中原先生がブログで面白い調査をされています。
テーマは、『あなたの近くの「学び上手さん」と「学び迷子さん」を教えてくれませんか?』。 いいですよねぇ、 これ。「学び上手さん」と、「学び迷子さん」について、詳しく書かれているところを勝手に引用しますね。 ************************************ 世の中には、「学び方」を教えてくれる場所は、そう多くはありません。ゆえに、大人は試行錯誤しながら、学ぶことを試みています。 しかし、その試行錯誤ゆえに、世の中には、悲しいかな「学び上手さん」と「学び迷子さん」が生まれているような気がします。 「学び上手さん」とは、「学ぶことが自分のキャリアや仕事に活かせている人(状態)」のことをさします。 はたから見ていて、「着実に前に進んでいるような感覚」、「あのひと、学んだことを活かしてるね!」と思えることが、仮に「学び上手さん」の特徴だとします。 一方、「学び迷子さん」は、ほんの少し残念な状態です。 「あれっ、学んでるその内容、そもそも大丈夫?」というようなものを学んでいたり、「学ぶごとに不安や葛藤に苛まれていったり」するのが「学び迷子さん」だとします。「生涯迷子」を自称している小生に言われたくないと思うのですが、そんな「学び迷子さん」たちを応援したいというのが企画の趣旨です。今の社会において「学び上手さん」と「学び迷子さん」を分けるものは何か?を最終的には考えたいなと感じています。 「学び上手さん」も「学び迷子さん」も学術用語では1ミリもありませんので、定義はこのくらいにしておいてください。それは個人の属性なのか? それとも状態なのか、とかいう細かいツッコミはなし。 要するに、「学ぶことでポジティブな効果が得られている(状態)」のが「学び上手さん」。「ちょっと残念な状況が生まれている(状態)」のが「学び迷子さん」だと軽く、ゆるく、とらえておきましょう。 ************************************ ということで、ゆるく考えることが大切です。 これって、考えていくと、自分が「学び」という言葉、もしくは行為にどういう価値観を持っているのかということにつながるような気がします。「学び上手さん」の反対の概念が「学び下手さん」ではなく、「学び迷子さん」というのがとってもとっても言い得て妙ですが、ここにすでに中原先生の想いが自然と出ているともいえます。 それにしても、「学び迷子さん」ですが、「学ぶ」というのはある意味「迷う」ことに(私の感覚では)つながるものなので、ここでいう「迷子さん」とはそういう意味ではなく、まさに「ちょっと残念な状況が生まれている」というニュアンスですね。これはしっくりと来ます。 学び自体が自己目的化してしまっているような状態って、私の感覚だと「迷子さん」のように思えます。本人はちっとも迷ってはいないのかもしれませんが、その学びの先に何があるのかなぁ?という問題です。 その真逆で、あまりにも合目的的な「学び」、超目的志向的な「学び」も、私の感覚だと「迷子さん」のように思えます。 私はこれからこれをやるので、これとこれを無駄なくきちんと学ぶというノリの「学び」です。これも本人はちっとも迷っていない場合が多いように思います。 ただ、時折、本人は合目的的に思っていても、それがズレまくっている人もいます。以前、資格取得学校で何度か講演をしたことがあるのですが、講演後に個別に質疑をしにくる人の中にはそういう方が多く、世の中には随分といるんだなぁと実感したことがあります。この資格を一生懸命に勉強して取得しても、思い描いている未来には絶対につながらないと思うんだけど、みたいなとこですかね。でも、一生懸命に勉強すること自体は尊いことではあります。 それに反して、本当に1ミリもすきもない合目的的な学びを超効率的にできる人もいるわけです。回り道をしない人ですね。でも、そんな人も私の感覚からいうと、おんなじ「迷子さん」に分類されそうです。 こうやって「迷子さん」を考えることによって、自分が「学び」に何を大切にしているのかが、なんとなく輪郭だってくるのが、なかなかいいですね。それにしても、自分の中にもときとぎ「学び迷子」さんが表れることもありますね。 ![]() ※どーこだぁ。古典酒場でのひとり呑みにも「学び」はありますねぇ。でも、呑み過ぎると「迷子」になります。
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