「適応」は生きていくためには必要ですが、その先の問題として「過剰適応」と「同化」し過ぎの問題があります。「同化」し過ぎは組織社会化の果ての1つの帰結ですが、「過剰適応」は案外とより広いところで発生するようです。
私のいる会社では、「ブレイフルラーニング」の影響を受けて新卒会社説明会を少しワークショップ的にデザインしています。内容については以前のブログをご参照ください。 この中段で学生4名グループでのダイアローグの時間があります。会社からの投げかけを受けて、みなでリフレクションをする時間です。 学生には、気楽な雰囲気の中でまじめな話をする場、雑談でもなく会議でもない対話の時間、学食やカフェで仲間と対話しているような雰囲気で、けっして皆さんが他社で経験している就活的グループワークにはしないで、というような話をあらかじめします。 大半のグループでは、とっても暖かくいい感じの雰囲気で自然と話がはずみます。社会にまみれてないって凄いことだなぁとちょっと思ったりします。社会で揉まれることで私たちは多くのことを得ていますが、失っていることもあるんだよなぁと感傷にひたったりもします。 でも、たまに「なるほど」と腕組みをしたくなるようなグループが生まれます。 たいていはこう口火を切る男子がいます。「皆での話合いがうまく進むようにまずは進行役と書記役を決めませんか。私が進行役をやってもいいので、誰か書記をやってくれる人はいませんか」。 他の3名は「あれ、そういうことでいいのかなぁ」という表情はするものの、その男子のさも自分はこういうのに慣れているんだという雰囲気を醸し出しながらの進行にたじろぎ、何となく場を委ねます。さすがにそのあたりで「あれ、皆は学食で友達とだべるときに、最初に進行役と書記役を決めてるのかな」とこちらが介入します。100人近くで同時進行するので、目を配るのがちょっとギリギリのところもありますが。 これは完全に就職活動に、そして就活的グループディスカションに誤った「過剰適応」をしてしまっているケースです。ちょっとびっくりですよね。ダイアローグの時間にとうとうと自分の自慢話をしている年配の紳士と同じくらいびっくりです。 でも、笑えないけどほんとにあるんです、こういうことが。まあ、面接なんかでもどんな質問をしても自分の用意してきた話につなげて勝手にプレゼンしている人がいますが、それとほぼ同じ現象です。でも、通り一遍のグループディスカッションを一次選考でやっているだけだと、これでも下手すると一次選考は通っちゃったりしますね。積極性が○だね、とかいって。 「過剰適応」の最もいけないところは、特定のパターンに適応し過ぎているため、異なるパターンに通用しなくなってしまうことです。生物でもかなり特殊な環境に過剰ともいえる適応をした種は、環境の変化に弱くなりますよね。「過剰適応」のあまり、自分が適応したパターン以外に応用が利かなくなり、また何よりも相手の話を深くは聞かなくなります。どんな課題がきても、身体が反応してしまうのですから。これでは今のビジネス環境でもっとも機能しないタイプの人材になってしまいます。たぶん、一部の就活塾なんかでは、完全に間違ったことを教えているんでしょうね。大学のキャリアセンターも少し怪しいです。 でも、ここまでの事態を招いている責任の大半は企業にあります。何といっても「過剰適応」くらいした方が就職活動に有利だと学生に勘違いをさせている結果がこのありさまだからです。どこの企業でも横に倣えで同じようなセミナー、同じような選考をするのであれば、個別の企業の声に耳を傾けることなどせずに、パターン化した様式に適応するのが最も内定をとるには効率的なやり方だと無意識に思ってしまっても仕方がありません。 ということで、できるところから変えていましょう。 1人ひとりが。それが数年後には大きなうねりになっていることを信じて。 そんなワークショップを近日中にリリースしたいと計画中です。 ![]() |
書評まで書く元気はないので、こんな感じにしておきます。
今日の対話に感謝。 私たちはリアルな物語を生きています。 ****************************************************** 「分かる、と無条件に言い切ってしまうことは、分からないと開き直ることの裏返しでもあるんだ。そこには自分に対する疑いの目がない」 (p122) 「人っていうのはやっぱり、言葉にして伝えないと相手には気持ちを理解させられないんです。だけど、言葉にするのを省いて、うまくコミュニケーションが取れないと、『どうして分かってくれないのか』と腹が立ったり、『きっと相手は自分をこう思っているのだ』と勝手に先回りをして、怒ったりして、雪だるま式に関係は悪くなっていくんです」 (p123) 「それこそが作り話の効力よ。物語は、時々、人を救うんだから」 (p212) 「人を知るには三つの面があるわけ。一つ目は、外から見える様子。二つ目は、その人が説明してくれた内面の様子。三つ目は、心の中の景色そのもの」 (p225)
