「J-center」にリフレクション
なんかものごとがつながるのってとっても好きなので、「J-center」という名前の由来を説明しますね。

これは、①中原研究室の「hakonyan」 ⇒ ②今は慣れたけど最初はなんだこの名前と思った「三日月姫」、がそれぞれ名前の由来を続けて語っておられるので、ついでに続けてみたいと思っただけです。お2人のようなケースとは異なり、とてもビジネスチックなのですが。

私は社会学部出身です。大学時代には胸を張れるような勉強はしてきませんでした。ゼミは政治学でしたが、卒論は「日本SF史」でした。指導教官の加藤哲郎先生からは「読み物として抜群と面白いが、社会性にかける」という微妙な論評をいただきました。そうです、社会学士としての卒論だったことを忘れていました。

で、何も考えずに大学を卒業するとお次は会社というものに入るものだと思い、食品メーカーに入りました。最初の配属は営業でした。素直だった私は仕事にのめり込みました。シェアが100%になるまで仕事は終わらないといって週末も働いていました。今から考えるとシェアが100%になるほどの工場の供給能力はなかったのですが。当時の営業部長の評価は「新規獲得数は抜群に多いが、既存のフォローがずさん」でした。まさにそのとおりです。今でもこの傾向は変わりません。

で、29歳の時に自己申告書というのに希望を書いて人事部に異動しました。採用というのがやりたかったのです。採用チームのスローガンは「採用は愛とマーケティングだ」にしました。スローガンを創るのが好きなのです。人事部では採用と人材育成を担当していました。

で、3年近くたった時、営業に戻る希望を出しました。新卒採用は3年以上やってはいけません。これは今でも持論です。希望に対して当時の課長は怒りました。一言でいうと「採用と教育だけをやって人事にいた何ていう奴を作るわけにはいかない」というのが彼の論拠でした。で、いろいろお話をして生産性本部の経営アカデミーというのに1年間通わせていただけることになりました。そして、担当は人事制度の企画・運用ラインにシフトしました。で、経営アカデミーのコース案内冊子をみるとたくさんの面白そうなのがあります。勝手に「マーケティングコース」に申し込もうとしました。また怒られました。当たり前ですが「人事労務コース」に申し込みをさせられました。

ここからが人生の転機です。

経営アカデミーの人事労務コースで他社の人達の取り組みと思いをきくにつけ、ものすごくこの世界にのめりこみ始めました。もの凄い勢いで本を読み、読んだ本の内容は毎週月曜日にレポートにして人事部員全員に報告していました。単純です。そして、他社の人と夜を徹して飲んだり歌ったりしているにつけ、日本中のすべての企業で同じ「人事」という仕事があることに何かとても心動かされるものがありました。営業でも同じようなことがいえますが、営業よりもなんかとっても人事の仕事が外に開いている仕事のように感じられました。

人事のことを内にこもっている仕事だという人や、人事が外に出るのは珍しいですからねという人や、人事の人の集まりって少ないですよねという人がいますが、私には理解できません。人事の仕事の魅力の20分の1も理解されていないと思います。というか本質を理解されていないと思ってしまいます。

で、気づいたら13年間同じ会社で人事の仕事をやってました。

で、気づいたら話がすっかりと脱線しています。話を戻します。

私の最初に入った会社はメーカーですから、事務系と技術系の人間がいます。研究職の同期と飲んでいたとき、こんな話が出ました。

「技術系の仕事は名前が残る」。例えば新たな技術を開発した場合に特許を申請しますが、これは個人名です。また、技術系の同期は学生時代から関連する学会に参加しており、企業に入っても人によっては頻繁に発表をしています。会社でやった研究内容をベースに発表するにしてもこれも個人名です。それに対して、確かに事務系の仕事には名前は残りません。この大口の顧客は私が獲得したんだということは先方の記憶には残るでしょうが、私がとったお客だという名前はどこにも残りません。私が設計した人事制度にも私の名前は残りません。なんとなくそれがとても悔しく感じられました。

当時、人事情報検索システムのリニューアルが進んでいました。ここで少し遊び心を入れました。システムの名称を「Jシステム」としました。表向きは人事のJだとしていますが、これは私の名前のイニシャルです。自分のイニシャルをシステムの名前に残したわけです。

そして、2001年に人事シェアードサービス組織を立ち上げました。1つの丸ごとの組織を責任もってマネジメントした初めての機会でした。組織名は「人事給与事務センター」。なんか格好悪いですし、地味です。シェアードサービスという概念がまだ浸透していない頃です。こんな名前では地味な事務屋さんが暗く仕事をしているというイメージになりかねません。立ち上げを前に一生懸命にプランディング戦略を考えました。組織のホームページを立ち上げ、ロゴを作り、そして決めた愛称が「J-center」です。徹底的に呼称には愛称を使うことにして、電話も「J-center」で出ることとしました。多くの人(特に社外の人)に自分の名前だろ、といわれましたが、一応は人事のJですということにしました。そうそうホッピービバレッジにお願いして、「J-center」地ビールというのも作り、関係者に配布したこともありましたっけ。

仕事に名前を残す必要はないのかもしれません。名もない1人の企業戦士というのも悪くはないかもしれません。でも、ちょっと感じた悔しさを大事にしたかったんでしょう。

そんな「J-center」という組織は、私の転出後にシェアードサービスセンターの大同団結の中でなくなりました。当時掲げていたシェアードへの思いとは相当に異なる組織に今はなっています。

「J-center」は徹底してネットワーク化で生きる道を志していました。正社員比率は極力さげる、派遣スタッフを上手に活用する、信頼する外部パートナーを作り協働する、これがシェアードサービスセンターの生きる道だと考えていました。社員を減らし固定費を下げ、季節毎に変動する業務ボリウムに応じて、柔軟に外部人材・アライアンス先を活用する、これが究極のシェアードだと思っていました。マネージャーは手配師です。4000名くらいの企業であれば、正社員が3名いれば人事シェアードはできるだろうという手ごたえがありました。そんな折に急に異動になり、また営業に戻ることになったのですが。

自分が初めて任された組織であり、自分のイニシャルをつけた組織であるということから「J-center」という名前には愛着があります。そして何よりもあの頃の自分には負けたくないという思いがあります。また、「J-center」はネットワークの起点になる場所だというイメージもあります。そんなこんなでブログの名前に「J-center」を使い、その後あれこれと匿名ものについてはこの名前を流用させていただいています。

hakonyanのおかげて週末にちょっと長いリフレクションができました。そろそろ病院に行く時間なので、このくらいにしますね。

《2011年3月6日》 久しぶりに休日。お天気なのですが……。



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