中途慣れしていない個人としての自分~CJJ01
東京大学の中原淳先生のブログは、幅広い題材を多角的な視点から取り上げておられ大変に学びがあります。実務家として、負けてはいられない(?)と思う日も多々あります。

ってことで、毎回はとてもできませんが、時折、中原先生のブログを題材にここでもあれこれと考えてみるという企画をしたいと思います。題して「チャレンジJ&J」。とても、いい加減なタイトルです。別に挑戦するつもりはないですが。
で、記念すべき第1回目は1月28日(月)の『「中途慣れした組織」と「中途慣れした個人」:中途採用者の抱える課題に、いかに社会は向き合うのか?』です。すでに次のブログも書かれていますので、周回遅れです。

http://www.nakahara-lab.net/blog/2013/01/post_1939.html

私は「中途慣れしていない組織」から、「中途慣れした組織」に移動した一人です。これはおそらく、「中途慣れした組織」から「中途慣れしていない組織」に移動するよりも、ハードルはかなり低いことかと思います。ただ、私の初回転職年齢は46歳であり、典型的な「中途慣れしていない個人」でした。でも、とりあえずは何とかなりました。

少し、中原先生の文を引用します。

**********************************************************
中途採用者の場合、「既存の職場での職務経験で培った知識・技能・信念」のうち、「現在の新たな職場では使えないもの」が、どうしても、生じてきます。その場合、「何」を捨てて、「何」をそのままにし、何を新たに学び直すか。こうしたことが、自然と、あまりストレスを感じずにできる人と、そうでない人がいるように思います。

特に後者の場合、自分としては、過去の職場で学んだことは、「ポータビリティ(持ち運び可能)」で、普遍的に(ユニヴァーサルに)、どの職場や組織で行われる業務でも、利用することができるはずだと考えているのに、あちらの組織では通用しても、こちらの組織では通用しない。思っている以上に、自分の培った知識が、企業特殊のスキルや技能であって、ポータブルではない、ということに気づかされる一瞬ですね(僕個人の研究的信念でいえば、ポータブルな知識・技能とは確かに存在するとは思いますが、その知識・技能は、業務上は"さして重要ではないもの"に限られると思います。"業務の中で本当に大切もの"は、状況に埋め込まれて学ばれますし、企業特殊であり、なかなか他のコンテキストでは、かつてのように奏功しないのではないかと思います)。
その場合には、学習棄却(Unlearn : すでに学んでしまったことで、現在は通用しない考えを捨てて)、学び直す(Relearn)必要があるのですが、それが、「中途慣れしていていない人」にとっては、なかなかうまくはいきません。そうしたサイクルにはいることが、あたりまえのことだとは思えないのです。
  捨てるべきものに固執する
  捨ててはいけないものを捨てる
  捨てることや学び直すことに勇気がもてない
一般に、「既存の職場」で手腕を発揮した人で、かつ、前職と現職の差が近い人ほど、いったん、この問題が深刻化すると、とても厄介です。そこには仕事のプライド、本人のアイデンティティの問題が深く絡んでくるからです。「これまでの手腕」が、組織をまたげば、場合によって「足かせ」にしかならないことも、ままあるのです。
場合によっては、周囲に、様々な不安や不満を打ち明けることができず、また助言も受けられず、元気を失っていくパターンもゼロではありません。一方、「中途慣れしている個人」は、そこで起こる様々な心理的葛藤や混乱を横目にみつつ、そのサイクルをまわし、なんとかかんとか、日々の業務をマネージング(やりくり)することができます。もちろん、時には「痛み」もともないます。そういう個人は、多くは、自分の周囲に人的ネットワークを持ちます。適切な支援者や助言者、そしてキーマンなどを見つけ、彼らとのインタラクションを通じて、組織に溶け込み、自己の再構築を行います。個人にとっての「中途慣れ」という問題は、かくのごとき問題です。
**********************************************************

自分の経験談的になってしまいますが、3つの要素が私の場合はあったかと思います。

一番目にして、一番大切なこととして「捨てるべきもの」が致命的ではなかったという点かと思います。これは実に大事です。組織が変われば「捨てるべきもの」は必ずあります。それが自分のアイデンティティに強く触れるものであれば、捨てるのは困難です。極端な話、自分の信義に反してまで捨てることは適切とは思いません。これは、どちらかというと会社選択の話です。場の選択の話です。そして、会社側も採用選考で見極めなければならない点です。大事なものを「捨てなければ」その組織に適応ができないような人を採用することは、いかに能力が高く、いかに実績を上げていても適切ではありません。たとえば、どれだけ優秀でも強いワークライフバランス思考の人をスタートアップ企業が雇用するのには、難しい点があります。チーム志向、個人志向などもそうです。営業方針やビジネスモデルなどもこれに当たるかと思います。

二番目は、外とのつながりでしょうか。私の場合は会社は変わっても、人事フィールドという職業ギルド(?)は逆に3年振りに元に戻しました。また、人事から離れていた3年間もつながりは維持し続けました。これは気持ちの上での安定感があります。また、社内専門家としての立場は、新参者にとっては新しい組織で動きやすいパスポートでもあります。

三番目は、「中途慣れしていない個人」ではあっても、「転校経験が豊富な個人」だったこともあるかと思います。小学校・中学校では2年に1度転校していました。いずれの都市でも転勤族が住むエリアというのはあります。そのエリアにある小中学校では、一学期の終業式の日にクラスから5人の友達がいなくなり、二学期の始業式の日に5人の新しい友達を迎え入れるという按配になります。「転校経験が豊富な学校」というものがあるわけです。結果、地元の生徒も「転校受け入れ経験が豊富な個人」になります。転校は自分の意思が入らないで突然起こるものなので、結構しんどさがあります。

