このブログでも何度か書きましたが「ワーク・ライフ・バランス」という言葉があまり好きにはなれません。
多くの方が似たようなことをいっていますが、ワークとライフがシーソーの左右にいてぎりぎりの均衡を保っているような、ワーク立てればライフ立たずみたいな、ワークとライフのどちらかが増えればどちらかを失うようなイメージが好きになれません。 慶應義塾大学SFC研究所キャリアリソースラボラトリーの先生方は、「ワーク・ライフ・インテグレーション」という言葉を使います。これはかなりしっくりときます。ちなみに私はHONDA車が好きで、以前には「インテグラ」に2台続けて乗っていました。すみません、まったく関係のない話です。今はこれも2台目の「ステップワゴン」です。 さて、先週参加した【ちゑや】ライブ。一緒のグループになった方から伺ったのですが、その方のいる会社では「ワーク・ライフ・フュージョン」といっているそうです。これもなかなかいいですね。この会社、音楽系の会社ですから、なお素敵です。 そういうと、ワークスアプリケーションズ社のコンサルタントの結婚式で「ワークス・ライフ・アンバランス」という名スピーチをされたユーザー・コミッティの方もいました。 もっともっとこの言葉、楽しめそうです。 スポンサーサイト
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水曜日から8月です。私のいる会社では、毎月20名ほどの入社があるので、月初の3日間にわたって中途導入研修を行っています。
中途入社社員が、立ち上がり早く実力を発揮してもらうためには、会社に早く「慣れて」もらうことが大切です。「慣れる」というのは「適応する」ことであり「組織社会化する」ことでもあります。 中途導入研修の冒頭で、毎月「ジョハリの窓」の話をします。 おなじみの理論ですが、自らが「知っている(わかっている)」「知らない(わかっていない)」、他者が「知っている(わかっている)」「知らない(わかっていない)」の2軸で、マトリクスを作り、2×2で4つの窓を提示する考え方です。ところで話は横にそれますが、最近の若手は、2×2のマトリクスを「窓」のメタファーで語ることがなかなかピンときません。確かに、窓ってさまざまな形ですからね、今や。ガラス産業の技術革新がメタファーを変えていくわけです。ですから、必ず「昔の窓はね」といった前置きが必要になっています。 自分も他者も「知っている」のは【開かれた窓】(OPEN SELF)。 自分は「知っている」が他者は「知らない」のは【隠された窓】(HIDDEN SELF)。 他者は「知っている」が自分は「知らない」のは【気づかない窓】(BLIND SELF)。 自分も他者も「知らない」のは【未知の窓】(UNKNOWN SELF)。 入社初日には、【開かれた窓】が、最近にはないほど小さくなっています。自分の食べ物の好みもITスキルも得意な仕事も家族構成も、何もかも知らない集団の中に一人は行ったのですから。転職が成功するかしないかの大きな分かれ道の第一歩は、ジョハリの窓の【開かれた窓】をいかにして大きくできるかどうかだと思っています。 そのためには方法は2ついかありません。【隠された窓】の側に拡大する「自己開示」、【気づかない窓】の側に拡大する「フィードバックを受ける」の2つです。これをそこそこ上手に行うことができれば、組織に「慣れる」こと、「適応する」ことができます。これは精神衛生上の観点からも大切なことです。素直でオープンなスタンスですね。 ただ、ここで「過剰適応」という問題があります。「過剰適応」してしまった状態が「同化」だといってもいいでしょう。「同化」してしまっては、その人の歩んできたキャリアや、その人の独自性や持ち味が消えてしまいます。それなりには戦力になるのですが、その人にとっても会社に実はとってももったいないことです。 慶應義塾大学の高橋俊介先生がかねてから「適応すれども同化せず」と話されていますが、まさにそのとおりかと思います。 最近では外部の勉強会に足を運ぶと、転職経験がない人の方が圧倒的に少数派のことが多いです。これはきちんと調査すると面白いと想うのですが、転職をするという経験が「外で自ら学ぶ」ということの必要性を認識させる効果を持っているのは間違いないと感じています。多くの転職がハッピーであって欲しいと思います。そのためにも、【開かれた窓】を大きくする努力をして「適応」しつつも、「同化」はしないというスタンスを推奨します。 |
