シェアードサービス、愛と追憶の日々
企業研究会さんは良質の講座を提供されていますが、その多くは単発ではなく、1年かかりであるテーマを追うものです。そこでは、参加者同士の交流が重視されます。「シェアードサービス研究交流会議」もそんな講座のひとつです。私も始まって間もない頃に2年連続で参加し、非常に貴重な学びをさせていただきましたし、すばらしい仲間もできました。もうあの頃から随分と立ちますが、この「シェアードサービス研究交流会議」は健在だそうです。

で、ちょっと前のその担当者の方からご連絡がありました。この手の会は事務局担当によって講座自体の品質が変わるといっていいほど、事務局の存在は大切です。事務局はある意味、プロデューサーです。

で、事務局ご担当の方からの依頼の内容です。今年度の会がまさに進行中なのですが、9月の例会でしゃべってもらえないかとの話でした。私がシェアードサービスセンターの責任者を辞めたのが2005年の6月ですから、ブランク7年間です。さすがに人選まずいんじゃないのと思いましたが、事務局の方と話していて、その方のシェアードサービスに対する思いや、この講座に対する思いなどを感じ、気軽に受けてしまいました。このあたり、いい加減なんです。

で、とりあえずタイトルと目次だけ決めました。講演をする際は、いつも目次だけまず決めます。

「シェアードサービスの光と影 ~私的シェアードサービス論~」
  1.シェアードサービスと私 ~自己紹介に変えて
  2.シェアードサービス、愛と追憶の日々
  3.シェアードサービスの浸透と拡散
  4.外から感じるシェアードサービス
  5.おしまいに

何かとっても私小説的な講演の感じですが、これにてOKが出ました。この週末にちょっと整理を始めましたが、結構、筆がのります(正確にはパワボ作成が進みます)。

私がシェアードサービスセンターの責任者になったのは、2001年7月。すでに11年前です。それから約4年間、その役割をつとめたわけですが、日本におけるシェアードサービスの黎明期であったともいえます。経営者をはじめ周囲は誰も、シェアードサービスといってもよく理解されず、それゆえにいろいろな苦労がありました。

この「シェアードサービス研究交流会議」だけでなく、当時のシェアードサービスセンターの責任者は非常によく会社を超えて連帯していました。何せ過去にモデルのないことに踏み出しているのです。しかも、けして社内の理解度は高くない。そのくせ即時にある成果は求められるというのがほぼ共通した環境でした。社内で語り合う相手がいない分、社外の語り合える相手が貴重でした。社外の仲間とは共通の話題と悩みがあるわけです。そして、お互いに新しいことをやろうという情熱と不思議なほどの高揚感を持っていました。そんな文脈の中で「食品SS連絡会」という食品メーカーのシェアードサービスセンターの会も創りました。

そんな昔話をしても仕方がないのですが、本来の設立の趣旨と思いを再認識することは大切なことです。組織がいったんできると、それが当たり前になり、当たり前を前提に果てしなき日常が淡々と続くといったことになりかねません。特にシェアードサービスセンターの場合、やっている業務の特性上、その呪縛に極めて陥りやすいところがあると思います。

今のシェアードサービスがどうなっているのかはまったく認識していませんでしたが、「シェアードサービス研究交流会議」の事務局の方からあれこれとお話を聞きました。日産自動車の話はなるほどと感じました。また、意外と登場人物が大きくは変わっていないとも感じました。今年の「シェアードサービス研究交流会議」で既にお話をされた慶應義塾大学の園田先生のレジュメを見せていただき、少しだけですが、今のシェアードサービスセンターを取り巻く状況も理解できました。

自分があのままシェアードサービスの責任者を続けていたら、たぶん今のシェアードサービスを取り巻く情勢も少し変わっていたはずという、ちょっとした根拠のない自負もあります。いずれにしても、いろいろな思いをこめて、情緒的にそして論理性を失わずに、当日はちゃんとお話をしてきたいと思います。

関連記事
スポンサーサイト
【2012/08/18 23:33】 | シェアード・サービス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<ロードブロックマネジメント | ホーム | 「ハレ」と「ケ」、そしてコールセンターの満足度>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://jqut.blog98.fc2.com/tb.php/1683-0b7f3ebb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |