一夜明けて
昨晩、私はオフィスに泊りました。

各フロアで相当数の社員が宿泊したと思います。何度も余震が訪れ、何度も「緊急地震速報」のメール受信音がオフィス中で響き渡りました。誰もがあまり口にはしませんが、経験をしたことのない不安感を心に抱いていた一晩だったと思います。夜半から、都営地下鉄、東京メトロと少しずつ交通が回復してきました。それを待って深夜に帰途につく人も出てきます。もちろん早いうちから家族のもとに数十キロの道を歩んでいた人もいます。

メンバーの利用する交通機関の復旧報道を待って、朝7時前に会社を出ました。日比谷線は何とか良かったのですが、茅場町で東西線に乗り換える時点では、ホームへの入場規制が。そして来る列車は既に満員状態ということで、いつになったら乗れるのかわかりません。待ってても仕方がないので歩くことに。

昨晩のうちに家族の安否は確認できたのですが、病院にいる父だけは確認ができていませんでした。丁度、帰宅途中の南砂町の病院にいるので、茅場町から南砂町まで歩きました。

小諸そばも、すき家も、シャノアールも朝からきちんと営業をしていました。商品が乏しくなったコンビニも同様です。なんか、とてもそれが凄いことのように感じられました。夜を徹して復旧作業を行い、深夜のうちから運行を開始した鉄道会社の皆さんも凄いと感じました。超満員の駅では、多くの駅員が必死に動いています。ホームへの入場制限なんか多分経験のない駅で、大声を出して駅員同士が指示を出しあい、報告をし合い、それでも不安な時は走って確認に行っていました。ここにはコミュニケーション不全なんて言葉はありません。混雑した日比谷線では若い女性が立っていた老婆の腕をひっぱって席を替わっていました。東北地方の現場では、それこそ多くの方が夜を徹して何かに取り組まれていたことと思います。

南砂町の病院では、主治医の1人がたまたま病室に来てくれました。当直なのかなと思って聞いたら、自宅に帰れなかっただけのことだとか。今日も昼番なのでこれからこのまま勤務につきますと笑って話されていました。大変な夜を過ごされたようです。父はきわめて普通の状態ですやすやと眠っていました。ありがたいことです。

たくさんの報道が伝えている現状に対しては、何を書けばいいかわかりません。ただ、日本が頑張れる国だということ、素敵な国だということを多くの普通の人が自然とみせてくれているのが救いです。

上げ足取りやメンツのぶつけ合いが仕事だと勘違いしているんじゃなかと思われる日本の政治家の皆さんが、今回を機に本当に日本のために真剣になっていただくことを願います。問責決議案を連発することや、自分たちが選んだ党首を攻めることが今、やるべきことではないはずです。「政治でなくて政局だ」といった言葉を聞くたびに幻滅感を感じていました。

でも、今日を境に何かが変わらなければ、今回の被災者の皆さま、そのご家族の皆さまが救われません。そんなことを感じている人はとても多いように感じます。1人ひとりが何かをできるに違いないと思います。

《2011年3月13日》 実家のある舞浜は液状化現象が激しい状況です。断水も続いています。


ビジネスブログ100選
blogram投票ボタン  
↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を
関連記事
スポンサーサイト
【2011/03/12 21:48】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<2日が経ちましたが | ホーム | 恐ろしい地震でした>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://jqut.blog98.fc2.com/tb.php/1178-69c420e5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |