「ノウイング」(Knowing)」
続きますが、松尾睦先生の「経験学習入門」の中で「ノウイング」(Knowing)」という言葉がストレッチ系の学ぶ力の背景にある理論の1つとして紹介されています。

『クックとブラウンという研究者は、知識は人から人へ、書物から人へと移転されるものではない、と主張しています。彼らによれば、人は、他者の知識や書物の知識を「道具として」使用しながら、新しい知識を作りだしているのです。こうした知識を作りだすす行為を彼らは「ノウイング」(Knowing)」と呼んでいます。』(P84)

このあと自転車の乗り方が例として使われていますが、多くの人が親に自転車の後ろを持ってもらいながら、ハンドルの持ち方、重心の使い方などを説明されて、苦労の結果として自転車に乗れるようになりますが、その言葉にしたがって自転車に乗れるのではなく、言葉を拠り所にして自ら苦労の末に自転車に乗れるようになる、というものですね。つまり私たちは自転車の乗り方という「知」を創造したのだと松尾先生はいっています。

そして、企業において「ノウイング」が死に瀕していると指摘されています。その張本人の1つは、組織内のノウハウを共有し、業務を効率化するために作られた知識データベースの普及です。引けばいい前例がそこにあるのですから人は考えなくなります。この考えないということの回避と、効率化をどう共存させるかは大きなテーマです。前著「経験からの学習」ではこのことを「知識共有のジレンマ」としてとりあげていました。まさに大きなジレンマですね。大学生のレポートでインターネットからのコピペが横行するのも同じ文脈の話です。

もちろん「記憶」という行為を外部に委ねて、あたかもクラウドコンピューティングのようにインターネットから情報を取り出すというのは、あっていいのだと思います。ただし、経験学習サイクルにおける「内省」と「教訓の引き出し」はそれでは絶対にできません。得た情報に何らかのオリジナリティを加えなければ、それは誰がやってもいいことです。自分なりの知を創造することはできませんし、存在意義を主張することもできません。ただし、高度にシステム化されたビジネスの中では、人が何も加工を加えずに知識データベースのとおりに仕事をすることによって成果をもたらすというモデルもありです。ただし、この場合、モデルの創設者には莫大な利益が落ちるでしょうが、1人ひとりの働き手は代替が可能な存在ですから、低コストの労働力として扱われることになります。機械化するよりもコストが安いから、機械化が難しいから、存在しているというだけになりかねません。考えないというのは実に怖いことです。

ガンダムにもマジンガーZにも人が乗っています。あれはロボットがマシーンとしてプログラムされた動きをするよりも、様々な情報を集めて、直感や意地や勇気や愛といった感情すら交えて人が行動を決めた方が高い成果を出せるからに他なりません。以下に高度に機械化されても、人が「考える」ことさえあきらめなければ、人の価値があるという明確な例だと思っています。

「ノウイング」(Knowing)」という言葉を職場の中でも少し意識をしてみましょう。

《2012年1月3日》 六本木へ。やっている店、少ないですねぇ。


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