時間不足を克服するための2つのアプローチ
50歳を超え、改めて時間について考えます。
というか、時間不足について考えます。

やりたいことがいつも行列しており、やらなければならない大切なことも多く控えています。様々な役割としての自分があり、それぞれが時間予算を要求します。その割には、無駄な時間を膨大に過ごしているような気もしますが、その無駄こそがプライス・レスであるようにも思います。

様々な時間活用法が巷には溢れていますが、時間不足を克服するには、基本的には2つのアプローチしかないと思います。

1つめは時間生産性を高めること。つまり、単位時間あたりにできる「量」と「質」を高め、結果的に時間を創造する方法です。これは日常のビジネスの世界では有効ですし、実生活でもいろいろと取り組みがいはあります。ゲーム性を持たせてやれば、ある程度は愉しめますが、あまりしゃかりきになり過ぎると疲れます。隙間時間を埋めろ、というのもこれの一手法ですが、隙間があるから生きていけるという真実もあります。移動の電車の中ではぼんやりしたり、寝たかったりするわけです。合目的的に時間をとらえることは、人を豊かにする気もしますが、人から豊かさを奪う気もします。そもそも、そのように感傷的に時間を捉えること自体が、時間をうまく扱えていない証拠なのかもしれません。

もう一つは、選択と集中。もしくは優先順位というアプローチです。やること自体を選択するわけです。断捨離という言葉も流行りました。所詮、すべてはとれないという達観ができれば、あとは断捨離するしかありません。でも、そんな達観がなかなかできないのが煩悩に溢れる私たちです。また、合理的に優先順位を明確にして、優先順位に従って生きていたら、きっと徐々に息が詰まってきます。仕事上だけなら、まあいいですが……。膨大な無駄が最終的に成果に辿りつくということもあります。

どうしても、時間を考える時、その有限性が故に息苦しくなります。真面目に考えると、それはゼロサムの世界になり、あっち立てればこちら立たずの世界になります。そうなると気持ち的にはしんどいです。でも、確かに一日は24時間なのです。

ただ、その反面、時間とは実に主観的な存在であり、それは誰もが経験しています。すぐにたってしまう1時間と、しぬほど長く感じる5分間というものが存在します。また、同じ時間を過ごしても、実にもったいなかったと感じる1時間と、実に貴重であった1時間というのが存在します。

今年は徹底的に時間生産性にはこだわりたいと思います。
そのために一番必要なのは、実は健康です。そして場合によっては適正な睡眠時間というのもあるかもしれません。
とにかく、正常に頭を回転させる時間を長く確保できるにこしたことはありません。

時間生産性にはこだわりながら、主観的に時間を愉しむ取り組みもしてみたいと思います。この成果判定はシンプルです。あとで時間の使い方について、後悔するかしないかです。これはけして合理的な意味だけではありません。とっても無駄な時間にみえても、後悔が伴わなければ大切な時間なのです。少なくとも、まぁいいか、でいければOKです。そのためにも、一瞬一瞬の真実に対して誠実であることが必要です。これは容易ではありませんが、取り組み次第では困難でもないように感じられます。

なんかわかったようなわからないような話を書き連ねています。そもそもこれを書いている時間が無駄ではないかという声も聞こえなくもありません。時間の使い方という、古くて克服されていないテーマにこだわる気持ちを持つことが、時間をいとおしく使うことになると思っています。効率的な時間の使い方が、イコール良い使い方でないところが難しいところです。

せっかくなのですから、一つひとつのことをいとおしくとらえて過ごしたいなぁと思っています。

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