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子供を未成熟な大人ではなく、大人を萎縮した子供と考える
「子供を未成熟な大人ではなく、大人を萎縮した子供と考える」

慶應義塾大学丸の内シティキャンパスのラーニングイノベーション論Ⅱ期生のツイッターにあった言葉ですが、たぶん先日のラーニングイノベーション論の講師の方の話からなのだと思います。前年にはなかった講座の日なので定かなことは分かりませんが。インプロとの絡みかな。

でも、いずれにしても今年一番ハッとした名言です。

実は私はしばしば、大人と子供とどちらが人間として元来あるべき姿なのだろうかと考えることがあります。昔、伊武雅刀は「私は子供に生まれないでよかったと胸をなで下ろしています」というようなことを歌っていましたが、同じ人間でも大人と子供は、ちょっと違う生き物のようなところがあります。そのはざまにあるのが「思春期」であり、それであるがためにいろいろな問題が起こります。

この名言を聞いて確かにそうだなぁと感じますが、大人は子供よりも委縮して生きてますね。そして、そのことを称して「大人になったのだ」と定義しているようにすら思えます。「きちんち委縮ができるだけ、君も大人になっんだね」という具合に。

ひょっとすると、大人が一切委縮しない世界は実にアナーキーで危険一杯の世界なのかもしれません。大人はそれを避けるがために生物の本能として「委縮」を身につけたのかもしれません。でも、子供の世界にもそれなりの秩序はあり、完全な無政府状態にはなっていませんよね。また、大人から委縮を解放しても、本当に子供になれるかも微妙です。こんなことを結構、まじめに考えたりします。

1ついえることは、今の社会では「委縮」を良しとした大人が絶対的安定多数を握っており、時折出てくる「委縮をせずに大人になった人」は、よっぽどの幸運と力量がなければ、スポイルされるということです。でも、たまにその幸運と力量を持ち合わせた人が出現し、それらの人は「天才」と称され崇め奉られますし、新しい創造的価値を世界にもたらします。

高齢化の進む日本では、ますます委縮した子供である大人が絶対的多数を得て、未成熟な大人である子供は少数派になります。これは文明の衰退を意味する可能性があります。そんな社会では、大人にさらに委縮を押し付ける風土が高まるリスクがあります。旧来的大企業の中では「社内でも適切に委縮することが出世のために一番大事なこと」になっているなんて状況ですよね、結構。

それでは、縮小再生産しか世の中にもたらすことはできません。

「子供を未成熟な大人ではなく、大人を萎縮した子供と考える」

つくづく素敵で示唆的な言葉です。

《2010年8月26日》 麹町「文字平」さんにて終了。遅くまですみませんでした。インターンシップ生との飲み会だったのですが、緊急の打ち合わせで大遅刻。改めて、人事の仕事の幅の広さを実感した日でした。それにしても、頼もしいメンバーがいろいろといてありがたいです。


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