「研修開発入門」中原淳著 ~書籍紹介2014-02~
なんと早くも増刷が決まったという中原淳先生の著作「研修開発入門」について少し書いてみたいと思います。今年は読んだ本をきちんとブログに書き残そうと思っていながら、ぜんぜんできていません。本書を契機に少しずつ頑張りたいと思います。

この本、企業内で人材育成・能力開発・研修などというものに携わる人にとっては、待望の書といってもいいかと思います。世の中には数多くこの分野のハウ・ツー本は出回っていますが、「ひとが育つ研修のつくり方」を体系的、網羅的に取り扱ったものは意外とありませんし、そのようなことを体系的に学べる場もありません。仮にあったとしても、本書が意識しているような広義の「研修のつくり方」はカバーしていません。「広義の」、ここが大切です。研修の「内製化」に少なくともコスト削減以外の価値を見いだそうと感じている人であれば、本書を紐解く価値は間違いなくあります。

読了して感じるのは、本書は2つの二面性を持つ書籍だということです。

1つ目の「二面性」は中原先生自身が前書きでも明示されています。

『研修開発プロセスを明らかにするにあたって筆者が根拠とするのは、①筆者の研究知見と、②企業教育関係者の実践知です。①に関しては、筆者は「経営学習論」を自らの専門とし、これまで企業組織内の学習研究・実践を続けてきました。経営学習研究、ないしは、学習研究の中には、企業研修の開発や評価に関する先行研究があまた存在します。本書を執筆するに当たり、第一に理論的根拠とするのは、これらの研究知見です。しかし、一方で、先にも述べました通り、理論があるだけで本当に現場で役立つ本を執筆することができるでしょうか。「否」であるという立場を筆者は取ります。理論は、確かに現場の実務の指針を提供しますが、それから演繹的に実務で何をなすべきかを把握できるわけではありません。そこに不足するのは、「現場で蠢く実践知」です。よって本書では、理論と実践の間に潜む空隙を埋め、より実践的な記述を心がけるため、先に述べました通り、②「企業教育関係者の実践知」を集めることにしました。理論の知では説明できない部分を実践の知で補い、一方、実践の知がカバーできない部分を理論の知で補完することを狙っています。』(4~5頁)

この部分は平素から実務家との深い交流を続ける中原先生ならではのものかと思います。実務家の実践知の集大成をつくるというのはなかなか簡単にできることではありません。定量的な分析はアンケートである程度はできますが、知の集積というのはベタで定性的なものですし、場合によっては実務家自身も自らが平素やっていることの中に「知」なるものが存在しているとは意識していないということも多々あるわけです。そして、本書の素敵なところは、2つの知の往来をあまり意識することなく読み続けられることです。相当に意識して平易な記述を志しておられると察します。

さて、もう1つの二面性は私が勝手に感じているところかもしれません。

それは、本書は多くの実務家が近くに置き続けたい「実務書」であるとともに、企業内研修に対する「哲学書」でもあるという点です。

人材育成担当者という存在は、何らかの哲学がなければ単なる研修屋に陥るリスクがあります。去年の研修を同じように今年もまわしている人、前任者の研修を何となく引き継いでやっている人、研修ベンダーを何社か呼んで曖昧なオリエンをしただけでコンペをやって研修を決めているような人、いずれも哲学性が欠如しています。本書で貫かれている最も大切な企業内研修の哲学を乱暴に一言でいうと、「企業内研修は政治である」ということです。まさにこれは真実です。

『誤解を恐れずに述べるのであれば、「研修を開発すること」というのは、教材をデザインすること、ファシリテーションを行うことではありません。それは、関係するステークホルダーのニーズを拾い、かつ、「同じ船」に乗せて行く「政治的交渉のプロセス」であり、そこには「リーダーシップ」の発揮が求められます。研修開発のプロセスとは、研修開発担当者が仮説を提示し、関係する人々を巻き込んでいく、リーダーシップの発揮プロセスにほかなりません。そして、このプロセスをきちんと踏まなければ、いくら工夫してカリキュラムをデザインしても、その努力は実を結びません。』(79-80頁)

ここの腹をくくれないようでしたら、研修内製化などに取り組むのは意味をなさないでしょう。

あと、もう1つ、本書の中で提示されている明確な哲学があります。

『誤解を恐れずに言うのであれば、企業の研修の目的とは「教えること」ではありません。教えることは「学習者に学んでもらうこと/変化してもらうこと」の「手段」であって「目的」ではありません。例えば、あなたが今、さまざまな手法を用いて、何らかの知識を「教えた」とします。もし万が一、研修の目的が「教えること」であったのだとしたら、その目的は達成されたことになります。しかし、繰り返しになりますが、研修の目的とは「学習者が学ぶこと」、その上で、学習者に「変化」が起こることです。教えたとしても、「学習者に変化」が生まれなければ、目的を達したことにはなりません。このことは厳しいようですが、研修の目的を記述するときには、学習者を主語にして、学び手がいかに変化するか、という視点から書くことが求められるのです。その上で、さらに話を進めると、企業の研修とは「学ぶこと」だけで止まってしまっては不足があります。「学んだあと」で、当人が職場・現場に帰り、成果につながるような行動をとることができること~すなわち~「仕事の現場で成果につながる行動を取ることができること」が目的になります。』

これはわかっているけれども、なかなかできていないことです。どうしても私たちは甘えと妥協の中で日々を過ごしてしまいがちです。

私が勝手に哲学だと引用させていただいた中原先生の2つの文がいずれも「誤解を恐れずに」というフレーズで始まっているのは、なかなか印象的です。これ、中原先生がご自身で気づかれているかはわかりませんが、中原先生の多用フレーズの1つです。
誰しも「誤解を恐れずに」という言葉で語り始める場合、当たり前のことですが、誤解される可能性を認識しているわけです。でなければ「誤解を恐れず」などと付け加える必要はありませんから。そして、そのあとには本当に語りたい大切なコンテンツが来るものです。たぶん中原先生もこれまで相当に誤解をされてご苦労されたことが多々あるんだろうなと勝手に慮ります。ただし、それは新たな道を切り拓く人の勲章ですね。

何か新しいことをやろうとする場合は、どうしても誤解はつきものです。誤解なんてまだ可愛いもので、曲解や意図的な歪曲された理解、無視、罵倒、さまざまな反応が想定されます。だから「政治」の大切さがあるのです。「政治」というとあまり良くない行為とのイメージがありますが、何かを実現するために必要不可欠な合理的なステップだと考えるべきです。ただし、これが実に難しい……。そして、難しい局面で必死の「政治」を続けるためには、自らの中に「哲学」がなければなりません。そうでないと早い段階でへこたれます。

この「政治」と「哲学」の重要性はすべての仕事に共通するものなのだと思いますが、「研修」という一見、平和な世界も真剣に何かをやろうと思えば、そこから離れることはできないわけです。ただし、私が勝手に本書に貫かれていると感じている2つの哲学については、おそらく数年もしないうちに「誤解を恐れずにいえば」などという前置きは不要な日本になることと思います。そして、後世に本書を読み解くと、あの頃はそんなことで苦労をしたり悩んでいたりしたよね、と懐かしがる日がきっとくるはずです。たぶん…。

少し脱線したので、最後にもう一度繰り返します。企業内で人材育成・能力開発・研修というものに携わっている皆様、本書はお薦めの書です。幅広いレイヤーの人にとって、それぞれの読み方ができます。

さっそく経営学習研究所の私のラボでも、本書をつかったスモール企画をやりたいと考えてます。ただ、週末もほとんどなくなっている怒涛の面接シーズンが終わってからのお話ですが……。

研修開発入門---会社で「教える」、競争優位を「つくる」研修開発入門---会社で「教える」、競争優位を「つくる」
(2014/03/07)
中原 淳

商品詳細を見る
関連記事
スポンサーサイト
【2014/03/16 17:14】 | 書籍紹介 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<シェアードサービスの光と影 ~私的シェアードサービス論(シェアードサービス経営者交流会議)① | ホーム | 経営学習研究所 dolab輪読会(第1回)>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://jqut.blog98.fc2.com/tb.php/1909-6154e8ba
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |