キャリア教育、教養教育 ~平田オリザさんインタビューから
12月19日(木)の日経新聞「学ぶ 磨く 育てる」頁に掲載されていた平田オリザさんのインタビュー記事です。私は残念ながら、慶應MCCでの講座も受講できなかったので、直接、お会いしたことがありません。劇作家でありながら、大阪大学では大学院教育にもたずさわれています。

そうだよなぁと感じる部分を4か所ほど抜粋します。


◆会話と対話の違いについて

「会話は親しい人とのおしゃべり。それに対し、対話は異なる価値観を持った者同士が違いをすりあわせる。日本の稲作文化の伝統は同じような価値観の中で、わかり合う文化をはぐくんだ。だが欧米などは宗教や文化が違う相手に自分を説明しないとわかってもらえない、説明し合う文化。わかり合う文化は一方で俳句のような素晴らしい芸術を生んだが、これからの日本人は国際社会で説明する能力を磨く必要がある」

◆対話の教育の必要性について

「本来、コミュニケーションは生活の場で学ぶもの。ただ少子化や地域社会の崩壊によって実生活で学びにくくなっている。加えて対話型のコミュニケーションは私たちが経験していないものだから教育の場で補う必要がある」

◆実践的なキャリア教育が一般化する現状に対して

「多くの場合、成功体験を振りかざすオヤジの説教を聞かせるだけに終わる。現場ではそれは通用しないよ、と。様々な夢を持つ若者に、人生を閉じるような教育をしている。就職に役立たない、就職するかどうか迷わせるような教育こそが本来の教養教育だろう。今は就職率を意識して大学が専門学校化している。就職できないと人生駄目になるぞ、と脅迫することが本当に学生たちのためになるのか」

◆大学の教養教育について


「(教養教育は)進路を迷う最終段階で受けるのがいい。(略)理系は大学生段階では進路を選択しない。修士1年で大学院に残るか、外に出て就職するか考え、進路を決める。その時期に僕みたいに畑違いのヘンな人間に出会うことに意味がある。人生に揺さぶりをかけ、本当にそれでいいのかと問い、自分で人生をデザインできるように促したい」


就職に直結する実践的なキャリア教育の弊害を指摘し、就職には何ら役に立たないのが本来の教養教育だという爽快な主張です。大学が終わったら就職だという単線世界以外の世界を意識する揺さぶりこそが、大学における教養教育の役割であり、生きることはもっともっと自由で多様なはずだという思いが根底にあるのかと思います。

揺さぶられたあとには、真空部分ができます。自分の中に真空部分ができるというのは、ちょっと不安なことです。だから、怖いです。また、果たして揺さぶりっぱなしでいいのか、今の社会で逆に不幸になる若者を増やすだけではないかといったような反論も出てきそうです。

でも、彼らは若いです。そして真空というものは、もの凄い勢いでほかを吸い寄せます。あの年齢でしか考えられないこと、あの年齢でしか動けないことがたくさんあります。単線世界をまっしぐらに走るのも、もちろん大切な1つの選択です。でも、皆がそういう選択をしては、世界は前の世代からちっとも拡がりません。
そして、あの年齢の世代に負けないように、僕らもちょっくら頑張ります。

H 7LJR 685
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