「登山モデル」からの決別
昨日の続きです。でも、ちょっと違う観点から話を始めます。

人事管理の仕組みのすべての根本にあるものは何でしょうか。もともと日本の人事制度は「年功序列」だといわれてきました。しかし、その後、能力主義であるとか成果主義という言葉が闊歩し、さすがに年功を重視して人事管理をしている企業はなくなったといえます。しかし、未だに隠然と残っているのは「年功」ではなく「序列」の方です。そして「序列」こそが人事管理のペースに常にあるものです。組織が戦略を実現するための人材を何らかの基準で序列化して処遇するのが、これまでの日本の人事制度の基本的な考え方です。序列の物差しが年功から多様化してきているだけなのです。

戦後の日本は爆発的な経済成長を遂げました。まさに今の中国と同じです。中国には極めて豊富な労働力があります。当時の日本も人口は増加の一途をたどっていました。増える人口が、消費・生産ともに日本の経済成長を支えてきたといえます。しかし、いかに人口が増えていたといっても、今の中国のような物量はありません。そのため、日本企業は一度雇った人材を外に出さないように囲い込む必要に追われたわけです。その結果、定着したのが終身雇用であり、家族的な人事管理です。

終身雇用というのは、長期間に渡って同じ人を雇用しづつけることです。終身雇用と序列をベースとした人事管理を両立させるとどんなことが起こるか、答えは簡単です。序列を細かく切るしかないのです。例えば定年が55歳だった世界を考えてみましょう。22歳から55歳まで継続してモチベーションを維持・向上してもらわなければならないのです。ですから、30年以上に渡って給与も役割責任も毎年少しずつ上がっていく、そんな制度が合理的でした。結果、役員登用年齢は定年年齢に極めて近く、課長などの役職登用年齢もゆっくりとしたものになりました。序列をきちんと守って、それを小出しに使って、社内力学を徹底的に設計した上でモチベーションの管理をしたのです。

日本の人事管理は「登山の論理」でした。少しずつ着実に山を登っていく、その頂は定年です。私が1990年頃に人事に異動した時期には、私のいた会社では定年退職者が人事に退職日に挨拶に来られるという習慣がありました。そして、人事部員の前でスピーチをされるのです。これが実に皆さんいい話をされます。仕事のなんたるかを感じたり、この会社は素敵な会社だなぁと実感したりさせられることも多々ありました。でも、一つ違和感がありました。それは9割の方が「大過なく定年まで勤め上げて」という表現をするのです。「大過なく」「勤め上げて」ともにちょっと納得できませんでした。しかし、定年退職というのがある意味「ゴール」、つまり職業人生という登山の頂上だったのでしょう。そこに無事にたどり着いた安堵感のようなものがそう語らせたのでしょうか。いずれにしても、そんな時代でした。

しかし、私たちの日本は、60歳定年が法で定められ、さらには60歳以降の再雇用が求められ、最終的には70歳や75歳まで雇用義務を企業が負わされかねない国になりました。さすがに、22歳から70歳までの約50年間を細かく序列を刻むような人事管理はもう無理です。すでにずいぶんと前から、役職定年制を導入したり、50歳で賃金カーブが寝たり、反転したりする賃金制度をあわてて導入する企業も増えてきました。つまり、登山を終えたあとの「下山の論理」を入れざるを得なくなったのです。

「登山の論理」を堅持する限りは、「下山の論理」はこれからの時代では絶対に必要になります。でも、それは私たちにとって素敵なことなのでしょうか。以前の時代では、評価がSABCとあるとすれば、「登山の論理」の恩恵をBあたりまでは等しく受けることができました。でも、これはこれからはそれが難しいのは誰もが気づいています。また、ランクを細かくきって上げられるところまで「登山の論理」で上げて、あとは「下山の論理」で下げていくというやり方で、人は20年も続くシニア時代をいきいきと生きることができるのでしょうか。

結論としては、いつか「登山の論理」を人事管理の中心から「いずれ」はずすしかないのです。「登山の論理」はまさに「外的キャリア」の世界です。「外的キャリア」を仕事の中心軸におき、序列を細かく刻んで少しずつ「外的キャリア」が「キャリアアップ」することによって職務満足を与えるというのがこれまでのやり方です。

これに変わるものを仮に「ピクニックの論理」とでもしましょうか。これは何らかのかたちで「内的キャリア」をベースに仕事をするような方向にパラダイムを変えていくことに他なりません。

「外的キャリア」から「内的キャリア」へというと、世の中が社員にとって緩くなると勘違いする人がいます。でも、これは働くものにとって実に厳しいことなのです。それは「キャリアストレッチ」を継続的に続けることができる「キャリア自律」を成し遂げた人でないと、健全には働けないことを意味する可能性があるからです。職務を与えられるのではなく、自分で仕事をつくっていく、そんな概念を花田先生は「職師」と定義されていましたが、自分の仕事にプライドをもって、自己成長をし続ける。どんな環境変化があっても、アンラーンと再学習をして「キャリアストレッチ」の機会にできる。そんなことが果たして私たちに本当にできるでしょうか。

花田流にいえば「キャリア自律」とは人間力を磨くことに他なりません。そして、キャリアアドバイザーはその時にまさに真価を問われるのです。

今回の話は、今までの花田先生が語っている話の総集編のようで、ここ10年ほどに渡って学ばせていただいたことが、つながり始めているような感じがしました。でも、それがつながりきれないもどかしさの方を強く感じます。今、こうして文にしてみても、今一つブロックが合いません。

花田先生は、伝統的大企業がこの問題に見舞われる、つまり序列による人事管理の限界がくる時期を2020年であるとか、2025年だと語られています。しかし、まさに今、このことを真剣に考えなければいけない企業がすでに日本にはたくさんあります。それは成長しつつある新興企業です。これらの企業は規模は伝統的大企業に匹敵するようになっても、伝統的大企業の人事モデルの後追いをすることには何の意味もありません。伝統的大企業よりも早く次世代の日本型人事モデルを求める必要があるわけです。そして、現実的に模索は始まっています。

いろいろな方と真剣に語り合いたいと思います。

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【2012/11/11 22:41】 | キャリア~全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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