「越境学習」、すっきりしたら負け
昨日の続き、インテリジェンスHITOフォーラムです。

「越境学習」と自分の枠組みの話を昨日は整理しました。いくら自組織から出ても、そこが自分の枠組みの中であれば、アウエー感もほどよい緊張も生まれないし、「越境学習」効果も得られないのではないか、どうも単純に組織の外に出ればいいという話ではなさそうだ、というのが昨日のお話のまとめです。

法政大学の長岡先生がまたシニカルな発言を吐く役割を演じておられました。外に出て対話をすることについてのコメントです。

外に出た対話をすることによって、スーッとした気持ちになって、翌日会社に戻る。日常から離れた場所での対話により、精神浄化作用が生まれ、カタルシスを得た当人は、また果てしなき現実の中で目の前の仕事に頑張る力を得て、日々の役割を果たすことに邁進する。

何ていいことでしょう、と感じなくもないですが、これは確かに「越境学習」ではありません。既存の枠組みを疑ったり、既存の枠組みから一歩踏み出すといったこととは無縁であり、どちらかというと既存の枠組みを変えようとせずに現実に戻ってその枠組みと改めて折り合いをつけて枠組みを強化していく、枠組みに幽閉されていく行為だともいえます。もっと平たくいえば、対話は単なるガス抜きです。「みんなと対話ができて元気をとり戻しました。また、明日から頑張る力をもらえました」って奴です。誤解されるといけないのですが、これはこれでとても良いことです。このような「サードプレイス」を持つことは、精神衛生上でも非常に力強いものです。ただ、「越境学習」がこの文脈で語られてしまうと、(大げさにいうと)日本は変わらなくなってしまうということをいいたいだけです。

やっぱり、健全なアウエー感、ちょっとした自分の中の違和感、自分に感じるもどかしさ、そんなものを持ち帰ってこそ、境界線を越えた意味があるはずてず。そして、翌日から果てしなき日常を何か変えてみようかと考えるきっかけになるはずです。そう、すっきりしたら「越境学習」としては負けなのです。

そしてよくよく考えるとこれってその場のスタンスで切り替えられるものです。もちろん、越境する場も大切ですが、越境先での心の持ちようです。例えば、せっかく越境学習の場にいっても、同じ会社の人で並んで座ってしまうのはやめる、現地でばったり会った知り合いと並んで座るのはやめる、まずはこんな小さなところから始めます。

もちろん、昨日のフォーラムでいえば、第1部の事例発表だけ聞いて、第2部ダイアログが始まる前に帰ってしまうというのは「越境学習」の入り口にも辿りついているとはいえいません。先日の「人材教育」読者セミナーで感じた違和感についてはこのブログで書きましたが、昨日のHITOフォーラムでもまったく同じことが起こりました。これが日本の人事部の今の本質なのだと思います。

これはまた明日にでも書きます。

《2012年5月12日》 結構いいことを書いたよなぁというフェイスブック上の書き込みよりも、一枚のラーメンの写真の方が「いいね」を集める現状、これってやっぱりマーケティング目的でフェイスブックを活用しようと考える場合に最大に意識すべきポイントです。
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