待つことができなくなった社会は希望がなくなった社会だ
12日に「JMA2010年経営革新提言」というを聴いてきました。

これは「聞く⇒聞く⇒聞く⇒帰る」という従来パターンのものですが(ラーニングバーに行ってないと何のことだかわかりませんね)、その中のパネルディスカッションがとても面白かったです。

今年のテーマは「潜在能力の組織的発揮~働く人の喜びを生みだす経営~」であり、ここ3年間「潜在能力の組織的発揮」の問題を追いかけているようです。

パネラーは以下の4名。それぞれ全く違う分野の専門家で、個々に詳しくお話を聞いたことはなかったのですが、大変に面白いセッションになりました。

□東京大学生産技術研究所教授 合原一幸氏(脳科学、カオス工学)
□筑波大学大学院人間総合科学研究科教授 安梅勅江氏(発達保健学)
□元花王株式会社代表取締役会長 常盤文克氏
□総合研究大学院大学教授 長谷川眞理子氏(人類学)

昨日、人材育成には「待つ」ということが必要だという話を書きました。しかし、「待つ」ことがなかなかできなくなったのが今の日本だともいえます。

玄田有史先生が書かれた「希望学」の内容が引き合いに出されて議論が広がっていきました。

日本人は、とにかく「待つ」ということがなくなってきています。パソコンの反応が遅いといってすぐにいらいらする日本人。街中に「待つ」ことに対するいらいらが充満しています。
実は「待つ」というプロセスがあるから、そのうちに何かが出てくるものです。「待つ」というプロセスをとっぱらって「希望」というものはありえないといのが玄田さんの主張だそうです。それはそうだと同感します。その意味では、「待つ」ことができなくなった社会は「希望」のない社会だということになります。「時間をかけて何かに取り組む」というかつての日本企業のよさがなくなったのが、日本企業の伸び悩みの要因なのかもしれません。

「待つ」というのはじっくり時間をかけて育てることであり、目先にとらわれずじっくりと思いをはせることです。「待つ」ことができない社会では、究極的には子供を育てるのがいやになります。今の母親は本当に、待つことができなくなっているそうです。子供の手をつないでゆっくり歩いてあげることができない親が多くなったといいますが、親だけが先に歩いて子供が一生懸命にそのあとをついてくるなんて光景を確かに見かけることは多いです。一生懸命語りかけて育てる、じっくり手を掛けて待ちながら育てるというのは、本当に人間に必要なことなのでしょう。働くだけでなく、子育ても含めて、すべてに見直しが必要だと長谷川先生は話されていましたが、これも同感です。ただ、だからといってスローライフに戻ろうというのは短絡的であり、第3の方法がどこかにあるのだと思います。

最後にもう一つ、印象に残った言葉。

  日本では「大丈夫だ」という人が少なくなった。
  「お前大丈夫か」と問う経営者が増えた。
  「お前大丈夫か」はものすごく不安を人に与える。
  「大丈夫だ」は大変に勇気を与える。

《私の好きなSF小説 その30》 SFってなんて素敵なタイトルが多いのでしょうか。旧版の表紙です。


月は無慈悲な夜の女王 (ハヤカワ文庫 SF 207)月は無慈悲な夜の女王 (ハヤカワ文庫 SF 207)
(1976/10)
ロバート A.ハインライン

商品詳細を見る


《2010年3月15日》 木曜日あたりから腹痛があり、金曜日の朝からかなり強くなっています。今日もまだおさまっていないのですが、やるべきことてんこ盛りで活動を続けていました。やっぱり治らないので、明日もこのままだったら、検査に行きます。今日のブログの最後にありますが、私はなんでも「大丈夫だ」と思うようにしちゃうのが身体にはよくなかったりして…、とも思います。


ビジネスブログ100選
blogram投票ボタン  
↑ブログランキングというのに参加してます。よろしければクリックして一票投票を

関連記事
スポンサーサイト
【2010/03/14 18:57】 | HRM全般 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<ちょっと整理です…3月前半編 | ホーム | 「困った人」とは実は「困っている人」>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://jqut.blog98.fc2.com/tb.php/801-850c6604
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |