みんなが被災者である
水曜日にあった慶応義塾大学丸の内シティキャンパスのラーニングイノベーション論の2009年度、2010年度合同での企画(中原淳先生と精神科医の野口海先生によるトークセッション)から。テーマは『災害時の「こころのケア」』。

その中での野口先生のお話に「みんなが被災者である」という言葉がありました。
地震・津波といった直接の被害、ビルの揺れや帰宅難民経験、親族・知人にいる現地被災者、原発・放射能問題、計画停電・電車の殺人的混雑、品薄、逆にお客が来ない日々、際限なく流れる映像……、ものすごく多くの要因が絡み合った未曾有の自体が、まさに現在も進行しています。そして最大の不安要素は先行きが見えないことであり、すべての人が強いストレスを抱えていて不思議ではない状態なわけです。

実家の浦安に行くと、同じ埋立地でも対岸の葛西とは比べ物にならない液状化の被害に直面します。それなのに葛西は計画停電はなく、浦安は計画停電に何度も遭いました。ガスも下水も使えない中で、停電だけは計画的にちゃんとやってきます。計画停電の夜の浦安市民は対岸く葛西のマンションにともる灯りをみて、どんな思いをされたことでしょう。そう考えると葛西住民としては、自分たちは被災者だといっていられない気持ちになります。

でも、浦安では、与えられた状況の中で一生懸命に頑張っています。隣組で砂泥をかき集めて山にしたり、ガスが出ないのでオール電化の家が近所の人達にお風呂を提供したり、1人ぐらしの老人も少なくなく、計画停電の夜は近所で集まって過ごしたり、舞浜のホテルがシャワーを解放しているので、車を持っておりガソリンも入れれた人が近所の人を送り迎えしたり、大変だなぁと思うのですが、出てくる言葉は「ここはちっとも大変じゃない。本当の被災地の人のことを考えれば、ありがたいものだ」。

木曜日から土曜日まで仙台のオフィスにいきましたが、そこでも市内の人は同じようにいいます。街中では停電も数日で終わったし、2週間もしたら食べ物も結構手に入れることができるようになった。ガスはまだ来ていないけど、沿岸部の人達に比較すると本当に恵まれた生活を送っている、と。でも、よくよく考えれば、数日間は停電で暗闇の中で過ごし(余震も何度もあったでしょう)、2週間は満足に食品を手に入れられない日々が続き、未だに各家庭にガスは来ていないということなのです。

「危機的状況になった時に人はバランスを取ろうとアクセルとブレーキを交互に踏む」。野口先生の言葉です。義援金活動やボランティアにのめり込む心理もここにある場合もあるようです。

1人1人が「自分のストーリー」を抱え、ある時は無意識にそしてある時は必死に、アクセルとブレーキを踏み分けて、自分をコントロールしようとしています。これは程度の違いえあれど、どこにいても同じでしょう。やっぱり「みんな被災者」なんです。大事なことは、相手の「ストーリー」を大切にして「自分のストーリー」で相手を判断しないことです。この人はこうであるはずだと勝手に決め付けないことです。マスコミ的思想のの危険なところはここにもあります。

まだまったく消化できていないのですが、出張に赴いたことで少し自分の立ち位置が定まるきっかけをいただけました。素晴らしい人達のおかげで。

《2011年4月10日》 大阪維新の会が過半数を獲得。これはどう解釈しましょうか。それに対して、なんて寂しい東京都のあり様。都という輪郭が作れていません。


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