第9回キャリアデザイン学会の研究大会は、仙台市内の東北学院大学にて9月15日から16日の2日間に渡って開催されます。
初日である9月15日(土)13:30-15:15の時間帯にて、企業テーマのワークショップを担当することになりました。何を誰とやろうかなぁとあれこれと思案していました。キャリアというのは人と人のつながりがあるからこそ生まれた概念なんだと思います。人類が1人しかいなかったらキャリアという言葉は生まれなかったはず。などと意味不明のことを考えていたら「つなぎビルダー」という肩書をもった人が、キラッと脳裏に浮かびました。で、即刻、その方にご連絡をさせていただき快諾、この方の深い理解者でもあり、キャリア関係仲間でもある方、要は巻き込みたい方にも連絡をとったらこれもすぐに快諾。ということで、これが実現します。そう、【ちゑや】の中村ご店主、キャリアデザイン学会に登場です。 仙台という距離のある場所であること、学会という非学会員からはそこそこの料金を徴収する場であることから、お出でいただくのはちょっと骨が折れるかもしれませんが、前夜祭か後夜祭もやりたいと思いますので、是非皆様手帳のチェックをお願いします。趣旨と思いは、ご店主に先日、お好み焼き屋で伝えています。詳細はこれから練っていきますので、つくり側として一緒に動きたいという方がいらしても大歓迎です。 当日は、私も参加しているCDCのメンバーも午前中に1つ、学会発表をさせていただきます。昨年、大学生たちと取り組んだ研究トライアルの成果報告になります。 まだ、詳細はリリースされていませんが、大会の概要は学会のHPをご確認ください。申込もそちらからできます。 |
大学時代は申し訳ないですが、あんまり勉強はしませんでした。特に大学3年、4年は毎日のように大学にはいっていましたが、授業にはほとんど出ませんでした。大学1年生の時に受講した「情報処理」(だったと思う)の先生が最初の講義で「大学時代は4年間のモラトリアムの時期だ。何をするも自由だ。自分の授業に出るよりも大切だと思うことがあれば、授業なんかに縛られなくていい。でも、必ずレポートは出せ。レポートを出すための勉強はしろ。そうすれば単位は出す。とにかくいい大学生活を送れ。」(都合のいい記憶による意訳)というようなことを語られたので、すっかりとこれに感銘を受けて、4年間を過ごしてしまいました。あの頃に勉強をしておけばよかったと思わないこともないですが、勉強なんかしたければ今からやればいいだけのことなので、もちろん何一つ後悔はありません。
でも、大学3、4年のゼミだけはしっかりと出ました。たぶん皆勤です。なぜかというと、いろいろな意味で面白かったからです。 話は急に変わりますが、先週の金曜日に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの花田光世研究会17期の皆さんと飲みました。 ~~~そういうとゼミのことを「研究会」という大学がありますね。あっあと、ゼミのメンバーを「ゼミテン」というのはどうやら一橋用語らしいです。他の大学にはまったく通じません。卒業して20何年かたってようやく気付きました。~~~ 話を戻します。私は他の仲間2人と一緒にこの花田研究会17期の社会人メンターというのをつとめていました。5、6年くらい前のことでしょうか。たまたま先日、当時のメンティの1人から再就職が決まったとの連絡をもらい、話がどんどん広がり全メンバーで飲もうということになりました。当時の社会人メンターの役割は、彼らの研究に対してあれやこれやとアドバイスをすることです。研究会では企業についての研究課題が与えられているので、企業を知らない彼らに企業のほんとの様子を教えること、研究の進め方に第三者的に意見をいうことなどが役割だったでしょうか。それは結果的に、社会人の生きざまを伝えることにもなりますし、仕事をするとはどういうことなのかを伝えることにもなります。 それにしても彼ら、実に激しく研究をやっていました。文字通り寝る間も惜しんで次の発表に備えます。この年齢で詰めてそういうことをやるのって素敵なことだなぁと思い、こちらも仕事の合間にできる限りの協力をしたくなります。これはもう強い仲間意識も創られるわけです。何か同じことに取り組んだ「同志」ってやつですね。学内でゼミをやっている時間は彼らの活動全体の数分の1です。大学という場・枠を超えて動き、考えているのです。 自分がゼミに入ったのはもう30年近い前になるんでしょうか。比較的同じ価値観の人が集まるサークル、体育会、麻雀仲間などと比較すると、ゼミの魅力の1つは多様性です。たぶん、同じゼミにでもならなきゃ、絶対に付き合わなかっただろうなという奴が何人かはいました。 でも、そんな奴らと合宿にいったり、議論を闘わせたり、一緒に何か取り組んだり、ぐだぐだと飲んだり、何となくテニスをやったりするのです。それも結構、濃厚に。ゼミは大学生活における「ホーム」でした。その時間がくるのはまったく苦痛ではなく、一週間の愉しみであり、自分の発表も愉しみでした。特に熱心に研究に取り組んでいた学生というわけではなかったのですが、やっぱり心理的な「ホーム」なんですね。人間関係的にはサークルの仲間の方がより濃厚ですので、私にとってはべたべたではない「ホーム」でしょうか。それがまた貴重なのかもしれません。とにかく、ゼミに入らないという選択があったのであれば、私の大学生活はより薄いものになったと思います。 「企業が新卒採用の場において、出身大学の名前よりも出身ゼミの名前を意識する時代がきっとくる」。言葉は少し違うと思いますが、もうずいぶんと前になりますが花王の丸田元社長が新聞のインタビューで答えていた話です。まさにそんな時代が到来しつつあります。どのゼミにいたかを知る人がきけば、そこで何が求められ、どんな生活をしてきたのかが類推できますが、大学名では確かに何もわかりません。以前であれば、大学名で地頭力程度は類推できましたが、推薦・AO比率が高まることにより、それすら曖昧化していますし。だからといって、就職のためにゼミを選ぶという時代になるのは本末転倒なのですが。 いずれにしても、大学選び以上にゼミ選びは大切になっています。そして、それ以前にゼミに入らなくても卒業単位がとれる学部であっても、とにかくゼミにだけは入ることをお薦めします。もちろん、人によってはそれよりも素敵な大学生活の送り方はあるはずですので、すべての人にいうわけではありませんが。 飲み会から1週間以上過ぎてからのリフレクションでした。 皆さんの社会人生活がより自分なりに素敵なものになることを祈念します。また、飲みましょう。 |
キャリアカウンセラーのGCDFのコースが、この7月開講分から変わっているそうです。厚生労働省の標準レベル能力要件の見直しに対応するものでもあるのだと思いますが、結構、大きな変更になっています。
この変更に伴い、私たちクラス・クライアント役(クラスにクライアントとしてロープレ相談にやってくる人たちです)も3段階からなるトレーニングを受けました。1月のSTEP1、2月のSTEP2を経て、選抜試験を受検、合格者のみが6月にSTEP3を受講し、約半年近いトレーニング期間を終了しています。だめだめだったのですが、何とか最後まで私も受講できました。 私からみた大きな変更点は、下記のとおりです。あくまでも私が聴いた(と思っている)ことの整理ですので、正確には協会のHPなどでご確認ください。 1.ヘルピングをカウンセリングと称することに 単なる用語の問題ですが、なんか一番最初に書きたくなってしまいました。GCDFを取得した方にとっては、最初はなかなか馴染まないものの、何となくヘルピングと呼ぶのがGCDFのアイデンティティのような感じもあり、郷愁をそそられる部分です。ヘルピングの意味合いはそのままに今後は普通にカウンセリングと呼ぶことになります。 2.ヘルピング(カウンセリング)の5ステップ・プロセスの変更 従来は、①関係構築、②アセスメント(査定・評価)、③目標設定、④介入、⑤終了・フォローアップ の5つのプロセスでしたが、これが6つになります。それは、①関係構築、②問題の把握、③目標の明確化、④方策の検討、⑤意思決定と行動化、⑥終了 です。一つ一つのステップが独立的にあるのではなく、常に続いているのは従来とおりです。従来のステップは何となく翻訳調でもあり、新しいものの方がかなりしっくりとくる感じがします。既にスーパーバイザー養成講座はこれで進められていたからかもしれませんが。 3.総学習時間が130時間から140時間に ただし、受講時間を増やすということよりは、ホームワークの増加という形で対応されるようです。12日間のコース設定には変更はありません。 4.新たな学習項目が追加 人事管理、メンタルヘルス、カウンセリングが強化され、キャリア教育、若者(自立困難な若者)支援、ジョブカード の内容が追加され、それによって12日間の編成が大きく変わっています。従来、2日目・3日目・8日目・9日目に実施されていたヘルピング(カウンセリング)の講座は、2日目・3日目・9日目・11日目に再編成されます。 5.カウンセリングは関係構築中心から後半過程まで どうしても関係構築までが中心だったヘルピング(カウンセリング)について、後半部分、特に「問題把握」のステップまではきちんと習得するようなコースになっています。とはいっても、関係構築だけでも大変なことですので、消化不良にならないかは心配です。そのためにも、カウンセリングの4日間の内容が大切になってきます。この変更に伴って、ロープレのやり方、内容も変わってきます。クラスクライアント役の役割も出番もかなり変わってきます。できれば、早めに実践をしつつ慣れていきたいと思います。 ざくっとこんな感じでしょうか。事務局は相当な苦労の末に変更を終えている(というか走り出した今月からがさらなる勝負)のですが、内容的には格段にさらに良くなっている感じです。他のキャリアカウンセラーの資格に比較して、概して「重たい」と思われがちなGCDFですが、今回は重さは変わらずに良さがさらにアップしています。別に宣伝をするわけではありませんが、本当に力をつけるためには、GCDFを推薦します。ただ、GCDFを取得したということは、単に支援の入り口に立ったということでしかないのも事実です。 果てしない道への出発なのです。 |
慶應義塾大学丸の内シティキャンパスで開催されている「ラーニングイノベーション論」。私は3年前に第1期生として参加しましたが、今、第4期が走っています。この学びの場、どんどんOBからスピンオフ企画が生まれてきます。一連のセッションが終わっても、おそらく永遠に終わらないコースなのです。ということで、今月は現役生の第4期の方が新たな企画をしてくださいます。7月28日に開催予定なのですが、そのワークショップにお招きするのが、本書の著者の加藤昌治氏、ということで事前に著作を読ませていただきました。
「考具」というのは「考えるための道具」を意味する造語です。 かくも私たちの仕事が「考える」ことを求められるようになっているにも関わらず、そのための「道具」というものには確かにあまりフォーカスされて来なかったといえます。本書が書かれたのは今から9年前の2003年、この9年間で「考えること」に道具(ツール)が必要だという感覚はかなり(本書の貢献もあり)拡がってきているとは思いますが、2003年当時では「考えるための道具」という発想は今よりもさらに存在していなかったはずです。本書はそんな時代に書かれた、著者の実践論からくる「考具」紹介になります。 さまざまな「考具」も参考になったのですが、私が一番「なるほど」と感じたのは、実は第1章の「アイデア」についての一連のお話です。 まず、インダストリアル・デザイナーである川崎和夫氏が語ったデザインについての話を引用されます。 『最初に自分がああしたい、こうしたい、という欲求からデザインは始まるんだと川崎さんは考えています。「わがまま」とは「我=自我」を「まま=思うまま」にすることである、とも。そしてデザイナーは、抱いた自分の欲求を周りの人、すなわちデザインをしようとしている道具やモノを使う人がどう思うのか、実際のユーザーにとって使いやすいのかどうか、を厳しくチェックする。この「思いやり」のステップを踏まないといいデザインは生まれない、と主張されています』。(P23) そう、何よりも大切なのは、 『今、目の前にある課題に対して、あなた自身はどうしたいのか?』 という問です。確かにこの発想なくして熱意と迫力のある企画は生まれるわけがありません。これは、私たちの仕事すべてにいえることです。川崎氏のいうデザインというところを「人事制度」にしてもいいです、「能力開発体系」にしてもいいです。人事の仕事だって、皆、同じことです。 どうしても問題解決的な目線から仕事に入ってしまいがちな私たちを振り返ると、『最初から周りがどうの、状況がどうの、と条件づけから始まる会議や打ち合わせが多いのではないでしょうか?』(P24)という疑問が確かに出てきます。状況分析を仔細に事前にしてしまい、がんじがらみになったりしていませんか?。関係者へのヒヤリングを多くし過ぎて動きが取れなくなっていませんか。それらはもちろん必要なことです。そう「思いやり」として。 でも、最初に「わがまま」な時間が必要です。自分が何をやりたいのか、何が必要だと本当に考えているのか、そこをピュアに自分につきつける必要があります。そして、企画を練り続ける中で様々な「思いやり」を入れていくのです。さっそく、この発想を来週の人事内会議に適用してみたいと思います。実は、今日参加した営業戦略会議の中で、これと少しシンクロする概念をもらいました。それらを融合させて、新しい仕事の進め方を考えてみるつもりです。 そしてもう1つ、第1章の「アイデア」についての話の中で心に残ったことがあります。 『アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない』(ジェームス・ウェブ・ヤング著「アイデアの作り方」より) なるほど、私たちは「アイデアを出せ」といわれると無から何かの物質を生み出すかの如く、新奇性、まったく新しいものを求められているように思ってしまいます。そして、その結果もがき苦しみ続けることになります。でも「既存の要素の新しい組み合わせ」なのであれば、何となく手が届きそうです。いかに既存の要素を集めるか、いかにそれらを組み合わせて価値を生み出すか、の勝負になります。 でも、先の短文にはもう1つ曲者の言葉があります。それは「新しい組み合わせ」です。そう、既存の要素を組み合わせて「既存の組み合わせ」を作っても、それは確かにアイデアとはいえないでしょう。じゃ「新しい」って何でしょう。世の中にかつて存在しなかったようなものを生まなければ「新しい」とは呼べないのでしょうか。これはまたものすごいハードルです。 ここでも著者は、違った見方をしています。私たちビジネスパーソンが日々の真剣な業務の中で必要としているのは、大発明家でも大発見家でもありません。業務に役立つ実践的なアイデア・企画なわけです。自社のビジネスに役立たせることができれば成功です。その意味では「自社にとって」新しければ、それは「新しい」のだと著者はとらえているのです。 この「新しい」によって、私たちは多くのイノベーションを成し遂げてきました。ある産業では既に適用されている思想・技術などを他の産業に「新しい」ものとして導入することに劇的なビジネス上の成功を呼ぶ、そんな例は数多くのあるのではないでしょうか。他社のやり方や技術を自社なりのオリジナリティを交えて導入し、本家を凌ぐシェアを得たという企業も数多くあります。少しでもいいから、自分たちにとって新しければそれは「新しい」といえるわけです。こう考えると、私たちの周囲はアイデアの素の宝庫になります。 私たちが組織で仕事をするにあたっての存在意義は、昨日よりも今日、何か自組織にとってプラスになる「新しい」価値を提供できたかどうかにあると私は思っています。そのために明日からも「既存の要素の新しい組み合わせ」作りを愉しく必死に続けたいと思います。
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昨日はサウスタワーのリクルートさんにて『Worksの続きの話をしよう』と称する「Works」読者の会、20数名のこじんまりとした素敵な会です。
