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どっちつかず ~「希望学」から
たぶん10年ぶりくらいだったでしょうか。東京大学の玄田先生とお会いしました。

お会いしたというか、野口先生のメンタルコンシェルジェのセミナーの話し手としてお出でになりました。場所は慶應MCC。さっそくご挨拶にあがると、ちょうどその日のお昼に私の前職のメンバーが玄田先生のところに飛び込みでお邪魔したとのこと。また、座席に座って振り向くと、別の昔のメンバーが。なんとも不思議な感じがしました。

源田先生の話は「希望について考える」。ここのところ追いかけておられる「希望学」分野のお話です。野口先生が強引にお願いして来ていただいたとのことです。このあたりの野口先生の思いの強さは素晴らしいです。

前置きが長くなりましたが、この中で一番、浸みた言葉。

「どっちつかずの大切さ」。


例えば評価についても、今の自分を見て欲しいという気持ちと、中長期的な自分を見て欲しいという気持ちが必ずあります。何事も、片方によるのではなく、どっちつかずという感覚が実は大切……。これって、ある年齢になるとすーっと入ってくるような気がします。白黒つけることは大切ですし、ロジカルシンキングも大切です。でも、本当に大切なことほどどっちつかずなままに…、そんなどっちつかずとどう上手に付き合っていくか、逆にどっちつかずだから「希望」というものが存在続けるのかもしれない…、そんなことをアレコレ考えました。また、どっちつかずと上手に付き合うことが、大人としての「希望」の持ち方につながるような気もします。

転職理由についての話も実に納得できました。転職理由は人それぞれであり、千差万別。しかし、大きくくくればそれは2つに収斂するというのです。それは以下の2つです。

①やってもやっても仕事が終わらない。これ以上もう頑張れない。そんな「先が見えない」という感覚。

②大変だったけどやり遂げた。でも、その瞬間になんか「先が見えてしまった」ような感覚

まったく異なる2つの感覚ですが、共通するのは、その職場でこれ以上働くということに「希望」が持ちにくくなってしまったという点です。

あまりに強い閉塞感には耐えられませんが、あまりに先が見えてしまっても、実は「希望」がもてなくなります。これはそのとおりです。結構しんどい暗闇だけど、その先には一条の光が力強くさしている(玄田先生も指摘されていましたが、光が希望のメタファに使われるのはなぜでしょうか)。先は何となく見えつつあるが、まだまだ見えていないものがある、そんな感覚は未来に期待が持てるような気がします。「希望」がもてる状態ですね。その意味では、職場でそういう状況を作り上げることは大切ですね。

あと、「まんざらではない」という言葉の素敵さ。

暖かい肯定感を感じさせながらも、勝ち組オンリーの人が吐く言葉ではない。でも、いろいろとありながら「まんざらではない」日々を過ごすことの幸せさ。それも「希望」につながるのでしょうか。何となく、年老いた紳士が「俺の人生もまんざらではなかったな」と語るのは、目茶目茶格好いいような気がします。戦略的に走って生きるのではなく、日々の葛藤の末の人生の総括、そんな感じですね。

静岡弁でよく「いいにしよう」というのがあるみたいです。この言葉にも似たような魅力があります。ニュアンスとしては、まぁ悪くもないからこんなのでいいんじゃないの、とか、細かいことで悩んでも仕方がないから進めちゃおうよ、とか、何となくとっても肯定感のある言葉です。「まんざらではない」の魅力について語るのを聞いていて、この言葉がよぎりました。


《2011年6月9日》 人事担当者同士の「5時間会」。不思議とこの会のメンバーとは、他の勉強会や実践コミュニティであまりかぶらないので、とても貴重です。外に出るといっても、いつも同じ人とつるんでいては、越境性も何もないですからね。次回は、屋形船。



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