大阪万博の未来観からブレードランナーの未来観へ
私は大阪万博に子どもの頃、あこがれていたのですが、東京在住であり、一度もいけませんでした。
1970年のことです。

公式ガイドブック(?)を買ってもらってぼろぼろになるくらい読んでました。
ちょうど小学校の図書館で、少年少女世界SF全集みたいな奴に出会い、SFの世界に魅了され始めた頃です。
大阪万博も実は舞台裏では、日本のSF作家たちがさまざまな形で協力をしていたそうです。
大阪万博の何が魅了したかというと、やっぱり圧倒的な未来への期待感なんだと思います。
さまざまなかたちの未来社会へのあこがれがそこにありました。

しかし、その後、世の中の未来観は変わります。
1982年に公開された映画「ブレードランナー」で描かれる未来は、環境汚染にまみれた退廃的近未来都市であり、超過密的人口の中での猥雑で退廃的、そして電脳的な未来です。そして、この「ブレードランナー」の描く未来を転機に、その後のSF映画の描く未来のほとんどがこれに似た世界になっているともいえます。ちなみにブレードランナーは、1968年に書かれたフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」が原作です。

この未来観の違いは大きいです。1970年当時の小学生は、三波春夫が能天気な「世界の国からこんにちわ」の声に押されるように、今よりも発展した未来、今よりも素晴らしい未来を確信して、その世界の発展とともに自らも学齢を重ねていったわけです。でも、わずか12年で「ブレードランナー」の未来観に変わります。「ブレードランナー」が描いた世界は2019年だそうですから、世界の退廃は映画家のイマジネーションよりは進んでいませんが、方向性は哀しいかなまったくずれているとはいえないように感じられます。

1970年に小学生だった私たちの世代と、今の世代とでは、どうしても未来肯定感(なんて言葉ないですかね)、社会肯定感といった感覚は持ちにくくなっていると思います。

大学から社会への移行という視点でみると、社会に出たい、社会に出るのが楽しみだという感覚が持ちにくくなっているかもしれません。高校の次が大学だったのと同じように大学が終わるから次は社会に出るのが普通だからそうする、といった感覚が中心かもしれません。しかも、私達、社会に向かい入れる側は、社会に関してのネガティブ・キャンペーンをたくさんしてしまっています。社会のつらさ、厳しさ、理不尽さを伝えるのが大好きな人が多く、面白さ、愉しさを十分に伝えきれていません。とてももったいないし、馬鹿げたことです。大変なことはきちんと伝えながらも、一緒に働くということの面白みと醍醐味をきちんと伝えていくのも、私たちの大切な役割のはずです。

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