自分探しと、どうも違うなぁ   連歌ブログ
また、久しぶりに中原淳先生のブログへの連歌ブログを書きますね。

かなり前のことになりますが、ある若い学生さんと話していたとき、こんな一言をもらしました。
「先生、わたし、今、"自分探し中"なんです。何をしてよいかわからないし、何からはじめてよいかもわからない」


こんな書き出しのブログです。
で、滅茶長くなりますが、さらに引用します。

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こういう話をきくと、いつも思い出してしまう言葉があります。 北九州市立大学の見舘先生から以前教えてもらったもので、役者の役所広司さんがどこかでおっしゃっていた言葉だそうです。

 自分探しって言いますけどね、
 見つかりませんよ。
 自分は「ここ」にいるんだから    (役所広司)

先ほどの学生さんは「自分探し中」と自己を表明なさっていましたが、それを伺った僕の感想も、まさに役所さんの気持ちそのもので、まったく共感できます。
さらに思索を深めていくと、90年代に流行した「自分探し」というメタファは、少し危険だよな、とも思ってしまいます。

 「自分探し」というメタファは、
1.「現在の自分」とは「遠くかけはなれた場所」に、どこか「今の自分とは異なる自分」がいると考えてしまう点
2.「今の自分の周囲においてやらなければならないこと」と「理想の自分を探すこと」が乖離しているようなイメージを与えてしまう点
3.そして「探す」というメタファには「終わりはない」と感じさせてしまう点=すなわち、「永遠に自分探し中」となってしまう可能性がゼロではない点
 において、僕は大変危険だと思っています。
 僕はたぶん自分の子どもに「自分を探せ」とは死んでもいわないと思います。だって、おまえ、ここにいるぢゃんか(笑)。

 このメタファを過剰に信じてしまうと、「現在の自分」を放棄して、「今の自分」を探そうとするのではないでしょうか。
 あるいは、「今自分がやらなければならないこと」と「理想の自分を探すこと」が「別物」だと考えてしまうのではないでしょうか。

 僕はそうした状態を懸念します。
 そして、僕の持論はこれとは「まったく逆」です。

 ワンセンテンスで申し上げますが、

 自分を探してはいけません。
 あなたは「ここにいる」のです。
 そして
 今のあなたが「すべての起点」です。
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その通りですね。

しかも、さらに気になるのは、「自分探し」で大海の大海原に泳ぎ出せばまだいいのかもしれませんが、どんどん狭い世界に入り込んでしまいがちな自分探しに膨大なパワーを投じている学生の皆さんにしばしば会うことです。

これは、ステレオタイプのキャリア教育のキー・コンテンツにいまだになっている「自己分析」と「業界研究」がもの凄く悪く作用しています。もちろん、これらも適切にやれば、意味はあるのでしょうが、滅茶滅茶副作用が出ています。

乱暴にいってしまえば業界研究の意味はほとんどないと思います。だって、そこそこの企業であれば、どの業界に属しているのか特定できないくらい事業は複雑化していますし、同じ業界でも外資系、伝統的日本大手、ベンチャー、地場産業によって、職場の雰囲気も働き方もぜんぜん違うはずです。こと、働くという意味では、業界で何かを判断するプライオリティは間違いなく下がっているはずです。
これに対して、似た言葉ですが「企業研究」は大事です。面接に行く会社、セミナーに行く会社、合同説明会で聞いてみたい会社、これらはちゃんと予習としての「企業研究」をしないといけません。客先に訪問する前に客先のことを研究しない営業担当がよい業績を上げられるわけはないですから、明らかに「企業研究」をしていないと思われてしまう人が選考に通過する可能性は低いでしょう。相手に本気になるのは、相手に時間をとってもらう際の礼儀です。

自己分析もしてもいいんですが、限度があります。企業研究と自己分析の結果、自分にあうと思う業界にしぼってエントリーをして、実際に選考が進んでみると、どうも違うなぁという感じがして、面接に気持ちがのらなくて、結果的に前敗してしまうというのが、優秀な学生にも起こりえます。

大切なのは「どうも違うなぁ」という感覚です。これは自分で体感しないとわかりません。ネットの情報だけで業界研究をしていてもわかりません。それぞれ20年以上何とか頑張って生きてきたのですから、自分の「どうも違うなぁ」という感覚は結構、ちゃんとしたものがあるはずです。たぶん、中原先生のいう「やったあとの違和感」と近い感覚のことなんだと思います。こういう「どうも違うなぁ」から、いろいろなことが見えてきたりするんです。

いずれにしても、ステレオタイプなキャリア教育は、本人の未来可能性を狭めます。なぜかというと、マッチングという手法をベースにこれらの仕組みが考えられているからです。あるものとあるものを効率よくマッチさせるのが目的ですから、未来の可能性なんか二の次なのです。働いたことのない人にマッチング理論を適用すること自体がどうなのかなぁと思いますが、何ごとにもナビゲーションさせなれている人たちであれば、このような指導についつい引き込まれてしまうのも無理はないのかもしれません。

明日、ちょっと講演でお話をさせていただくのですが、これに近いお話を明日のお話の中でも用意していました。で、よくよく思い出すとその講演、中原先生からの無茶ぶりでした。なんとなくつながっているんです、世の中。とりあえず、動き出しさえすれば、何かつながってくるのが世の中かもしれません。今晩は、重い腰を上げて、久しぶりの皆様と21時スタートの吞み会に参加してきましたが、よい吞み会は人を元気にさせます。そして、何か、つながりを感じさせます。

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