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スペキュレイティブ・フィクション、好奇心
私は子供の頃からSF小説が好きでした。

SFというのは言うまでもなく「サイエンス・フィクション」のSとFからなりますが、1960年代に起こったSFニューウェーブ運動の中では「スペキュレイティブ・フィクション」のSとFであるというとらえ方がありました。日本では、SF小説には「空想科学小説」という訳語があてはめられましたが、こちらのSF小説は「思弁小説」などという訳語が付けられていました。ごくごく簡単に説明すると、もともとのSFが能天気で大衆迎合的なものとみなされていたことに対するアンチテーゼとして、より思弁的・哲学的な世界を求めたものだといっていいでしょう。日本においても前衛的SF雑誌「NWSF」誌などが発刊されていました。

ただし、いずれもSFです。SFは人が持つ素晴らしい能力である空想力を用いて、まだ見ぬもの、まだ知らぬものを世界化する文学です。「サイエンス・フィクション」はそれが「未来」に向かいます。「スペキュレイティブ・フィクション」はそれが「心」に向かいます。私はそんな乱暴な感覚を持っています。科学の進歩によりいろいろなことが明らかになってきましたが、いまだに「未来」と私たちの「心」は、手につかむようにはわからず未知の世界です。そんな未知の世界への好奇心がSFの原動力です。しかし、こう考えると、純粋私小説以外の小説はすべてSFに分類されてしまうことになりかねず、これが逆にジャンルとしてのSFの衰退を招いた大きな要因です。

「好奇心」は人が生きていく上で極めて大切なマインドです。ウニやナマコを初めて食した人が、果たして生存の必然性からだったのか好奇心からだったのかはわかりませんが、人に好奇心がなければ今の豊かな世界は生まれませんでした。

好奇心の枯渇は種としての人類の弱体化に他なりません。好奇心の向き先は大きく分類して2方向です。それが2つのSFと同じ「未来」と「心」です。人の興味の対象には、「未来志向」と「インナー志向」(心志向、内面志向、…いい名前が思いつきません)があるように思えます。何となく、今の日本人は「未来志向」よりも「インナー志向」が強いように感じます。さらに危惧するのは、いずれの好奇心・興味もあまり持たない人が増えているようにも感じることです。新興国の若者には「未来志向」を概して感じます。民族としての国家としての年齢といったものがあるのかもしれません。

2人のインターンシップ生の成果発表を聴いて思ったことを整理しました。2人ともに好奇心・興味をきちんと自分の中で育てることができている素敵な大学2年生でした。


《2011年8月21日》 終日、雨。仕事に没頭しようと思ったのですが、仕事が進みません。



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