合理的配慮、障害と障がい者
2013年の障害者雇用促進法改正により、障害者に対する雇用差別の禁止と、合理的配慮の提供義務が規定されましたが、これが今年の4月に施行されます。準備はいかがでしょうか。

この法改正は、国連で2006年に採択された「障害者権利条約」の批准に向けての法整備であり、判例などが積み重なって法令となるというパターンではないため、何をどうすればいいのかちょっと悩ましいところがあります。心配し過ぎるときりがなくなるとろこもあります。今回、たまたまとある経済団体から「合理的配慮」の事例発表を頼まれて講演をします。で、年末にいろいろと文献を見ていたりしたのですが、細かい話をするよりも、話の枕にはメンタルコンシェルジュの年末のセミナーで伺った花田光世先生の話を自分なりに解釈して引用するのがいいかなぁと考えています。こんな話です。

「障害」と「障がい者」という話です。
ちなみに、法律では「障害者」と書くのですが、私たちは通常は「障がい者」という表記を使います。

人が働こうというとき、職場環境に何らかの「障害」が存在する場合があります。その「障害」は、本人のやる気の発揮、本人への教育、経験の蓄積などによって、乗り越えられる存在である場合と、本人の努力だけでは乗り越えがたい存在である場合があります。後者の場合、その「障害」を何らかの方法で取り除いたり、低減してあげないと、よい仕事はできません。社会人経験のない新入社員にマナーの研修をするといったのも、こういった行為の1つです。

このように自分の力だけではどうしても乗り越えられないような「障害」をきちんと発見し、取り除いたり、低減したりして、乗り越えられるものにしてあげることが、「合理的配慮」の本質なのだと思います。ということは、本来「合理的配慮」というものは、何も特別なものではなく、「障がい者」がいない職場であっても、よりよい仕事をするためには、必要な概念なのだと思います。

「障がい者」の場合、健常者に比較して、職場で仕事を遂行するにあたっての「障害」は一般的に多いと考えていいでしょう。また、「障がい」のタイプによって、その「障害」はある程度、予想がつき、したがってその対処方法もあらかじめ検討可能な場合が多いと思われます(他社ですでに対処できている事例も多いでしょう)。なので、何も難しく考えすぎる必要はないわけです。

法令上の「合理的配慮」の定めでは、労使双方でのコミュニケーションを求めています。これも本来は「障がい者」に限ってのことではありません。労使のコミュニケーションは、良い職場つくりの必要条件なのは昔から変わりません。「合理的」という言葉は、なんとなく客観的に基準があるんじゃないかと勘違いさせますが、人は1人ひとり違います。それぞれの「合理的」があるわけです。1人ひとりの声に耳を傾け、それに配慮していく姿勢が求められます。ただ、すべてに献身的に対応するのではなく、1人ひとりの成長のために、自分で乗り越えられるようなレベルの「障害」であれば、自分で乗り越えることを求め、それをサポートする精神も大切です。それがないと本当の意味でのまともな「職場」にはなりません。

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※初詣。

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【2016/01/02 18:04】 | HRM全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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