結局は中原先生のブログをフックに思い出話を書いただけの感じではありますが、この「チャレンジJ&J」はまたやりますね。

DSC_0723.jpg

スポンサーサイト
【2013/01/29 23:58】 | HRM全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
完全なる治癒
1月28日付日本経済新聞朝刊。「ひと言の余韻」欄で、後藤正治氏が河合隼雄先生との対話を回顧されておられました。インタビューをしている中で「臨床心理を究めて対応すれば患者を治癒しうるのか」という問に対する回答だといいます。

『治るかといわれれば、そもそも治るとはなんぞやということになるわけで、その線引きがむつかしい。人は生まれてきたこと自体が病気みたいなものであって、完全なる治癒ということになれば、生まれてこないか、あるいはあの世に行ってからということになりましょうか。治ればよし、治らんでもまあええやんというスタイルでやってきたわけですが』

煙にまかれているようで、はぐらかされているようでもありますが、えもいわれぬ深い愛情が伝わってきます。
0、1のデジタルで判断できないのが、私たちなのです。

20130127_164548.jpg
【2013/01/27 18:44】 | キャリア~全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
定点観測者、同伴者としての意味
本日、キャリアリソースラボラトリーの花田光世先生のスーパービジョン。今年度5回目ですが、まともに参加できたのは(といっても30分の遅刻)初めて…でしょうか。

テーマは「外部専門家との連携について」。精神科医で多くの企業で産業医もつとめられている野口先生が前半の2時間超の時間を受け持たれます。野口先生の話の細かい部分までは書けませんが、キャリアアドバイザーとてメンタルヘルス案件に対峙し、専門家との連携をとる際のさまざまな葛藤や難しさを皆で考えました。メンバーの指摘は、産業医との連携にかなり集中していました。

そして、最後の野口先生のシートから4行だけ抜粋です。
メンタル対応、うつ病、自殺の問題などのテーマに触れた後のシートでした。

■連携の意図を自分に問い質す
■自分の不安に気づく
■最悪の事態への理解と備え
■定点観測者、同伴者としての意味


私たちが意識しなければいけないことです。最初の3つはまさにその通りですよね。「意図」を常に意識しないといけません。何となくであったり、事なかれ主義的な連携はかえって危険をはらみます。その前提としては、自分の感じている「不安」をきちんと認識することが大切です。「不安」を覆い隠さないこと、「不安」の存在から逃げないことです。そして、きちんと「最悪の事態」を認識してイメージできるだけの「知識」が必須です。知識は往々にして人を助けます。これらのことは、メンタル対応だけでなく、危機管理全般にいえることのように感じます。

最後の1つが意味深いです。「定点観測者、同伴者としての意味」。

定点観測者というのは、少し遠くからそれなりに客観視することです。それに対して同伴者というのは、相手に寄り添う存在です。この2つは、まったく使う筋肉が違うものです。現場のマネージャーは定点観測者になることはできません。しかし、冷静な定点観測は必要なものです。これと寄り添うことの二役を担うのは難しい…。しかし、現場の本当の支援者になるには、この両立は必須なのです。

そして、続く花田先生のセッション。外部専門家に関する相談が、困った問題の「解決」に終始しているという現状を指摘した上で、プロセスをデザインする部分にまで外部専門家をより「開発」的に巻き込むことができないかといわれます。野口先生のいう「同伴者」としての立場を共有してもらうということでしょうか。困った時の外部専門家ではなく、もっと日々のプロセスの中で彼らとの連携ができないかということです。

なかなか理解が追いつかず、???がいつものように(いつも以上か…)残ります。

ただ、キャリアアドバイザーの役割は「普通の社員が元気になることへの支援」だと明言し、面談で「最近どうですか」という問に「特に変わったことはありません」「まあまあです」と答えるクライアントがいたら「チャンス」と思えという花田先生の教えには、何とか答えられるようになりたいと改めて思います。そして、そのために外部専門家を活用する方法を「内部専門家」として日々考えていきたいと思います。

ところで最後の言葉、野口先生は私たちキャリアアドバイザー(どうしても私はキャリアアドバイザーとしてではなく、人事担当として考えてしまうのですが)にだけ述べた言葉なのか、ご自身にも語られている言葉なのか、何となく質問できずに終えてしまいました。

DSCF0088.jpg
【2013/01/26 22:28】 | キャリア~全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「日本の人事賃金制度を振り返る」
日本における人事の歴史について知らない人事担当者が増えていますね。人事関連のセミナーも、ほとんどが今日的課題を右に習えで取り上げているばかりで、腰を据えて歴史を学ぶ場というのがなかなかなくなっています。

例えば、当社のメンバーにしても楠田丘氏の写真を見せても誰もわかりません。まあ、そんなものでしょうか。1994年に私が経営アカデミーの人事労務コースに参加した時、たぶん最初の合宿か何かの飲み会の時でしょうか、メンバーのうち何人もが楠田丘氏の物まねができ、ほとんどの人がそれを見て笑うことができていたのを思い出します。私は誰の真似をしているのか、まったくわかりませんでした。多くの会社には、楠田丘氏の考課者教育のビデオとかがあって、当然のように皆さんは見てたんですね。ご本人から直接、指導を受けていた企業も多くあったことと思います。

私は採用・新人教育だけを3年ほどやって、人事から営業に戻りたいと我儘いってた時期で、まあこれに行ってみろという感じで経営アカデミーにいかせてもらったので、その時点では採用と新人教育以外のことはほとんど勉強していませんでした。ですから、この経営アカデミーは実に新鮮でした。ここのクラスではいろいろと人事の歴史を学びました。また、諸先輩から呑みながら聞く、運用の苦労話、企画と運用の確執の話なども本当に新鮮でした。この仕事、面白いかも、と思うことができたのも、経営アカデミーのおかげです。そして、この仕事をやるためには、常に勉強しづつけなければいけない、そうしないと社員に対して本当に失礼なことになるなと実感したものです。

実際、無知な人事担当者は罪です。これは人事に限らずに、少なくともスタッフ部門のすべてにはいえることでしょう。例えば、私たちが新しい人事制度を創るときに、流行っている制度のパッチワークをしたり、コンサル会社の使いぱしりになったりしてはいけません。自社の環境と歴史と人材とビジネスモデルにあった制度は、結局のところ自分たちで捻りだすしかないのです。そのためには徹底的に勉強をしなければなりません。

その勉強の1つに人事の歴史を加えてはいかがでしょうか。もちろん、直接には役に立たないことも多いでしょう。でも、私たちの失敗と後悔の歴史は、新しいことを考えるときにも必ず役に立つはずです。そしてまた、日本企業の良さ・強さを再認識し、グローバルな時代だからこそ、両面を理解・把握してものごとを考える必要があるように思います。
古きに学べというよりは、思い切って新しいことをやるために歴史を理解する、新しいモデルを考案するために歴史を学ぶ、といった感じでしょうか。アイデンティティを守りながら過去と決別するために改めて過去を学ぶ、という感じでしょうか。学ぶことがこんなにたくさんある中で、歴史なんて直接に役に立たないことまで学ぶ時間なんかないという合目的的過ぎる学習観をちょっと横に置いて学んでみると、そこには例えば賃金理論、評価理論だけとってもさまざまヒントがあるはずです。

あと、こういうこともあります。例えば30歳の人が新人事制度を考える担当になった場合、同じ会社にいる50歳の人は20年も早く社会に出ているわけです。例え人事の仕事はしていなくても、それなりには20年分の人事制度の歴史を知っているわけです。人はどうしても過去と比較するものです。20年分の歴史を多少は理解した上で、50歳の人にも伝わる仕組みを考えることは、意味のあることだと思います。もちろん、それで何かがぶれることは良くはありませんが、ちょっとした仕組みや打ち出しで、いろいろなことが変わってきます。

私にしても本当に争議が激しかった時代は知りません。でも、入社した頃はまだ組合が闘争時期になると組合旗を掲げてましたし、意味もわからず腕章とかもさせられました。また、子供の頃の記憶として、国鉄や私鉄のストで学校が休みになって喜んだこともありました。今の若い人事担当にこれをイメージしろといっても無理ですね。また、戦後の日本がまず採り入れようとした制度が職務給であったことを知らない人事担当者も多くいます。職能給というのは明治時代からあったものではないのです。逆にいずれ日本には職能資格制度という仕組みがあったということを知らない人事担当者が多数になる日も来るかもしれません。ただ、職能資格制度を理解せずに、ランクやグレードの仕組みを再構築するのはちょっと危険ではないでしょうか。

時折こんなことを考えるのですが、実はうってつけの企画に出会いました。

産労総合研究所が発刊する「賃金事情」の最新号です。何とこの雑誌、創刊75年を今年迎えるそうです。驚くべき歴史を誇る専門誌です。

今回の特集が「日本の人事賃金制度を振り返る」。

ここに書かれていること程度のことは理解しておいて損はないはずです。2つの対談が掲載されていますが、今の人事担当者にも役に立つ目線を多く提供してくれています。そしてまたこの特集が何よりも秀逸なのは、1945年から2012年までの人事・労務・労使関係に関わる年表がついていることです。これはまさに日本の歴史でもあります。さらには時代の変化を目で感じられる統計グラフも合わせて掲載されています。

歴史というものは、知っている者が知らない者に伝承しない限りはいずれ途絶える宿命にあります。本年表を書かれた方のような方々が、若い世代に歴史を語り続けることは大切なことです。そこからひょっとすると世界に通用するオリジナリティあふれる仕組みがまた生まれる可能性だってあるはずです。

本誌の企画の巻頭にある言葉です。
「ここで一度、過去を振り返る作業を行い、未来を考えるための土台を築きたい」。

20130119_215853.jpg
【2013/01/19 22:10】 | HRM全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
機軸脚と運動脚、そしてキャリアとか
誰しも利き手というものがあるのと同じように、機軸脚と運動脚というのがあるという話を聞きました(それぞれの言葉が正しいかどうかちょっとわかりませんが、機軸脚と運動脚という名前で話は進めます)。

私は、機軸脚が左脚で、運動脚が右足です。

一番、わかりやすいのはサッカーでフリーキックをやるときに、自然に蹴るのはどっちの脚かを考えることです。右足でボールを蹴る人は右足が運動脚、蹴るときにしっかりと支えている左足が機軸脚になります。

あとは、バスケットボールのピボットターン。自然とくるくると動かす方の脚が運動足、自然と軸足にしてしまう方が機軸脚だと思われます。機軸脚を動かすと、トラベリングの反則をとられますよ。

なんでこんな話になったかというと、月曜日の雪の話です。翌日以降、雪かきが不十分な日陰の道は凍りつきました。滑ってころんだ人もいるんじゃないでしょうか。転んだ方、思い出してみてください。あなたが転んだのは右足を踏み出したときでしょうか、左足を踏み出したときでしょうか。実は運動脚がつるっと氷の上で滑っても、機軸脚がしっかりと支えることができるので、人はあまり転ばないそうです。その反対で、機軸脚がつるっと滑った場合、これはいともたやすくスッテンコロリと転ぶといいます。私でいうと、機軸脚である左足を踏み出すときには十分に注意をしなければならないわけです。

この機軸脚と運動脚の話はいろいろと応用がききそうですね。

例えば、自分の専門性を広げるとき、自分のキャリアを考えるとき。

自分の機軸脚が何であるかを認識するのはとても大切なことです。その上で、運動脚が自由に動き回り活躍をする、そんなことができると最高ですね。
いつも脚光を浴びるのは運動脚です。サッカーのゴールシーンだって、左足で見事なシュートをした場合、「黄金の左足を振り抜いた見事なシュート」のような表現をされますね。「黄金の右足がしっかりと地面を踏みしめた上で成り立った見事なシュート」と基軸脚に焦点を当てたコメントは誰もしません。でも、地面をしっかりと踏みしめている機軸脚の活躍があるからこそ、運動脚は自由に振り抜けるわけです。若いうちにどう基軸脚を作れるかが、その後の拡がりに大きな影響を与えることになりそうです。

今日は野口先生と山中先生が主宰されるメンタルコンシェジュのセミナーで、高橋俊介先生のお話を久しぶりに聞いてきました。内容的には、ここ2年くらい比較的よく話されている「想定外変化の時代のキャリア形成」。詳しくは、また後日ここでも整理をしたいと思いますが、今の時代の特徴を「想定外変化と専門性深化の時代」と定義されていました。まったく真逆といっていいことが同時進行している時代です。専門性を深化させても、想定外変化が起き、パーになってしまう、そんな時代です。でも、まったくパーになるわけではありません。想定外変化により今までの専門性はそのまま活きなくなりますが、ゼロには戻らない何かが残ります。それこそが基軸脚のようなものなのかもしれません。基軸脚と運動脚が同じになってしまうと、想定外変化が起こった場合、それまでの専門性がバーになるリスクがあります。脚は2本あり、一緒に踏み出すことはしないから、人は安定しているのです。

また、運動脚は多少滑っても転びません。だから、失敗が可能です。それに対して、機軸脚を滑らせてはいけません。キャリアにおいて、これも大切なことですね。

なんかちょっと曖昧なメタファーでしたが、凍った道を歩くときには、是非、このお話思い出してみてください。

527.jpg
【2013/01/17 23:23】 | キャリア~全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
こんな新卒採用面接は困る??
とある方から、新卒採用面接で困った例について教えてもらえる?という依頼を受け、整理してみました。ちょっと批判的な目線で、かつお気軽に書いているので、あまりマジにとらえずにお読みください。こんな採用面接をする学生は困る??です。

①.面接をプレゼンの場と勘違いしている学生。面接は相互コミュニケーションの場。こちらの質問に適切に返答をしてもらい、こちらもそれを掘り下げていくという往復の場なのですが、質問から強引に自分の用意した内容につなげて、相手の聞いている表情も確認せずに、得意満面にプレゼンを始める学生が未だにいます。準備しているのは偉いけど、その場の状況を踏まえて応答できないようでは、仕事もできるかどうか心配になります。

②.何も企業研究をしてこない学生。なぜ、この会社に来たのか理解できないということ以前に、予習をする習慣と常識がついていないことも不安になります。例えば営業であれば、顧客訪問前の予習が大切。きっと仕事でも予習なしで顧客訪問しちゃうんでしょうか。また、自社に興味を持っていないのがみえみえの人と面接するのもさびしいものです。本命でなくても、礼儀として興味を持つということができない人は、仕事もできるかどうか心配になります。

③.ひたすら声の大きい学生。面接も個室でできるとは限らず、間仕切りをして隣の声が聞こえちゃうような環境でせざるを得ない場合が多々あります。こんな時、ひたすら声が大きい学生は困ります。隣で面接をしているほうが気が散ってとても迷惑です。このようなケースでは、どう考えても普段の声よりも大きく出していると思われるので、それが良いと判断の上でのことなのでしょうが、状況をわきまえて行動できないと、仕事もできるかどうか心配になります。

④.あらゆる質問に対して、いずれもそつなく適切に回答ができる学生。あまりにそつなくて、その人の真の姿が見えてこないタイプ。何となく良さそうには思うけど、確信が持てない。本当のその学生がどんな人なのか見えてこない。このような学生は、最終面接まではたいてい通ります。でも、最終面接では、この学生はこういう人かな、と面接時間内で理解できなかった場合は、怖くて内定は出せないものです。自分をきちんとさらけ出す面接をできない人は、また顧客とも深い関係を結べないのではないかと心配になります。

⑤.霊媒師のような学生。本当にあった話ですが、面接の最後に何か質問か付け加えたいことがあれば何でもどうぞと私がいったのに対して、「私は、目の前に座っている方が、あと何年生きることができるかが自然とわかるんです」と言い出した学生がいました。そのまま続けたら、私の余命を言いきられそうだったので、すかさず「ありがとうございました」といって即座に面接は打ち切りました。でも、この学生、生命保険会社なんかでは、重宝するかもしれません。

