昨日のブログは先週の木曜日の「カウンセリング心理学」講座からの話の途中で終わりましたが、毎週講座があるので、すべてのリフレクションが終わるまでに次の講座(木曜日)を迎えることになりそうです。
昨日の終りは、こんな話でした。 GCDFの講座では問題解決よりも、関係構築を重視し、それがあまりにカウンセラーは自由に話すことがはばかられ、傾聴に専念したり、質問を控えたりという態度をとるように意識してしまったりしていませんか。 クライアント役を以前は頻繁につとめていたのですが、頑張っている人ほどこの苦しみに陥っている傾向はあるように感じます。 先週の講座では「もっと自由に」というお話しをいただきました。 あれをしてはいけないといわれてばかりで、カウンセリングを誤解してしまうと、とても不自由になってしまいます。とりあえず聞いてみようと、本当はもっと楽な世界のはずです。どうしてか、カウンセリングを学ぶとみんな苦しくなる…。聞いてみると、クライアントだってもっと話しやすいところから話してくれたりする。ある意味では簡単な話。誤解によってカウンセラーが苦しめられている姿をみていて、もっと自由になって欲しいと思って語ってくださった言葉だと思います。 でも、なぜGCDFの講座では、多くの人が苦しくなるのか。これには大切な意味があるんだと思います。 イタリア人と日本人が一緒のクラスにいるとします。イタリア人(別にメキシコ人でもいいんですが)は陽気にはしゃぎ立てます。日本人は慎重に寡黙です。この場合、目に余るイタリア人の行為に対して、先生がクラス全体にもっと大人しくしなさいというと、ますます日本人はしゃべらなくなります。心配な日本人の状態に対して、先生がクラス全体にもっと思ったことはすぐに口にしなさいというと、イタリア人は止まらなくなります。とてもステレオタイプ的な見方にあふれた話ですが、あくまでも例示としてご容赦ください。 要は、これと同じことがあるんだと解釈します。 GCDFでは「キャリアカウンセラー」と呼びますが、厚生労働省は「キャリアコンサルタント」と称します(ちなみにアメリカでは、修士取得前にインターン的に動いている人をキャリウコンサルタントと呼んだりしているそうです)。日本には海外のように高度専門職の資格としての「キャリアカウンセラー」は存在しません。日本で「キャリアカウンセラー」を名乗る人のほとんどは海外のそれのような高度で専門的な教育を受けてきているわけではありません。 いかにGCDFの試験が厳しかろうと、それなりに頑張れば合格します。かくして、さまざまなキャリアカウンセラーが世の中には登場します。これはある意味、とても危険なことです。 そんな人、全員にカウンセリングは「もっと自由に」なんていったら、どこに飛んで行ってしまうかわからないわけです。その結果、クライアントがずたずたにされるリスクもあるわけです。 先週の木曜日の講座には、その場にいる私たちを信頼して「もっと自由に」といってくださったのだと感じました。私たちはそれに応えて頑張っていく、使命があります。 協会のカウンセリング心理学講座は、キャリアコンサルティングの基礎となる、フレームワークをつくるカウンセリング心理学を理解して整理していくことによって、キャリアコンサルティングをするときにも自信をもってできるように設けていただいたものだと伺いました。GCDFを取得して、さらに自らいろいろな経験を積んで、そして現状ではまだまだいけないと認識して(かといって、大学院で学ぶほどの時間と勇気はもてずに)、そんな思いをもって受講者は集まっているわけです。 たぶん。 ![]()
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