主体性と多様性 ~大学生研究フォーラム2013
東京大学・京都大学・電通育英会共催の大学生研究フォーラム2013「学生のうちに経験させたいことー大学生の今、変わる企業」の続きを書いてみます。昨日は、安西祐一郎先生のグローバル化についての話を書き残すだけで終わってしまいました。

そんなグローバル化した日本で、昨日のキーワードは結果的に「主体性」と「多様性」でした。

安西先生のいう主体性は「自分の目標を自分で見いだし、実践す力」であり、独りよがりとか独善的とはまったく異なることだとの但し書きを加えられていました。そのように誤解されるケースがこれまであったということでしょうか。
また、東京大学の吉見先生は、主体性の定義として、「ビジョン」と「こだわり」であり、「ビジョン」とは将来に対する見通しであり、「こだわり」とは執念であるとされていました。気合いの入った定義だと思います。

安西先生からのお話しにあったのですが「自分の目標をもっている人の心は、その目標が達成されやすいようにはたらく」という心の動きがあるそうです。これは経験的にも確かに何となく納得するところがあります。では、目標を持てない人がどう目標を持てようになるのか、その目標は主体的につくられたものではなく、押し付けられた目標でも機能するのか、このあたりが難しく感じられます。

主体性をはぐくむ学習方法は果たしてあるのか、これが大きなテーマです。安西先生の整理は「チームワーク」と「答えがない学習」です。

ここでいう「チームワーク」とは、単なるグループ学習とは異なります。知っている仲間同士で、先生から与えられた課題に取り組み、先生が既に知っている答えを目指すといったタイプの学習では、主体性は芽生えないわけです。ある種、居心地の悪い多様性に溢れる仲間同士で、答えのない問題にチャレンジする必要があるわけです。

たぶん、今のキャンパスにおける大きな問題の1つは多様性でしょう。諸外国に比較して留学生比率が低く、多様性の幅が狭いというデータも提供されていましたが、それはそうだと思います。ただ、それよりも日常的な大きな問題は、いろいろな学生などと話していると、大学生活というのは多様性を極端に回避しても生きていける世界だということが何よりも気になります。要は心を閉ざして仲のいい仲間だけでまったり愉しく生きることが許容されているわけです。留学生がいくら増えてもここが変わらないと何も変わりません。いうまでもなく、社会に出るとこうはいかないのですから。

結果的に今回のテーマとなった「主体性」と「多様性」は並列して提示されたものではなく、主体性をよりはぐくみやすい環境が「多様性の海」だということでしょう。これは企業においても同じでしょう。新卒一括採用はこの文脈ではネガティブです。また、営業という多様性に直面せざるを得ない仕事を経験させるというのは、筋が通っていることだといえるのかもしれません。

終了後に大学の方から素朴な問をいただきました。どこの企業も採用に際して多様な人材を採用したいといっているが、その場合の多様とはどういうことで、どこまでの幅を指しているのかがちっともわからない、という問です。大学の方ですから、新卒採用を指しての話です。私の感覚からいえば、企業が新卒一括採用で意識的に多様な人材を採用するというのは非常に難しいものがあります。さらにはその後の新入社員研修は同質性を強める方向に作用します。採用担当者がいっている多様な人材というのは、単にいろいろなキャラクターくらいのレベルであり、居心地の悪い隣人までを含まないで使用している企業の方が大半ではないかと思います。そもそも、1つの人格である1人の担当者が手掛ける新卒一括採用の中で真の多様性を実現させるのは、よほどデジタルな基準を何か設けなければ極めて困難なように感じますので、今のたぶんに感覚的な要素に満ちている(そこに合理性があるのですが)新卒採用のやり方では難しいでしょう。本当に多様性を求めるのであれば、ある比率を経験者採用するのが何よりも手っ取り早いでしょう。

MOOC(Massive Open Online Course)にも話は及びました。MOOCにより、学びたい人は誰でもいつでもどこでも自分のペースで学ぶことが実現できます。学びたい人は誰でも学びの内容を共有し議論することが実現できます。学びたい人は誰でも学習環境を組み合わせて多角的な環境で学ぶことが実現できます。知識を広めたい人は誰でも広める手立てを持つことができるようになります。

でもここでいう「誰でも」は本当に「誰でも」ではありません。真に学びたいと思っている人であれば「誰でも」ということです。つまり学びに対して「主体性」を持っているということがすべての前提になります。

これまで、学ぶには環境と費用が必要でした。ですから、先進国に住む人が圧倒的に有利であり、富裕層が圧倒的に有利だったわけです。しかし、本当に世界のどこでも同じ機会で学ぶことができようになると、学びに対する「主体性」がそれまでの環境や裕福さにとってかわります。これは革命的な話です。

学びに対する主体性の原動力は何でしょうか。安西先生が提示されていたなるほどというケースがあります。途上国の若者のうちある層はもの凄く主体的な学びをどん欲にしている、それは学ぶことによって今の状況から抜け出し自分の人生を幸せにしたいという思いが強くあるからだというような話でした。一昔前であれば、ボクシングで世界を目指すことにより実現させようとしたことが、学ぶことで世界を目指すことによって実験できる可能性が出てきているわけです。本当に革命的な話です。

これと同様な動機は、豊かな国という立場に慣れてしまった日本では難しいでしょう。ただ、健全なる危機感はきちんと持つ必要があります。健全なる危機感は主体性の原動力になり得ます。この危機感の程度には難しいところがあり、強すぎる危機感を与えとチャレンジする気持ちが萎えます。幸いなことに、今であればまだ健全なる危機感などといった甘い表現で勝負できるはずです。

中原先生がときどき使われるフレーズですが、自主的にやれといわれてやったことは本当に自主的な行動なのかという問があります。主体性にもこのパラドクスがあります。ただ、自転車に乗れるようになる練習と一緒で、最初は後ろを支えられていたものが、いずれ自分だけで走らせることができるといったような支援の仕方があるように思います。主体性の自転車トレーニングです。何事もイメージできないものは、とっつけないものですから。

大学生は面接用・エントリーシート用のエピソードを揃えることに腐心して大学生活を送らざるを得ない状況になってしまっています。その意味では、二昔前の大学生に比較すると極めて多彩な経験をしています。ただ、多くの場合、経験をすことが自己目的化して、経験学習のサイクルがまわせていません。経験学習のサイクルを回すことによって、多彩な経験は多様な経験に変化するのではないでしょうか。大学生にお話をする機会のたびに経験学習サイクルの話をほぼ必ずするのですが、たいてい半数以上の大学生に刺さります。より理解しやすい伝え方というのを毎回毎回考えています。

大学生は企業で働くということに相当な恐怖心を感じています。半沢直樹の世界なんかを垣間見るとさらに怖くなるかもしれません。私たちのもう1つの使命は「働くっていろいろあるけど、いやいろいろあるからなかなかいいもんなんだよ。じゃなきゃ何十年も毎日、出社はできないよ」ということを何よりも真面目に伝えることかと思っています。恐怖心に覆われると主体性は育ちにくいように感じます。

非常に混迷した整理になりましたが、きりがないのでこんなところでやめておきます。
いずれにしても、多くの方と素晴らしい場を共有できたことに感謝いたします。素敵な夏の1日でした。

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【2013/08/18 18:39】 | キャリア~学生・就職・採用 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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