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いつ頃からでしょうか、ラーメンが情緒的ではなく、分析的に食されるようになったのは。
多くの人に「あの時のあの店」というラーメン店があります。ラーメン店にはストーリーがあるのです。高校の帰りに良く寄った店、残業のあとに仲間と頻繁に立ち寄った店、親によく連れられていった店、頻繁に足を運んだ得意先の近くの店、大学生の頃に住んでいた街の店………。けして世間で名店といわれたり、雑誌に取り上げられたりしない店でも、自分にとって最高の一杯を出してくれた、そんな店があるはずです。何度もなんども通い詰めた店です。実に情緒的な話です。 近年のラーメンブームは、まさに驚愕の状態です。ラーメン店主が脚光を浴びるようになって久しいですが、製麺店名がブランドになり。小麦粉の銘柄までラーメンサイトに書きこまれるなんて、私が小麦粉の営業をやっていた時分には想像もつきませんでした。先日、神保町近くのラーメン店で日清製粉の「オーション」の袋が額に入れられて飾ってあったのには、もう声が出ませんでした。強力2等粉ですよ。「ラーメン二郎」が使っているのは昔から知られていましたが、けして戦略的にプランディングされた小麦粉ではありません。他にも業務用の25㌔の小麦粉大袋(おおたい、と読みます)をディスプレイしている店舗も非常に多くなりましたよね。ほんと凄いことです。 そんな中で、ラーメンは情緒的な食べ物から、分析的な食べ物に変貌を遂げつつあるように思います。分析的というのは、情報集約的というか、ラーメンというトータルの食べ物を愉しむよりも、このスープはどこ産の何でダシをとって、とっておきの○○を隠し味に使って、あの××製麺の特性麺に全粒粉を配合した麺に、具材は△△でわずかにしか採れない□□を用いて、なんて感じです。一般の方が製麺機の切り刃の番手を指摘したりもします。もう情報過多で、なかなか情緒に浸っている余裕がありません。 そして新店がもの凄い勢いで乱立していきます。しかも、美味しいレベルの高い店が実に多いのです。また、昔でしたらあの店は味噌、あの店は塩というように、そこに行けばあれを喰えという王道メニューがあったのですが、今では1つの店で食べたいスープが3種類もあったり、つけ麺にまぜそば…、こういう状況になっていると、いっつものあの店をつくるよりも、1店でも多く新店を回りたいという気持ちにどうしてもなってしまいます。私も昨年は200食弱食べてますが、重複店は数えるほどです。ラーメン本を買うと新店だらけ。ラーメンサイトを検索しても新店が気になり、情緒に浸っている余裕がありません。 情報過多は実に世の中を消費的にします。長らく続いた魚介臭の強いつけ麺店ばかりが新店で開かれるというのが収まったと思ったら、どこもかしこも二郎インスパイアになったり、そして今は鶏・鶏・鶏っ感じですよね。ラーメンは実に口コミが似合う分野だと思いますが、それが流行迎合的な流れを助長すると、本当にしみじみといいことやっている人が浮かばれなくなったりもしかねませんし、何よりもおっかけざるを得ない気持ちになるラーメン好きも少々疲れます(嬉しいんですが)。急な混雑がオペレーションと味を乱し、結果、常連を失って衰退していくというのは、ラーメン店に限らず飲食店の悲劇ストーリーの1つでしょう。 前置きが目茶目茶長くなりましたが、そこでこの本です。ラーメン女子大生として、よくラーメン官僚さんとテレビに出ていたのが印象に強く残っている本谷亜紀さんが出した「日本初の女性ラーメン評論家になっちゃいました!」。当然ですが、店舗紹介をきちんとしているラーメン本なのですが、紹介内容が1つひとつエッセイのようになっており、実に情緒的でいい感じです。他のラーメン本が1店でも多くの店を紹介しようという誌面になっているのに対して、店数も極めて限られています。そのかわり、1店1店について自分との関係性にも言及して丁寧に語られています。そう、実に情緒的なラーメン本に仕上がっているのです。ラーメンってこういうもんだよね、という本です。ムック本ではなく薄いけれども単行本形態で、ちょっとエッセイ集に近いのりでもあります。 例えば、「桂花」や「春木屋」なんて当たり前過ぎで多くのラーメン本では、いまや完全にスルーしているともいえますが、「桂花」は母親が好きな店、「春木屋」は父や兄が好きな店といって暖かく紹介されています。「桂花」なんかは私もある時期を思いだす大切な店ですから、いやでも共感してしまいます。もちろん「評論家」としての分析的な目線もきちんと保たれています。 女性ラーメン評論家っていないんですね。お好み焼きだとわが「にっぽんお好み焼き協会」の会長自身が女性の佐竹さんですし、「古典酒場」の編集長の倉嶋さんも女性、ラーメンは空白地帯だったということでしょうか。最近では1人で二郎に並んでいる女性もたまに見かけますので、かなり変わってくるでしょうね。 成城大学の「汽水域」にお邪魔する前に、駅からだいぶ歩いた「ろんとん軒」に初訪して駅に戻って駅の三省堂でこの本を買いました。買ったことをツイートしたら、すぐにRTいただき「成城ならろんとんけん」とそこにありました。成城でラーメンを食べたことはおろか、いった店の名前なんかつぶやいてやいないのにすごいシンクロです。そういう何かがある人って、きっと何かをやれるはずです。おそらく普通に会社にお勤めしながら、ラーメンの仕事をされているのではないかと推察しますが、最低限の睡眠時間だけはとって頑張っていただきたいと期待します。
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経営学習研究所(Mall)では、各理事がそれぞれのラボを持ちます。昨晩、島田理事のCommunication & culture Labと、牧村理事のStyle Labのコラボ企画「そろそろ地に足をつけて、グローバル人材としての実践を語りませんか」が開催されました。女性お2人で創ったカラフルな会場にて、熱い学びの時間が3時間続きました。
HRの世界でのセミナー・フォーラムでは「グローバル人材」だらけといった状況ですから、そんな中でお2人がどんなタマを投げられるのか愉しみにしていましたが、まずは近安さんのお話です。アクセンチュアからHOYAに移られた方ですが、新卒で入ったアクセンチュアに20年という永きに渡って在籍されていた方です。自身を振り返ったリアルで激しいエピソードが散りばめられたストーリー、「グローバル人材としてのCapability 結局、何が必要なんだろう?」と題したお話でしたが、グローバルという枠組みを外しても、個人の学びと実践の歴史、そしてマネージャーとしての心意気のお話としても、圧倒的に面白いお話しでした。 そのあとアルコールが入ります。 そして島田さんのアカデミック・リフレクション。なんと近安さんの海外経験からの学びを経験学習モデルで整理されます。その中で、経験学習のサイクルの各段階で必要な学習スキルを対応させ、さらに異文化学習に必要な能力・特性を結び付けます。直前にはいろいろな葛藤があったそうですが、私には実にしっくりときた整理でした。ざくっと書くとこんな感じです。 具体的経験〓対人関係スキル〓関係構築、異なる文化を持つ人の尊重 ↓ 内省的観察〓情報スキル〓傾聴と観察、曖昧さへの対応 ↓ 抽象的概念化〓分析スキル〓複雑な情報の解釈 ↓ 能動的実験〓行動スキル〓率先して行動する、他者のマネジメント そして、ダイアローグの時間になります。さらには近安さんを囲んで男性4名でのディスカッション、最後は主催の女性2人によるラップアップ。 今回はMallイベントとしては珍しく、グループがあらかじめ決められていました。牧村理事が年齢、仕事内容などを考慮して、極力多様性のあるグループを創ろうと配慮してのことなのだそうですが、会場を見渡すと男ばっかりのグループとかがあります。翌日のツイッターで知りましたが、牧村理事の多様性確立基準には男女という切り口がなかったようです。これって凄く素敵なことだと思います。是非、見習いたいです。まじで。いつの日にか国籍という多様性確立基準がなくなったら、それこそほんとのグローバルでしょうか。 私もグループに入ってダイアローグに参加させていただいたのですが、その中のお1人が自らが海外で経験したディベートについての話が印象的でした。ディベートが白熱して収拾がつかないときに、なぜかそれまで目立った発言もできていなかった彼女が進行役に任命され、そのディベートを収束に導いたというのです。直接的参加はあまりできていなかったものの、傾聴と観察を丁寧にしていた結果、場の流れを把握し場を導くことができたということなのかと思います。増田弥生さんの本にも似たようなトーンの話はありましたが、これは異文化間でのビジネスに対する大きな貢献可能性のように感じます。 それにしても、典型的なグローバル人材って誰なのでしょうか。そもそもグローバル人材って英語で何と表すのでしょうか。日本人のある種のコンプレックスの表れが、これほどまでもグローパル人材がテーマにあがる素地にあるのかもしれません。その意味でも、長岡先生が指摘された、グローバル人材=できる奴とみんな思ってないか、という指摘もなるほどです。 今回、ウェルカムドリングでソフトドリンクを取る方がとても多かったです。最初のバータイムもあまり飲まれない方が結構いました。また、バーカウンターにちゃんと一列に並んで飲み物・食べ物を取りに来られる流れになったのも、Mallのイベントでは初めてだったように思います。後半のダイアローグあたりから、酒量も結構増してきましたが、初めてMallイベントに来たという方がいつもより多かったように思えます。これは、とても嬉しいことです。そのためにもMallは様々なテーマに取り組むことができる多様な陣容で構成されています。 島田さんのCommunication & culture Labは、カッコいいロゴまでできていました(いいなぁ)。私のsMALLラボも、ドラムサークル以来、企画を出していませんが、春以降の実施を目標に3つの企画を温めています。そのうちの1つは来週に幹事団による打合せを予定しています。テーマは「酒場学習論」。「学びは職場よりも酒場にある」というわけなのですが、東京の素敵な酒場を疑似的に回りながら人はいかにして酒場で学ぶのか、できれば学習とキャリアの両面からみられるといいなぁと思っています。 これからの経営学習研究所も、どうぞよろしくお願いいたします。 ![]() |
上田先生と中原先生の著書「プレイフル・ラーニング」を読んで、さっそく日本をプレイフルなラーニングで埋め尽くしたいと単純に思ったのですが、翌日、会社のメンバーに新卒採用セミナーの改革をお願いしました。もともと慶応MCCのラーニングイノベーション論3期の方がやっていたこと+先々週にお邪魔した某会社の取り組みのパクリに近いところもあるのですが、既存の知の組み合わせがイノベーションなのですから、気にしてはいけません。
「自ら発信できる人材を」とかいっている企業も会社説明会は導管型で、営業担当に語らせたり、新入社員を登場させたりといろいろ工夫はしているものの一方的に会社が話をするというのがいまだに主流です。「新しい価値を生むイノベーティブな人材を」などといいながら、横並びの解禁日を守って他社の同じような会社説明会をやっている企業もたくさんあるでしょう。で、その流れを少し変えようということです。 ラーニングバー的な表現をすると、普通のセミナーは【聞く⇒聞く⇒聞く⇒(少しだけ質問して)帰る】です。これに対して、今回は【聞く⇒考える⇒対話する⇒気づく・感じる】と変え、さらにはワークショップ自体が「仕事」のメタファになるといいなと考えました。社会では、ただ話を聞いてメモを取っているだけでは仕事にはなりません。インプットはアウトプットを前提にして存在します。インプットしたものを自分で、そして仲間とリフレクションをし、それを自分なりに解釈し、そして別の人に語る、そんな仕掛けです。 あえて会場を2つに分けて、まったく別の会社説明をします。片方はビジネスモデルについて語り、片方は人材について語ります。そして、4人ずつに分かれて振り返るためのダイアローグ。一番のポイントはこれを「就活的グループワーク」にしないこと。学生は「グループワーク」という言葉に過剰反応します。なんといっても、いまや選考のポピュラーな手法ですから。4名ほどで振り返りをしつつ、違う話を聞いたグループに説明をしてもらうのですが、これが「就活的グループワーク」にならずに、緩いけど真剣な「ダイアローグ」の場になるように演出します。 聞いたことすぐに誰かに語る、それによって会社に対する理解度も格段と高まります。何を自分が理解して何を理解していないか、何に自分は魅力を感じ、何に違和感を覚えたのかも理解できます。 さらには、ビジネスモデルを聞いたチームは、人材を聞いたチームにビジネスモデルの説明をします。会社に変わって会社説明会をやってもらうようなものです。 そして次に会社から「仕事」について語ります。これまでの「勉強」と社会に出てからの「仕事」の違い、「学生」と「社会人」の違い、今日のひとつひとつの仕掛けが、すべてそれらのメタファになっていること、仕事の本当の厳しさも伝えます。セミナー全体が、受け身で話を聞くだけの人だと当社ではきついかもというメッセージにもなりますし、私たちは横ならば的なセミナーをやらない、オリジナリティを大切にする会社だというメッセージでもあります。 学生は会場の中を何度も動き、チームを変えて、いろいろなことに取り組みます。これを100名程度を相手にやるのですから、運営側もそれなりにしんどいものですが、反応がよりリアルなのがエネルギーになります。 会場はギャラリー化させています。壁には社内のスナップやイベントの写真を額縁にいれたようなイメージで飾り、ちょっとしたコメントがつきます。会社のビジネスにまつわる各種グッズも展示します。早めにきた学生には、社員がギャラリーを案内しつつ、語りかけます。開始の合図までにアイスプレークを終えようという考えです。会場に少し暖かい空気を作り出せればと思います。 会場に入ったときに渡されるポストイットに疑問点、感じたことなどを随時書いてもらいます。これを壁に張り出してのポストイット・セッションが最後の締めくくりです。さまざまなワークショップでよく見られる日常的光景ですね。スタンドプレーで一般的な質問をする学生に時間を煩わせられることもなく、本質的な質問を選択して回答することができます。場にゆだねるけど、場にまかせ切らない設計がこのようなケースでは大切です。 てことで、今日も3回興行です。 ![]()
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