東京大学の中原淳先生のブログは、幅広い題材を多角的な視点から取り上げておられ大変に学びがあります。実務家として、負けてはいられない(?)と思う日も多々あります。
ってことで、毎回はとてもできませんが、時折、中原先生のブログを題材にここでもあれこれと考えてみるという企画をしたいと思います。題して「チャレンジJ&J」。とても、いい加減なタイトルです。別に挑戦するつもりはないですが。 で、記念すべき第1回目は1月28日(月)の『「中途慣れした組織」と「中途慣れした個人」:中途採用者の抱える課題に、いかに社会は向き合うのか?』です。すでに次のブログも書かれていますので、周回遅れです。 http://www.nakahara-lab.net/blog/2013/01/post_1939.html 私は「中途慣れしていない組織」から、「中途慣れした組織」に移動した一人です。これはおそらく、「中途慣れした組織」から「中途慣れしていない組織」に移動するよりも、ハードルはかなり低いことかと思います。ただ、私の初回転職年齢は46歳であり、典型的な「中途慣れしていない個人」でした。でも、とりあえずは何とかなりました。 少し、中原先生の文を引用します。 ********************************************************** 中途採用者の場合、「既存の職場での職務経験で培った知識・技能・信念」のうち、「現在の新たな職場では使えないもの」が、どうしても、生じてきます。その場合、「何」を捨てて、「何」をそのままにし、何を新たに学び直すか。こうしたことが、自然と、あまりストレスを感じずにできる人と、そうでない人がいるように思います。 特に後者の場合、自分としては、過去の職場で学んだことは、「ポータビリティ(持ち運び可能)」で、普遍的に(ユニヴァーサルに)、どの職場や組織で行われる業務でも、利用することができるはずだと考えているのに、あちらの組織では通用しても、こちらの組織では通用しない。思っている以上に、自分の培った知識が、企業特殊のスキルや技能であって、ポータブルではない、ということに気づかされる一瞬ですね(僕個人の研究的信念でいえば、ポータブルな知識・技能とは確かに存在するとは思いますが、その知識・技能は、業務上は"さして重要ではないもの"に限られると思います。"業務の中で本当に大切もの"は、状況に埋め込まれて学ばれますし、企業特殊であり、なかなか他のコンテキストでは、かつてのように奏功しないのではないかと思います)。 その場合には、学習棄却(Unlearn : すでに学んでしまったことで、現在は通用しない考えを捨てて)、学び直す(Relearn)必要があるのですが、それが、「中途慣れしていていない人」にとっては、なかなかうまくはいきません。そうしたサイクルにはいることが、あたりまえのことだとは思えないのです。 捨てるべきものに固執する 捨ててはいけないものを捨てる 捨てることや学び直すことに勇気がもてない 一般に、「既存の職場」で手腕を発揮した人で、かつ、前職と現職の差が近い人ほど、いったん、この問題が深刻化すると、とても厄介です。そこには仕事のプライド、本人のアイデンティティの問題が深く絡んでくるからです。「これまでの手腕」が、組織をまたげば、場合によって「足かせ」にしかならないことも、ままあるのです。 場合によっては、周囲に、様々な不安や不満を打ち明けることができず、また助言も受けられず、元気を失っていくパターンもゼロではありません。一方、「中途慣れしている個人」は、そこで起こる様々な心理的葛藤や混乱を横目にみつつ、そのサイクルをまわし、なんとかかんとか、日々の業務をマネージング(やりくり)することができます。もちろん、時には「痛み」もともないます。そういう個人は、多くは、自分の周囲に人的ネットワークを持ちます。適切な支援者や助言者、そしてキーマンなどを見つけ、彼らとのインタラクションを通じて、組織に溶け込み、自己の再構築を行います。個人にとっての「中途慣れ」という問題は、かくのごとき問題です。 ********************************************************** 自分の経験談的になってしまいますが、3つの要素が私の場合はあったかと思います。 一番目にして、一番大切なこととして「捨てるべきもの」が致命的ではなかったという点かと思います。これは実に大事です。組織が変われば「捨てるべきもの」は必ずあります。それが自分のアイデンティティに強く触れるものであれば、捨てるのは困難です。極端な話、自分の信義に反してまで捨てることは適切とは思いません。これは、どちらかというと会社選択の話です。場の選択の話です。そして、会社側も採用選考で見極めなければならない点です。大事なものを「捨てなければ」その組織に適応ができないような人を採用することは、いかに能力が高く、いかに実績を上げていても適切ではありません。たとえば、どれだけ優秀でも強いワークライフバランス思考の人をスタートアップ企業が雇用するのには、難しい点があります。チーム志向、個人志向などもそうです。営業方針やビジネスモデルなどもこれに当たるかと思います。 二番目は、外とのつながりでしょうか。私の場合は会社は変わっても、人事フィールドという職業ギルド(?)は逆に3年振りに元に戻しました。また、人事から離れていた3年間もつながりは維持し続けました。これは気持ちの上での安定感があります。また、社内専門家としての立場は、新参者にとっては新しい組織で動きやすいパスポートでもあります。 三番目は、「中途慣れしていない個人」ではあっても、「転校経験が豊富な個人」だったこともあるかと思います。小学校・中学校では2年に1度転校していました。いずれの都市でも転勤族が住むエリアというのはあります。そのエリアにある小中学校では、一学期の終業式の日にクラスから5人の友達がいなくなり、二学期の始業式の日に5人の新しい友達を迎え入れるという按配になります。「転校経験が豊富な学校」というものがあるわけです。結果、地元の生徒も「転校受け入れ経験が豊富な個人」になります。転校は自分の意思が入らないで突然起こるものなので、結構しんどさがあります。 結局は中原先生のブログをフックに思い出話を書いただけの感じではありますが、この「チャレンジJ&J」はまたやりますね。 ![]() スポンサーサイト
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日本における人事の歴史について知らない人事担当者が増えていますね。人事関連のセミナーも、ほとんどが今日的課題を右に習えで取り上げているばかりで、腰を据えて歴史を学ぶ場というのがなかなかなくなっています。
例えば、当社のメンバーにしても楠田丘氏の写真を見せても誰もわかりません。まあ、そんなものでしょうか。1994年に私が経営アカデミーの人事労務コースに参加した時、たぶん最初の合宿か何かの飲み会の時でしょうか、メンバーのうち何人もが楠田丘氏の物まねができ、ほとんどの人がそれを見て笑うことができていたのを思い出します。私は誰の真似をしているのか、まったくわかりませんでした。多くの会社には、楠田丘氏の考課者教育のビデオとかがあって、当然のように皆さんは見てたんですね。ご本人から直接、指導を受けていた企業も多くあったことと思います。 私は採用・新人教育だけを3年ほどやって、人事から営業に戻りたいと我儘いってた時期で、まあこれに行ってみろという感じで経営アカデミーにいかせてもらったので、その時点では採用と新人教育以外のことはほとんど勉強していませんでした。ですから、この経営アカデミーは実に新鮮でした。ここのクラスではいろいろと人事の歴史を学びました。また、諸先輩から呑みながら聞く、運用の苦労話、企画と運用の確執の話なども本当に新鮮でした。この仕事、面白いかも、と思うことができたのも、経営アカデミーのおかげです。そして、この仕事をやるためには、常に勉強しづつけなければいけない、そうしないと社員に対して本当に失礼なことになるなと実感したものです。 実際、無知な人事担当者は罪です。これは人事に限らずに、少なくともスタッフ部門のすべてにはいえることでしょう。例えば、私たちが新しい人事制度を創るときに、流行っている制度のパッチワークをしたり、コンサル会社の使いぱしりになったりしてはいけません。自社の環境と歴史と人材とビジネスモデルにあった制度は、結局のところ自分たちで捻りだすしかないのです。そのためには徹底的に勉強をしなければなりません。 その勉強の1つに人事の歴史を加えてはいかがでしょうか。もちろん、直接には役に立たないことも多いでしょう。でも、私たちの失敗と後悔の歴史は、新しいことを考えるときにも必ず役に立つはずです。そしてまた、日本企業の良さ・強さを再認識し、グローバルな時代だからこそ、両面を理解・把握してものごとを考える必要があるように思います。 古きに学べというよりは、思い切って新しいことをやるために歴史を理解する、新しいモデルを考案するために歴史を学ぶ、といった感じでしょうか。アイデンティティを守りながら過去と決別するために改めて過去を学ぶ、という感じでしょうか。学ぶことがこんなにたくさんある中で、歴史なんて直接に役に立たないことまで学ぶ時間なんかないという合目的的過ぎる学習観をちょっと横に置いて学んでみると、そこには例えば賃金理論、評価理論だけとってもさまざまヒントがあるはずです。 あと、こういうこともあります。例えば30歳の人が新人事制度を考える担当になった場合、同じ会社にいる50歳の人は20年も早く社会に出ているわけです。例え人事の仕事はしていなくても、それなりには20年分の人事制度の歴史を知っているわけです。人はどうしても過去と比較するものです。20年分の歴史を多少は理解した上で、50歳の人にも伝わる仕組みを考えることは、意味のあることだと思います。もちろん、それで何かがぶれることは良くはありませんが、ちょっとした仕組みや打ち出しで、いろいろなことが変わってきます。 