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こころのメタボ、こころのABC活動
  • 「こころのメタボ」という話を聞きました。
メ=面倒くさい
タ=ため息をつく
ボ=ぼーっと足を引きずる

こころのメタボとは、こころの活動性が低下した状態を指し、そのままにするとうつ病などのメンタル疾患に陥りかねない状況を指すそうです。その見極めの目安が、メタボでの語呂合わせになっているわけです。

これに対して、こころのメタボ解消のために、「こころのABC活動」というのがあるそうです。

A=Act…行動。積極的に外出したり、ウォーキング等で体を動かす。好きな音楽を聴いたり、好きな本を読んだり、気の置けない知人とおしゃべりをしたり、などなど。
B=Belong…所属。何かの趣味の会に参加してみたり、スポーツの集まりに参加してみたり。
C=challenge…挑戦。何か習い事をしてみたり、資格に挑戦してみたり、ボランティアやペットの世話を始めてみるとか。

ある意味、生活習慣の改善です。ただ、そうも簡単にはいかないような気もしますが。

酒場探訪シリーズ061 いとスタンド 
※酒場探訪シリーズ061  いとスタンド@目黒  ~いつもながらにふと立ち寄ったお店。その大半が、もう一度いってみたいお店になる。新しい方がやっているけど、いい感じのお店。増えてますよね。



【2018/01/05 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
世界を見上げる目線
大学生に対して、ある芸術家の方が語ったお話です。
毎年、1回参加させていただいているイベントなのですが、この方から大学生へのメッセージを聞くのが一番の楽しみになっています。内容は、少し私の解釈が入っているかと思いますが、ちょっと整理しておきたいと思います。

自分は大学生の頃から彫刻家になりたいとずっと夢をみてやってきた。夢を膨らませて、世界を見上げて、下からの目線の大切さを感じてやってきた。

でも、社会に出て智恵を得てくると、上から見下ろして評価したり、批判したりすることが上手になってくる。大人になる、利口になる、そんなプロセスで、見下ろす生活に慣れてきてしまう。上からみて、良いだとか、良くないだとかと批判、評価をする。それに慣れてきてしまう。

下から作り上げて、下から世界を見上げて、一から何かを積み上げて立ち上げていく、そんな気持ちを忘れがちになる。
何かを本気で成し遂げたい、夢に向かって取り組みたいと思っている人の視線は、きっと見上げる目線だ。そんな目線を自分がもっていること、持っていたことを忘れてはいけない。

酒場探訪シリーズ060 ちょっくん 
酒場探訪シリーズ060 ちょっくん@渋温泉 ~味わいあふれる温泉地の酒場。空気感が最高。遠いけどまた行きたい。

【2018/01/04 23:12】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
web教材で学んだ「キャリア教育」の真髄にガツンときた日
キャリアカウンセラーの資格であるGCDFのコースで課せられているweb講座を一式、この正月休みにwebにて受講しました。その中に渡辺三枝子先生の「キャリア教育」の講座がありました。実に濃厚なweb講座でした。まったく「キャリア教育」について、浅はかな理解をしていた自分に気づきました。

キャリア教育とは「1人1人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育」(2011年の中央教育審議会答申より)と定義できるようですが、どうも私たちは自分たちの接点である学びの場が「大学」であるために、どうしても大学のキャリア教育をキャリア教育ととらえがちですし、一部では就職指導や職業教育こそがキャリア教育のように考えられがちです。

でも、三枝子先生の提示される定義は違います。
キャリア教育は、キャリア発達の視点から全教育活動を見直し、改善する理念であり方針のことである
なるほど。「キャリア発達の視点から全教育活動を見直す」というのは壮大な話です。日本のように大学生に手厚いキャリア教育を課せられている国は実は例外的で、他国ではキャリア教育というのは高校生までの話だそうです。大学生にまでなってキャリア教育というのは、本来であればなじまないわけです。

