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「職業選択論」と2人の学生
先日、成城大学の「職業選択論」という授業にご縁あって登壇させていただきました。

担当する学生が2人ついてくれ、事前に一度、オフィスまで来てもらい打合せ、その後もメールで何度もやりとりをして、当日を創りました。彼らにいったのは、私は単なる素材となるので、学生2人でこの時間をプロデュースをする気持ちでやってくれということでした。

2人のうち1人が進行司会者、もう1人は会場担当司会者となります。全員で30人程度のクラスでしょうか。最初に、ちゃんとアイスブレークを取り入れます。2人で相談して決めた問を皆に投げて、それについて順番に語ってもらうのですが、問への回答が2人の予想とちょっと違ったようで、予定調和的にならなかったのがかえって良かった感じです。

アイスブレークに引き続き、私の語りの時間です。時間は20分。ごめんなさい、いい気になって5分延長してしまいました。もともとの御題は社会人カレンダー。社会人の1日、1月、1年を聞こうというものですが、典型的な1日、典型的な1月というものがないので、自分の1週間と、自分の30年を語りました。30年というのは大学2年生である彼ら彼女らが、私の年齢になるまでの期間でもあります。

さらには、本編より多いシート数の仕事やキャリアに関する「おまけ」シートを各種持参しました。これは後で使用します。

25分の語りが終わったあとは、グループに分かれてのダイアローグです。皆、しっかりと感想、疑問、意見、思いをぶつけあってくれています。ダイアローグが始まる前に、司会者から「グループで一番薄い色のペンケースを持っている人が発表者です」などといった仕込みがあり、盛り上がります。そして、各グループからの発表が始まります。発表の中身は、感想と質問に分かれます。各グループから2つずつくらいは質問をいただいたのですが、用意した「おまけ」シートを使って、あれやこれやと話をします。全チームが終わったところで、司会者が簡単にまとめて最後にわたしに総合コメントを求めます。そして、全員で記念撮影。

授業の残り時間を利用して、振り返りシート的なものを全員が書きます。ただ、それは単なる振り返りシートではなく、私に対してのフィードバックシートなのです。書き上げた人から、1人ひとり私のところに来てくれて、一言添えた上でシートをくれます。なんとなく、これって嬉しいものです。

先生は最初にガイド的に話をした以外は、その場では介入しません。もちろん大きな流れには先生の仕込みが多々あることはあります。ただ私も運営には一切介入しませんでしたので、当日の運営は2人の学生にすべてゆだねられました。

オフィスで打合せをした際に、何ができたら自分に合格点をあげられるか基準を決めておこうよ、と提案し、2人はその日、胸に秘めていました。その晩にもらったメールでは、どうも自己採点的には合格には及ばなかったようです。でも、私がみんなからいただいたフィードバックシートには、司会の2人がとてもよかったという記載が何名かからありました。それって、合格だな、と1人嬉しく感じました。

記憶にとどめておきたいので、ここに書き残しておきます。

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【2012/11/30 23:36】 | キャリア~学生・就職・採用 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
MALL:働く女性ラボ<Lカレッジ>×WORKSIGHT LAB. 「ロールモデルってそばにいる?」
経営学習研究所の新イベントです。
MALL初の女性限定企画。あの野村さんも交えての「Lカレッジ MALL版」です。
お申し込みは、以下からどうぞ。絶対、元気をもらえる企画ですよ。

MALL働く女性ラボ申し込みサイト

私は男性ですが、理事の特権で遅刻オブザーブをしたいとたくらんでいます。

MALL:働く女性ラボ<Lカレッジ>×WORKSIGHT LAB. 第1回「ロールモデルってそばにいる?」

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MALL:働く女性ラボ<Lカレッジ> × WORKSIGHT LAB. 
第1回「ロールモデルってそばにいる?」
2012年12月15日(土) コクヨ株式会社 品川エコライブオフィス5F
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遊び友達はいる。悩みを話せる友達もいる。 でも、働く自分の成長や夢を真剣に語り合ったこと、・・・あったかな? 仕事で輝く自分を実現するために情報収集、意見交換、人脈づくりの場を提供することで、 一人ひとりの成長支援をしたい。それが働く女性のための「Lカレッジ」です。 参加した皆さまが、あったかで、ぽわ~ん気分になりつつも、 「明日から、もう少し頑張ってみよう!」という気持ちになっているような、 まるで温泉帰りのようにほっこり、つるん、ぷるん状態で会場をあとにしていただける。 そんな場づくりをめざしています。 経営学習研究所 (Management Learning Laboratory : MALL)の働く女性ラボ<Lカレッジ> は、12月15日(土)に第1回「ロールモデルってそばにいる?」を開催いたします。 第1回目は、「働く女性の24時間」(日本経済新聞社刊)の著者であり、多くの女性たちの取材を通して得た知見やご自身の経験から、働く女性にエールを贈ってくださっている野村浩子氏をゲストスピーカーに迎えます。 スパークリングワインを片手に、示唆に富むお話を伺った後、参加者皆さまでのダイアローグで、元気になっちゃいましょう!

■ゲストスピーカー 野村浩子(のむらひろこ) 日経BP社 日経マネー副編集長 62年生まれ。84年お茶の水女子大学文教育学部卒業。 就職情報会社ユー・ピー・ユーを経て、 88年、日経ホーム出版社発行のビジネスマン向け 月刊誌「日経アントロポス」の創刊チームに加わる。 95年「日経WOMAN」編集部に移り副編集長に、 2003年1月から編集長。 2006年12月、日本初の女性リーダー向け雑誌「日経EW」編集長に就任。 2007年9月、日本経済新聞社・編集委員。 2012年4月より現職。 著書に「働く女性の24時間」(日本経済新聞社刊)。

■共催 経営学習研究所 働く女性ラボ コクヨ株式会社 WORKSIGHT LAB. www.worksight.jp

■日時 2012年12月15日(土)午後3時00分 - 午後6時00分まで 開場は2時30分から

■募集 女性限定で48名さま

■会場 コクヨ株式会社 エコライブオフィス品川 5F http://www.kokuyo.co.jp/creative/ecooffice/access/ 〒108-8710 東京都港区港南1丁目8番35号 エコライブオフィスは5Fにございます。 1Fより、係りの者がご案内いたしますので、 時間に遅れないよう会場にお越しくださいますようお願いいたします。 なお、開演後は、エントランスが閉まっております。万一遅れてご到着の場合、当日掲示されている連絡先まで電話をお願いします。

■参加費 お一人様2,500円を申し受けます  ※釣銭のないようご用意いただきますようお願いいたします 会場には、スパークリングワイン、ワイン、ソフトドリンクと 軽食をご用意しております

■スケジュール(予定) 14:30 会場 15:00 経営学習研究所のとは(経営学習研究所 代表理事 中原淳) 15:10 コクヨ株式会社 WORKSIGHT LAB.のご紹介 15:15 働く女性ラボ「Lカレッジ」について(板谷和代) 15:20 野村浩子氏による講演 16:10 休憩 16:20 ダイアローグ 17:20 前向き宣言と相互支援 17:40 ラップアップ 17:50 終了(予定)

■参加条件 下記の諸条件をよくお読みの上、参加申し込みください。 申し込みと同時に、諸条件についてはご承諾いただいて いるとみなします。
1.本ワークショップの様子は、予告・許諾なく、写真・ビデオ撮影・ストリーミング配信する可能性があります。写真・動画は、経営学習研究所、ないしは、経営学習研究所の企画担当理事が関与するWebサイト等の広報手段、講演資料、書籍等に許諾なく用いられる場合があります。マスメディアによる取材に対しても、許諾なく提供することがあります。 参加に際しては、上記をご了承いただける方に限ります。
2.欠席の際には、お手数でもその旨、 info@mallweb.jp まで(松浦)ご連絡下さい。 応募者多数の場合には、繰り上げで他の方に席をお譲りいたします。
3.応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。11月29日までにお申し込みをいただき、30日には抽選結果を送信させていただきますので、ご了承ください。
以上、ご了承いただいた方は、 下記のフォームよりお申し込みくださいますようお願いいたします。 それでは、皆様とお会いできますこと愉しみにしております!
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企画:経営学習研究所 理事 板谷和代
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【2012/11/27 00:47】 | 経営学習研究所(MALL) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ミドルの今、明確になりつつある2つの変化
11月22日(木)に開催されインテリジェンス社の第3回HITOフォーラムのテーマは「ミドルの未来」。旬なテーマでありつつ、非常に難しいテーマに果敢にチャレンジをされました。今回も3部構成+懇親会。今回も会社の飲み会とぶつかって、途中で失礼することになりました。

壇上に登られた方は、いずれもなるほどという話をします。全体の構成もよく練られています。でも、どうしてもテーマが収束していかずに、ふわっと感を感じて終わるのは、このテーマの今をよく表しているなぁと感じます。

たぶん、2つの意味でミドルをめぐる環境が激変の真っただ中にあるんです。

1つ目は、従来から実はあった2つの視点のミドルが完全分離しつつあること。2つの視点とは、年齢軸におけるミドルと、組織階層軸におけるミドルです。壇上で語る人は、前者を主に意識している人、後者を主に意識している人、両者にフォーカスをあてる人、それぞれです。おそらく在籍する企業や抱える問題によって人様々であり、会場でのディスカッションの際も軸足はやはりそれぞれ異なっていました。古き良き時代は、大企業ホワイトカラーにおいては、この2つの視点はほぼシンクロしていたのです。大卒の大半がミドルの象徴ポジションである課長にまで、ミドルといわれる年代でつくことができた、そんな時代です。ミドルとは、年齢軸でもあり組織階層軸でもあり、などということに気を使わなくてもよかったわけです。これが今では激変しました。20代半ばの年齢で組織階層軸のミドルの役割を担う人も大勢いますし、50代でも組織階層軸のミドルの役割とは縁のない人も大勢いるわけです。そして、これらが当たり前になっている企業群と、まだそうでもない企業群のあいだでは、お互いにミドルの議論をするのはなかなか難しくなってきています。いよいよ世の中は変わり、年齢軸のミドルと組織階層軸のミドルとを分けて語らないとならなくなってきたわけです。

もう1つの変化は、組織役割軸のミドルが期待される役割が天地がひっくり返るほど変わりつつあることです。これも組織によって進展度合いに大きな差があります。以前にミドルに期待されていた機能は、文字通り階層の真ん中にいるため、経営層とメンバー層の間に入っての連結ピン的な役割でした。ミドル・アップ・ミドル・ダウンという言葉も、ある意味では逆説的ではありますが、同じ文脈の中にあります。経営層が明確な方向性を示し、メンバーを率いてそれを実行するのか役割でした。しかし、経営層が自分たちだけで自ら新たな価値を創造し、新たな方向性を提示することが難しくなってきたわけです。結果、ミドルには単なる連結ピン役ではなく、自らがイノベーターとなることが求められます。もちろん、今現在すべての組織でそうなっているというわけではなく、連結ピンの役割がなくなったわけでもなく、属する組織によってこの色合いは大きく異なります。ですから、企業を超えてミドルの役割を論じるときに、ここでも論点が微妙に一致しないわけです。

いずれにしても、ミドル論議は新たなステージに来ています。難しいからこそ大切です。(年齢軸でいう)ミドル世代にとって、起こる典型的なライフ・イベントという概念もぼやけてきています。結婚年齢が低年齢と高年齢に二極分化し、標準世帯という概念が崩壊した中では、旧来的な年齢対応的なキャリア・イベントの考え方も容易には適用しにくくなっています。これは、カテゴリー論議全体にいえることです。より「個」をとらえる必要性が強まっているわけです。人事管理にしても、キャリア支援にしても、このことをしっかりと認識して、過去の知識・経験を活用しないと(もしくは捨てないと)、ちょっとした間違いを起こしかねません。

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【2012/11/25 19:33】 | HRM全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
良い営業商談には「予習」と「お土産」が欠かせない
土曜日の朝、起こされた電話は前職時代に20年ほど前に担当していたお客様からのものでした。ちょっといろいろと悩むこともあり、アドバイスを欲しいとの話でした。今更、俺に…という気もしないでもないですが、反面、実に光栄なことでもあります。毎年、賀状のやり取りは続けているので、何度も転居しても連絡先はご存知だったわけです。

だからということでもないですが、ちょっと仕事について整理してみようと思うことがあり、その中で営業が絶対に商談で意識しなければならないことについて整理をしてみました。まあ、商談の場というよりも、事前のことになるのかもしれませんが。

これは2つです。

1.予習
2.お土産

「予習」は当然のことです。お客様の貴重な時間をいただくのですから、徹底的に下調べが必要です。これはお客様との商談だけでなく、社内の会議などでも同じことです。予習の善し悪しで商談の相当部分が決まります。

「お土産」というのは、2つの意味があります。まずは「お土産」を持参すること。貴重な時間をいただくのですから、何か一つでもいいので相手が「意味のある時間だった」と感じるだけの「お土産」を提供するのです。そのためには、相手が今、どんな状態であり、何を考えているのかを推察する必要があります。これも「予習」です。

そんな「お土産」を渡して、相手に満足をしていただくことができれば、すならず次回商談を得ることができます。そして、2つ目のお土産です。これはお客様から頂戴する「お土産」です。つまり、次回までに●●をやっておいてくれとか、次回には●●について提案してくれというような「お土産」です。これを持ち帰ることができて、初めて商談は意義あるものになります。

「予習」と「お土産」。簡単なようで難しいものです。単純なようで、ちゃんとやっているか否かで大きく差がつくものです。

【2012/11/24 23:44】 | 仕事の進め方 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
雑感、4つ
大量のデータの集計を行う際にピボットテーブルを知らないのは罪。大量のデータの転記を行う際にVLOOKUP関数を知らないのは罪。どんなに努力をしても、どんなに熟達をしても、エクセル君には勝てません。知らないことが罪になり、努力で乗り越えられないことはいろいろあります。電車を使わないで都内を歩いて営業で回っているようなものです。

と、書いて思い出しました。ある派遣会社のK氏。ものすごい訪問効率を誇っていました。実は彼はマラソンマン。担当エリアは都心で走って営業をしていたとのこと。確かに都心の移動は半端に地下鉄乗り換えるの考えると、歩いちゃえということはありますね。文字通り、足で稼ぐという奴です。

ある日の二郎インスパイア。ランチにいい感じで食べていたのですが、夜に会食がありボリウミィな食事をとる予定のことを思い出し、あえてヤサイマシにしたヤサイを少し残しました。もちろん麺は完食しました。店を立ち去るときに、そこはかとない敗北感と、合理的意思決定ができたという満足感のはざまに揺れる自分がいました。

12月1日からgcdfを受講するという人と飲みました。来年1月からクリシンを受講するという人も同じ会にいました。自分が乗った馬は、絶対に勝ち馬にしないと、との思いがとてもあります。でも、ほんとに心から良いと思うからそのように気持ちがドライブされるのです。

あるビール会社の葉山寮の下の海の写真です。そんな気分なので。

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【2012/11/21 23:44】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
第4回お好み焼き検定が終わりました。皆様ありがとうございました。
本日、にっぽんお好み焼き協会が主催する第4回お好み焼き検定初級検定を東京と大阪の2会場にて実施いたしました。毎年この時期に実施しています。欠席率2%未満、皆様、大変によく事前学習しておられ、この分ですと大半の方が合格されるのではないかと嬉しい悲鳴です。今回実施した初級検定は、きちんと事前学習をされればけして合格は難しくありません。そして、初級をクリアされた方は、2年に1度の上級検定にチャレンジする権利を勝ち取れます。今年はスキップの年でしたので、来年は上級検定も実施予定です。こちらの合格率は大幅に下がりますが、合格者は佐竹会長が直々に美味しいお好み焼きを焼くノウハウを伝授する上級合格者特別実技講習にご招待いたします。途中からはアルコールも入ってオコパ状態になりますが、間違いなく美味しいお好み焼きを焼けるようになります。今年の初級合格者には、是非、また来年、上級検定の会場でお会いしたいと思います。

それにしても、仕事でもないのに仕事と同じようなプロセスを踏む必要のあるこの協会ビジネスを手伝うのって何が原動力でしょうかね。「越境学習」の観点からでは、なかなか容易に説明ができません。でも、こんなに多くの受検生に喜んでいただけること、ある分野の一人者の皆様と何かを創り上げること、それも今までにない何かを毎年変化させて創り上げていくこと、こういうことが本質的に好きなのだとは思います。

お好み焼き協会のフェイスブック・ページ。動画も入って、かなり賑やかになりました。是非、お時間のある際にご覧ください。

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【2012/11/18 23:33】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
新卒採用の前提の変化、選択の観点からの時代の変化
先の月曜日にある大学で就職活動を考える企画があり、その第Ⅱ部のパネルディスカッションに登壇してきました。もうお1人の企業側のパネラーが知り合いだったこともあり、比較的リラックスして参加できました。たまたま、この秋はパネラーづいており3回目です。でも、依頼されるテーマは、メンタルヘルス、給与アウトソーシング、新卒採用と実にバラエティに富んでいます。人事の仕事で私が唯一誇れることが、オールラウンダーであることですから仕方がありません。

第Ⅰ部は、ある大手就職サイトの膨大なデータを大学の先生方が分析して、報告するという内容でした。データをベースにしたカチッとしたお話が続きます。で、第Ⅱ部は3名のパネラーが10分ずつプレゼンをして、それからパネルディスカッションに入るというスタイルでした。パネラーのプレゼンのトップは、就職ナビの会社の研究所長。マクロ的に今の就職戦線を整理されます。2番目が私の担当です。「分析的」な話が第Ⅰ部では続いたので、私の話は目いっぱい「情緒的」に行きます。長岡ゼミの学生が2人来てくれていたので、半分くらいはその2人に向けて語るくらいの気持ちで話しました。ちなみに、聴衆は100名弱、学生は6名、大学関係者6割、企業関係者3割といった感じでした。

いただいたお題は「近年の新卒採用の変化」。

採用ノウハウを知りたいと思って参加している方は少数でしょうから、仔細に自社事例を語ってもと思い、本当に「情緒的」に就職と採用について語りました。

「近年の新卒採用の変化」ということですので、まずは新卒採用を取り巻く環境の大きな変化、というよりも前提が大きく変わってきたことを整理しました。これには2つの変化があります。

以前でいえば、採用担当といえば新卒採用担当を黙っていても指していたものですが、企業の採用形態は複雑化しており、経験者採用、アルバイト採用、パート採用などを組み合わせて必要な人材を確保するようになっています。さらには、人材派遣、業務委託もその中に割ってはいり、人材獲得目的でのアライアンスや企業買収なども広義の「採用」だともいえます。つまり、採用という仕事が、企業の将来を託せるような優秀な人材を確保するというある意味では牧歌的な仕事から、今必要な人材リソースを合理的なコストで質・量ともに満たすキツイ仕事に変わってきたのです。この変化は、業界や企業の歴史によって、非常に企業差はあります。しかし、うねりとしては強くなっていくことは間違いありません。

結果的に新卒採用のポジションは小さくなります。

もう1つの変化は、職業人生の長期化という現象と、企業生命の短期化という現象が同時に進行しているということです。私が社会にでた1985年は、実は定年はまだ60歳ではありませんでした。22歳から60歳では38年間の会社人生となりますが、私たちが入社した頃には自分が入社した企業が自分が定年を迎えるまで存在しているに違いないという確固たる幻想が現実的な感覚を持てていました。でも、現実は次々とそれを裏切っています。多くの会社が姿を消したり、合従連衡したりしました。
現在、採用マーケットをけん引している業界の1つであるweb業界の企業群はせいぜい10年少々の歴史しか持ちません。これらのすべての企業があと20年後に存在しているとはとても思えません。会社の寿命は30年といった書籍が30年近く前にベストセラーになりましたが、今はさらに短命になっているのかもしれません。

これに対して、個人の職業人生は長くなっていきます。今の大学生などはおそらく70歳まで働かなければならないでしょう。そうすると50年間の職業人生になります。50年間も続く企業に新卒で入れる人はごく少数派になり、結果的に転職を経験しないという人はかなり珍しい存在になります。

先日、ある大学の2年生2人が職場に来てくれました。再来週に職業選択に関する授業にお邪魔する大学なのですが、企業人を招いたその授業を大学2年生の担当者がプロデュースするという仕掛けです。この話はまた別に書くことになるかと思いますが、そのうちの1人が私の転職経験にすごく食らいついてきました。彼は転職というのは普通のことではない、当然入った会社に最後までいるものだという感覚を強く持っていました。彼の父親がまさにそのような人生を送っていることが強く影響をしていると思いますが、そのため一生勤める企業に入らなければという先入観が形成されます。それはそれで問題ないのですが、世の中はおそらくそうでない方に流れているのです。

私たちはわずかこの30年でキャリアの選択という視点からみると大きな変化を経験してきています。

私が社会に出た1985年当時、第2新卒という言葉はなく、少なくともある程度の大企業に入ったのであれば、定年まで勤め上げるのは当然のことでした。転職というのは、ほとんど選択肢になかったわけです。そのため、与えられた配属がどんなに嫌でもそこで頑張るしかありませんでした。でも、そこで頑張ってみたら意外と面白みを感じたであるとか、自分の可能性を広げるには実にそれは良いことでもありました。そう当時は良くも悪くも「選択肢のない時代」だったといえます。

でも、その後、転職マーケットが日本でも成熟してきました。そして私たちは「選択肢のある時代」に入ったのです。これは人として一段階豊かな時代に入ったことを指します。しかし、悩み多き時代に入ったのだともいえます。選択があるのは幸せなことですが、実に悩み多きことでもあるのです。選択のない時代がいかに楽だったことか。嫌な部署に異動を命じられた場合、そこで頑張るか、辞めて別の職場で頑張るか、私たちは選択できるようになったのです。そして、当然のことですが選択には成功も失敗もあるのです。

そして、今は「選択を強いられる時代」に突入しています。おそらくこれからはほとんどの人が長い職業人生の中で、いろいろな意味で選択を強いられるという機会を何度かは経験することになります。個人の人生よりも企業の生命が短いのであれば、これは当然のことです。

新卒採用の前提はこのように大きく変わっています。

にも拘わらず、新卒採用関係者はイノベーションを忘れ、何月活動開始などといった「時期論」に終始しています。解散の時期論ばかりがとりざたされていた国会と同じです。マス採用に合理性のある一部の経済団体に加入している企業群に翻弄され、思考停止的な日々を送っています。すべての大手ナビが一部の企業群のために、サイトオープン日を横並びにするという談合が公然と行われています。異能を採用したいとか、グローバル人材を採用したいとか、イノベーティブな人材を採用したいとか、といっている企業が横並びの日程で採用活動をする仕組みを構築しているのは、どうみても滑稽な話です。

でも、新しい芽はいたるところに出ています。企業人、採用担当者の意識も実に高いものがあります。私たちは新卒採用という仕事にあるロマンと自負を持っています。

あまりに長くなったので、今日はここまでにします。

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【2012/11/17 23:59】 | キャリア~学生・就職・採用 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「求める人材像」と「採用基準」
企業が提示している「求める人材像」と「採用基準」って違うんですか、という素朴な質問を先日、受けました。

答えは、会社によります、ですかね。「求める人材像」に、グローバル、イノベーティプとかいう言葉が並んでいる企業を多くみます。もちろんこういう人材は必要なのでしょうが、何も新卒で採用するすべての人がグローバル人材だったり、イノベーティプな人材である必要に迫られている企業ばかりではないでしょう。そうでない人もたくさん採用をしているはずです。

「求める人材像」の提示の仕方には、大きく二つあります。一つは尖がったところを見せるパターン。そして、もう一つはベーシックなところを見せるパターン。前者の企業の場合は「採用基準」とはだいぶ乖離するでしょう。「こんな人が少しでもくるといいなぁ」が文章化されているだけですから。さらには、そんな「人材像」に合致する先輩社員も少数であるケースが多かったりします。新入社員の「求める人材像」に企業のめざす方向性をこめているのですね。まあ、考え方としては有りかと思います。何となく、大手企業に多いように感じます。

後者の場合は結構、実際の「採用基準」に近いことになりますが、違った人材もとっているはずです。同じタイプの人材ばかりを採用したいという企業はけして多くはないですから。あと、どんなに採用基準を整理しても、合否の判定は面接官に委ねられます。そして、面接官の基準をすべて合わせることは不可能ですし、意味がありません。いろいろな面接官が、ベクトルは同じもののちょっとずつ違った目でみて採用することによって、採用の多様性は担保されるともいえます。

いずれにしても、大学生の皆さんにいいたいのは、企業は結構、普通の人を採用してるんだよ、ということです。就職活動を恐れ過ぎずに、自分のできることからきちんとやっていこうよ、ということです。

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【2012/11/15 23:42】 | キャリア~学生・就職・採用 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「登山モデル」からの決別
昨日の続きです。でも、ちょっと違う観点から話を始めます。

人事管理の仕組みのすべての根本にあるものは何でしょうか。もともと日本の人事制度は「年功序列」だといわれてきました。しかし、その後、能力主義であるとか成果主義という言葉が闊歩し、さすがに年功を重視して人事管理をしている企業はなくなったといえます。しかし、未だに隠然と残っているのは「年功」ではなく「序列」の方です。そして「序列」こそが人事管理のペースに常にあるものです。組織が戦略を実現するための人材を何らかの基準で序列化して処遇するのが、これまでの日本の人事制度の基本的な考え方です。序列の物差しが年功から多様化してきているだけなのです。

戦後の日本は爆発的な経済成長を遂げました。まさに今の中国と同じです。中国には極めて豊富な労働力があります。当時の日本も人口は増加の一途をたどっていました。増える人口が、消費・生産ともに日本の経済成長を支えてきたといえます。しかし、いかに人口が増えていたといっても、今の中国のような物量はありません。そのため、日本企業は一度雇った人材を外に出さないように囲い込む必要に追われたわけです。その結果、定着したのが終身雇用であり、家族的な人事管理です。

終身雇用というのは、長期間に渡って同じ人を雇用しづつけることです。終身雇用と序列をベースとした人事管理を両立させるとどんなことが起こるか、答えは簡単です。序列を細かく切るしかないのです。例えば定年が55歳だった世界を考えてみましょう。22歳から55歳まで継続してモチベーションを維持・向上してもらわなければならないのです。ですから、30年以上に渡って給与も役割責任も毎年少しずつ上がっていく、そんな制度が合理的でした。結果、役員登用年齢は定年年齢に極めて近く、課長などの役職登用年齢もゆっくりとしたものになりました。序列をきちんと守って、それを小出しに使って、社内力学を徹底的に設計した上でモチベーションの管理をしたのです。

日本の人事管理は「登山の論理」でした。少しずつ着実に山を登っていく、その頂は定年です。私が1990年頃に人事に異動した時期には、私のいた会社では定年退職者が人事に退職日に挨拶に来られるという習慣がありました。そして、人事部員の前でスピーチをされるのです。これが実に皆さんいい話をされます。仕事のなんたるかを感じたり、この会社は素敵な会社だなぁと実感したりさせられることも多々ありました。でも、一つ違和感がありました。それは9割の方が「大過なく定年まで勤め上げて」という表現をするのです。「大過なく」「勤め上げて」ともにちょっと納得できませんでした。しかし、定年退職というのがある意味「ゴール」、つまり職業人生という登山の頂上だったのでしょう。そこに無事にたどり着いた安堵感のようなものがそう語らせたのでしょうか。いずれにしても、そんな時代でした。

しかし、私たちの日本は、60歳定年が法で定められ、さらには60歳以降の再雇用が求められ、最終的には70歳や75歳まで雇用義務を企業が負わされかねない国になりました。さすがに、22歳から70歳までの約50年間を細かく序列を刻むような人事管理はもう無理です。すでにずいぶんと前から、役職定年制を導入したり、50歳で賃金カーブが寝たり、反転したりする賃金制度をあわてて導入する企業も増えてきました。つまり、登山を終えたあとの「下山の論理」を入れざるを得なくなったのです。

「登山の論理」を堅持する限りは、「下山の論理」はこれからの時代では絶対に必要になります。でも、それは私たちにとって素敵なことなのでしょうか。以前の時代では、評価がSABCとあるとすれば、「登山の論理」の恩恵をBあたりまでは等しく受けることができました。でも、これはこれからはそれが難しいのは誰もが気づいています。また、ランクを細かくきって上げられるところまで「登山の論理」で上げて、あとは「下山の論理」で下げていくというやり方で、人は20年も続くシニア時代をいきいきと生きることができるのでしょうか。

結論としては、いつか「登山の論理」を人事管理の中心から「いずれ」はずすしかないのです。「登山の論理」はまさに「外的キャリア」の世界です。「外的キャリア」を仕事の中心軸におき、序列を細かく刻んで少しずつ「外的キャリア」が「キャリアアップ」することによって職務満足を与えるというのがこれまでのやり方です。

これに変わるものを仮に「ピクニックの論理」とでもしましょうか。これは何らかのかたちで「内的キャリア」をベースに仕事をするような方向にパラダイムを変えていくことに他なりません。

「外的キャリア」から「内的キャリア」へというと、世の中が社員にとって緩くなると勘違いする人がいます。でも、これは働くものにとって実に厳しいことなのです。それは「キャリアストレッチ」を継続的に続けることができる「キャリア自律」を成し遂げた人でないと、健全には働けないことを意味する可能性があるからです。職務を与えられるのではなく、自分で仕事をつくっていく、そんな概念を花田先生は「職師」と定義されていましたが、自分の仕事にプライドをもって、自己成長をし続ける。どんな環境変化があっても、アンラーンと再学習をして「キャリアストレッチ」の機会にできる。そんなことが果たして私たちに本当にできるでしょうか。

花田流にいえば「キャリア自律」とは人間力を磨くことに他なりません。そして、キャリアアドバイザーはその時にまさに真価を問われるのです。

今回の話は、今までの花田先生が語っている話の総集編のようで、ここ10年ほどに渡って学ばせていただいたことが、つながり始めているような感じがしました。でも、それがつながりきれないもどかしさの方を強く感じます。今、こうして文にしてみても、今一つブロックが合いません。

花田先生は、伝統的大企業がこの問題に見舞われる、つまり序列による人事管理の限界がくる時期を2020年であるとか、2025年だと語られています。しかし、まさに今、このことを真剣に考えなければいけない企業がすでに日本にはたくさんあります。それは成長しつつある新興企業です。これらの企業は規模は伝統的大企業に匹敵するようになっても、伝統的大企業の人事モデルの後追いをすることには何の意味もありません。伝統的大企業よりも早く次世代の日本型人事モデルを求める必要があるわけです。そして、現実的に模索は始まっています。

いろいろな方と真剣に語り合いたいと思います。

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【2012/11/11 22:41】 | キャリア~全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
外的キャリアとキャリアスリップ
野口先生と山中先生のメンタル・コンシェルジュの今期最後のセミナーがありました。最後はやはり花田光世先生の登場です。自分としては、非常に染み入る話が聞けました。また、今後の指針も少しできたような気がします。ただ、すべてが上手に一つにつながりません。そんな中ではありますが、少しリフレクションがてら、整理をしてみたいと思います。

テーマは「キャリアスリップをいかに乗り越えるか」。このお題は野口先生が花田先生につきつけたとのこと。

結婚や出産、引越し、子育て、ポストオフ、体調不良、シニア層、親の介護…、けして想定外ではないのかもしれないのですが、予定を立て切れていなかった事態は、必ず誰の身にもいくつかは発生するといっていいでしょう。

例えば、若者が入社1年目や2年目で辞める、いつの時代も最大の理由は「こんなはずじゃなかった」という奴です。つまり、リアリティショック。自分の思っていることと、実際との相違を受け止められきれないわけです。

ある意味では、先にあげた「キャリアスリップ」物のイベントも、リアリティショックだといっていいのかもしれません。そういうことはあるとは思っていたけど、実際に起こるとね、ということです。

「キャリアスリップ」の根底にはある特定のキャリア観がある、と花田先生は指摘します。それは「外的キャリア」へのこだわり。大きな責任、重要な仕事、高い給与、偉い立場、そんなものに価値を置き、そういった序列上、上へ上へと進むことを目指す、そんなキャリア観です。

「キャリアアップ」という言葉は「外的キャリア」へのこだわりを前提にしています。「キャリアアップ」の反対語を「キャリアダウン」だとすると、「外的キャリア」へのこだわりの強い人であれば、「キャリアダウン」と「キャリアスリップ」は極めて近い意味合いを持ってしまいます。「キャリアアップ」を求めるキャリア観であれば、「キャリアスリップ」は必然的に厳しい局面に自分を追い込みます。

逆に「内的キャリア」に視点を置いた場合、「キャリアアップ」にあたる言葉は、花田流にいえば「キャリアストレッチ」です。キャリアの観点で自分の幅を広げていくわけですから、外的キャリア的にはネガティブな事象が起こっても、それは見方によっては「キャリアストレッチ」の可能性を秘めた機会でもあるわけです。

では、「キャリアストレッチ」の反対は何かというと、それは「現状にとどまること」だと花田先生はいいます。「外的キャリア」的な観点での評価としては、ダウンであろうがアップであろうが、そこにとどまらずに自分の状態を「キャリアストレッチ」できるか、ダウンであればあるほど、気持ちの持ち方で「キャリアストレッチ」ができる可能性があるわけです。

なんだかんだいっても日本企業は、「外的キャリア」で社員をモチベートしてきました。「外的キャリア」に基づいた「キャリアアップ」を目指す価値観をつくり、「キャリアアップ」が望めない層がいかにモチベーションを落とさないかに腐心してきました。例えば、役職につけない人を専門職として処遇するなどといった施策がまさにこれです。

長くなりましたので、明日はこの続きを企業における視点でもう少し整理してみます。

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【2012/11/10 17:55】 | キャリア~全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
過去の自分に負けないように
昨日のブログに対して、野口さんからコメントをいただきました。コメントというよりも、返信をいただいたような気分がします。過分な反応をしていただいて、とても気恥ずかしい感じすらします。

「明日備(あそび)」という言葉は、とても今の自分にしっくりときます。そんな言葉が離れて10年以上たつ野口さんから今、届くなんて本当に不思議なことです。この言葉、上手に広めたいなぁと思ったりもします。

そして、改めて過去の自分に負けないように、もっともっと頑張ることがたくさんあると認識しました。実はこの週末、社会人に出て以来、1枚も捨てたことのない名刺交換をさせていただいた方々の名刺を大量に捨てました。数千枚に及ぶかと思います。20代の営業時代に交換した名刺が大量に有りましたが、ちゃんと顧客別に並んでいました(今の自分からは考えられない几帳面さです。昔は本当のA型だったんです)。そして、自分で関心したのは、どこのユーザーもほとんど社長の名刺があること。トップメーカーという自負を先輩たちに強く持たせていただいたこともあるかと思いますが、とにかく商談は社長とするのが基本でした。決裁者と商談をしない営業は営業ではないのです。そして、現場や他の納入業者から裏をとるというのも大切なことです。もちろんその頃の私が担当していたのは、ナショナルユーザークラスではなく、地場の食品メーカーです。それでも自分の親父以上の年齢の人に気後れせずにチャレンジしていました。やるな、昔の自分。

とにかく過去の自分に負けないように。いろいろなものに慣れっこにならないように。何となく日々を過ごしてしまわないように。ただ、あの頃とは自分の年齢も違うので、今の自分なりのやり方で負けなければいいんです。

それにしても、離れていても刺激を与えてくれる元後輩の皆さんに感謝。そして、ご無沙汰している皆さんにたまにはリアルにも会わないといけないですね。


【2012/11/05 22:56】 | キャリア~全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「明日備(あそび)」としあわせ会
スコラ・コンサルタントの野口正明さんが、ブログでここのところ「明日備(あそび)」について、連続的に語っています。一番最初に「明日備」について読んだのは、スコラ・メールニュースでのコラムなのかと思いますが、まだスコラさんのサイトにバックナンバーが掲載されていないので、野口さんのブログの『なぜいま「明日備(あそび)」か』と語ってる日の分をご覧ください。

そして、今日発売の「企業と人材」にも出稿されているそうですが、残念ながら定期購読していないので、誰かからコピーさせてもらわないとです。

「明日備」という言葉を私は知りませんでしたが、江戸時代から綿々と伝わる言葉のようです。ネットで検索をすると結構、いろいろな方が蘊蓄を述べています。「働く」が「傍を楽にする」から来たのと同様に、「遊ぶ」は「明日備(あそび)」、すなわち明日に備えるから来ているということになるのでしょうか。明日も「傍を楽にする」ことに精を出せるように、その原動力として語らいや芸事に興じる、そんなことです。

さて、野口さんですが、私は一時期、机を並べて仕事をしていました。あの頃のあの食品会社ので一緒に働いていた人は、少数ではありますが、外に出てキラッと輝く仕事をしています(少数というのは、外に出た人自体が少数という意味です…)。

私は28歳まで営業をやり、人事部に移ったのですが、今の自分の基礎のほとんどは20代の営業時代につくられたと任じています。ある意味、質・量ともにハードに働いていましたが、よくよく考えると「明日備(あそび)」の要素に満ち満ちた日々でした。

毎晩、営業から戻った先輩と「残業食」を食べながらするバカ話。今から思うと貴重な時間です。週に何日、社内飲みをしていだでしょうか。牧歌的にしばしば経費も使えました。若いうちから、それなりの店に活かせてもらうのも将来に向けた大切な「明日備(あそび)」だったのだと思います。行ったこともない店で接待なんかできませんからね。いろいろな先輩が仕事帰りに営業車でゴルフの練習に連れて行ってもくれました。これは仕事なのか、遊びなのかの区別がつかない時間帯も実に多くありました。ワークとライフは、バランスをとれるような相対した存在ではありませんでした。仕事の中に遊びがあり、遊びの中に仕事がありました。

月曜日に予定しているセミナーの準備が間に合わないとなると、週末に夫婦で準備に駆け付けたりもしました。そのあとには、先輩が「ご苦労さん」とおごってくれました。別に家族で働く必要なんかないんですけどね。お客様の忘年会などの企画にも、まだ小さい子供まで連れて家族でお邪魔したこともありました。組合主催のイベントも家族連れでした。休日に後輩が尋ねてくるのも普通でした。いずれにしても、家族に対して仕事がブラックボックスになることもないといった効果は間違いなくあったと思います。

あらためて、野口さんのブログから少し引用してみます

『ここで江戸時代にいきなり話を転じたい。当時の日本は経済的には停滞期にあったが、人々はどうも豊かな文化生活をエンジョイしていたらしい。彼らにとっての「働く」とは、「傍(はた)を楽にする」活動であって、人の価値は、地位の高さや財産の大きさよりも、どれだけ人様や世間の役に立っているかで見られていたというのだ。そして、夜はせかせか残業することもなく、明日も傍を楽にする行ないの原動力として、語らいや芸事に興じ、それを「明日備(あそび)」と呼んだ。

私はこれから日本企業が目指す世界はこれだ!と直観した。「明日備(あそび)」を、現代版のビジネスとして再定義できないか。たとえば「明日備(あそび)」を、「明日の準備」と「あそび」の掛け合わせと捉える。組織や事業の未来を創造するための「明日の準備」には、目の前の結果を追いかけるサイクルからいったん離れ、自由に発想し挑戦することに心底夢中になれる「あそび」が必要だ、と私は思う。』

私の捉えている「明日備(あそび)」と野口さんのいう「明日備(あそび)」とは、たぶん少し違う意味なのかもしれません。

昨今、HRの世界で取りざたされている「越境学習」というのも「明日備(あそび)」の1つと考えていいように思います。私は最近はよく「越境学習」の一人者といったようなちょっと不本意(?)な呼ばれ方をすることもありますが、「明日備(あそび)」の一人者であれば、ちょっとはいいかなぁという感じもします。

「遊ぶ」ことと「明日に備える」ことがそこそこイコールになる生き方、またそれが結果的に仕事のパワーになるような「明日備(あそび)」方。そんなことができると実に素敵ではないかと改めて思います。いうまでもなく「明日備(あそび)」はクリエイティビティの源でもあるはずです。

野口さんと一緒に過ごした食品会社の東京営業所のOB会が先日ありました。
私が20代の6年間を過ごした職場です。「しあわせ会」と呼ばれ、毎年この時期に開催されています。
参加者の最高齢は93歳のMさん、私は営業OBとしては最年少です。そして営業OBでは大勢の参加者のうち、60歳未満はわずかに3名だけ。65歳くらいではまだ若造といった感じです。そう、このOB会には会社を辞めないと入れないわけで、私たち3名以外は皆さん定年退職をされた方ばかりなのです。遠い昔の20代に6年ほどいただけでそんなお仲間に入れていただけるのは実に光栄な話です。

ハードワークには自己消耗的なハードワークと、「明日備(あそび)」的要素のあるハードワークがあるように思えます。このOB会に集った方々は、ある意味では「明日備(あそび)」的要素のあるハードワークを堪能された皆様だと実感します。その違いは何か、これは時間を少しかけて考えてもいいテーマではないかと思います。

私が入社当時のA所長もいらしていましたが、なんと80歳になったといいます。思えば私もあのときのA所長の年齢に近づいています。その日も煙草をふかしながらお酒を飲まれていたのですが、今ではこういう機会以外ではあまり煙草も酒も以前のようにはやらなくなったとか。でも、年をとって具合が悪くなったときに健康のために辞めるものがないと医者も困るだろうから続けているんだと素敵な理屈をこねておられました。そういうとこの方、20数年前には「煙草をやめる奴は意志が弱いねえ」と禁煙する人に向かっていってましたっけ。営業の必須科目のゴルフ、酒席、麻雀だけでなく、落語にウクレレ、実に「明日備(あそび)」に満ちた方です。

「明日備(あそび)」というやまと言葉、ビジネスのスタンスを見直すために役立ちそうな気もします。ただ、これがあまりに合目的的に使われては面白くありません。ワーク・ライフ・バランスの強要に少し何か違うなと感じている人達は、ワーク・ライフ・インテグレーションとか、ワーク・ライフ・フュージョンとかいう言葉を使っていますが、「明日備(あそび)」、これはいい響きです。ただし、往々にして「明日備(あそび)」は家庭の外にありがちですので、ここには注意が必要です。

「傍楽(はたらく)」と「明日備(あそび)」。この両輪をどう回していくか。なんか愉しい気分になりますね。

【2012/11/04 22:39】 | HRM全般 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
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