テーマは少し前の号で特集されていた「ミドルの活性化と自己信頼」。このテーマで参加者同士で対話をします。知った顔もちらりほらり、とっても久しぶりにお会いする方もいました。私は30分の遅刻、実はこの会、素敵なワインを飲みながら進めるのが魅力なのですが、すでに冒頭のなごみタイムは終わり、自己紹介に入っておりました。 さて「ミドル」の問題ですが、私にはなかなかすっきりといきません。年齢と昇進がゆるやかとはいえ相関していた昔の時代においては、「ミドル」とは年齢層でもあり職位層でもあったのです。そしてゆるやかにではあるもののこれが堅持できている日本企業もまだ多くあります。「Works」誌は便宜上年齢で整理していましたが、35歳から49歳がミドルだといいます。ということは、49歳11カ月の私としてはあと1カ月のミドル人生だということになります。そして、一夜にしてミドルからシニアに生まれ変わるのです。これはなんともすっきりしませんねえ。 で、ワークショップの最初に「ミドルを何か生き物に例えて絵を描きましょう」とのお題が出ました。皆さん、いろいろなものに例えておられますが、なんとなくネガティブなイメージが強いようです。会場にいた人の3分の2以上がミドルでしょうか。 で、私が描いたのは「透明人間」。 とはいってもこれは透明なので描けませんので、例の昔の映画なんかでありそうな包帯をぐるぐる巻いて輪郭を表現している奴です。私の主張としては、「ミドル」なんて実態がない。いまや年齢と職位なんか一致しない。生物学的にも40代後半で第一子を育む人もいるし、孫ができる人もいる。ましてや独身だって当たり前。要するに年代モデルというのは、意味がないというか、議論をミスリードするだけです。でも、集団的人事管理に慣れた人事部やマスコミは、どうしてもカテゴライズしてタイトルをつけて…というところから離れならないのです。それはそれで便利なところは間違いないのですが、もうそろそろいいんじゃないか、もっと個人にフォーカスを当て始めてもいいんじゃないか、などと思ったので「透明人間」になったわけです。そもそも見えないものに無理に輪郭をつけているのが、ミドル論なんじゃないかということです。 途中でWorks研究所の笠井研究員から、「自己信頼」についての研究データの発表がありました。自己信頼とはWorks研究所の造語なのですが、なんとなく意味は伝わりますよね。この自己信頼をいかに持っているかという年齢相関グラフが提示されたのですが、見事に40代が底になるV字グラフになります。これをみて多くの方の解釈は40代はやはり課題のある世代であり、人事として何か対応を考えなければならないといったことになるのかもしれません。でも、単純にこのグラフだけをみると、40代はウハウハの時代だと私には入ってきました。グラフ上ではなんといっても50代60代70代とこれから「自己信頼」はあがるばかりなのです。どんどんいい時代がやってきます。今をしのげばあとはあがるだけなわけです。まさにウハウハですね。 その後グループディスカッションに移りますが、40代ウハウハ説については誰一人感覚的には受けられられません。私も同様です。ひょっとするとこのグラフは年代差をあらわしているのではなく、世代差をあらわしており、10年後には50代がボトムになるのではないか…、などという今の40代にはとても悲観論な解釈も出て来ます。 でも、嬉しいのは20代30代の数値が結構高いこと、彼ら彼女らは未来にけして悲観はしていないと考えられるのです。ただそこで笠井研究員から「このデータは有職者のみからとっているので無職の若者が入った場合、どんなグラフになるのかは何とも…」と冷静な発言が来ます。 そんな議論の中で、プレートテクスニクス理論をミドル論に流用する意見が出ます。日本近海では比重の重い太平洋プレートが、比重の軽い北アメリカプレートにもぐりこんでいます。そこで生じるひずみによるプレートのずれを補正するために地震が起きるわけです。なんてことを小学校の頃に亡き小松左京の「日本沈没」で読んで驚愕したものです。 ミドルは今はもう幻でしかない既存の価値観をまだ背負っています。40歳くらいには管理職になるよね、とかいう価値観です。だから漠然とした期待と現実とのギャップが40代を元気でなくしているのではないかというのがこの話の前提です。ミドル以降の世代はすでにそんなこと期待するもんじゃないよ、と割り切り、開き直っている、もしくはそんなことがモチベーションになんて微塵もならないという人たちも多く生まれています。そして現実は間違いなくそう変わっているのです。そんなギャップの真っ只中にいるミドルは、大陸プレートのぶつかり合う場所に位置しているというメタファーがこの議論です。 いずれにしても、私個人としては、あと残り1カ月しかないミドルライフをしっかりと謳歌したいと思います。 |
今朝、ものすごい朗報が届きました。イタリアのナポリで開催されていた真のナポリピッツァオリンピックで日本人が何と2部門で優勝、全部あわせて5名が3位以内に入賞、そして日本チームとしても総合で銀メダルという快挙を成し遂げました。
日本支部から出ているプレスリリースを転載します。 *************プレスリリースより************* 2012年7月6日 「真のナポリピッツァオリンピックで日本人二人が優勝、日本チームは総合で銀メダルを受賞しました」 この度「真のナポリピッツァ協会(本部イタリア・ナポリ市)が7月3~5日に主催した「第一回真のナポリピッツァオリンピック(於ナポリ市)」にて当協会日本支部(東京都中央区・会長西川明男)の有志13名が参加をし、輝かしい成果をあげることができました。詳細は以下の通りになります。 クラッシック部門優勝: 大岡修平ピッツァリーヴァ(広島) クラッシック部門3位: 野田正弘マガジーノ(奈良) プレゼンテーション部門優勝: 小松正和ダ・マサニエッロ(宝塚) ファンタジー部門2位: 藤原秀雄ピッツェリア・デル・レ(神戸) マストゥ二コーラ部門3位: 中村拓巳ピッツェリアGG(東京) 協会日本支部は、ピッツァ発祥の地ナポリに本部を置き、ナポリピッツァ(Pizza Napoletana)の品質と伝統をかたくなに守る「真のナポリピッツァ協会」の世界で2番目の支部として、2006年9月に誕生しました。それ以来、国内での新規認定店の事前審査、ナポリピッツァの啓蒙等に取り組んでおり、現在の国内加盟店は39店を数えます。また、日本で初めてのナポリピッツァの技術書籍として旭屋出版より発刊した「真のナポリピッツァ技術教本」も好評のもと重版を続けています。 *************プレスリリースより************* クラッシック部門優勝の大岡修平さんは、フェイスブック上で長いこと、手ごねを含めていろいろと対策を練られているのを拝見していたこともあり、ニュースを受けたものとしても感無量です。それにしても、日本のナポリピッツァのすそ野は広がっています。素晴らしいです。 是非、ロンドンオリンピック選手団も出国前にナポリピッツァを食べて、あやかってください。 |
「『人材教育』誌」×「【ちゑや】」×ポッカサッポロ×お好み焼き協会。こんな不思議な組み合わせが、なりゆきでできることをとてもありがたく思います。そして、何らかの「つながり」が生まれ、続きます。
昨年から4カ月に1回だけですが、『人材教育』誌に書評みたいなのを書いています。連載とはいえないような簡単なものなのですが、こんなことにもきちんと優秀な編集者がついてくれます。ずーっと、メールでの校正などのやり取りだけが続いていたのですが、今日、初めてお会いしました。実はこの方、転職が決まり、私との仕事は既に発刊された7月号が最後、初対面の送別会といった感じになりました。自分なりにいろいろと学びを与えていただけた方だけに、本当に感謝です。新たな立場で、いい本が世の中に出ることを愉しみにしています。 【ちゑや】的なもの(?)について、1年間のお休みを経て、まじめにやろうと思っています。で、ご店主に本日は相談。さらには、9月の【ちゑや】inキャリアデザイン学会の打合せ。で、ちょうどいいから、『人材教育』の皆さんとご一緒しませんか、と。 土曜日の勝沼のワイナリー、ご案内いただいたのはポッカサッポロで本当に前向きに合併作業に向けて動いている方。何となく、久しぶりに【ちゑや】店主と会ったらいいんじゃないかなと思い、直前にお誘いして快諾。 皆が集まる場は、麹町の「文字平」。ただ、そんな日でした。うん。 |
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