私にしても本当に争議が激しかった時代は知りません。でも、入社した頃はまだ組合が闘争時期になると組合旗を掲げてましたし、意味もわからず腕章とかもさせられました。また、子供の頃の記憶として、国鉄や私鉄のストで学校が休みになって喜んだこともありました。今の若い人事担当にこれをイメージしろといっても無理ですね。また、戦後の日本がまず採り入れようとした制度が職務給であったことを知らない人事担当者も多くいます。職能給というのは明治時代からあったものではないのです。逆にいずれ日本には職能資格制度という仕組みがあったということを知らない人事担当者が多数になる日も来るかもしれません。ただ、職能資格制度を理解せずに、ランクやグレードの仕組みを再構築するのはちょっと危険ではないでしょうか。 時折こんなことを考えるのですが、実はうってつけの企画に出会いました。 産労総合研究所が発刊する「賃金事情」の最新号です。何とこの雑誌、創刊75年を今年迎えるそうです。驚くべき歴史を誇る専門誌です。 今回の特集が「日本の人事賃金制度を振り返る」。 ここに書かれていること程度のことは理解しておいて損はないはずです。2つの対談が掲載されていますが、今の人事担当者にも役に立つ目線を多く提供してくれています。そしてまたこの特集が何よりも秀逸なのは、1945年から2012年までの人事・労務・労使関係に関わる年表がついていることです。これはまさに日本の歴史でもあります。さらには時代の変化を目で感じられる統計グラフも合わせて掲載されています。 歴史というものは、知っている者が知らない者に伝承しない限りはいずれ途絶える宿命にあります。本年表を書かれた方のような方々が、若い世代に歴史を語り続けることは大切なことです。そこからひょっとすると世界に通用するオリジナリティあふれる仕組みがまた生まれる可能性だってあるはずです。 本誌の企画の巻頭にある言葉です。 「ここで一度、過去を振り返る作業を行い、未来を考えるための土台を築きたい」。 ![]() |
一昨日は経営学習研究所(MALL)今年初めての企画、「ギャラリーMALL:〈対話型鑑賞〉を人材育成に活かす」を開催しました。MALL企画の愉しいことの1つは、参加した各理事や研究員が自分のスタンスで振り返りをFBやブログでやるところです。遅ればせながら私も整理してみます。
ちなみに募集告知はこちらです。 これを読んでどんな場を想像されますか。 会場は私は初めてなのですが「SHIBAURA HOUSE」。田町の芝浦方面、JALシティの向かい側です。まだ、ワークスアプリケーションズが小さい頃、毎年COMAPANYユーザーコミッティに来ていた、あのJALシティです(知りませんね、そんな古いこと)。この建物がなんとも表現できない不思議な味の空間になっています。駅から現地に向かう途中、外から5階の会場で準備している画像が見えます。よくよくあとから考えると、プレゼン画像は外からも見えていたはずです。雰囲気全体も街ににじみ出ていたはずです。 今回の企画推進は平野理事。やはり手掛ける人の雰囲気が出ます。実に平野理事らしい空間と時間でした。けして言葉多くないのだけども、いろいろなこと、そしていろいろな思いが伝わってくるやっぱり稀有なキャラクターです。今回は本当にお疲れさまでした。 ![]() 「対話型鑑賞」では、複数人でアートをまず鑑賞します。そして、ナビゲーターといわれる進行人のもとで、それぞれがどう感じたか、どう見たか、どう考えたかを語ります。他者の語りにも耳を傾けますが、けして合意形成を図るものでも、正解をめざすものでもありません。そもそも正解があるテーマではありません。 今回のナビゲーターはお2人。まずは、福のり子先生。まさにこの分野の一人者です(プロフィールはコチラ)。昨年、慶應MCCのagoraにも登場をされています。あと、是非、こちらのサイトもご覧ください。 そして、もうお1人は、阪急阪神ビジネスアソシエイトにて、阪急阪神グループの人材採用・育成担当をされている岡崎大輔さん。バリバリの実務家です。自らの学びの延長上で対話型鑑賞に魅入られて、社内での実践にもチャレンジされています。素敵なことですね。 ACOP(エーコップ:Art Communication Project)と名付けられた「みる、考える、話す、聞く」の4つを基本とした対話型の美術鑑賞教育プログラムについて、まずは体感しながら理解をし、これを人材育成に活かすにはどうしたらいいかというダイアローグを会場全体で行います。深く理解をされたい方はACOPのサイトもご覧ください。対話型美術鑑賞プログラムの全体像についても理解できます。 さて、当日は、のっけから裏切られたというか、どぎもを抜かれたことが2つあります。 1つは福先生のキャラクターです。 美術鑑賞というイメージを良い意味で裏切る関西弁バリバリの元気トーク、そして明るくかつ毅然とした掘り下げの問いかけ方、なるほどそうくるかという感じです。 そして、もう1つはアートをみるというやり方というか考え方。