昨日の続き、シェアードサービス研究交流会議での講演からです。
「シェアードサービスの浸透と拡散」という話をしました。 実は「浸透と拡散」という言葉は、私はいたるところで使っています。再来週、某所で経験学習についての話をするのですが、そこでもこのフレーズ出てきます。あるジャンルが確立すると必ず起こってくる話なのではないかと思っています。 この言葉、大学の卒論でも使いました。「日本SFの浸透と拡散」。私のオリジナルの言葉ではありません。小松左京、星新一、筒井康隆といった第一世代の大御所の奮闘にて、文学界の異端的存在であったSFというジャンルは徐々に浸透して、世の中に認知されるようになりました。そして、今や多くの純文学作家、ミステリ作家もSF色豊かな作品を多く書いています。気づかないうちに、SFのジャンル作家というのはほとんどいなくなりました。そして、気づかないうちに、多くの書店ではSFというジャンルの棚もなくなっています。SFというジャンルは完全に日本の文学界に浸透したのですが、それと同時に拡散しきってしまい、ジャンルとしての概念を構成しないレベルまで行き着いてしまったのです。 で、「シェアードサービスの浸透と拡散」です。 【シェアードサービスの浸透】 ○多くの人が説明なしで理解してくれるようになった ○大半の大手企業では導入済み ○園田先生のようなアカデミアが取り上げるようになった ○企業研究会が毎年、交流会議を開催 ○ローテーションにより、次々と世代交代が広がる、関与者も増加 私が2000年に提案をしたときに、シェアードサービスという言葉を理解していたボードメンバーはたぶんいなかったと思います。どこの会社もそんなもんでした。その当時に比較すると、この概念実に浸透したといえます。 【シェアードサービスの拡散】 ○2000年直後のあの高揚感は消えうせた ○周囲の期待感も特にない ○世の中的な注目度も特にない ○ある意味、当たり前の管理手法になった ○熱い思いを持った立ち上げプロジェクトから、会社に任命されて担当する普通の仕事に 当日はシェアードサービスというのは新規事業でした。しかも、日本にまだモデルがない、自社がそのモデルを創るんだというくらいの高揚感をもって仕事に取り組んでいました。それが、良くも悪くも普通の職場になったのです。ある意味、ただそれだけのことです。 そうして、浸透と拡散の中で必ず起こってくるのは後継者問題です。 創設リーダーの思いと熱意を第2世代以降のリーダーが持つことは基本的には不可能です。ゼロから創るのと、既存のものを運営するのでは、まったく違うわけです。創設時にはひとつひとつの仕組みに意味と思いがあったのも、どうしても形骸化していきます。面倒だからこんなのやめようといって本質を忘れていってしまいます。避けては通れない、二代目、三代目問題です。 さらには四年目問題というのも起こってきます。どんな組織もマンネリに陥ります。当初の高揚感で走れるのはいいところ三年。四年目に問題が噴出してきます。シェアードサービスセンターの場合は、創業から取り組んでいるコスト削減、単価引き下げに限界がくる時期と結構かぶるのでこれはつらいものがあります。 障害者の特例子会社を昨年に立ち上げて、その経営をさせてもらっていますが、シェアードサービスセンター各社で起きたことを参考にさせていただき、四年目問題をなんとか回避したいと考えています。今回、この講演をさせていただいたのは、実は私の業務にとっては大変にありがたいことでした。 長くなりましたので、もう一日続けます。
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