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レトロでアナログな自分のメディア
東京大学の中原淳先生が「「自分のメディア」を持ち、「自分の場」をもつことの意味」というブログを書いていました。やっぱり中原先生、若いんですね。大学生のときにすでにインターネットが存在し、で、高尾先生らと「オンラインジャーナル」を発信されていたと……。

それにしても、その後の世の中の変遷は凄まじく、誰でもがこんなに平易に自分のメディアを持ち、不特定超多数に向けて発信することができるようになってしまったとは。

で、中原先生のブログを読みつつ、すっごい昔を思い出しました。そう、自分が初めて「自分のメディア」を持った時、といっても恐ろしいほどアナログで、かつ残念ながらクローズドでなお話ですが。

皆さん、ガリ版というのをご存知ですか。正式には謄写版といったかと思います。恐縮ですが、上手に説明できないので、ウィキペディアの説明を引用します。結構、マニアックな説明になっています。

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ロウ紙と呼ばれる特殊な原紙(薄葉紙にパラフィン、樹脂、ワセリン等の混合物を塗り、乾かしたもの)を専用のやすり(鑢盤)の上に載せ、ヘラや先の尖った棒のような形状の鉄を木の軸に固定した器具「鉄筆」を強く押し付けて、絵や文字の形に原紙を傷つけて版を作って行く 。この部分は紙の塗料がヤスリ目の形にけずれ落ちて細かい孔がたくさん開き、「透かし」となる。この作業を「原紙を切る」「ガリを切る」などという。面印刷の部分は写真製版の密度の高い網点のような状態になっている。濃淡を作りたい場合はヤスリの山が荒い網点のような配列になったものを使用し、筆圧を変えるなどして孔の大きさで表現する。間違った場所は修正液という薄いニスのようなものを塗って孔を埋め、レタッチを行なう。

刷りでは、木枠に細かいシルクスクリーンのような網を取付け、その下に製版の終わった原紙を置き、ガラス板の上などでインクを練り伸ばしたローラーを手前から転がしてインクを圧し着けて行くと、「透かし」部分だけインクが通過し、下に置いた用紙に印刷されるしくみである。シルクスクリーンのようにスクリーンに版を接着する必要は無い。インクの粘着力でもたせておく。シルクスクリーンが版を切り取ってしまうのに対して、謄写版は面や線の部分も小さな孔のつながりでできているのでこの方法が可能であるが、原紙が線の部分で破れやすく、切れるとすぐに使えなくなってしまう欠点もある。また孔が小さいのでインクも柔らかめにしないとうまく印刷できず、いつまでも乾かないようなインクも多く使われていた。
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なんかすごい原始的に聞こえますが、プリントごっこが巨大になったような印刷機です。ある意味、版画ですよね。すべて手作業なので何も機械的な要素がないため、意外とかさばりません。あれ、そういうとプリントごっこも知らない?

で、高校一年生の時に名古屋に住む祖母に、ガリ版セット一式をプレゼントしてもらったのです。きっと、ずっと欲しい欲しいっていっていたんでしょうね。自分の部屋にガリ版セットが来た日は嬉しかったですよ。確かB4判までの印刷ができたと思います。当時の日本はB判全盛期でしたね。

ガリガリと鉄筆を使っての執筆活動が始まります。こうやって手に入れた文明の利器によって、メディアも一緒に手にいれることができたのです。まずやったのは、学級情報誌の出版。新聞ではなく週刊誌のテイストでタイトルは「週刊いちびい」、ほんとにきちんと毎週出していました。自宅で印刷してはクラス全員分を学校まで持って行くわけです。まあ、歩いて10分ほどのところに高校はあるのですが。ただ、紙の印刷メディアでしたから、どうしても露出対象は拡大できません。というか、40名分を印刷するのも大作業です。ホチキス止めだけでも大変な労力。不思議な高校生でしたね、今から考えると。マイ謄写版印刷機を持っていた高校生は日本中探してもそんなにいないと思います。

ただ、よくよく考えると、小学校の頃から勝手に壁新聞を創って、教室に貼りだしていました。あの頃、インターネットや、ブログや、ツイッターや、フェイスブックがあったらどうしていたのでしょうか。大学時代に携帯電話とワンボックスカーがあったら楽しかっただろうなぁというのと同じくらい、楽しかったかもしれません。

《2012年4月10日》 なんか年度早々、あれこれ降りかかります。まあ、いいか。
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【2012/04/10 23:58】 | キャリア~全般 | トラックバック(1) | コメント(1) | page top↑
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