DSC05018.jpg
【2013/01/16 23:57】 | キャリア~学生・就職・採用 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「ギャラリーMALL:〈対話型鑑賞〉を人材育成に活かす」
一昨日は経営学習研究所(MALL)今年初めての企画、「ギャラリーMALL:〈対話型鑑賞〉を人材育成に活かす」を開催しました。MALL企画の愉しいことの1つは、参加した各理事や研究員が自分のスタンスで振り返りをFBやブログでやるところです。遅ればせながら私も整理してみます。

ちなみに募集告知はこちらです。
これを読んでどんな場を想像されますか。

会場は私は初めてなのですが「SHIBAURA HOUSE」。田町の芝浦方面、JALシティの向かい側です。まだ、ワークスアプリケーションズが小さい頃、毎年COMAPANYユーザーコミッティに来ていた、あのJALシティです(知りませんね、そんな古いこと)。この建物がなんとも表現できない不思議な味の空間になっています。駅から現地に向かう途中、外から5階の会場で準備している画像が見えます。よくよくあとから考えると、プレゼン画像は外からも見えていたはずです。雰囲気全体も街ににじみ出ていたはずです。

今回の企画推進は平野理事。やはり手掛ける人の雰囲気が出ます。実に平野理事らしい空間と時間でした。けして言葉多くないのだけども、いろいろなこと、そしていろいろな思いが伝わってくるやっぱり稀有なキャラクターです。今回は本当にお疲れさまでした。

20130111_183408.jpg

「対話型鑑賞」では、複数人でアートをまず鑑賞します。そして、ナビゲーターといわれる進行人のもとで、それぞれがどう感じたか、どう見たか、どう考えたかを語ります。他者の語りにも耳を傾けますが、けして合意形成を図るものでも、正解をめざすものでもありません。そもそも正解があるテーマではありません。

今回のナビゲーターはお2人。まずは、福のり子先生。まさにこの分野の一人者です(プロフィールはコチラ)。昨年、慶應MCCのagoraにも登場をされています。あと、是非、こちらのサイトもご覧ください。

そして、もうお1人は、阪急阪神ビジネスアソシエイトにて、阪急阪神グループの人材採用・育成担当をされている岡崎大輔さん。バリバリの実務家です。自らの学びの延長上で対話型鑑賞に魅入られて、社内での実践にもチャレンジされています。素敵なことですね。

ACOP(エーコップ:Art Communication Project)と名付けられた「みる、考える、話す、聞く」の4つを基本とした対話型の美術鑑賞教育プログラムについて、まずは体感しながら理解をし、これを人材育成に活かすにはどうしたらいいかというダイアローグを会場全体で行います。深く理解をされたい方はACOPのサイトもご覧ください。対話型美術鑑賞プログラムの全体像についても理解できます。

さて、当日は、のっけから裏切られたというか、どぎもを抜かれたことが2つあります。

1つは福先生のキャラクターです。
美術鑑賞というイメージを良い意味で裏切る関西弁バリバリの元気トーク、そして明るくかつ毅然とした掘り下げの問いかけ方、なるほどそうくるかという感じです。

そして、もう1つはアートをみるというやり方というか考え方。福先生は、対話型鑑賞から得られるものを次の5つに整理ました。

1.観察力/洞察力が身に付く
2.批判的思考力の向上
3.人が、そして自分がみえてくる
4.他者の言葉で変わっていく自分に気づく
5.建設的な相互作用

何となくアートの鑑賞って全体的な印象をとらえるようなものかなと思っていましたが、この1と2はある意味ではその対極を行きます。対話型鑑賞では一つひとつの事実を大切にします。例えば、一つのアートを上半分と下半分に分けて、まずは上半分から感じたことを語るというセッションがありましたが、確かに半分ずつみると全体をばくっとみていたときとは違うものが見えてきます。そして感じたこと、とらえたことに対して、それはなぜかとナビゲーターは問い続けます。要はどんな事実をみて、どんな解釈をしたのかとの問いです。

私たちはどうしても自分がみたいものをみる習性があります。見るというのは、非常に当たり前に日々やっていることだけに、ちゃんと意識してみるということをしていない傾向があります。そうではなく、きちんと意識をして、しかも直観を大切にしながら見ることを対話型鑑賞では学びます。そして、ナビゲーターはそれを自然に問いによって促進させていきます。

事実は一つです。でも人によって同じ絵を見ていても、どの事実を見ているかは人によって異なります。さらには事実をもとにした解釈は人の数だけあります。昨日はFACTとTRUTHという言葉で語られていましたが、FACTはまさに一つです。でも、TRUTHは人の数だけあります。このことが自然と理解できてきます。そして、先にあげた「対話型観賞から得られるもの」の3~5に至るわけです。
これは本当にFACTだろうか、自分はどんなFACTからこう感じ、考えたのだろうか、対話型鑑賞ではこの訓練が実にいやみなくできるところがあります。

20130111_195336.jpg

私はキャリアカウンセラー協会のスーパーバイザーの認定をいただいていますが、スーパーバイザーの講座で使っても面白いかもと感じました。

スーパーバイザーとは、キャリアカウンセラー(=スーパーバイジー)がクライアント(相談者)に対してより良いキャリアカウンセリングができるようにする指導・教育する立場の人です。キャリアカウンセラーは自らがカウンセリングをした事例をもってスーパーバイザーのもとに訪れます。その事例を通して、スーパーバイザーとキャリアカウンセラーの2人のセッションは行われます。

ここで一番最初に大切になるのは、何がFACTであるかです。カウンセラーは相談者の相談をとらえます。ここには非常に複層化した事実があります。①(1つしかない)事実、②クライアントが思っている事実、③カウンセラーがとらえたクライアントが思っていると思われる事実、④スーパーバイザーがとらえたクライアントが思っていると思われる事実、⑤スーパーバイザーがとらえたカウンセラーが相談者の事実だ思っている事実。書けば書くほど何のことだかわかりませんね。

キャリアカウンセリングの場面では、クライアントが自らの思い込みに気づくことにより自然に解決に近づくことが多くあります。FACTと思っていることは、よくよく掘り下げてみるとTRUTHであったりするわけです。スーパーバイザーはキャリアカウンセラーが捉えたことが、FACTなのかカウンセラーとしてのTRUTHなのか、相談者としてのTRUTHなのかをカウンセラーがきちんと区別できるように導く必要があります。その過程で、カウンセラーは自分のものの見方の癖だとかも理解し、よりよい面談をできるように成長します。

そして、これは日常の部下指導でもまったく同じです。TRUTHが異なるのは、人間が異なる以上、無理のない話ですし、あっていい話です。そして、それは個性でありその人の持ち味になります。ただし、TRUTHをFACTだと思い込んで進めるのは問題です。さらには捉えられるFACTの絶対量が少ないことも大きな問題です。これらの問題について、対話型鑑賞の手法は自然に気付きを与えられる可能性がありそうです。
他者の承認をする場合も、事実ベースの言葉でした方が響くというのもよくいわれる話です。「毎朝、始業の30分前には出社してるね」と声をかけた方が、「早くきてて立派だね」と評価的ニュアンスをつけていわれるよりも「みててくれているんだな」とメンバーは嬉しく感じるものです。

意図的に対話型鑑賞をしてみる、意図的に対話型鑑賞的にものをみてみる、そこから学べるものは少なくなさそうです。福先生が大学生と信号の話を質問に応えてされていましたが、きっと世の中が違う感じで自分に問いかけてくるようになるんじゃないでしょうか。

これ、夫婦やカップルで美術館なんかにいった際にもいいんじゃないでしょうか。私は美術館をみるのも、温泉につかるのも、食事をするのも、人よりも圧倒的に時間をかけられない方ですが、温泉と食事はともかく美術館はこれからは少し変わってくるかと思います。
あっ、食事も対話的に食べると変えられるかもしれません。

【2013/01/13 08:35】 | 経営学習研究所(MALL) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
就職面接での「挫折体験について」の質問を考える
細々ではありますが、大学生のキャリア支援に取り組み初めて随分になります。

大学生にとって、今の就職活動とはちょっとした怪物のように見えるところがあるのでしょうか。身の丈で動いても十分なのに、背伸びをしないといけないという先入観にとらわれ過ぎているなと感じることが結構あります。ですから、大学生にお話をする際もできる限り、日常の生活に気づきや学びがあることを伝える努力をしたいと思っています。

面接で話すこと、ESに書く「何か」ことがなくて困っています、という話はよく聞きます。でも、丹念に大学生活の話を聞いていくと、たいていは「何か」が出てきます。ただ、それをきちんと自分のものにするという点で十分でないので、自分で気づいていないのでしょう。経験学習のサイクルがきちんとまわせきれていない、ということなのかもしれません。ちょっともったいないです。
面接やESでは、はなばなしい活躍を語らなければならないという先入観があるのかもしれませんが、私たちがみたいのは「過去のはなばなしい活躍の実績」ではなく、「これから何をやってくれそうな人なのか」の方です。見た目は派手でなくても、ある経験からきちんと自分なりの学びをしている、それを糧に少しでいいので自分を変えている(=成長している)ことが何よりも大切です。遭遇した課題に、正面から取り組み、自分なりに考え、自分なりに行動して、それらの一連の流れから何かを学び取っている人であれば、社会に出でも同じように成長が期待できます。

たまたま今日、FBでつながっている大学でキャリアカウンセリングもされている方が、『就職活動中の学生からESや面接で「挫折経験について」問われても、思いつかなくて困っていると相談されることがある』という話を書かれていました。「挫折経験」は最近の採用面接ではとてもポピュラーの問で、多用する面接官は少なくありません。

でも、この質問にはいくつか、注意しなければならない点があります。それをちょっと整理してみます。ちなみに、私はこの質問は好きではありません。そして、自分が聞かれるのも好きではありません。

1.本当に深い挫折経験であれば、いかに就職のためとはいえ、初めてあった面接官に数分で語れるものではない。喜々として語られるものの多くは「なんちゃって挫折体験」ではないかと疑う必要がある。

2.ある体験を「挫折体験」だと認識するレベルは人によって大きくことなる。同じ仕打ちを受けても、「挫折体験」だと悲痛に受け止めて苦しみ続ける人もいるし、苦労しながらもそこそこ早くクリアしてあえて「挫折体験」だなどとまでは感じない人もいる。人として強いのは実は後者の人だ。ちょっとしたことでも「挫折」できる落ち込みやすいタイプの人が、能弁になれる可能性がある質問かもしれない。

3.前項2の前者の人と後者の人では、「挫折体験」と感じる閾値が違うわけだ。後者の人は前者の人が「挫折体験」と感じるようなことだったら、毎月のようにありますよ、なんてことかもしれない。だから、面接で「挫折体験について」聞かれても、そんな当たり前のことを話すなんてことを思いもつかないわけだ。

4.「挫折体験」に耐えたこと、乗り越えたことだけをもって、評価をしてはいけない。大切なのは、「挫折体験」をどうとらえ、自分でどのように打開策を導き出し、自らどう行動したか、それが自分の経験値としてどう積み重なっているかだ。ここでも経験学習の視点が必要になる。たまたま親が助けてくれたりした「挫折体験」では、その後の人生にあまり意味をもたないことも多い。

5.「挫折体験」はちょっと気の効いた応募者であれば、きちんと用意している。あまりにもポピュラーな問なだけに、ほんとうには「挫折体験」をしていない人こそ、自分の経験をややデフォルメしてでも「マイ挫折体験ワールド」を用意してくるのは当たり前のことだ。

6.一番いい人生は、いろいろとチャレンジしたけど、一度も「挫折体験」なんかしなかったよ、という人生かもしれない。鈍感力が強すぎるのも駄目だが、少々のことで挫折してしまう人よりは仕事はできるかもしれない。また、挫折を寄せ付けないような強い運をもっている人であれば、それは是非、採用したい人だろう。

と、やや極論的に「挫折体験について」の質問をするのであれば注意すべき点を書き連ねました。

就職面接で「挫折体験について」という質問が良く出るということをマーケティングでき、自分の今までの生活の中でそれにあたるものはあっただろうかとリフレクションできることは重要なことです。また、つらい過去に向き合えることも大切なことです。そして、本当につらいことを乗り越えたのであれば、それは自信に変えて欲しいことです。

最後になりますが、もしも私が大学生のときに就職面接で「挫折体験について」聞かれたら、たぶん上手には応えられなかったと思います。いろいろなことがありましたが、自分なりには乗り切ってきました。自己開示が苦手な人間ということもありまが、人に面と向かって「挫折です」といえるようなことは、なかなか思いつかなかったと思います。でも、私はちゃんと今、それなりに働いています。「挫折体験について」という質問に苦労した人、けして落ち込む必要はありません。もしかしたら、それは誇れることなのかもしれません。

ただし、想定される質問には回答できる準備はしてくださいね。

そうそう最後にもう一つ素朴な疑問です。なぜ「挫折経験」と聞いて、「修羅場体験」と聞かないのでしょうか。修羅場をくぐっても挫折していないツワモノは大勢いるはずです。まあ、学生に修羅場はあわないかな。修羅場をくぐることよりも、挫折することの方が大事だなんてことではないですよね。

539.jpg
【2013/01/10 23:57】 | キャリア~学生・就職・採用 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
書籍紹介「働く実感と就活」 松尾康男著
慶應義塾大学丸の内シティキャンパスでキャリアアドバイザー養成講座をともに受講した仲間である松尾康男さんが本を書かれました。タイトルは「企業トップが語る 働く実感と就活」。サブタイトルに「学生と父母に贈るハッピー就活13のアドバイス」とあります。ただし、自費出版ですので通常の書店には並びません。松尾さんから1冊いただくことができたので、さっそく読了しました。

まず、梱包を解いて驚くのは、表紙です。松尾さんそのもののイラストが現れます。実に特徴を良くとらえたいいイラストです。松尾さんのお人柄がもろに伝わってきます。共に学んでいた頃は松尾さんは金融機関に在籍されていたかと思います。そして、その後ご実家でもある愛知県の上場企業に入り、しばらくされた後は代表を4年に渡ってつとめられていました。たぶん私よりも一回り近く先輩でおられるはずです。転職当時は川崎のご自宅と愛知県の職場をしばしば往復されていたように記憶しています。その後も細くではありますが、お付き合いは続けさせていただいています。ありがたいことです。

この本は大学生(とその親御さん)を対象にした松尾さんからのメッセージです。昨年の6月に代表を退任されたのを機会に、筆を進められてきたのかと推察します。働くことと就職活動について、松尾さんの目線で暖かい語りが続きます。世話好きの親戚のおじさんが親身になって相談にのってくれているという感じの雰囲気でしょうか。

松尾さんは「働く実感」というものを大切にします。そう働くということはとてもリアルであり、だからこそ愉しみがあるわけです。就職活動生にはこれがどうしても上手に伝わりません。テレビドラマのような凄いドラマはそうそうないけど、日々素敵なドラマがあるのが「働く」ということです。

松尾さんが社長在任時に制作したはずの松尾さんの会社の新卒採用案内が「リクナビ2013」(2014ではないですよ)でまだ拝見できます。

ここの「採用条件」の欄に松尾さん自身が写真入りで登場して語っているのですが、そのコピーは『「働く」ことへの実感を感じられる仕事をぜひ見つけほしい(社長)』。

そう長文でもないので全文を勝手に引用してしまいます。

『就職活動中は常に不安を感じてしまうもの。その「不安」を「冒険」の感覚に置き換えてみたら、「ワクワク感」が生まれるかも知れません。「自分は何がやりたいのか」、「何をやっている自分なら、意味を感じ、社会に役立っていると実感できるか」―常に自分の考えや関心事を明確にし、一人ひとり感じる「価値観」と仕事のマッチングを実現していってください。本当に大切なのは、どの「会社」に入るかではなく、その「会社」に入って何をするかです。そして実際に仕事をしながら、自分の力で、目で、耳で、手で感じて「働く」ことを実感していってほしい。当社で、自分の夢を実現してください。そんな若い皆さんの熱意に期待しています』。

この思いの延長上にこの本の執筆があったのかと思います。根底に流れるのは、世代継承への暖かい思いです。そして、私自身も実に近い感情を持つようになりました。松尾さんが40年間を通して辿りついた「働くこと」と「働く実感」をこれから社会にデビューする大学生・高校生に伝えたいという思い、ささやかであっても何か小さな仲立ちができるといいなと思います。