キャリア教育は、小学校、中学校、高校と段階を追って設計されるべきものです。そして、特定の活動や教科を意味するものではありません。インターンシップを設計したり、R-CAPで自己分析を促したり、業界研究セミナーを提供するのがキャリア教育ではないのです。

人は1人1人の個性をもった存在として、生涯、発達をし続ける存在です。学校は、その発達の基礎作りの場であり、そして教育の役割は児童、生徒、学生の発達を促すことそのものなのです。これは、生きる力の土台をつくることに近いことです。そして、発達は自然には起きません。だからこそ、そこに教育の意義があるわけです。教育は発達の促進にとって不可欠なものなのです。ただ、それがどうしても目に見えやすい知的発達ばかりがフォーカスされ、学校のもつ知的側面以外での発達の促進機能への認識がおろそかにされてきています。

給食当番や日直のような当番活動、保険係や図書係のような役割活動、上級生が下級生の生を世話をする活動、仲間と一緒に何かに取り組む活動、できることとできないことを認識すること、好きなことを知ること、好きなこと以外のこともやらなければいけないことを知ること、興味の幅を広げること、多様な経験をすること、学ぶことの重要性を知ること……。

これらすべてが学校で行われる「キャリア教育」であり、またキャリア教育の視点からリデザインされる必要があるのです。何よりもまずは、学校における日々の活動がキャリア発達に寄与するのだということを関係者が正しく理解し、それをよりよくデザインすることを考えることから始める必要があります。

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三が日の写真は熊本しばりになりました。路面電車です。路面電車の走る街は素敵ですね。昨年は、松山、広島、熊本と路面電車に乗りました。特に松山と熊本は街がシンクロする気分になります。

【2018/01/03 19:33】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
インプットする前にアウトプットを考えるのが、良質のインプットを招く
そんなにまじめにやってないですが、ジムで一時期、ヨガのクラスによくいってました。ヨガに詳しくはないのですが、その時に「吐く呼吸」と「吸う呼吸」の話があり、「吐く呼吸」に集中して行い、吸うのは自然に任せてというか、吐くことができると自然と吸うことはできるというような話を聞きました。吐く呼吸は心をリラックスさせるという話もあったような気がします。

さて、学びとアウトプットについてです。昨年はこのブログ、47日しか書きませんでした。昨年の休肝日が100日あったので、休刊日の半分しか書いていないわけです。これはいけません。2008年の1月14日から書き始めて以来、最初の数年間は1日も欠かさず書いていました。すでに累計で2000回を超えています。その頃のことを考えると、日々アウトプットをする場があるということが、健全なインプットを招いていたようにも感じます。結構、1年間に365日ブログを書くのは大変といえば大変で、ネタを常にストックしておかなければなりません。つまり、インプットし続けて、それを記憶、記録しておかなければなりません。「吐く呼吸」と「吸う呼吸」の関係のようで、「吐く」という場があるので自然に「吸う呼吸」ができていたのかなと思います。ただ、毎日それを課することができるのはある年齢までです。数年前に自分としてその「ある年齢」を超えた実感があり、毎日書くのはやめました。中原先生はまだいけますね。それにしても、ちょっと昨年のアウトプットは少なすぎました。少々、やさぐれていたからかもしれません。今年はいい呼吸をし続けたいと思います。まだ、2日目ですが…。

セミナーに真剣に参加するもっともよい方法は、「質問はありませんか」と講師が聴いた瞬間に絶対に手を挙げることを自分に課することです。質問というアウトプットをするために、話を真剣に聞くようになります。

インプットする前にアウトプットを考えるのが、良質のインプットを招くのではないかというお話でした。ほんとかな。

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去年、2度も熊本に行った話は昨日も書きましたが、これは2度目に夏に次男と2人でいったときの写真。昼間は別行動していて私は時間もあるので水前寺公園に生まれて初めて訪問しました。特に強い期待はしていなかったのですが、公園内にある「古今伝授の間」というのに魅せられてしまいました。たいした建物ではないのかもしれまんが、そこからの光景がこの写真です。しばし、想いにふけるには最適な場所です。



【2018/01/02 23:12】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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