職場変化仮説と失敗不許容仮説~職場でなぜ人が育たないか
ちょっと間があきましたが、先週の「HR戦略総合セミナー2011」の振り返りをします。たぶん、何日からに分かれそうな気がします。

2日目の東京大学中原淳先生の「職場における人材育成研究のフロンティア」。

中原先生が取り組んでおられる職場における学習について、全体像がわかりやすく語られました。私の部署のメンバーが、初中原体験として聴講していましたが、翌日に配属後の新卒フォローをどうするかというミーティングで出された資料は、しっかりと経験学習の考え方が下敷きになっており、なるほど中原先生の話をこう聞いて、こう感じて、こう動こうと思ったんだなと感じ、ちょっと嬉しくなりました。学んだことをすぐに仕事の中で試してみることができる立場にいることは幸せなことです。学びが単独でさまようことがありませんから。

さて、ということでたまにはまじめに整理をしてみます。

ほおっておけば人が育ち、みんなが同じ方向に向いているという時代はいつの間にか終わっています。意識的に職場における人材教育ということを考えないと、以前のように人が育たない時代になってきています。このことは多くの方が実感として理解していると思いますが、その原因については2つの仮説を提示されました。

①職場変化仮説

かつての日本企業は何もしなくても個の能力が伸びる条件が揃っていたのです。つまり、人材育成は「意図せざる偶然の産物」として日本企業の力の源泉になっていました。

そのキーワードは「村落共同体的な職場」「年功序列」「終身雇用」「職場における長時間労働」、といった今ではネガティブなイメージしか呼び起こさない言葉達です。でも、実はこれらが人を育ててきたのです。

私の新人・若手時代はまさにこの典型でした。昨年の「Works」誌第100号の座談会の際に作った私のレゴブロックであらわした当時の職場をを中原先生は引用されますが、大勢の仲間がごちゃごちゃといて同じ方向を向いている、という姿は自然に実現されていました。特に一時期は年間で200日近く上司及びチームのメンバーと飲んでいたように思います。飲み会では馬鹿ばなしもするものの、結構、仕事の話をしました。業界の将来の話もしました。寮生ではないものの寮にも結構な頻度で転がり込んで泊っていました。組合のレクリエーション行事は夫婦で参加しており、講習会の準備で人が足りないと妻も一緒に休日出勤してそれにあたりました。そんな私たちに終了後に先輩は飯をおごってくれました。新入社員は常におごってもらい、後輩ができると常におごるという、おごりの世代継承が続いていました。おごりの世代継承は、育成の世代継承でもあったのです。お客様との付き合いも濃厚でした。若いんだから飲めという悪魔的な言葉に素直に従った私を何人ものお客様が自宅まで送ってくださいました。休日もあれこれ連れ出されました。客先の社内旅行にもいくつも同行しました。夫婦でどころか、生まれたばかりの子供も連れて社内旅行に参加したりするお付き合いもしました。そんな場も今から考えると育成の場でした。そして、何よりも仕事の実態を家族に伝えることができていたのも大きかったなと感じます。仕事と個人が混然一体としていました。ワークライフバランスなどという言葉はまだ日本にありませんでした。

そんなことのすべてを私たちは「OJT」という「幅広いキャッチオール」な概念で包みこんでしまってきました。もっと分析的に考えるべきところを、部下の成長を「OJTの成果だね」「いいOJTが機能しているね」と丸めてしまってきたのです。

そして、ある日「OJTが機能していない」ということに気付いて愕然とするのですが、そもそも「機能していたOJT」とは何なのかが理解できていないため、有効な手が打てないのです。それもそのはず、実は単純にOJTが機能していたのではなく、「村落共同体的な職場」「年功序列」「終身雇用」「職場における長時間労働」といった世界すべてで「結果として」人を育ててきたのですから。よくよく考えると、OJTというのは何1つデザインされていませんでした。

で、そんな職場はすっかりと変わります。就職氷河期の採用抑制によって、おごりの世代継承も、育成の世代継承も途絶えました。ワークライフバランスの強要により、古き良き長時間労働も罪になりました。それはそれで受け入れて新しい世界をつくればいいのですが、何となく職場が人を育てる、仕事が人を育てるという幻想にメスを入れて再構築する作業は置き去りにされまてきました。その代わりに、次世代リーダー育成であるとか、MBA的学習であるとか、OffJTへの投資が増えていきました。

人が育たないといって多くの能力開発カリキュラムが導入されてきました。何となく、これらのOffJTというのは「外科手術」というか「西洋医学」のように感じます。そして、OJTは「漢方」というか「東洋医学」です。「人が育たない」ことに気付いた私たちは、まずは「西洋医学」を次々と試してきました。これは一定の効果をみたものの、コストがかかり過ぎるという副作用もありました。そして今、改めて「東洋医学」に立ち戻り、職場での学習というものが見直されてきたんだといえます。ただ、昔の機能していた(ように見える)OJTに回帰することをそれは意味しません。といいますか、それは既にできない相談です。

②失敗不許容仮説

「失敗から物事を秩序化、組織化するプロセスこそが学習」だといいます。そうなると、学習の源泉は失敗であるということになります。しかし、今、失敗をすることが非常に難しい世の中になりました。

職場から失敗を許容する風土が失われてきています。その背景には、1つの失敗がもたらす社会的不利益があまりに大きくなってきていることがあります。コンプライアンス強化、ものいう株主の台頭ということもありますが、何よりも仕事が複雑化・相互関連化・IT化することによって、1つの失敗のもたらす影響が幅広くなってきてしまっていることがあります。失敗させて育てるなんてことを許容できるようなちょうどよい仕事が職場から失われてしまったのです。

ですから、当然の帰結として、人は失敗を恐れてリスクをとらないようになります。リスクを取らないということは、短期的にはリスク回避に当然なるのですが、中長期的に人が育たないとなると、実はそれはリスクの先送り、リスクの蓄積を招いている行為だともいえます。

中原先生が提示されたデータによると、日本は世界でもっともリスクをとらない国なのだそうです。ただ、それは環境が人にそうしている、つまり1人ひとりは環境に適応しているだけだともいえそうです。

職場で人が育たなくなったのはなぜかという仮説を2つ振り返っただけで、多大な文字数を費やしました。どうもついつい昔を振り返ってしまうからかもしれません。

今日はここまでです。

《2011年6月6日》 野口先生のメンタルコンシェルジェセミナー。ほぼ10年振りに玄田先生にお会いしました。懐かしい。玄田先生の「希望学」。野口先生が頼み倒して講演にこぎつけたとのこと。それだけの内容はありました。終了後はちょっとオイスター。


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【2011/06/06 23:57】 | HRM全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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