昨日は経営学習研究所(MALL)sMALLラボ企画『パラリンピックと日本人、僕らは何をしなければならないか! ~ソチパラリンピック・ノルディックスキー監督からの提言~』を開催いたしました。日本を学習大国にするとの大義をもって活動しているMALLですが、7人の理事がそれぞれラボを持ち、ほぼ毎月何らかの企画を世に出しています。sMALLラボは私の担当するラボであり、身近なこと何でもがきっと学びに結びつくという思いでやっています。
今回の企画はたまたまの仕事での出会いが発端でした。ソチパラリンピック・ノルディックスキー監督であり、障害者クロスカントリー全日本監督でもある荒井監督から聞いた障害者スポーツの現状について、自らも障害者雇用の現場に身を置きながらも、自分自身あまりに知らないことが多かったため、もっと多くの人に伝えられないかと思ったのが最初です。 たまたまそんなことをぼんやり思っていた頃に、ライフネット生命の人事の方から自社の社内スペースを志のある一般の企画に開放したいという意向があることを聞き、その2つが結び付き、ライフネット生命様のサマルカンドという社内スペースでこれを開催することとしました。そしてさらには企画内容にご興味をもっていただき、同社の出口会長にも出張までのあわただしいはずの時間をいただき、スペシャルゲストとして登壇いただきました。企画というのは、考えながら周囲と結び付いて太くなっていくものだな、と改めて感じます。 ![]() ※会場「サマルカンド」での受付風景。今回はMALL史上初めてのノンアルコール企画。お茶のおともは東京銘菓です。東京銘菓って自分には買わないので、見たことはあるけど食べたことがないものが沢山あります。 今回のグランドルールとしても話をしましたが、隠れテーマは「知らないことを真摯に知ること」の大切さの実感です。それも「隣の国の物語としてではなく、自分に関係のあることとして知る」ことをめざしました。その前提には「知ることによって初めて新しい行動が生まれるはず」「知らない限りは絶対に変革はできない」という当たり前の思いがあります。 障害者スポーツやパラリンピックもそうですが、障害者との接し方、配慮の仕方など、私たちは知識不足と経験不足のため、何となくきちんとした踏み込みができません。でも、そのままでは距離は開いたままです。知るということ、知ったことをつかって何かをしてみるということが、少しずつ何かを変えます。昨日の参加者の多くが、フェイスブック等でいろいろな書き込みをしてくださっています。知ったことは、伝えることによって、自分にも深く蓄積されます。そして、ほんの少しかもしれませんが、世の中に波をたてることができます。 ![]() ※会場にあちこちに申込時に参加者の皆さんから寄せられた、質問や興味のある事項が貼られています。開始30分前に出た牧村理事のアイデアです。理事の皆様のおかげで場づくりも何とか最後まで出来ました。 昨日は、荒井監督の話、久保選手の話、荒井監督と出口会長の対談、会場ダイアローグと進みました。実は、今回はあれやこれやと準備不足であり、イベント企画者の自分としては少々悔いの残る場つくりでした。ただ、自分自身もイベント参加者としては、いい時間を過ごせたといえます。経営学習研究所の理事陣はやはり凄いと思うのですが、それぞれが自分で持ち場を決め、私の準備不足を最初から最後まで見事に埋めてくださいました。本当にいい仲間と巡り合えていると実感をします。 出口会長が話されたメソポタミアの時代の障害者に対する認識の話です。人は神様が創っていると信じられていた時代です。神様も人を創るという作業はしんどいので、お酒を飲んで憂さ晴らしをします。なかにはちょっと問題児もいて、お酒を飲みながら酔ったまま人をつくる神様もいて、そんな神様がいるから障害者も生まれてきてしまうわけです。神様だってお酒を飲みたいのは当たり前のことで、社会に障害者が混じるのも当たり前のこと、そういう前提で皆が障害者を社会に受け入れていたといいます。 ![]() ※荒井監督と出口会長の対談光景。手前が久保選手です。座談会終了後、出口会長はただちに東京駅に向かい、奈良での講演に向かわれました。お忙しい中での御登壇、感謝です。 今回はいろいろと障害者スポーツをめぐる実情の話も出ました。 ◆日本ではバイアスロンの練習でエアライフルを打てるのは自衛隊の基地内しかない。オリンピックの選手はほとんどが自衛隊員。当然のように基地内のコースで練習ができる。パラリンピックの選手は基地に立ち入れないので、海外遠征をして練習をするしかない。(これは今後、改善の見通しがたっているそうです) ◆オリンピック団体とパラリンピック団体が統一される方向にある。今はパラリンピック選手はナショナルトレーニングセンターを使用できない。統一によってこれを使用できるようになるかと思えば、方向は違うところに向かっており、別にパラリンピック選手用のセンターを創るという案が進んでいる。 ◆ロンドンオリンピックの祝勝パレードにパラリンピック選手は誰も参加していなかった。 ◆日本ではパラリンピックはスポーツ扱いされてこなかった。新聞の掲載もスポーツ面よりも社会面、取材にくる記者もスポーツ担当記者ではなく、生活部の記者といったことが、当たり前に続いてきた。 ◆スポーツ先進国では、小学校の授業に障害者スポーツ選手との交流の時間が組み込まれている。日本でもごくごく一部の学校で実施されているが、それは仕組みとしてではなく、一部の強い思いのある教員のボランティア的な行為によるもの。 最後のダイアローグでの長岡先生・岡部先生の議論です。 金メダルを期待されたパラリンピック選手がメダルを獲得されなかったら彼(彼女)はマスコミや世論からバッシングされるのか、それてもよくやったねと何となくの雰囲気の中でねぎらわれるのか。パラリンピックの試合のテレビ中継を私たちはお茶の間で娯楽として見るということで良いのか。 そもそも金メダルを期待されるパラリンピック選手がいるという事実自体を知らない人がほとんどですので、ごくごく一部の人にしかたてられない問ではあります。突き詰めると、障害者スポーツをスポーツとして認識するか否かという課題、分けるのか混在させるのかという課題、そして障害者とどう接するのがよいのかというところにまで辿りつく問です。そして、この場にいた人は、それぞれが自分なりの解を持ち帰ったのではないかと思います。 それは、実際に荒井監督の話を聞き、久保選手に出会ったから、つまり「知る」ことができたからかと思います。 荒井監督の話は「失ったものを数えるな。今あるものを最大限に生かせ」という、イギリスの医師でありパラリンピックの創始者ともいわれるルートヴィヒ・グットマン氏の言葉で終わります。第二次世界大戦で半身不随になった戦士たちに語った言葉だといいます。 私たちの人生は失うことの連続だともいえます。もちろん取り返すことができるものもありますし、忘れ去ることで解決できることもあります。でも、失うということとは必ずどこかで共存が必要です。例えば、誰もが絶対に逃げられないものに、年をとるということ、つまり若さを失うということがあります。でも「今あるものを最大限に生かせ」ば何とかなるでしょうし、それで何とかする以外にはないわけです。 昨日来てくれた久保選手は、ソチ・パラリンピックで5つの種目に登場する予定です。私たちは、彼の活躍を隣の国の物語としてではなく、本気で見守ることができます。 久保選手、全身全霊を込めて応援しています。 ![]() ※最後の記念撮影。参加者の皆が差し出している5本の指が意味するところは何でしょうか。
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