なからずいると思いますが、その因果を逆にして考えてみたら、こんな話になりました。まだまだ整理のたりない未熟な考え方ですが、また時間をみてさらに整理をしてみます。

モチベーションを維持・向上させる機能の主体が、企業から、従業員個人、私たち自分たち自身に移ったことこそ、ここ数十年間に人事の世界で起こった最大の変化という切り口は、ちょっと気に入りました。

《2012年4月2日》 入社式です。こちらの背筋が伸びます。すごくいろいろなことを考えました。

【2012/04/02 23:22】 | モチベーション | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
特例子会社の意義
障害者雇用率制度において、障害者の雇用率1.8%の実現が個々の企業毎に求められています。これを現実的に促進するため設けられているのが「特例子会社」制度であり、企業が障害者の雇用に特別の配慮をした子会社を設立し、一定の条件を満たした上で、障害者の雇用の促進と安定をはかることが認められています。この場合、その特例子会社に雇用されている障害者を親会社に雇用されているものとみなして、実雇用率を算定することができるようになります。さらに、特例子会社を持つ親会社については、関係する子会社も含めて、企業グループによる実雇用率の算定が認められています。これをグループ適用といいます。

障害者雇用においては、ノーマライゼーションという考え方があり、これは障害者と健常者とが区別なく、共に仕事をすることが望ましい姿であるという考え方です。これを否定するわけではありませんが、現実的に特例子会社のメリットを注視することは必要です。私も今の企業で1年3カ月前に特例子会社を設立しました。これは明らかに正しい選択であったと今でも確信しています。

特例子会社の最大のメリットは、障害の特性に配慮した仕事の確保と、職場環境の整備が可能になることです。これによって、障害者が無理なく自分自身の力を発揮することがしやすくなります。また、労働時間や労務管理など、1人ひとりにあった弾力的な運用をしやすくなります。さらには、障害の特性をよく理解した管理者を配置することができ、管理者が行政や支援センターや家族とパイプを持つことにより、1人ひとりの働きをサポートしやすくなります。こういった機能をすべての一般の管理者に課すのは、事実上、極めて困難です。また、財務的な支援として、各種助成金を活用することも可能です。

2002年6月に119社であった特例子会社は、2011年6月には319社と大幅に増加しています。この間に特例子会社が雇用する障害者は3205名から10883名と3倍ほどになっています。障害者雇用率の上昇に対する特例子会社が果たした役割は非常に大きなものがあるわけです。この中で特に顕著に増加しているのは、知的障害者であり、同じ期間に7倍もの増加を果たしています。残念ながら特例子会社制度がなければ、今のような知的障害者の皆さんが仕事をするという世界は作れていなかったといえます。

福祉の世界ではなく、企業のビジネスの世界で働いて、貢献して、成果を出して、感謝されて、給料をもらうという労働本来の喜びを得ることができる人を1人でも増やすことは大切なことだと思います。

私が経営している特例子会社は、精神障害の方の雇用を重視しています。まだ多くの特例子会社が精神障害の皆さんを多数雇用することには二の足を踏んでいます。知的の分野で果たしたことを精神の分野でも是非果たすために、精神障害の皆さんの雇用を検討している方々に、見学に来ていただけるような成功事例を積み重ねることも私たちの隠れ使命です。


《2012年4月1日》 靖国神社に行ってきました。ここには東京の開花宣言を決める「標準木」といわれる桜があるのですが、初めて見てきました。これに5~6輪の花が開くと「開花」を宣言するのだそうです。まあ、全体的にはほとんど桜なんか咲いてませんでしたけど。そのあと、神楽坂を散策し、泥酔して帰宅しました。
【2012/04/01 21:32】 | HRM全般 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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