ナポリでは自殺なんてきかない
先日、なるほどと思って、ついツイッターでもつぶやいた話です。

真のナポリピッツァ協会本部ご一行が来日され、ランチしているときに聞いた話ですが、何でも前日の移動中に人身事故で電車が止まっていたか何かで、その理由の話からなのだと思いますが、自殺の話になりました。日本では言葉は良くないですが、自殺はけして珍しくないものになってしまい、ここのところずっと年間3万人程度が自殺でなくなっており、既に交通事故死の人数をしのいでいると聞きます。これはゆゆしきことです。

そんな話をしたのですが、ナポリでは自殺なんて聞かない。人を殺す奴はいるが、自分を殺す人はいない。追い詰められたら、とことん逃げる。そして互いにみんなで助け合う。ほんとうにすべてを失ったら教会にいけばいい。そんなコメントがありました。

なるほどです。

で、データ的にほんとかなと思ってグーグルであれこれ検索してみたら、10万人あたりの自殺率では日本は25人程度であるのに対して、イタリアは5人。日本の2割という数値でした。ちなみに日本は世界で第5位のようですが、お隣の韓国は日本よりも上です。また、これはデータまで確認できませんでしたが、ある方のブログに書かれた話ですと、ナポリのあるカンパーニャ州の自殺率は10万人あたり2.6人ほどでイタリア全土の半分程度のようです。日本の1割になります。ナポリ市の人口を100万人とすると、年間で2~3名。東京では3000名程度になるでしょうから、確かに滅多に聞かない話かもしれません。

イタリアはカトリック教徒が多い国ですから、自らの命を絶つことが良しとしないお国柄であるのに対して、日本は恥をしのぶくらいであれば命を絶つという侍魂がまだ残っているなどといった解釈も出ましたが、いずれにしても考えさせれるものがあります。

ナポリでは、地域、家族、そして教会というソーシャル・キャピタルがきっと生きているんですね。

日本では地域社会がこの数10年で激しく弱体化しました。同時に家族のつながりも弱体化したといえます。それに対して台頭したのが、会社社会というか職場社会です。ある部分ではこれが地域社会と家族の弱体化を補完してきたといえます。ただし、これは期間限定の補完でしかなく、定年というタイミングをもって機能は失われます。地域社会・家族というソーシャル・キャピタルが乏しい人には、これは大変な試練です。

さらに困ったこととして、この会社社会・職場社会のソーシャル・キャピタルとしての役割が平成に入ってから急速に弱体化しています。つきなみな話ですが、終身雇用がなくなり、成果主義が入り、IT化が進み、株主重視経営が強まり、などといった影響でソーシャル・キャピタルとしての機能を失った職場が増えました。

これらの結果、お互いに自然に助け合うというソーシャル・サポートを受けられない人が増えたのは間違いないでしょう。そして、日本では宗教は存在感があまりありませんから、最後のソーシャル・サポートの提供元である教会の機能を代替するものがありません。

こう考えると寂しい国に私たちは生きています。
ただ、人はやはり社会的な動物ですから、寂しいことにはなかなか耐えられません。この震災後、家族や地域社会というソーシャル・キャピタルが少し見直されてきているように感じます。また、サードプレイスを持つ人も増えています。ただ、日本には絶対的なセーフティネットがないので、人は不安から逃れきれないという面は否めないように感じます。


 《2011年9月21日》何とか帰ってこれました。
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