本書を読んで、著者の思惑以外で強く感じたことが一つあります。本書のいたるところにキャリアアドバイザー養成講座での教えが散りばめられています。花田先生の一言ひとことを松尾さんは、これだけ真摯にきちんと聞かれていたのか、そしてこういう思いをされていたのかという点に、正直いってはっとさせられたところがあります。

私は学びの場に実に恵まれている人間だと思います。そしていろいろな場、新しい場に出て行くのが好きです。でも、いろいろと出歩いてしまうだけに、一つ一つの場からもっと得られるものがあるはずなのに、それをおろそかにしてこなかったか、学びを流してしまっているところはなかったか、そんなことを本書を読みながら考えました。今年の自分の目標は「時間を愛おしく使おう」なのですが、まさにその思いとシンクロするところがありました。

大学生に何らかの支援をしたいというのは、私にとってもライフワーク的に取り組みたいと感じ続けているテーマの1つです。松尾さんの指摘する「働く実感」を理解してもらうというのは、間違いなく大切な観点です。そのために一番いいのは、大学生と普通の社会人の接点が増えることでしょうか。結構、同じ思いを持って行動に移している社会人も増えているように感じます。

難しいのは、松尾さんのこの本を読んで当の大学生はどう感じるかという点です。これは私もまったく同じなのですが、既に社会人になった身、しかも年齢が毎年離れている身としては、大学生にどう「実感」をもって話が伝わっているのかという点にどうにも自信が持てないところがあります。
また、もう一つの問題として、こういった書籍を手に取るような大学生、こういった書籍から自然に気付きを得るような大学生であれば、実は支援の必要はあまりないのではないかというパラドックスです。私たちは誰に何をどう投げかけるのがいいのか、これは最近よく考える難題です。

でも、考えているだけでなく、行動に移すことが大切だという当たり前の結論を松尾さんは本を書くという行為で私たちに強く示してくださいました。

まだまだ松尾さんの人生に多くの「偶然」が降りかかることを1人の仲間として愉しみにしています。

20130105_215913.jpg
【2013/01/05 22:03】 | キャリア~学生・就職・採用 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
時間不足を克服するための2つのアプローチ
50歳を超え、改めて時間について考えます。
というか、時間不足について考えます。

やりたいことがいつも行列しており、やらなければならない大切なことも多く控えています。様々な役割としての自分があり、それぞれが時間予算を要求します。その割には、無駄な時間を膨大に過ごしているような気もしますが、その無駄こそがプライス・レスであるようにも思います。

様々な時間活用法が巷には溢れていますが、時間不足を克服するには、基本的には2つのアプローチしかないと思います。

1つめは時間生産性を高めること。つまり、単位時間あたりにできる「量」と「質」を高め、結果的に時間を創造する方法です。これは日常のビジネスの世界では有効ですし、実生活でもいろいろと取り組みがいはあります。ゲーム性を持たせてやれば、ある程度は愉しめますが、あまりしゃかりきになり過ぎると疲れます。隙間時間を埋めろ、というのもこれの一手法ですが、隙間があるから生きていけるという真実もあります。移動の電車の中ではぼんやりしたり、寝たかったりするわけです。合目的的に時間をとらえることは、人を豊かにする気もしますが、人から豊かさを奪う気もします。そもそも、そのように感傷的に時間を捉えること自体が、時間をうまく扱えていない証拠なのかもしれません。

もう一つは、選択と集中。もしくは優先順位というアプローチです。やること自体を選択するわけです。断捨離という言葉も流行りました。所詮、すべてはとれないという達観ができれば、あとは断捨離するしかありません。でも、そんな達観がなかなかできないのが煩悩に溢れる私たちです。また、合理的に優先順位を明確にして、優先順位に従って生きていたら、きっと徐々に息が詰まってきます。仕事上だけなら、まあいいですが……。膨大な無駄が最終的に成果に辿りつくということもあります。

どうしても、時間を考える時、その有限性が故に息苦しくなります。真面目に考えると、それはゼロサムの世界になり、あっち立てればこちら立たずの世界になります。そうなると気持ち的にはしんどいです。でも、確かに一日は24時間なのです。

ただ、その反面、時間とは実に主観的な存在であり、それは誰もが経験しています。すぐにたってしまう1時間と、しぬほど長く感じる5分間というものが存在します。また、同じ時間を過ごしても、実にもったいなかったと感じる1時間と、実に貴重であった1時間というのが存在します。

今年は徹底的に時間生産性にはこだわりたいと思います。
そのために一番必要なのは、実は健康です。そして場合によっては適正な睡眠時間というのもあるかもしれません。
とにかく、正常に頭を回転させる時間を長く確保できるにこしたことはありません。

時間生産性にはこだわりながら、主観的に時間を愉しむ取り組みもしてみたいと思います。この成果判定はシンプルです。あとで時間の使い方について、後悔するかしないかです。これはけして合理的な意味だけではありません。とっても無駄な時間にみえても、後悔が伴わなければ大切な時間なのです。少なくとも、まぁいいか、でいければOKです。そのためにも、一瞬一瞬の真実に対して誠実であることが必要です。これは容易ではありませんが、取り組み次第では困難でもないように感じられます。

なんかわかったようなわからないような話を書き連ねています。そもそもこれを書いている時間が無駄ではないかという声も聞こえなくもありません。時間の使い方という、古くて克服されていないテーマにこだわる気持ちを持つことが、時間をいとおしく使うことになると思っています。効率的な時間の使い方が、イコール良い使い方でないところが難しいところです。

せっかくなのですから、一つひとつのことをいとおしくとらえて過ごしたいなぁと思っています。

20130103_132310.jpg
【2013/01/03 19:21】 | 仕事の進め方 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム |