全球的に考える
今日は「○人会」(創造と変革のためのリーダーシップ開発を考える交流会)。なかなか出席率があがらないのですが、15分遅れでなんとか到着。昨日に続いて素敵な学びの時間になりました。さらには昨日に続いて、高津さんにお会いできて(本日はスピーカーです)。今はIMDの日本代表をつとめられています。

IMDはスイスにある世界98カ国から8000名以上が集って学ぶグローバルなビジネススクールで、MBAも提供しているものの、主体はエグゼクティブ対象のオープン・プログラムとカスタマイズ・プログラムの提供です。アメリカのビジネス・スクールと違って多様性に満ちています。高津さんが日本代表について以来、露出度は上がっていますが、実は日本企業からの派遣の歴史はかなり長いようです。もともとはネスレのコーポレート・ユニバーシティだったとか。ネスレといえば、すでにスイス国内での売り上げは数%に満たない真のグローバル企業の代表といえるでしょうが、まさにその流れを引き継いでおり、グローバルなビジネススクールです。

で、本日のテーマは「グローバルビジネスで通用するリーダーを育てる」。まずはグローバルとは何かというクエスチョンです。TOEICやTOEFLの点数でグローバルを表面的に語る風潮もありますが、本質はまるで違いますね。

ちなみに中国ではグローバルを「全球的」と書くそうな。これはイマジネーションあふれる言葉です。日本語にはカタカナというきわめて便利なツールがあるのですが、そのために本質が失われた外来語も少なくありませんね。

最初に紹介いただいた雑誌の記事。「多国籍企業から地球企業の時代へ~ 地球市場は同質化に向かう」というタイトルの翻訳記事です。ここでの地球市場とはいうまでもなく、グローバル・マーケットの翻訳なのでしょうが、まだカタカナで直接書くという翻訳が定着していなかった時代の記事です。1983年、私が大学生の頃に発刊されたダイヤモンド・ハーバードビジネス・レビュー8・9月号の記事だそうです。訳語は別にして、書かれている内容はとても今日的です。

次に紹介いただいたのは、ちょっと長い文章です。

「将来の日本が生きて行くに大切なことは、全部なら一番いいのだが、
 なるべく多くの人が、日本の国の行き方ということを、
 国際的に非常に鋭敏になって考えて行くことだ。

 今度は、自己中心の考え方をしたら一ぺんに潰されてしまう。
 北欧の国々は、小さな国であっても、文化的にも非常に高いものを出して、
 大体において平和的に暮らしているが、ああいうことの原因の一つは、
 国民の多くの人が、非常に国際的に考えているためだ。

 これは、歴史的にいっても、地理的にいっても、昔からそういう事情があった。
 ところが日本は島国だし、それがなかった。
 ところでこの国際感覚という問題だが、日本は北欧の人みたいに、
 地理的の条件に恵まれていないから、これを養成するには
 やはり勉強するよりほかにしょうがない。

 意識的に、日本というものは、世界の国の一国であるということを
 考えるように教育することだ。
 昔の教育勅語のようにそれをしつこく頭に入れることだ。
 そういう方法で、或る程度出来る。」

今、書かれたといっても納得がいく内容ですが、文体が少し古い感じがしますね。この筆者は、あの白州次郎氏だそうです。「文芸春秋」の1951年9月号に掲載されたものといいますから、なんと60年前のものです。今年定年退職する方が生まれた年です。まったく内容的には今日的ですね。

実はグローバルというのは、昨日今日出てきたテーマではないのです。日本はこの問題からいつも少し距離を置いて逃げてきました。でも、それが成り立たなくなるであろうことが一般の人にもわかるようになったのが、今だというだけのことなのでしょう。

ということで、今日はさわりで終わります。

《2011年11月22日》 明日の朝、海の上空も含めて晴れないと困るんだけど。頼む。朝だけでもいいから。

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