新卒採用の前提の変化、選択の観点からの時代の変化
先の月曜日にある大学で就職活動を考える企画があり、その第Ⅱ部のパネルディスカッションに登壇してきました。もうお1人の企業側のパネラーが知り合いだったこともあり、比較的リラックスして参加できました。たまたま、この秋はパネラーづいており3回目です。でも、依頼されるテーマは、メンタルヘルス、給与アウトソーシング、新卒採用と実にバラエティに富んでいます。人事の仕事で私が唯一誇れることが、オールラウンダーであることですから仕方がありません。

第Ⅰ部は、ある大手就職サイトの膨大なデータを大学の先生方が分析して、報告するという内容でした。データをベースにしたカチッとしたお話が続きます。で、第Ⅱ部は3名のパネラーが10分ずつプレゼンをして、それからパネルディスカッションに入るというスタイルでした。パネラーのプレゼンのトップは、就職ナビの会社の研究所長。マクロ的に今の就職戦線を整理されます。2番目が私の担当です。「分析的」な話が第Ⅰ部では続いたので、私の話は目いっぱい「情緒的」に行きます。長岡ゼミの学生が2人来てくれていたので、半分くらいはその2人に向けて語るくらいの気持ちで話しました。ちなみに、聴衆は100名弱、学生は6名、大学関係者6割、企業関係者3割といった感じでした。

いただいたお題は「近年の新卒採用の変化」。

採用ノウハウを知りたいと思って参加している方は少数でしょうから、仔細に自社事例を語ってもと思い、本当に「情緒的」に就職と採用について語りました。

「近年の新卒採用の変化」ということですので、まずは新卒採用を取り巻く環境の大きな変化、というよりも前提が大きく変わってきたことを整理しました。これには2つの変化があります。

以前でいえば、採用担当といえば新卒採用担当を黙っていても指していたものですが、企業の採用形態は複雑化しており、経験者採用、アルバイト採用、パート採用などを組み合わせて必要な人材を確保するようになっています。さらには、人材派遣、業務委託もその中に割ってはいり、人材獲得目的でのアライアンスや企業買収なども広義の「採用」だともいえます。つまり、採用という仕事が、企業の将来を託せるような優秀な人材を確保するというある意味では牧歌的な仕事から、今必要な人材リソースを合理的なコストで質・量ともに満たすキツイ仕事に変わってきたのです。この変化は、業界や企業の歴史によって、非常に企業差はあります。しかし、うねりとしては強くなっていくことは間違いありません。

結果的に新卒採用のポジションは小さくなります。

もう1つの変化は、職業人生の長期化という現象と、企業生命の短期化という現象が同時に進行しているということです。私が社会にでた1985年は、実は定年はまだ60歳ではありませんでした。22歳から60歳では38年間の会社人生となりますが、私たちが入社した頃には自分が入社した企業が自分が定年を迎えるまで存在しているに違いないという確固たる幻想が現実的な感覚を持てていました。でも、現実は次々とそれを裏切っています。多くの会社が姿を消したり、合従連衡したりしました。
現在、採用マーケットをけん引している業界の1つであるweb業界の企業群はせいぜい10年少々の歴史しか持ちません。これらのすべての企業があと20年後に存在しているとはとても思えません。会社の寿命は30年といった書籍が30年近く前にベストセラーになりましたが、今はさらに短命になっているのかもしれません。

これに対して、個人の職業人生は長くなっていきます。今の大学生などはおそらく70歳まで働かなければならないでしょう。そうすると50年間の職業人生になります。50年間も続く企業に新卒で入れる人はごく少数派になり、結果的に転職を経験しないという人はかなり珍しい存在になります。

先日、ある大学の2年生2人が職場に来てくれました。再来週に職業選択に関する授業にお邪魔する大学なのですが、企業人を招いたその授業を大学2年生の担当者がプロデュースするという仕掛けです。この話はまた別に書くことになるかと思いますが、そのうちの1人が私の転職経験にすごく食らいついてきました。彼は転職というのは普通のことではない、当然入った会社に最後までいるものだという感覚を強く持っていました。彼の父親がまさにそのような人生を送っていることが強く影響をしていると思いますが、そのため一生勤める企業に入らなければという先入観が形成されます。それはそれで問題ないのですが、世の中はおそらくそうでない方に流れているのです。

私たちはわずかこの30年でキャリアの選択という視点からみると大きな変化を経験してきています。

私が社会に出た1985年当時、第2新卒という言葉はなく、少なくともある程度の大企業に入ったのであれば、定年まで勤め上げるのは当然のことでした。転職というのは、ほとんど選択肢になかったわけです。そのため、与えられた配属がどんなに嫌でもそこで頑張るしかありませんでした。でも、そこで頑張ってみたら意外と面白みを感じたであるとか、自分の可能性を広げるには実にそれは良いことでもありました。そう当時は良くも悪くも「選択肢のない時代」だったといえます。

でも、その後、転職マーケットが日本でも成熟してきました。そして私たちは「選択肢のある時代」に入ったのです。これは人として一段階豊かな時代に入ったことを指します。しかし、悩み多き時代に入ったのだともいえます。選択があるのは幸せなことですが、実に悩み多きことでもあるのです。選択のない時代がいかに楽だったことか。嫌な部署に異動を命じられた場合、そこで頑張るか、辞めて別の職場で頑張るか、私たちは選択できるようになったのです。そして、当然のことですが選択には成功も失敗もあるのです。

そして、今は「選択を強いられる時代」に突入しています。おそらくこれからはほとんどの人が長い職業人生の中で、いろいろな意味で選択を強いられるという機会を何度かは経験することになります。個人の人生よりも企業の生命が短いのであれば、これは当然のことです。

新卒採用の前提はこのように大きく変わっています。

にも拘わらず、新卒採用関係者はイノベーションを忘れ、何月活動開始などといった「時期論」に終始しています。解散の時期論ばかりがとりざたされていた国会と同じです。マス採用に合理性のある一部の経済団体に加入している企業群に翻弄され、思考停止的な日々を送っています。すべての大手ナビが一部の企業群のために、サイトオープン日を横並びにするという談合が公然と行われています。異能を採用したいとか、グローバル人材を採用したいとか、イノベーティブな人材を採用したいとか、といっている企業が横並びの日程で採用活動をする仕組みを構築しているのは、どうみても滑稽な話です。

でも、新しい芽はいたるところに出ています。企業人、採用担当者の意識も実に高いものがあります。私たちは新卒採用という仕事にあるロマンと自負を持っています。

あまりに長くなったので、今日はここまでにします。

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