越境学習と、自らの枠組みの認識
本日の「第2回インテリジェンスHITOフォーラム」、テーマは「タレントマネジメントの未来」。素晴らしかったです。豪華な登壇者たちがいて、またそれらの登壇者がとってつけて呼ばれたわけではなく、須東さんとの繋がりの中で来ているので、最後のパネルディスカッションなんかは、なかなか出せない雰囲気でした。考えさせられたこと、メモにとどめておきたいこと、たくさんあるので、飽きなければしばらく、ここに書き続けるかと思います。

前半は、企業の人事としてタレントマネジメントをどう考えるかということがテーマで、後半はでは自らのタレントはちゃんと磨いているのかというようなことがテーマになっていました。後半の部でいえば、その方法論として「越境学習」が取り上げられます。この言葉、「経験学習」に続いて、今年はブレイクしますね。人事の世界を「学習」という言葉が闊歩する時代になったのです。

私は2年くらい前には、趣味は「越境学習」と「実践共同体」といっていたのですが、最近はどうもすっきりとしません。

IMD日本代表の高津さんが「自分が入っている枠組みを認知しないとそもそも外に出られない」という発言をされていました。「枠組み」とは例えば会う人であり、その男女比がどうなのか、年齢はどうなのか、職業はどうなのか、国籍はどうなのか、ということです。また、見るテレビは、見るサイトは、読む本は、というのもみんな「枠組み」です。

これを聞いて感じたのは、まず「枠組みは変わる」ということ。

例えば同年齢としか交流がなかった学生が、社会人の集まりに行くことはまさに「越境」です。でも、社会人の集まりにいくことが普通になってきた人にとって、すでに社会人は自分の枠組みに入ってきます。こういう状況になると、健全な「アウエー感」というものが失われます。すでにそうなると「越境学習」の効果も薄れていくでしょう。境界線が変わったのです。

例えば今日のような場で他社の人事の皆様と交流する場合、たとえそれが初対面の人が多数であっても、ある意味では自分の枠組みの中での話であり、すでにこれは「越境学習」とは呼べないのではないかという感覚が生まれてくるわけです。ただ、構成員の半分が日本人ではない場合、これは私にとっての枠組みを超えていますので、極めて「越境性」が高まります。境界線というのは、人によってそれぞれ違うところにあるものです。ですから、一言で「越境学習」といっても、単に社外に出て学ぶという概念とは必ずしもイコールではなくなってくるのでしょう。

私は勝手に「越境学習」というのは、アウエー感があって、ちょっと居心地の悪さを感じるもの、そのために逆に刺激や新たな観点を得られるもの、という感覚があります。ですから、顔なじみの人がある程度、人事の世界に増えてしまい、そこにいることによってある種の「心地よさ」を感じるようになってしまったら、素敵な「サードプレイス」の場ではあるものの、「越境学習」の場ではもはやないのでは、というのが最近の感覚でした。

でも、法政大学の長岡先生のお話でまたまた新たな視点を感じたのです。それは、また明日。

《2012年5月11日》 またまた2つの飲み会が同じお店で開かれていたので、行ったり来たりをすることができました。偶然というのはあるものです。びっくりしましたけど。
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【2012/05/11 23:57】 | HRM全般 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
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