福先生は、対話型鑑賞から得られるものを次の5つに整理ました。 1.観察力/洞察力が身に付く 2.批判的思考力の向上 3.人が、そして自分がみえてくる 4.他者の言葉で変わっていく自分に気づく 5.建設的な相互作用 何となくアートの鑑賞って全体的な印象をとらえるようなものかなと思っていましたが、この1と2はある意味ではその対極を行きます。対話型鑑賞では一つひとつの事実を大切にします。例えば、一つのアートを上半分と下半分に分けて、まずは上半分から感じたことを語るというセッションがありましたが、確かに半分ずつみると全体をばくっとみていたときとは違うものが見えてきます。そして感じたこと、とらえたことに対して、それはなぜかとナビゲーターは問い続けます。要はどんな事実をみて、どんな解釈をしたのかとの問いです。 私たちはどうしても自分がみたいものをみる習性があります。見るというのは、非常に当たり前に日々やっていることだけに、ちゃんと意識してみるということをしていない傾向があります。そうではなく、きちんと意識をして、しかも直観を大切にしながら見ることを対話型鑑賞では学びます。そして、ナビゲーターはそれを自然に問いによって促進させていきます。 事実は一つです。でも人によって同じ絵を見ていても、どの事実を見ているかは人によって異なります。さらには事実をもとにした解釈は人の数だけあります。昨日はFACTとTRUTHという言葉で語られていましたが、FACTはまさに一つです。でも、TRUTHは人の数だけあります。このことが自然と理解できてきます。そして、先にあげた「対話型観賞から得られるもの」の3~5に至るわけです。 これは本当にFACTだろうか、自分はどんなFACTからこう感じ、考えたのだろうか、対話型鑑賞ではこの訓練が実にいやみなくできるところがあります。 ![]() 私はキャリアカウンセラー協会のスーパーバイザーの認定をいただいていますが、スーパーバイザーの講座で使っても面白いかもと感じました。 スーパーバイザーとは、キャリアカウンセラー(=スーパーバイジー)がクライアント(相談者)に対してより良いキャリアカウンセリングができるようにする指導・教育する立場の人です。キャリアカウンセラーは自らがカウンセリングをした事例をもってスーパーバイザーのもとに訪れます。その事例を通して、スーパーバイザーとキャリアカウンセラーの2人のセッションは行われます。 ここで一番最初に大切になるのは、何がFACTであるかです。カウンセラーは相談者の相談をとらえます。ここには非常に複層化した事実があります。①(1つしかない)事実、②クライアントが思っている事実、③カウンセラーがとらえたクライアントが思っていると思われる事実、④スーパーバイザーがとらえたクライアントが思っていると思われる事実、⑤スーパーバイザーがとらえたカウンセラーが相談者の事実だ思っている事実。書けば書くほど何のことだかわかりませんね。 キャリアカウンセリングの場面では、クライアントが自らの思い込みに気づくことにより自然に解決に近づくことが多くあります。FACTと思っていることは、よくよく掘り下げてみるとTRUTHであったりするわけです。スーパーバイザーはキャリアカウンセラーが捉えたことが、FACTなのかカウンセラーとしてのTRUTHなのか、相談者としてのTRUTHなのかをカウンセラーがきちんと区別できるように導く必要があります。その過程で、カウンセラーは自分のものの見方の癖だとかも理解し、よりよい面談をできるように成長します。 そして、これは日常の部下指導でもまったく同じです。TRUTHが異なるのは、人間が異なる以上、無理のない話ですし、あっていい話です。そして、それは個性でありその人の持ち味になります。ただし、TRUTHをFACTだと思い込んで進めるのは問題です。さらには捉えられるFACTの絶対量が少ないことも大きな問題です。これらの問題について、対話型鑑賞の手法は自然に気付きを与えられる可能性がありそうです。 他者の承認をする場合も、事実ベースの言葉でした方が響くというのもよくいわれる話です。「毎朝、始業の30分前には出社してるね」と声をかけた方が、「早くきてて立派だね」と評価的ニュアンスをつけていわれるよりも「みててくれているんだな」とメンバーは嬉しく感じるものです。 意図的に対話型鑑賞をしてみる、意図的に対話型鑑賞的にものをみてみる、そこから学べるものは少なくなさそうです。福先生が大学生と信号の話を質問に応えてされていましたが、きっと世の中が違う感じで自分に問いかけてくるようになるんじゃないでしょうか。 これ、夫婦やカップルで美術館なんかにいった際にもいいんじゃないでしょうか。私は美術館をみるのも、温泉につかるのも、食事をするのも、人よりも圧倒的に時間をかけられない方ですが、温泉と食事はともかく美術館はこれからは少し変わってくるかと思います。 あっ、食事も対話的に食べると変えられるかもしれません。 |
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