1日空きましたが、キャリアインテグレート研究会でお話した「越境学習」についての続きを整理します。残しておかないと忘れちゃいますからね。
まずは前回の復習からです。東京大学の中原淳先生は著書「職場学習論」の中で、「越境学習」を下記のように定義されています。 『個人が所属する組織の境界を往還しつつ、自分の仕事・業務に関連する内容について学習・内省すること。』 そして、越境学習の背後に存在するニーズとして以下の2つを示されています。 【越境学習の背後に存在するニーズ】 ①.企業の競争優位を支えるイノベーションへの渇望 ②.組織を超えたキャリア開発・能形成への渇望 なるほどという感じです。私はいろいろな人と外での学びについて話すとき、究極的には人が何かに踏み出す時は2つの理由しかない、「越境学習」だって同じだといっているのですが、これが中原先生の2つのニーズに対応するなぁと思っています。 【人が何かに踏み出すたった2つしかない理由】 ①.役に立つから ②.愉しいから これに対して諏訪先生からは、「好奇心」ってのもあるんじゃないかと指摘をいただきました。確かにそうです。自分的にはこれは②に入れちゃってるんだと思います。正確には、「愉しそうだから」であり、何が起こるかわからない好奇心的なものも愉しみに入れて無意識に考えてしまっているようです。 「越境学習」ももろに合目的的ではなくても「役に立つ」ために外に出るということ(中だけではだめだという思いも含めて)は間違いなくあります。でも、だからといってつらい修行ばかりというのではなかなか続きませんし、貴重なお休み・夜間を費やすにはちょっとつらいかもしれません。 合目的的でありすぎても学びは少なく、安易に愉しみに流れ過ぎても(もしくは居心地の良いサードプレイスに傾斜し過ぎても)学びは少ない、そんな気がします。 東京大学の館野さんが調査された結果を拝見すると、「社外の学びの場への参加理由」の上位3つは ①自分の知識や技術の専門性を高めたいから ②新しいアイデアや着想を生み出したいから ③多様な人と出会いたいから となっていました。この3つ、軽重はあってもいずれにも「役に立つ」と「愉しい」の双方の要素があるようにも感じます。 さて、当日はこんな話をしたあと、ちょっと自分の話をしました。これはブログではとりあえず割愛しますね。そして、そのあとは「越境学習に関する15の雑感」と題して、あえてかなりシニカルに「越境学習」というものについてコメントしてみました。 タイトルだけ列挙しましょう。 ①越境のイメージ ②越境学習インターンシップ ③洗練される異境 ④越境学習の浸透と拡散 ⑤越境の場のホームグランド化 ⑥キャリア研修とかでみる図 ⑦モチベーション自律の時代 ⑧越境学習=草野球論 ⑨ただ外に出ればいいのか ⑩越境学習のねじれ現象 ⑪テニサー化する越境学習 ⑫イノベーションの視点から ⑬特権階級の越境学習 ⑭異端者の越境、戻る場所 ⑮専門家の必然 ⑯腐敗と発酵 ⑰それでも怖い越境 ~川の向こう側 それぞれ何を語ったからイメージつくでしょうか。数が15になっていないところが、またいい加減でいいですね。これを毎日1つずつ振り返って書くと、ブログのネタが半月持ちます。ただ、書いている方もちょっと飽きそうですね。 さて、話は変わりますが、明日は経営学習研究所(MALL)のイベントがあります。私が担当しているsMALLラボの第1回企画として『「MALL☆ドラムサークル ~MALLと一緒にドラムサークルを体感し、人材育成について考える~」』を開催します。 多くの皆様が、日曜日だというのに「越境学習」に訪れてくださります。1人ひとりの参加者が何を思い、何を求めてその場にいるのか、そしてその場で何を感じられているのか、何を考えられているのか、きちんとこちらも感じ、考えていきたいと思います。「場をつくる」というのはそういうことなんじゃないかとも思います。 ということで、今日はこんなところで。 スポンサーサイト
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火曜日は法政大学にてキャリアインテグレート研究会という学びの場があり、スピーカーとしてお邪魔してきました。これは、もう始まって3年になる会で、法政大学の諏訪先生を中心にキャリアに思いのある方が集まっています。比較的企業人事の方が多いようです。
事務局から依頼されたテーマは「越境学習」。でも、自分は自分が越境学習者といわれることを否定しているので、タイトルは「決断しないキャリア、つながるキャリア 」としました。ただ、話す内容を考えている頃に中原淳先生の新著「経営学習論」を読んで刺激をいただいてしまったため、結果的には「越境学習」について語ることになりました。ちなみに当日の参加者の皆様に「越境学習」って知ってますかとたずねたところ、7割程度の方の手があがりました。それなりには浸透してきた言葉ですね。 「経営学習論」の中で中原先生が整理されている「越境学習」の定義は以下のとおりです。 『個人が所属する組織の境界を往還しつつ、自分の仕事・業務に関連する内容について学習・内省すること』。 なるほど、シンプルに整理されています。まあ、定義ですからそりゃそうでしょうか。でも、わかりやすいです。 インテリジェンスHITO総研の須東さんは、「越境学習」の効能についてHITO総研の機関紙の「ミドルの未来」という記事の中で下記のように語られています。 『専門性を高める「適切なキャリア行動」として、特に興味深いのは「社外の専門家等との交流」であるという点だ。一方で、社内人脈からの学習はキャリア成果の向上と統計上有意な差がない(効果がない)』。 さらに、実務家でありつつ研究者としても活躍されている石山さんは、やはり「越境学習」の効能についてダイヤモンド書籍オンラインで、以下のように整理しています。 『なぜ、越境学習に効果があるのでしょうか。筆者はその最大の理由として、越境学習には自発的な人々が集まり、お互いに刺激をしあうという効果を挙げたいと思います。(略) しかもそれだけではなく、越境学習によって社内の同じ職場だけではわからない多様な価値観、最新の情報を得ることができます。不確実で環境の変化が激しい時代に、社内の同じ組織文化に馴染んだ人とだけしか付き合わなければ、柔軟に環境変化に対応できなくなってしまうでしょう』。 この分野の研究を深めている舘野泰一さんは共著「職場学習の探求」の中で、社外の学びの場への参加理由を提示してくれています。そのトップ3は、 ①自分の知識や技術の専門性を高めたいから ②新しいアイデアや着想を生み出したいから ③多様な人と出会いたいから であり、「職場の中にいるとストレスがたまるから」「転職・起業に役立てたいから」「漠然とした不安があるから」といったネガティブな要素は少なかったと貴重なデータを提供されています。 実践共同体の研究の第一人者である荒木淳子先生は、外での学びを個人のキャリア観に結びつけてとらえています。 『社外の勉強会などに出ることは、自らの仕事内容やキャリアを他者に説明する機会となり、それがキャリア確立に寄与している』。 そして、法政大学の長岡先生の越境学習についての語りです。ニヤリとさせられます。 『あくまでも「越境」とはメタファーであり、その意味を「職場(組織)外での仕事経験」のみに限定して理解することは、「越境」という概念の可能性を狭めてしまうことになりかねません。大切なのは、「越境」という新たな概念の曖昧さを受け入れた上で、「越境学習」に関する狭い範囲での理解を前提とした安易なツール化・メソッド化を拒絶し、その概念から導き出される新たな可能性をじっくりと吟味することだと、私は考えています』。 さて、多くの方の語りを引用しましたが、実はこの方々が「越境学習」を語る上での今のところの主要登場人物だといえます。グーグルで「越境学習」を検索してみると、これらの方々、そしてこれらの方々のお仲間たち(ラーニングイノベーション論の卒業生とか)のアウトプットばかりが並び、実はこの分野がまだまだ狭い範囲で注目を浴びているだけなんだなぁということを改めて感じさせられます。 ですから、ここまでこのブログを読んだ方は、すでに世の中で流布されている「越境学習」についての基本的な知識は十分に習得できたということになります。 という前提で、質問です。キャリアインテグレート研究会でも同じことを聞きました。 ************************************************ 質問:ここまで得た知識を用いて考えてください。 下記の5つの例の中で「越境学習」に該当するものはどれでしょうか。 ①人事担当者同士の会社横断的コミュニティに人事担当者が出る ②新卒で人事に配属になった新卒3年生が、社内での3カ月の営業現場実習に出る ③若手営業担当者が、顧客である社長に商談の中で鍛え上げられる。 ④人事担当者が六本木の外人客の多いバーで夜な夜な外国人ビジネスパーソンと英語で交流する。 ⑤業務時間外に自主的に都立中央図書館に行き、自分の業務関連の調べごとをして専門性を高める。 ************************************************ さて、いかがでしょうか。実はこういう問を皆でやると、いかにそれぞれが認識している定義が違うかがよくわかります。さらには「越境学習」というものが、もう少し深くわかってくるような気がします。 当日、手が挙がったのが一番多かったのは、①でした。確かに典型的な「越境学習」でしょうが「境界」をどこに置くのかによって判断は変わってくるかもしれません。人事の人が人事の人とつるんで本当に越境性があるんでしょうか。特に知っている人ばかりが集まる心の落ち着く会なんかで、ほんとうに越境性って担保されるんでしょうか。と、はやくももやもやとしてきます。 次に多かったのは、④でした。これって、ただ飲みに行っているだけじゃないですか。でも「学習」なんてどこでもできるんだ!といわれるとそうかもしれません。 一番少なかったのは、⑤です。『個人が所属する組織の境界を往還しつつ、自分の仕事・業務に関連する内容について学習・内省すること』という中原先生の定義からは、特にははずれていないような気がするのですが、一番支持がありませんでした、というか2人しか手をあげなかったです。「越境学習」という言葉に「他者との交流」ということが無意識に結び付けられているのかもしれません。これはなかなか面白い結果です。 ②と③はともに2割~3割くらいの方が手をあげられました。③はまさに20歳代の私が経験していたことですが、自分としては「越境学習」の要素が強かったと思います。ただ、仕事そのものなのでもありますが。なまじ他社の同職種の人間と緩い雰囲気の中で学びあうよりも、年齢も価値観も立場もまったく違う人から鍛え上げられることの方が「越境学習」の伝えるメタファーには私はしっくりきます。 ②は社内ごとですね。会社という「境界」を超えていないので「越境学習」ではないと判断した人もいるでしょう。でも、職種という「境界」はがっつりと超えているんですよね。その人にとって、どちらの「境界」を超えることがより学びをもたらすのか、これが大事ではないかと思います。 ということで、キャリアインテグレート研究会での講演の冒頭を紹介してみましたが、えらい長くなりました。明日、続きを書くかどうかは、明日の気分です。 |
もう一日、先週のシェアードサービス研究交流会議での講演からです。
今日は「外から感じるシェアードサービス」という話です。素朴なシェアードサービスへの疑問というのをいくつか並べてみました。 不思議① 管理間接部門の効率化を目指すシェアードサービス子会社が管理部門や企画部門といった管理間接部門を持つことの意味がわからない。 不思議② 自グループの利益を最大化することが役割のシェアードサービスが外販をすることの意味がわからない。 不思議③ 賃金水準の高い親会社からの出向者が、賃金水準の低いグループ会社の業務を担当していることの意味がわからない。 不思議④ SSCプロパー社員は、そのグループ企業のビジネスモデルや商品・サービスを知らない(下手すると愛着もない)存在になってしまわないか。グループとしてそれを望んでいるのか。 不思議⑤ 日常的に競争にされされていない組織が、自ら徹底的な効率化・コストダウンを図った例を世界の歴史は知っているだろうか。シェアードサービスセンターを持つことは結果的には高コスト体質を内包しないか。 不思議⑥ 給与計算のプロと、SSCのプロとは何が違うのか。そもそも給与計算のプロなんかいるのか。SSCのプロとは何なのか。 別に意地悪いっているわけではないのですが、これらの不思議に一つひとつ自社のシェアードサービスセンターとして抗弁をしていくことが、自社のアイデンティティの強化に役立つのだと思います。 シェアードサービスセンターは、明らかに連結重視の時代に後押しされ、日本固有の厳しい解雇法制に守られて来ました。そうでなければ、ドライに切り離されてもおかしくなく、現実的に外資になった某企業はそういう選択をされています。この選択は成功例だと思いますが、本体の経営がしんどくなってくると、不幸な切り離しというのも今後は起こりかねません。賃金の国際比較みれば、価値創造度の低い仕事が切り離されていくのは、競争力確保のためには当然のことです。 シェアードサービスセンターに最も求められているのは、自社グループにあらためてどう貢献するかという目線でしょう。一瞬であってもシェアードサービスセンター自身の存続と発展が自己目的化してしまっては、その時点からグループ経営にとってシェアードサービスセンターの存在自体がリスクになります。でも、これはシェアードのプロパー社員採用なんかが進むと結構難しいテーマになります。 まだまだシェアードサービスセンターのやりようはあります。何せ歴史が浅いのですからやり切れていないチャレンジもあるはずです。例えば、外部とのインターフェイス機能を中心にした小さなシェアードサービスセンターというのがあるように思います。グループ社員の働きがい創出のためにシェアードサービスセンターが機能できないかという目線もあるように感じます。 講演を聞いてくださった大半の人は実に真剣に自社のテーマに向き合っている感じでした。そんな素晴らしい皆様が企業を超えてネットワークをして、その成果を自社に持ち帰って改革を続けることができている限り、シェアードサービスが拡散しきってしまうことはないと願っています。 |
昨日の続き、シェアードサービス研究交流会議での講演からです。
「シェアードサービスの浸透と拡散」という話をしました。 実は「浸透と拡散」という言葉は、私はいたるところで使っています。再来週、某所で経験学習についての話をするのですが、そこでもこのフレーズ出てきます。あるジャンルが確立すると必ず起こってくる話なのではないかと思っています。 この言葉、大学の卒論でも使いました。「日本SFの浸透と拡散」。私のオリジナルの言葉ではありません。小松左京、星新一、筒井康隆といった第一世代の大御所の奮闘にて、文学界の異端的存在であったSFというジャンルは徐々に浸透して、世の中に認知されるようになりました。そして、今や多くの純文学作家、ミステリ作家もSF色豊かな作品を多く書いています。気づかないうちに、SFのジャンル作家というのはほとんどいなくなりました。そして、気づかないうちに、多くの書店ではSFというジャンルの棚もなくなっています。SFというジャンルは完全に日本の文学界に浸透したのですが、それと同時に拡散しきってしまい、ジャンルとしての概念を構成しないレベルまで行き着いてしまったのです。 で、「シェアードサービスの浸透と拡散」です。 【シェアードサービスの浸透】 ○多くの人が説明なしで理解してくれるようになった ○大半の大手企業では導入済み ○園田先生のようなアカデミアが取り上げるようになった ○企業研究会が毎年、交流会議を開催 ○ローテーションにより、次々と世代交代が広がる、関与者も増加 私が2000年に提案をしたときに、シェアードサービスという言葉を理解していたボードメンバーはたぶんいなかったと思います。どこの会社もそんなもんでした。その当時に比較すると、この概念実に浸透したといえます。 【シェアードサービスの拡散】 ○2000年直後のあの高揚感は消えうせた ○周囲の期待感も特にない ○世の中的な注目度も特にない ○ある意味、当たり前の管理手法になった ○熱い思いを持った立ち上げプロジェクトから、会社に任命されて担当する普通の仕事に 当日はシェアードサービスというのは新規事業でした。しかも、日本にまだモデルがない、自社がそのモデルを創るんだというくらいの高揚感をもって仕事に取り組んでいました。それが、良くも悪くも普通の職場になったのです。ある意味、ただそれだけのことです。 そうして、浸透と拡散の中で必ず起こってくるのは後継者問題です。 創設リーダーの思いと熱意を第2世代以降のリーダーが持つことは基本的には不可能です。ゼロから創るのと、既存のものを運営するのでは、まったく違うわけです。創設時にはひとつひとつの仕組みに意味と思いがあったのも、どうしても形骸化していきます。面倒だからこんなのやめようといって本質を忘れていってしまいます。避けては通れない、二代目、三代目問題です。 さらには四年目問題というのも起こってきます。どんな組織もマンネリに陥ります。当初の高揚感で走れるのはいいところ三年。四年目に問題が噴出してきます。シェアードサービスセンターの場合は、創業から取り組んでいるコスト削減、単価引き下げに限界がくる時期と結構かぶるのでこれはつらいものがあります。 障害者の特例子会社を昨年に立ち上げて、その経営をさせてもらっていますが、シェアードサービスセンター各社で起きたことを参考にさせていただき、四年目問題をなんとか回避したいと考えています。今回、この講演をさせていただいたのは、実は私の業務にとっては大変にありがたいことでした。 長くなりましたので、もう一日続けます。 |
先日、企業研究会のシェアードサービス交流会議でOBとして(?)講演をさせていただく機会がありました。
講演タイトルは「シェアードサービスの光と影 ~私的シェアードサービス論~」。 構成は以下の感じです。不思議な講演内容ですよね。 1.シェアードサービスと私 ~自己紹介に変えて 2.シェアードサービス、愛と追憶の日々 3.シェアードサービスの浸透と拡散 4.外から感じるシェアードサービス 5.おしまいに 前職が2000年7月に持株分社施策を決めた際に、人事機能はシェアードサービスでやろうと決め、2001年7月の分社施策実行時に人事のシェアードサービスセンターを創らせていただきました。しかも自分のイニシャルを組織の愛称名につけて。まぁかなりやりたい放題に当時は仕事をやっていた感じがします。このブログの名前はそのシェアードサービスセンターの名前から持ってきています。 2002年1月には分社後の人事給与業務運営体制の構築のためにワークスアプリケーションズのCOMPANYの導入を決め、SAPのビックバン導入に人事だけ抗って2003年1月には無事にカットオーバー。その導入作業のさなかの2002年9月には食品シェアードサービス連絡会を設立。10年の時を経て未だに継続してこの会は機能しています。2003年度と2004年度に企業研究会のこの会に参加させていただき、2005年の6月に社内異動のために転出をしました。 もう7年も前の人間が現役の皆様の前で話をするなんておこがましいのですが、事務局の方の熱意で受けることにしました。講座は事務局でほんとうに決まりますね。この方でなければ、この会は存続していなかったかもしれないと感じるほどです。 何はともあれ、シェアードサービスという機能はどうやら日本に定着したみたいです。でも、どうもあまりポジティブには定着していない感じが伝わってきました。私たちが悪戦苦闘していた頃の課題がまだほとんど解決されてはいないようでした。 シェアードサービスって実業か虚業か難しいんですよね。 今まで単なる間接業務だった一つひとつの仕事に価格をつけ、品質管理に気遣いながら営業をかける。こんなことができるってまさに間接業務の実業化です。でも、その反面、こんな思いも出てくるのです。 「今までは自分の会社の社員のために仕事をやってきた。今も他社の社員といえども大事な顧客にサービスを提供するのは納得できる。ただし、顧客会社の方針には口を挟みにくいし、予算がつかないと改善も難しい。今までは間接部門とはいえ、自分の会社の事業に対して間接的でも貢献できる「実業」をやってきた。でも、他社の給与計算なんて「虚業」にしか思えない」。 同じことをやっても、インナーブランド戦略によっては、大きく方向性が変わってしまいます。私は徹底的な「実業化」にしかシェアードサービスの未来はないと感じて組織設計をしていました。実業化による組織貢献を実感できるようにする必要がシェアードサービスにはあると思っていました。 まだ、語り足りないので明日に続きます。 |
昨晩はラーニングイノベーション論、今年開催中の第4期の皆様のセッションに第3期から2人が乗り込み、昨年の今頃にコミットしたアクションプランの1年後を披露するという企画です。これを受けて、いよいよ終盤に向かう第4期の皆さんも、アクションプランのポスターセッションの準備に入ります。素敵な連鎖です。発表されている第3期の方が、自然体で愉しそうで、これがまた素敵でした。
私の第1期や賑やかな第2期の有志も傍聴させていただけます。長岡先生までいます。そして21時過ぎから立食の懇親会。なんと丸の内のど真ん中、慶應MCCのクラスルームにて23時を過ぎてまでそれが続きます。太っ腹の教育機関です。まあ、世界の事務局あってのことだともいえますが。 それにしても、この各期を自然につなぐ仕掛けは見事です。帰り際に第4期の1人がいっていましたが、第5期がもしもなかったら自分たちのアクションプランのその後を発表する場がないから、中原先生もやめれないはず………、なるほどそうですね。先生は気づいているかな、この素朴なロジック。 4年前に第1期に参加してみて本当に良かったと自分で思います。転職先に移った直後でもあり、いろいろと悩みながら進める中で、一つの指針をここでもらったと思います。そして、何よりも拡大する仲間とネットワーク。本当に感謝です。そして何よりも、1期はいつまでも1期。絶対に追い抜かれることはありません。 何にしても、様子見よりも先物買いが絶対にお得です。 |
本日は、首都圏障害者雇用企業連絡会合同フォーラム。なんと245名もの参加者。雇用率2%時代を迎え、人事分野でもずいぶんとホットな分野になってきたということでしょう。もともと人事の別の分野で知り合いだった人にも何人かお会いしました。結構な実力者がこちらの世界に投入されています。
この仕事に携わるようになって2年弱。ここは非常にネットワークが強固な世界です。黎明期のシェアードサービスの世界や、ユーザー数200社に満たなかった頃のCOMPANYユーザーに近い感じを受けます。なんといっても特例子会社の社長の悩みを共有できる人は自社グループ内にはいないですから、他の特例子会社との交流が頻繁になるのは当然といえば当然です。そして、まだまだノウハウが確立していない世界なので、いろいろと学び合うというのが本当に有効なのです。当社にも多くの会社が見学に来てくださっています。 今日は講演⇒パネルディスカッション⇒懇親会という流れだったのですが、最初の講演の中で、ネットワークを構築する4つのステップという話がありました。 第1ステップ:目的を共有 第2ステップ:情報の共有 第3ステップ:思いの共有 第4ステップ:ノウハウの共有 実に実感に合いますね。当たり前といえば当たり前の話ですが、整理するとしっくりときます。本日のセミナーに申し込んだ245名は、すでに申込をした段階で、第1ステップの目的の共有を果たしています。そして講演で情報をインプットして、第2ステップの情報の共有まで進みます。さらには懇親会でアルコールを入れながら、それぞれが障害者雇用に携わる思いを熱く語り合うことにより、第3ステップまで至ります。まさにセミナーに懇親会がついている意義ですね。で、そして、その場で終わらずに、相互に訪問しあったり、数社で事例共有会を実施するなどにまで進むと、それは第4段階になります。しかし、第3ステップで終わってしまい、ネットワーク構築にまで至らず、ああ良かったねで終わってしまうことも少なくないのでは。 金曜日に企業研究会さんのご縁でシェアードサービスについての講演をするのですが、まさに2000年過ぎのシェアードサービスの世界では、こんな感じのネットワークがあちこちにできていました。先にあげた人事情報システムCOMPANYの導入でもそうですね。でも、それらが当たり前になると、第3段階まで進むのが難しくなるというか、そもそもネットワーク構築に対するニーズ自体が減じるんですね。単に情報とって帰れればいいやとか。その意味では、障害者雇用の世界は、まだまだネットワークが必要なのです。 逆にこのステップの整理は、しっかりとしたネットワークをつくりたいというときの場つくりに活かせそうですね。 |
新入社員のフォロー研修。
入社して半年近くだった今の苦労、苦痛、大変さについて、自ら「成長痛」というメタファーを得て、ぐんと前に踏み出そうとしたメンバーがいました。成長には苦痛がつきものだ、今の自分はそんな時期なんだ、ということでしょうか。 言葉は大事です。今をどう表現するかで、気持ちは大きく変わってきます。彼にとっては「成長痛」というメタファーが、今の自分に実にフィットしたのかもしれません。 言葉は、どういう局面で誰からどのように発せられるかによって、魔法のように効力が変わります。同じ言葉でも正反対に機能してしまうことすらあります。あの場で出た言葉だから、彼の心を打ったのかもしれません。 常に言葉を冷静に制御することができれば、どれだけ日々が楽になるものでしょうか。得てして近しい間こそ、これが難しいといいます。でも、反省しつつも少しだけでも前に進むしかないのが私たちです。 |
ちょっと前の北海道出身者達との会話。
北海道のお米も普通に美味しくなったねぇ。きらら397が出てきた頃は、北海道米にもブランド米ができたといって衝撃だったけど、今ではいいのがいっぱいあるよ。 もう長いこと北海道に居住していないので生活実感がないため、そうなのかと思い、日本穀物検定協会の「米の食味ランキング」を見てみると「ななつぼし」「ゆめぴりか」というブランドが最高級の特Aを取得しています。新潟の「コシヒカリ」でも中越地区産こそ特Aですが、上越・下越産はAにとどまっています。ちなみに「きらら397」もAです。 なかなか凄い成績ですが、実は品種が良くなったこと以上に気候が変わってしまったのではないかという気がしないでもありません。北海道の気候が、米どころ東北・北陸の気候に近づいているとか。 夏前に山梨県にあるサッポロビールが経営する小規模ワイナリーに行きました。山梨県といえば甲州ワインが有名ですね。日本でもっとワインの原料となる葡萄の生育に適した気候だったため、主要会社のワイナリーもここに集積しています。 そこでの説明で伺ったお話。 最近はワインに適したいい葡萄の産地が山梨から長野に移っている。さらに当社では余市(北海道)産のものも使用するようになった。日本が暖かくなっているのか、良い産地を求め北に向かわなければならないようになってきた。 うーん、これも同じような感じでしょうか。 金曜日・土曜日・日曜日といずれもゲリラ豪雨の被害にあいました。外に出るときは晴天でも傘をもたないといけません。まるで東南アジアにいるようなスコールが叩きつけます。たぶん、子供の頃には自分はこんな経験をしていないと思います。わずかに数10年の中で明らかに東京の天候は変わっています。東京の亜熱帯化です。ゲリラ豪雨を眺めながら、前述の2つのお話を思い出しました。 このままだと少しずつ氷が溶けていってしまいます。そうすると関東平野は壊滅的打撃を受けます。今日、都営新宿線に乗るために一之江駅までバスで行ったのですが、一之江駅の入り口に「ここは海抜0.8メートル」という表示がありました。もしも、氷がとけて水位が1メートルあがると、海からあんなに遠い一之江まで水没するのかぁと思いました。何とかしなきゃです。 |
一般的に給与アウトソーサーの営業担当が使うセールストークで2つだけ、ちょっとどうかなぁと思うことがあります。まあ、いずれも悪気ではいっていないんですけどね。
1つ目はこんなセリフです。「これからは戦略人事の時代です。給与業務は弊社に任せていただき、御社の人事担当はより戦略的な上流工程の業務に専念してください」。 なるほどね、確かにそれはいいことかもしれません。でも、ってことは給与業務って戦略的ではない下流工程の業務なんですね。そういわれるとちょっと担当者なんかは身もふたもありません。 戦略的ではない下流工程の業務でも、あえて競争力確保のために社内に置くという判断もあります。下流工程ならすべて外に出しちまえという発想に基づく経営はちょっと危険ではないでしょうか。上流・下流、戦略・非戦略というよりは、自社の競争力の担保にどれだけ密接に貢献できているかが大切なのではないでしょうか。また、そういったことなしにしても、給与業務を愛おしく思っている人に対しては、もう少しいい方を気をつけた方がいいかもしれませんね。繰り返しになりますが、いっていること自体はそのとおりなんですけど。 そして2つ目は、「当社はフルスコープでのアウトソーシングを提供しますので、御社は徹底した省人化を図れます」って奴です。これも営業は悪気はありません。ただ、彼らのいうのは彼らの感覚の中でのフルスコープであり、給与業務のスコープ範囲が会社によって異なっていることはいうまでもありません。彼らのいう給与業務とは何か、自社でいう給与業務とは何かを慎重にすり合わせなければなりません。そして、すり合わせるのは範囲だけではありません。彼らは彼らのやり方でフルスコープのサービスを提供します。もちろんそこにはかなりの融通をきかせますが、彼らからみて非常識な要望は当然にスコープの外となります。で、自社の常識は他社の非常識というわけではありませんが、どんな会社であっても非常識な運用の3つや4つはやっているはずです。それらについては、運用変更をしなければいけません。このあたりもよく詰めないといけません。 給与アウトソーサーのいうフルスコープとは、彼らのフルスコープのサービスにユーザーが運用を原則的には合わせるという意味なのです。ここでのズレは大きいです。 |
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