原点のお店
写真は西荻窪の「戎」。右をみても「戎」、左をみても「戎」と続きます。大学時代に学生向け居酒屋ではなく通った原点のようなお店。

原点のお店はいろいろあります。

ラーメンだとまずは恵比寿の「香月」。まだ、渋谷橋にある頃、通ってました。大学生の頃です。あとは西早稲田の「えぞ菊」。こちらは中学校くらいかな。新宿の「桂花」。高校生でしょうか。時代とともに心に残っているラーメン屋ってあるものです。営業で小田原に行くと必ず食べていた熊本ラーメン屋、何て言ったっけ。桜木町の問屋で夜の営業会議をやった後に立ち寄った野毛のラーメン屋、こないだ探したけどどれだか自信が持てませんでした。まだ産業道路にあった「吉村家」も土曜日の横須賀方面の営業帰りに立ち寄っていました。並びました。田町にあったワークスアプリケーションズに行く時はいつも午後。「ラーメン二郎」本店で並んでから行くのが日課でした。前職の神田で一番良くいったのは、今はなき「暖暮」か「天下一品」神田店か。

社会に出て初めて1人でお客様を1人で接待したのは人形町の「よし梅」。沼津のベーカリーの製造部長さんでした。途中から上司が駆けつけてくれるまで、どきどきでした。

大学時代のアルバイトは、一番は家庭教師。多い時には週に6日入れてました。それ以外で一番長かったのは、麻布十番にある輸入インテリアショップ。たまたま貼り紙を見てひと夏バイトをしたのですが、支店の店長というか留守番役を任されていました。海外から輸入便が入る時は、友達も動員して梱包を解く仕事。終了後は出た梱包用の木材をリアカーに乗せて、近所の銭湯に売りに行きました。店の前でたき火をして焼き芋も作ってました。夏休みが終わっても、しばしばバイトに呼ばれ、卒業後は後輩にそれを譲りました。そういうと御嬢さんの家庭教師もやっていました。その後も麻布十番に呑みに行く際に時々立ち寄りました。麻布十番にもいつしか地下鉄が通るようになり、ヒルズができました。景気の波とともに、マスターの表情も、店の状態もいろいろ変わっていました。でも、ここ何年もついついご無沙汰をしてしまっていました。

30年ほど絶やさず年賀状をやりとりしていました。今日、自宅に帰ると一枚の寒中見舞いハガキが来ていました。差出人は、その店のマスタの奥様。家庭教師でお邪魔をするたびにお茶を入れてくださいました。日によって偏頭痛がつらそうだったのをよく記憶しています。ハガキをみてすぐに予感したとおり、ご主人のご逝去を伝える内容でした。「主人も毎年年賀状を楽しみにしておりました」とお書きくださっていました。支店の売り上げがゼロの日が続いても、配達先で家具をぶつけて傷をつけても、見守りながら使い続けてくださった方です。ある日、配達の途中で自分が若いころの思い出の店だといって神保町の「いもや」に立ち寄りご馳走になりました。近いうちに久しぶりに行ってみます。

原点のお店はいろいろあります。
自分をつくってくださった方は本当に大勢いらっしゃいます。

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